暗い、暗い夜道だった。
遊馬と別れ一人になった真月が歩くのは、さっきまで彼を連れていってやろうとしていたあの場所だ。

人通りの多い街の中心部から遠く離れた郊外は、廃墟と呼ばれても仕方がない程に荒(すた)れてしまっている。
此処にはネオンの光はおろか住宅から漏れ出す灯りすら届かない。
夜になれば、光と呼べるものは頼りなく天に輝く無数の星達だけ。
こうしてDゲイザーを起動しての人工的な明かりを作り出していなければ、まず道に迷ってしまうだろう。

さっきからそれなりに長い時間歩いているというのに人はおろか野良猫一匹にさえ出会わないというこの地区一帯が、真月はなかなか嫌いではなかった。

あどけない少年の姿をした彼を囲むのは恐らくかつては工場やアパートだったであろうコンクリートの塊である。
人に踏み荒らされた跡が傷として残っていることから完成した当初は好き勝手使われていたのだろうが、街の中心であるハートランドシティの発展と共にその必要性は次第に奪われ、遂には見捨てられてしまったのだろう。
使い捨てにされた挙げ句こんなふうに誰からも忘れられてしまうだなんて、道具ながら憐れなことだと真月は無責任にそう思うのであった。

息を潜め、一歩ずつそっと踏み出しながら歩いて行けば、パキ、と割れたままだったガラスの破片が踏みつけられて音を立てる。
二人して当たり前のように歩いていたあの街並みは一体何だったのだろうかと思うと、何故かはわからないが無性に気分が悪くなった。

発展や進化の裏に世界がこんな代償を払っていることなど、何も教えられず育ってきた無垢な餓鬼共は当然知る由もない。
穢れや汚れは全て『悪いもの』として大人達によって目隠しされ、子供は綺麗なモノだけを見て育つのだ。
だから世界が純粋で美しいモノだと勘違いしたまま育つ奴が多い。

さっきまで一緒にいた九十九遊馬もその一人である。

彼が掲げるのは吐き気を催す程に典型的な性善説。
誰もが本当は優しい心を持っていて、最後には皆が幸せになれる未来が来るのだと頑なに信じて疑わない。
そんな性格の為か、転校生を装って彼に近付き関係を築くのは、真月自身も驚くほどに容易であった。

出会いは必然、などと言えば些かロマンチストが過ぎるだろう。
それでも真月と遊馬が巡りあったのは決して偶然などではなかったのである。

WDCのあの一件で手塩にかけた計画を滅茶苦茶に破綻させられて以来、真月――否、ベクターは、どうにかして再度ナンバーズを取り戻す手段を探っていた。
出来ればアストラルの相棒であると同時に自分の計画が瓦解した元凶である九十九遊馬に、最大限の屈辱と絶望を与える方法を取ってやりたい。
そんなときに辿り着いたのがこの『真月零』という偽りの人格であった。

優しさに満ち溢れ、思い遣りを持った温かい心の持ち主。
本来の自分とはまるで正反対の性格をした少年。
それがベクターが最初に描いた真月零の人物像だ。

誰かの為に『よかれと思って』起こすその行動は真月という人間の不器用さから裏目に出てしまうことが多かったが、それもベクターの計画の内、所謂ご愛嬌である。
善意ばかりが暴走して余計なことばかりする頼りない少年を、あの九十九遊馬が放っておける筈もない。
計算通り、いつしか彼は真月に対しその心を許すようになっていた。
ここまでが計画の第一段階である。

次の行程は、相棒であるアストラルを消滅寸前に追い込んだ上で『バリアンズガーディアン』としての自分の正体を遊馬に明かすこと。

ギリギリまで追い詰められた状況のなかでホープレイのランクアップに一役買った真月は、新たな力を授けてくれた救世主として遊馬の目に映ったに違いない。

そもそもアストラルが傷付き遊馬自身のライフも大きく削られた原因は全てこの真月にあるのだが、お幸せな頭をした少年は疑うことを忘れ、唐突に現れた心強い味方に目を輝かせるばかりなのであった――このとき真月の本性であるベクターが笑いを堪えるのに必死であったことは、勿論言うまでもないだろう。

遊馬はいつもベクターの思い通りの反応を示してくれた。
デュエルをしようと誘えば喜んでそれに応じてくれたし、試しに体調が悪いと呟いてみればまるで自分のことのように心配してくれた。
アストラルの為だと言えば大切な相棒に秘密を作ることさえ厭わなかった。

九十九遊馬は『真月零』を善であると信じきっていたからである。

出会った頃から今の今まで、何もかもがベクターの思う壺だった。
唯一その予想を上回ったのは、先程遊馬が起こしたあの行動。
彼の口から聞かされたあの言葉。

腹の底から沸き上がってざわりと背筋を震わせるような当時の感情は、まだベクターの内側に残っている。
それを思い出すだけで、表面に貼り付けた真月零という仮面が高揚に耐えきれず崩れてしまいそうだった。

――遊馬。

声を出さずに呼び掛けた筈なのに、知らぬ間に喉の奥がクツクツと音をたてて止まらなかった。
口角が上がり、自然とそれは引き吊った笑みの形を作る。
真月としての原型を留めぬほどに歪みきった今の表情を元に戻す気などベクターには更々ない。
右手に握っていたDゲイザーが零れ落ちてアスファルトの上で音を立てた。
空いたその手で顔を覆って、彼は硬く冷たい壁に身体を預けた。

ああ、あぁ。

深く息を吐けば、薄い胸が大きく震える。

あぁ、遊馬。
きっと君は何も知らないままなのだろう。
あの時君が体を張って私を庇ったことが、私にとってどんな意味を持っていたか。
アストラルと私は同等に大切だと君の口から聞かされて、私がどんなに歓喜したことか。

素晴らしい、本当に素晴らしいことである。

今の今まで、ベクターの計画に何一つとして狂いはなかった。

ただ一つ計算の外にあったのは、遊馬が真月にそれ以上の存在意義を見出だしてしまったこと。
最早遊馬にとっての真月零は、単なる友情によって結ばれた相手などではなくなっていた。

アストラルを悪のバリアンから護るという共通の目的をもって闘うことの出来るかけがえのない戦友。
縋ることを知らぬ遊馬が気負うことなく頼ることの出来る唯一の存在。

そうだ、遊馬は、自分のなかで処理しきれなかった不安の穴を、他でもない真月という存在で埋めた。
その少年に心を預けることが、自分にとって何を意味するかなど考えもしないまま。

遊馬は知らない。
何も知らない。

真月零こそが、アストラルのナンバーズを狙う『悪のバリアン』だということも。
バリアンズガーディアンなる組織など、最初から存在しないということも。
いつか、そう遠くない日に、真月零は九十九遊馬を裏切るということも。

暗闇のなかで、一際黒い影がしなるように蠢いた。
少年の姿に擬態したそれは、まるで翼を生やした悪魔のようであった。
誰も彼の元へと辿り着くことがないからこそ、醜悪な本質を晒すのだ。

ベクターは思いを馳せる。

まるで積み木で出来た搭のように一つ一つ積み上げたその信頼が基盤から崩され呆気なく瓦解する様は、どんなに壮観なことだろう。
隠してきた全てを真実として突き付けるとき、遊馬の顔は酷く扇情的で悲劇的で、滑稽なものに違いない。

最後に与える絶望を更に深めるため、嘘に嘘を重ねながら続けていく白々しいごっこ遊びを、ベクターは今、この上なく愉しんでいた。


なぁ、遊馬。

いつか必ず、教えてやるよ。

私は。

僕は。

真月零という人間は。


――俺は、本当は。







星も隠れ、空が黒一色に染まった夜の底。
忘れられた廃墟の奥で耳障りな嗤い声がけたたましく響いたが、それを聞いた者は誰一人として居なかった。


>>atogaki



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