その日の放課後は遊馬と真月で街のパトロールをすることに決めていた。
鉄男を始めとしたナンバーズクラブの面々と、日が暮れるまでデュエルをした後のことだった。

友人達と別れ二人きりになった彼らはそのまま帰路にはつかず、ハートランドの街をぐるりと一周する。
内情を知る真月からすれば全く意味のない作業だったが、バリアンズガーディアンという出鱈目な肩書きを遊馬に信じ込ませてしまった以上は仕方があるまい。
一度吐いてしまった嘘を最後まで貫き通すというその点では、彼はそれなりに生真面目な性格をしているのであった。

すっかり見慣れた町並みを、遊馬と真月は二人肩を並べて歩く。
空は夕日のオレンジ色に染まり、少年達の足元からは長い影が伸びていた。

「こーやって見ても、バリアンって何処に隠れてるかわかったモンじゃないんだよなぁ……今まで会ったアリトやギラグは割と普通の奴だったし。ミザエルみたいに変わった服着てたらわかりやすいんだけどな」
「そんなことよりもまず遊馬巡査、君は口の利き方に気を付けたまえ。バリアンズガーディアンとしての任務に就いている以上、今の我々の関係は上司と部下だ」
「…はっ……失礼しました、であります。真月警部」

指摘されると遊馬は立ち止まり真月に向かって左手でビシッと敬礼をした。
本来敬礼は右手で行うものだが、ごっこ遊びである以上は許容範囲だろう。

此処まで自分の言うことを鵜呑みにして動く遊馬を見ていると非常に滑稽で愉快な気持ちになる。
わざわざ警察手帳まで手作りして見せてやった甲斐があるというものだ。

僅かに歪んだ表情をバリアンズガーディアンとしてのそれに切り替えて、真月は遊馬を見る。

「相手がバリアンかどうかは視覚のみで見極めるものではない。
私を含め彼らは普段人間に擬態しているが、その状態を保ちながら人間界に干渉し続けるにはバリアン世界からのエネルギーを絶えず必要としている。つまり、バリアンの者はある種のパイプを使い常に異世界のエネルギーを此方に持ち込んでいるということだ。
こうしたパトロールをする意義は、彼らから漏れ出す僅かなエネルギーを察知することにあるのだよ」
「なんだかよくわかりませんが、そのエネルギーとやらは、自分にも感知出来るのでありますか?」
「出来るさ。君もたまにナンバーズの気配を感じることがあるだろう?それと同じようにすればいい」
「なるほど……で、あります」

なんとなく理解したらしい遊馬は立ち止まると目を細めてむぅ、と唸った。
自分もバリアンのエネルギーを感知しようと一生懸命になっているのだろう。

それを見て真月は少し笑った。
やはり九十九遊馬という少年は疑うことを知らないのだ。

自らがバリアンそのものである真月からしてみれば当然のことであるが、さっきの話も所詮口から出た出任せである。
バリアン世界から来た者はこの世界に干渉するのに向こう側からのエネルギー供給など必要としない。
もし仮にそうだとしても、僅かなエネルギーがその身体から漏れ出していれば既に接触しているアリトやギラグは真月がバリアンであることに気付いた筈である。

少し考えればわかることだが、それでも遊馬は真月の言ったことを疑おうとはしなかった。
彼は真月を信じているからだ。

バリアン世界からの刺客が次々と現れるこの切迫した状況のなかで、誰よりも大切なアストラルを守ることに必死なのだろう。
その思いこそが敵の付け入る隙になってしまっていることなど、遊馬本人は考えもしないのである。

「……やっぱり、何もいないよな、でありますなぁ」
「私も何も感じないな。次の場所に行くぞ。ここに留まっていても仕方がない」

真月はくるりと方向を変えた。
同じところに連れていくばかりでは単純な子供だって飽きるだろう。

そういえばつい先日、誰も立ち入らないような暗い廃墟を見つけた。
いかにもアニメの悪役がアジトとして使っていそうな、じめじめとした不気味な空間だ。
その辺りに連れていってやれば遊馬巡査もそれらしい気分を味わえるだろうか――そんなことを考えていたから、一瞬、ほんの一瞬ではあるが、反応が僅かに遅れてしまったのだ。

「――真月!!」

憔悴しきった遊馬の叫びに振り向くと、曲がり角から現れた大型トラックがもう目の前まで来ていた。何故こんなものに気付くことが出来なかったのだろう。
遊馬の声に混じって悲鳴にも似たクラクションの音が鳴り響く。

音源はもう目と鼻の先。
それでも冷静であれば避けきれない距離ではない。

真月は道の中央から端に向かって強く地面を蹴った。
硬めに作られた靴の底が宙に浮いたとき、別の何かが腰のあたりに強くぶつかった。

遊馬だった。

「がッ――!?」

地面を蹴った以上に強い力で突き飛ばされ、真月の細い身体は横道のアスファルトに叩き付けられた。
さっきまで立っていた場所をキルキルと音を立てながら減速していたトラックが通りすぎていく。
あともう少し反応が遅れていれば今ごろはあの世行きだったかもしれない――尤も、それは真月が普通の人間だったらという仮定での話であるのだが。

「……遊馬巡査」

なんとか上体だけを起こすと、自分の腰に覆い被さるように倒れている遊馬の背中をトントンと叩いてみる。
顔を上げた遊馬はへらりと安心しきったように笑っていた。
それっきり抱きつかれたような体勢のまま離れられなくて、真月は苦笑する。

「少し、重いのだが」

一言だけ言うと、遊馬は「あ、悪い!」と弾かれたように真月から離れた。
彼の首から提げられた皇の鍵が揺れる。
こんなことがあっても、まだアストラルは眠りから覚めないままだ。

「……何故助けた」
「え?」

土埃を払いながら真月が立ち上がると、遊馬は意表を突かれたような顔をして固まっていた。
どうやら質問の意味を理解していないようだった。

「あんな場面で、どうして私を助けたのだ?あの距離ならば普通の人間だって簡単に避けきれただろう。ましてや私はバリアンだ。いざとなれば本来の力を使っていくらでも逃げ切ることは出来た。……それなのに」

真月は一度言葉を切った。
確かめるように、遊馬の瞳をその目で見据えた。

「どうして君は私を助けたのだ?自分もトラックの下敷きになるかもしれないという危険を犯してまで」

冷たい秋風が、二人の間を擦り抜けた。

真月がそれを問うたのは、遊馬が自分の予想を越えた行動を起こしたのは今が初めてだったからだ。
計画を綿密に練り上げるタイプの真月にとって、相手のイレギュラーな行動はあまり歓迎されるものではない。
それは必ずしも害のあるものとは限らないが、とにかく予測出来なかった現象には理由を欲してしまうのである。

遊馬は直ぐには答えなかった。

言うことに迷いがあるのではなく、単に適切な答えが見つからないらしい。
小さく唸りながら難しい顔で悶々と考える彼の姿はまるで突然算数の問題を解くように言われた小学生のようだった。

暫くの間そのままであったがやがて何と答えるか決めたらしく、遊馬の顔はさっきまでの力の抜けた表情に戻っていた。

「よくわかんねぇや」
「……?」

今度は真月が驚く番だった。
九十九遊馬という少年にとって、自分の命を危険に晒しまで誰かを庇った理由は『よくわからない』の一言で片付けられるものなのだろうか。
真月には理解出来ない話であった。

遊馬は続けた。

「オレ、馬鹿だからさ。お前がバリアンだとかまだトラック避けれそうだとか、そんなこと考えられねぇんだ。お前がそこにいて、近くにトラックが来てて、危ないって思った瞬間にはもう体が勝手に動いてた。……まぁ、お前にとってはちょっと余計なことだったかもしれないけど」

笑いながら、照れ臭そうに頭を掻く。
真月は益々目を丸くした。

「危ないのは君も同じだろう。君まで飛び出したせいで、一歩間違えたら二人揃ってあの世行きだったんだぞ」
「そうかもしれないけどさ。オレにとっては死ぬよりも真月、お前がいなくなっちまうことの方が怖かったんだよ」

当たり前のことのように語る遊馬の言葉に、嘘は隠されていなかった。
これこそが彼の本心なのだと真月は思った。
考えてみればそれもその筈だ。
彼の知る九十九遊馬は、そういう人間なのだから。

「だってお前、一緒になって闘ったとき、自分がバリアンズガーディアンだってオレに教えてくれだろ?オレと一緒に、アストラルを護るんだって。
強がってはいたんだけどさ、あんときのオレ、バリアンの奴からアストラルを護らなきゃって必死で、ホントはすっげー怖くて、心細くて仕方なかったんだ。
オレにはシャークやカイトもいるんだけどさ、あいつらにもそれぞれ護りたいものが別にあって、巻き込んじゃいけないんだって心の何処かで思ってた。
……一人で闘ってたような気がしてたんだ」

此方を向きながら語る遊馬の顔は、夕日を背にしている所為で影になってよく見えない。
けれど、それはいつも彼が見せている無邪気な笑顔とは少し違っている気がした。

そこに隠された感情が不安や寂しさであることなど、人の心の動きに機微な真月なら言われずとも容易に想像できただろう。
しかしそれを遊馬本人の口から語られることの意味は、氷のような彼の心を小さく波立たせる程に大きかった。

まだ子供らしいあどけなさと近しい者を失うことへの不安、その両方を残した顔で、遊馬は再度笑い掛ける。

出会ったばかりの、けれど大切な、たった一人の親友に向かって。

「だからさ、嬉しかったんだ。お前が本当のこと言って、オレを友達だって認めてくれて。
アストラルが傷付いて倒れてるとき、お前はオレの隣で一緒に闘ってくれた。すっげー心強かったんだ。あのとき一緒に出したホープレイVは、オレ達の友情の証だろ?
今のオレにとってはアストラルも大事だけど、お前のことも同じくらいに大事なんだ。出来るなら、オレもお前のことを護りたいんだよ」

それはあまりに純粋で、あまりに無垢な、裏切りを知らぬ少年の願い。

その声に、表情に、今までとはまた違った感情が真月のなかで疼き始めたのは、多分気のせいではないだろう。
けれど今はどうすることも出来なくて、彼はそれを胸の奥底にしまいこんだ。

此処にいるのは九十九遊馬の親友でありバリアンズガーディアンの警部である真月零だ。
童顔に似合わぬ大人びた表情で小さな溜め息を吐く。

「……甘いな」

小さく呟いた声も、まるで部下を想う上司のように穏やかだった。

「やはり君は、警察には向いていない。我々の目的はアストラルを護ること。彼の記憶であるナンバーズを所持している君が、私なんかを庇って死んだらどうする?下手をすればそれが人間界におけるアストラルの消滅に繋がりかねないんだぞ?」
「……それ、は」

遊馬は口ごもったが、彼がそうなることも真月には既にお見通しだった。
矛盾ばかり抱える人間は最後に一つなんて選べない。
そうするように仕向けたのは間違いなく自分である。

真月はフッと口許を僅かに緩めて笑った。

「けど、私は君のそういうところが好きだよ。部下としてではなく、友として、な」

こちらから相手に贈ってやる言葉にも、一切の嘘は隠されていなかった。

真月は九十九遊馬のそういうところが、心から本当に、大好きだった。
それが知らず知らずのうちに人を惹き付けてしまう魅力であると同時にまた弱さでもあるということを、誰よりも知っているつもりだった。

だから他でもない彼のことを、真月は自分の親友に選んだのだ。

「ありがとう、遊馬」

そう言ったのは不器用な転校生としてか、それとも共にアストラルを守るべく闘う仲間としてか。
真月自身でさえそれはわからないままだったが、遊馬はどちらでも構わないといった様子だった。

嬉しそうに、本当に嬉しそうに、彼はくしやくしゃの笑顔で言う。

「当たり前だろ」

その言葉に、その声に。
今の今まで積み重ねてきた九十九遊馬との絆を、真月は今、直に感じたような気がしたのだ。

さっきまでオレンジ色をしていた空は、太陽が沈んですっかり藍色に変わっていた。
一つ、また一つと星が顔を出し始めている。
この街を象徴する高い塔の向こうに見えるのは北斗七星だろうか。
心なしか今日の星は、いつもよりずっと綺麗に見えた。

「……話しているうちに暗くなってしまったな。今日はここまでにしようか、遊馬巡査」
「え……なんで?もう帰るって言うのかよ」
「当たり前だ。今は何時だと思っている?」
「何時ってそれはお前……って、えぇぇ!?もうこんな時間!?やべぇ!姉ちゃんと婆ちゃんに怒られちまう!」

真月に言われて腕時計を見た瞬間血相を変えた遊馬は、急にあたふたしてその場で駆け足を始めた。
ここから彼の家まではそれなりの距離があるが、全力でダッシュするつもりらしい。

あぁ、悪い、真月、またな!
それだけ言い残すと、彼はものすごいスピードで来た道を真っ直ぐ引き返し始めた。
本当に落ち着きのない少年である。

「遊馬くん!」

しかし真月が叫ぶと、随分遠くまで行ってしまった遊馬も立ち止まって振り返るのだ。
真月は右手を高く上げて言った。

「また、明日!」

一文字ずつはっきりとそう発音してやると、向こうからも「おぅ!」という元気の良い声が返ってきた。
続けて何か早口で言われたような気がしたが、そこまでは真月の耳でも流石に聞き取れはしなかった。
断片的に聞こえた言葉からして恐らく明日も宿題を見せてくれとかそういった類いの内容だろう。
とりあえず曖昧な返事をして、真月は帰っていく遊馬の背中を見送った。

そして彼の姿が遥か遠くの曲がり角を曲がって見えなくなってしまうまで、ずっとその右手を大きく振り続けていたのだった。


>>



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -