竜二の兄act.4




「神隠しの澱み」という場所があるのだという。

過去神隠しにあった人々が吹き溜まりのように集う地だそうな。

その地は呼吸のように人を吸う。
そして吐き出されるのを人々は待つしかない。



日本では名高い霊峰の、その山村に古くから伝わる地に二人はいた。
口に出すのも憚れる、そこは人が踏み込んではならぬ地・・・

竜二は隣りを歩く兄に視線を投げた。
兄はこの山道の悪路を悠然と進んでいる。
鬱蒼と生い茂った山の木々が二人を取り囲むように見えた。


兄はこの奇怪な話をどう思っているのだろう。


本来、陰陽師として由緒正しい花開院家本家の人間が外部からもたらされた情報で動くのは珍しい。

その場で妖に出会った場合は別だが、話は素人によるデマも多い。
そういった話に無用な労力を裂かないために、
分家の何人かがテコ入れのように調査する。

大抵はそれで片がついて仕舞うのだ。

だが調べに入った分家の人間は悉く「消えた」。
そう「神隠し」のように「消え失せた」。

故に、本家の竜二達が呼ばれたのだった。



二人が程なくして辿り着いたのは山の中腹にある寂れた祠だった。

小さなお堂、その周囲に何百という地蔵が祭られている・・・此処は悪神を祭っていた。
その悪神の祠の隣りには天照大御神の和魂を祭ったお堂もある・・・悪神を沈めるためだ。

この地蔵は何かしら犠牲となった人々の姿を連想させて竜二は眉を寄せた。

たしかに妖気というのか、気が祠を中心として渦巻いていた。
兄もそれが分かっているのだろう。
竜二に「はじめるぞ、気を抜くな」と言うと、
祠に清めの塩と酒をかけ、祝詞と護符で結界を張る。


神を降ろす。


「ふるへゆらゆら  ふるへ」

凛とした澄んだ声に場が力場として高まっていく。
竜二も共に声を合わせて、神降ろしの儀を手伝った。

瞬間、ドンと体が突き上げられる感覚がした・・・



竜二は地面に、倒れ付す。

そして瞬間、手に触れた暖かな感触に瞳を見開いた。

地面じゃない。

「つっ!!」

それはドロリとした闇だった。

地面と思ったのは闇だった。
そしてその闇は底なし沼のようにズブリズブリと竜二を飲み込もうとしている。

足が取られた。

竜二は今回の怪異の話を反芻する。

「神隠しの澱み」という場所があるのだという。

過去神隠しにあった人々が吹き溜まりのように集う地だそうな。

その地は呼吸のように人を吸う。
そして吐き出されるのを人々は待つしかない。


神隠しにあった人は、闇の奥で眠るのだろう。

「くそっ」

もがけばもがく程に竜二は闇に捕われた。

「竜二、落ち着け」

兄の声に。ハッと顔を上げる。

だがしかしそんな場所でも兄は悠然と立っていた。
そう闇に捕われる事無く。
海に立った神のように、体が沈みこむ事無く、その場に立ち続けている。

神気が、神々しいほどに兄の体を覆い。
悪神の気を近付けさせない。

竜二は、此処で兄の力の強さを知ったのだ。

「言霊は曰ふことに、即ち神の霊増して・・・」

兄の涼やかな声が一言一言に周囲を照らし、兄の大きな手が、闇に腰まで捕われていた竜二をグイッと引き上げた。

(流石に。才能が俺とは違う)そんなことを竜二が思っているのを知ってか知らずか、

「俺は深遠に行ってくる、事を終わらせる」

と悠然と言い、そして竜二に自分の神札を持たせた。
その神札から流れてくる暖かさに竜二は自分が守られていることを知る。

竜二は眉を寄せた。

もし、此処で竜二が気付いていれば何かが変わったのかもしれない。

その神札は兄が信奉している神の札であり。
今、兄を守っている神気は其処からのものであると。

「じゃあな」

その一言に急激に不安が襲って、竜二は兄の頬に手を添えた。


「さっさと終わらして、明日は修行に付き合え」

普段なら言わない約束などを言っていた。
兄はそれには笑うだけだった。

笑って竜二の手を外して、くしゃりと竜二の頭を撫でて、離れた。

その瞬間に闇は兄を捕らえて、ずぶりずぶりと体を飲み込んでゆく。

ゆっくり

ゆっくり

竜二は兄を見ていた、意志の強そうな眉、整った顔立ち、漆黒の短めの髪。
そして竜二を見詰める暖かい瞳を。

そして闇は兄を飲み込んだ。

竜二は兄を信じていた、「終わらせる」といった、兄が「終わらせる」と言ったからには「終わる」のだ、この怪異は。

その瞬間に竜二は自身の持つ神札が熱を持ったことに気付いた。

「なにっ」

光が爆ぜる・・・瞼の裏すら焼き尽くす圧倒的な神力で闇が薙ぎ払われるのが分かった。

体が吹き飛ばされる。

けどまだ、まだっ

「秀一っ!!!!!!」

兄の名前を叫ぶっ!

咽喉を引き裂くほどの竜二の呼び声に遠く、兄の「わるい」と言う声が聞こえた気がした。



竜二が目を開けた時、其処は山中のあの祠の前だった。

「・・・秀一」

名を呼んでみた、兄の名を。

だが返答は無い。

しいんと静まり返っている。

以前と違っていたのは、此処を調査しに来て「神隠し」にあった分家の人間が全員、地面に転がり、祠の周囲にあった妖気がまったく無くなっている事だった。

「なぜだ」

本当は分かっている。
「兄」がやったのだ、自分の身と引き換えに。
全ての「神隠し」を終わらせる為に。

声が聞こえた気がした。

『俺は深遠に行ってくる、事を終わらせる』

なぜだっ、なぜっ!!
一人で・・・

『じゃあな』

そういって竜二に神札を託した・・・俺が弱いから。
守れなかったんだっ!!

竜二は自分の手に握られていた兄の神札を見た。

「嗚呼・・・」

『竜二』

艶麗な声で呼ばれる自分の名が好きだった。

「あああ・・・」

『竜二、覚えておけ。
妖怪は黒、俺たち陰陽師は白だ』

妖怪は黒!!!!
俺から兄を奪ったっ!!!

「ああああああああっっ!!!!!!」

竜二は自分の肩を抱くように握り締めた。

心を掻き毟るように。

胸が痛い。


それでも昔、兄は言った。

『人は正義だ、陰陽師は正義。
だが正義は脆いという事を覚えておくのだ、と。』

でもそれは竜二にはまだ、受け入れることは出来なかった。

そして竜二は真の『神隠し』を知る事になる。

兄の存在が『消えた』のだ。

本家の歴史から、写真から記述から・・・そして皆の記憶から。

兄は存在していないことになった。

あの悪神の深遠を兄と共に覗いた竜二だけが兄を、記憶していた。

兄の名を語り、周囲に問い詰めても、周りは不思議そうな顔をするだけであった。

誰も、竜二に兄がいたことを知る者はいなくなったのである・・・竜二自身を除いて。

竜二は本家の庭で咲き初めの木蓮を見ていた。
咲き綻ぶ美しい白の純白。
この冬と春の境に咲く花を兄はこよなく愛していた。

『綺麗だろう、なぁ竜二』

胸が締め付けられるように痛い。

『竜二』と衒い無く俺を呼ぶ兄の声が好きだった。
俺の頭を撫でる大きな手が好きだった。

俺は、兄が大好きだった。

好きだったのだ。

竜二の頬に雫が伝った。

誰もそれを知らない。

その理由を誰も知らない。



そして運命は大きく回り出す・・・羽衣狐の侵攻を跳ね返した京都で。

百物語組が語りだす物語。

「神隠しの地に眠る陰陽師」の怪異。

その物語が竜二の耳に入るまで、あと少し・・・。




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -