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階段を降りていくとさっきまで居た階段上から「兄さん」と声がかかる。
幽だった。
「ワリィ起こしたか?」
「大丈夫、出かけるの?」
「ああ、ちょっとな」
「気をつけて」
「ああ」
こんな些細なやり取りなのに心が軽くなった。
幽はスゲェ奴だ、弟だって信じられないぐらい。
俺が自宅から出てくると、臨也は幾分驚いたような表情で俺を見ていた。
「なんだよ」
「いや、シズちゃんの私服ってあんま見慣れないから」
新鮮でと続けられ頷いた。確かに、大抵制服だからな。
でも今、目の前にいる臨也もそうだ。上は赤のVネックTシャツに黒の長袖の上着。下は黒のジーパンをはいてる。
眉目秀麗という言葉がピッタリな、この男の雰囲気にあっている。
こいつは自分が似合う物を知っている、それに胸が騒ぐなんて女みたいだ。
「お前も私服だろ」
「まぁね」
それじゃあ行こうかと言われ俺達は連れ立って学校へ歩き出した。
俺たちを知るものが見たら、新羅風で言うなら、それこそ驚天動地の驚きだろう。
でも珍しく臨也は人を揶揄するような言動をしなかったし、
俺も俺で幽と話したからか気持ちが穏やかだったせいか、
この時の俺たちの間の空気は酷く心地よかった。
何度も思い返すんだ。
この時の俺たちのことを。
何度も何度も考える、答えなんて出ないのに。
アイツは何を考えていたのか、この時の俺は幸せだったと。
通りなれた道も暗いだけで違うもののようで、俺の隣りに臨也がいることが現実味が無い。
「ねぇ、シズちゃん」
「なんだ」
こいつの声が玲瓏で耳に心地良いなんてことも、気付かなければ良かった。
「今日、七夕だね」
「・・・」
それは知っていた。
「なんで星見に行きたいなんて言ったの?」
「・・・」
そんなの。
想い出が欲しかった。
高校の想い出が殺し合いという殺伐としたモノだけじゃ嫌だと思った。
でも唐突に気付いてしまう。
俺はコイツとの高校の想い出に殺し合い以外のものが欲しかったんだ。
「叶えたい願い事あったの?」
臨也は真剣に俺を見ていた。
「もう俺のは叶ってる」
臨也と二人で少し歩いた、この時間だけで充分だ。
切ないぐらいに、こんな穏やかな時間が胸に痛い。
俺は臨也を瞳に映す、臨也もその紅い瞳で俺を映してる。
綺麗で綺麗で綺麗で息が止まりそうで、なんでか泣きたくなった。
「俺はまだあるよ」
そこで臨也は笑う。
「なんだよ」
言えよ、そこは。
「えー言わないよ、シズちゃんなんかに」
「あっ?俺を怒らせたいのか?」
臨也は数秒黙って、囁くように言った。
「俺が努力しても、裏で手を回しても、神様に願っても、七夕に願い事を言っても叶いそうもないことなんだ」
あまりに素直に臨也が言葉を紡ぐから俺は固まった。
しかもこんな風に臨也がお手上げ状態なんて今まで無かった。
「そうか」
「うん、ちょっと途方も無い願いなんだよ」
そこで臨也は微かに笑った。
「願いなんて滑稽だし願う暇があるなら裏で手を回したほうが楽だけど…ほんと世の中さ上手く出来ててさ、俺の願いは叶わないように出来てるんだよ。」
この瞬間どこか遠いことのように臨也が夜空を見上げた表情を俺は忘れられなかった。
「あっ見てみて、静ちゃん、こと座のベガとワシ座のアルタイルだよ。」
それが何の星か俺は知らなかった。
卒業後になって織姫彦星と呼ばれている星と知った。
俺を呼ぶ、呼ばれると心が泣きそうになる。
こんなに人を好きになったことなんて無かった。
臨也との喧嘩相手と言う関係に俺は激しく後悔していた。
高校時代、結局俺は、オマエが好きだって言えなかった。
どうしたい、言ってごらん。
そう、心の声がする。
アイツの側にいたい。
ホントはずっと、お前のことを好きだった。
決して届きはしないのに。
言わなかった。言えなかった。
二度と戻れない。
あの夏の日、きらめく星。今でも思い出せるのに。
笑った顔も、起こった顔も大好きだった。
おかしい、分かってたのに、君に知らない俺だけの秘密
夜を抜けて遠い想い出の君が指をさす。
無邪気な声で。
END
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