目の前に運ばれてきたケーキの列に、Vは思わず目をキラキラと輝かせた。
ショートケーキ、ガトーショコラからシュークリームやクレームブリュレまで甘いもの好きのVを垂涎させる要素が満載だ。
前菜、スープに始まりフィレ、ステーキ、サラダを経てフルコースを締め括るのがこのケーキの盛り合わせなのだが、この圧倒的戦力の前ではさっきまで感じていた満腹感などすぐに何処かへ行ってしまう。
それまでの過程でどんなにたくさん食べたとしても、最後に辿り着くデザートだけは別腹というわけだ。
お好きなだけ選んでくださいというウェイターの言葉そのままに、Vは「これとそれと、あれも……あっ、すみません、全部ください!」とデザート用の小さな皿の上に巨大なケーキの山を作り上げてしまった。
同じテーブルに座るWとXはそれぞれ大皿の上に残されたレアチーズケーキとフルーツタルトを一つずつ注文すると、よくそんなに食べれるものだという目で小さな身体にブラックホールの如くケーキを取り込んでいくVの様子をまじまじと観察していた。
ワールドデュエルカーニバル、通称WDC。
この大会の予選二日間のうちに自分達を含めた家族四人分のハートピース、そしてナンバーズを集めることがトロンからVとWに課された任務だったが、早々とハートピースを揃え終えた二人は一日目を無事に終え、携帯でXを呼び出しハートランド随一の高級フランス料理店に来ていた。
日が落ちた頃に「飯でも食いに行くか」と言い出したのはWで、Vはその時までまさかこんなものを口に出来るとは思いもしていなかった。
ここまでランクの高いフレンチとなると気紛れの思い付きで入れるのかどうかは疑問だったが、なんとWは一週間も前から此処でのフルコースを予約していたらしい。
番組の打ち合わせなどで様々な高級料理を口にしているWが選ぶ店なだけあって、味だけではなく値段の面でもかなり高い部類に入るだろう。
「でも本当によかったんですか?トロンを連れてきてあげなくて…こんなケーキみたら絶対喜ぶのに」
「本人が来ないって言ってんだからしょうがねぇだろ。
今はフェイカーから身を隠さなきゃならねぇっていうしな。
向こうのショーウィンドウに入ってるやつ何個か持ち帰ってやればいいんじゃねぇのか?
俺たちは働いた分いいモン食ったってことでいいだろ。まぁ一人働いてない奴が混じってるけどな」
「W、もしやそれは私のことを言っているんじゃないだろうな?わざわざこんな所にまで足を運んで来てやったというのになんという言い草だ」
「それはこっちの台詞だ!
俺だってお前のことなんか誘うつもりなかったんだよ…Vが可哀想だっていうから声かけてやったってのに」
「まぁまぁ!いいじゃないですか。
こんなところで喧嘩なんてよくありませんよ」
「…………
………そうだな」
何か思い出したように周りを見渡してから、Wが声を潜めて言った。
極東チャンピオンであるWの顔はやはりハートランドでも知れ渡っているらしく、耳を澄ませば「あら、あそこにいるのはもしかしてWじゃない」「一緒にいるのは誰かしら」といった声があちらこちらから聞こえてくる。
世間では紳士というキャラクターで通っているせいか彼が身内を含めた一部の人間にしか見せない粗暴さは隠しているようで、食事の仕方も家でのそれより大分上品だ。
話によると此処はハートランドでも有数のフランス料理店であり、ある大会のスポンサーとの会食で訪れて以来Wがいたく気に入っていたらしい。
トロンの計画の一部であるWDCの開催地がハートランドであると知ったときからこの店で食事をということがたっての希望だったようだ。
実際にVやXからしてみても此処で出される料理はどれも非常に美味しく、なかでもVにとってはこのデザートのケーキは格別だ。
既に最初に盛り付けたうちの半分以上を口に入れたが、体はまだまだ甘いものを欲している。
塊のようなクリームを見ているだけで胸焼けしそうだと口許を押さえる兄二人を無視して食べ続けること15分、あっという間にVは更に積み上げられたケーキの山を完食してしまった。
「早っ…お前普段はそんなに食べねぇのにこういう時だけ腹に入んのな……」
「本当に美味しいものは体でわかるんですよ。いっぱい入るんです。
さっきみたいにいくら食べてもいいって言われたときはたくさん食べないと損しちゃいます」
「君は随分都合の良い体の構造をしているな。
さて…そろそろ帰るとするか。ホテルでトロンが待っている。
此処は現金で良いんだな?支払いは私に任せろ」
「ンなッ!?お前クレジットカード解約したってのにちゃっかり現金握りやがって…
その金どっから沸いてきたんだ?どうせ俺の稼いだ金くすねてきたんだろ?」
「何を言う。れっきとした私の資産だ。株で少しな」
「テメェまだ懲りずに株やってたのか!!何ヵ月か前に大損したの忘れたんじゃねぇだろうな!?」
「勿論忘れてなどいない。だからこうして確実に失敗しない企業を選んで投資したのだ。結果も付いてきている」
「反省っていう二文字がねぇんだなお前には…
まぁいい。その金を俺達のために使うってのはいい心構えだ。
せいぜい過去の過ちを償うべく俺達に奉仕するんだな」
「そうですね。X兄様に奢っていただけるなんて初めてですしすごく嬉しいです!よろしくお願いします」
弟二人に支払いを任されると、Xがいいだろうと誇らしげに笑う。
手馴れた様子で会計をとウェイターをテーブルに呼び寄せ、領収書の挟まれた小さな封筒を受け取った。
然り気無い動作で中身を確認すると、問題ないとそれを相手の手元に戻す。
そんな彼の様子を見ながらなんだろう、とVは思った。
こういう時、このいつも家で本ばかり読みWからガミガミと説教されているだけの兄がすごく大人に見える。
三兄弟の長男であり既に成人している彼が自分達より大人に見えるのは当たり前と言えば当たり前なのだが、このような場に出てくるとやはりそのことが再認された気がした。
もしVとWの未成年二人だけで来ていたならば入ること自体が不自然であるはずのこの店も、Xが一緒ならば何の違和感も感じずに入ることが出来た。
現に今こうして領収書を確認して財布を取り出す姿も非常に大人びていて、Vから見れば既に別世界の人間のようである。
普段は何もしない兄もこんなふうに社会に出れば立派な大人に見えるんだなぁ…そんな思いをVとWが密かに抱いたその瞬間、
バリバリ、という音がXの手元から店中に響き渡った。
「……………えっ」
突然鳴り響いたその音に、店にいた誰もが凍り付いた。
あらゆる従業員、そして客の動きが止まり、こちらに視線が集まっているのがわかった。
三人が座るテーブルから放たれた雑音が、一瞬で喋り声や食器の音を掻き消してしまったようだった。
優雅な店の雰囲気に似つかわしくないその音を、Vは遥か昔に聞いたことがあった。
Xの手元にある財布。
それを見た瞬間、この音の正体を確信してしまった。
(―――マジックテープゥゥウ!?)
久しぶりに見た懐かしすぎるそれに、思わず鳥肌が立つ。
まさかそのような財布を兄が未だに使い続けているなどとは思いもしなかった。
普段身に付けている衣装とはまた別に彼個人が持っている私服もVの目から見ればお洒落だったし、てっきり財布もWの金で買ったブランド物を使っているのだと思い込んでいた。
それを、まさか、安物ならともかく、
マジックテープ式って、兄様。
周りの客からの冷たい視線が自分達の背中に突き刺さっているのがわかる。
憧れの極東チャンピオンのテーブルから聞こえてきた場違いなノイズに困惑の色を隠せない女逹の顔が視界にちらつく。
ウェイターはリアクションに困ったような苦笑いを作っている。
Vは逃げ出したい気持ちで一杯だった。
Wは凍りついた場の空気を和ませるために意味のない愛想笑いを振り撒いていた。
二人とも美食の天国から一変、負の感情が一斉に襲いかかる地獄と化した店の空気に耐えきれなくなっていた。
そんな弟たちの心の内など知りもせずWは淡々と財布から一万円札を三枚引き抜く。
至ってマイペースで周りからどう思われようと気にしない彼は、自分が今どのような気持ちで視線を向けられているのかなど考えもしないのだろう。
こうして店中の客が漏れなく自分達を見ている今も極東チャンピオンである次男がこの店に来ていたのが気付かれたかくらいにしか思っていなさそうだ。
現金をテーブルに置くとXは固まったままのウェイターの様を不思議そうに見ていたが、やがて思い付いたようにまた財布に手を掛けた。
「あぁ、そういえば小銭も出るな」
そしてまたバリバリ、バリバリバリィ!と第二波が訪れる。
今度は周りに音がなかったため、一度目のそれよりも余計に響いた。
まるで氷点下のような店の雰囲気のなか、悪夢の開裂音は財布を開く時だけでなく小銭も出し入れするときまで発せられていたのをVとWは見逃さなかった。
(―――そこもマジックテープゥウ!?)
まさか開閉部分だけでなく小銭を入れておくポケットまでマジックテープ式だとは驚きを通り越して感動だった。
普通に生活していて滅多にお目にかかれない代物である。
一体彼は何処でこんなものを手に入れたのだろう。
どうして彼はこんなに綺麗で高貴な店のなかで、臆することなくこんなものを取り出すことができるのだろう。
自分達二人がいない場面でも今までずっと、彼はこの財布を人前で使い続けてきたのだろうか。
似たような疑問を抱いた客も何名かいるらしく、Xの財布やW、そしてVの顔を無遠慮にじろじろと覗き込んでいる。
胸の奥底から沸き上がる羞恥心で身体が燃え上がるように熱くなった。
(もう嫌だ………!!)
遂に耐えきれなくなったVはウェイターが小銭を受け取ったのを確認するとWとXの手を引き、驚くべき速さで店を後にした。
急に腕を引っ張られたXが「V!まだ釣り銭を受け取っていないぞ!Vィ!!」といつになく叫んでいるのを知っていたが、何も聞こえないふりをした。
Wは疲れた顔で何も言わず、黙ってVの後を付いて行っていた。
出口に辿り着くまでに何名かの客の間を通りすぎたが、彼らがどんな顔をして自分達を見ているのかはわからなかった。
とにかくこの空間から出て行きたい一心で、Vは二人の兄を引っ張りながら全速力で走り続けた。
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