「遊馬くん」

名前を呼んでも返事がない。
遊馬は机の上に広げたノートと睨みあったきり、顔を上げようとしなかった。

「さっきの授業が始まってからずっとこの調子なのよ……話しかけても全然返事しないんだから」

彼の隣の席に座る観月小鳥が溜め息混じりに言う。
彼女もさっきから遊馬に無視され続け困り果てているらしい。

遊馬くん。
遠慮がちにもう一度声を掛けてみたが、先程までと同じで彼は全くの無反応だった。

「ちょっと遊馬……真月くんも来てるわよ。いい加減返事くらいしなさい!」

遂に我慢出来なくなった小鳥が遊馬の背中を掌で叩いてやると、「うぉ!?」とさっきまで微動だにしていなかった彼の肩が跳ねた。
シャーペンを持った手が揺れて真っ白なノートに黒い線を描く。

「なんだ…小鳥に真月か。どうしたんだよ」
「なんだじゃないわよ。さっきからノート広げたまま黙っちゃって」
「遊馬くん、よかれと思って、もうお昼休みの時間ですよ?ご飯は食べなくていいんですか?」
「ん?あー……早弁したからいいんだよ。それよりオレ、宿題しなきゃいけないから」

面倒臭そうに頭を掻いて、遊馬はまたノートに視線を戻す。
真月が覗き込んでみると、それは今日の五限までにやらなければならないと言われていた宿題だった。
もう、本当にバカなんだから。小鳥がお決まりの台詞でまた溜め息を吐く。

「あー…もう、なんで今日に限ってこんなに多いんだよ……放課後は鉄男とデュエルする約束してんのに」
「一週間前に出た宿題ですよね。家でやってくるのは忘れてしまったんですか?」
「昨日の夜までは覚えてたんだけど飯食ったら忘れちゃったんだよ!アストラルに手伝ってもらおうと思ったんだけど、あいつ昨日から皇の鍵から全然出てきてくれねぇんだ」
「そうなんですか……」

学校の宿題を異世界人であるアストラルに頼むのもどうかと思うが、とにかく今の彼はどうしようもなく大ピンチらしい。
とりあえずノートは広げてはいるもののさっきから全く進んでいないし、この分だと五限までに間に合わせるのは不可能だろう。

小鳥はいつものことだと言うだけだったが、真月は少し考えこむ仕草を見せてから言った。

「じゃあ、よかれと思って僕のをお見せしましょうか?昨日頑張って家でやってきたんです」
「えぇっ!?それマジ!?」

途端に遊馬の目がキラキラと輝いて真月を見つめた。
まるで餌を目の前にして尻尾を振る子犬のような仕草だった。

「はい。僕のは全部やってあるので、もしよろしければ」
「うぉおーっありがとな!助かるぜ真月!」
「ちょっと…駄目よ真月くん!ちゃんと自分でやらせないと」
「いいじゃん小鳥!次は忘れずにやってくるからさ」
「駄ー目!そんなことしたら真月くんにも迷惑じゃない」
「いえ、小鳥さん、僕は全然迷惑とかじゃありませんから……」

真月が言うと、小鳥は「本当に?」と眉をひそめた。
彼女は真月が遊馬を甘やかすのが気に入らないのだろうか。
まるで保護者のようである。

三人の話題は遊馬の手助けをそのような形でするか否かという議論にすり変わり暫く続いたが、それは何人かの女子生徒が近付いてきたことにより中断されてしまった。
どうやら小鳥と仲の良い友人らしく、彼女を昼食に誘いに来たようだった。

「もう……とにかく真月くん、遊馬に宿題見せちゃ駄目だからね!」

仕方なく小鳥は自分の弁当を取ると、真月に釘を刺して去っていってしまった。
二人でその場に残されるとやはり予想通りというべきか、遊馬は再び真月に擦り寄ってくる。

「小鳥はああ言ってたけどさ、なぁ、頼むよ真月……マジでオレ今日居残りさせられんのは無理なんだって」
「大丈夫ですよ。その代わり、放課後は僕ともデュエルしてくださいね」
「あぁぁやっぱり話がわかるなぁ……!お前がいてくれてほんとによかったぜ〜!!」

あっさりと快諾した真月に、遊馬は涙目になりながらも顔をまた明るくさせる。
そんな彼の目の前で真月は自分のノートを広げて見せてやった。

何処か抜けたところのある『真月零』のそれらしく所々に計算ミスが隠されている答案を、遊馬は何の疑いも持たぬま次々と写していく。
頭の使える人間ならば少しだけ計算過程を変えてみせるとかそういった小細工をするのだろうが、バカ正直にそのまま丸写しする遊馬もそれはそれで良いのだと真月は思った。

「いや〜ホントありがとうな、真月!小鳥はいい奴なんだけどさ、変なとこで頑固だから……」
「小鳥さんは遊馬くんのためを思ってああ言ってくれていたんですよ」
「でもそういうお前だって、結局オレに宿題見せてくれてんじゃん」
「僕は遊馬くんのために、よかれと思って宿題やってきましたから。お役に立てると嬉しいんです」

ニコニコしながら真月がそう言うと、「ん?」と遊馬が顔を上げた。
ガリガリと数式を描いていたペンの動きがピタリと止まった。

「オレの、為?宿題やるのは自分の為じゃなくて?」
「はい。よかれと思って」

迷わず真月が頷くと、遊馬はやはり不思議そうな顔をしたまま目をぱちくりさせた。
それはそうだろう、宿題をやるのが自分の為じゃないだなんて、誰が聞いても変な奴だと思うに決まっている。

それでも真月零のあらゆる行動原理は全て『遊馬の為』に『よかれと思って』なのだから仕方あるまい。
不自然であって当然なのだ。

真月零などという人間は、初めから存在しないのだから。

「こんな僕にでも、出来ることがあれば何でも言ってください。喜んでお手伝いしますから」

そんな彼を遊馬はきっと優しい奴だとでも思ったのだろう。
これ終わったらぜってー放課後デュエルしような、そう言って再びペンを握った右手を忙しなく動かし始める。

真月はそんな遊馬を見ているのが好きだった。
計算し尽くした優しさを受け取って目を輝かせる子供の姿を眺めるのは気分が良い。

気の置けない笑みを浮かべる裏側で真月は今すぐにでも本当のことを教えてやりたい衝動に駈られていたが、それを実行するのはもう少し後のことだ。

まだ暫くは頼りない転校生とバリアンズガーディアン、二つの顔を持つ『真月零』という少年を遊馬の前で演じ続けなければならない。

「頑張ってくださいね、遊馬くん」

応援してやるのも彼なりの優しさである。
隣で昼食を摂りながらじっと見守っていてやるのも。

真月は鞄の中からチョコレートのたっぷりかかったパンを一つ取り出した。
購買の新作で美味しいからと『お友だち』に半ば強引に勧められ買ったものであったが、彼には甘すぎて一口食べただけで胸焼けしてしまいそうだった。

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