7月31日 AM11:30
夢ではないか、とXは疑った。
紋章の力による時空間移動で銀行へと降り立った自分の目の前には、トロンに捕らえられたVが座っている。
手足を拘束され、微かに潤んだその瞳はXに一つの疑問を投げ掛けていた。
―――どうして。
それは、今から20分程前の出来事。
VがキャッシュカードをATMに入れ暗証番号を入力したところまでは全て計画通りだった筈だ。
しかしその直後に画面が表示したメッセージに、VとXは背筋を凍らせた。
『エラー
このキャッシュカードでお金を引き出すことは出来ません』
パニックに陥ったVはそのままATM個室のロックを解除し、キラであるXと連絡を取るため外に出ようとしたところをトロンに捕らえられたのだった。
モニターの向こうで起きたその一部始終をWと共に眺めていたXには、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。
「今更確かめるまでもないと思うがなァ…」
勝ち誇ったような笑みを浮かべるWがATM個室のドアを開けっ放しにしたままVから奪い取った自身の口座のキャッシュカードを使い暗証番号を入力、その履歴を表示させた。
「一応自分の目で確認しておいてくれ。
これまでこのキャッシュカードで金を引き落としていたのはこの二人。
所有者であるX、そして代理人としてのV。
Xが金を引き落としたのは4月30日と5月31日。
VはXの言われた通りに動いていた…決まりだな」
確信と共に勝利を手にしたWに、よかったねぇ、とトロンが笑う。
わけがわからなかった。
全ては自分の思い通りに事は進んでいたはずだ。
Wは自分の思い通りに動いてきたはずだ。
なのに。
なのに、どうして。
「わっ……
罠だ…これは罠だ!
Wが私を陥れるために仕組んだ罠だ!
キャッシュカードを使っても金を引き出せないというのはおかしいだろう、それが罠だという証拠」
「……何言ってんだ?
お前らしくもねぇな、X。
カードに細工したから引き出せないと言ったじゃねぇか」
「…………………
…………い…いや…、おま、…お前が………………」
全ての予測を裏切られて、思考が上手くまとまらない。
そんなはずがないのだ。
自分は全てを読みきった。
それなのに、本物としてもって来させたVのキャッシュカードが読み取れないことなどあってはならない。
Wが細工をしたのは偽のカードで、Vが今日使ったのは本物。使えなくなっているはずがないのだ。
「………………
ち、違う……………
有り得ない………
罠だ………私はそんなものは知らない………」
「!
………………兄様……………」
言い逃れるようなXの言葉に、Vは落胆したように深く俯いた。
今まで信じて、縋ってきたXに裏切られた絶望に囚われたようだった。
「X。
もう遅いんだよ。俺の勝ちだ。
さっきお前は『私の勝ちだ』って言っただろ?
あれは自白したのと同じなんだよ」
「―――くっ……」
「残念だったねぇ、X。
元気だしなよ」
そう言うトロンの言葉には、少しも慰めようという気持ちが感じ取れない。
Vは失望したようにぐったりと俯いているだけだ。
もう自分の味方はいない。
Wは混乱と絶望と屈辱に呑まれたXを眺めながらふっと息を吐くと、くるりと背中を向けた。
「…さて、Xがキラって確定したとこだし、家にある邪魔な本でも売りにいくとしますか」
「やっ…やめろ!!」
帰ろうとするWを止めようと駆け出すが、
「ダメだよ」
トロンの紋章が光りを放つと途端に謎の衝撃がXを襲い、気付けば身体が壁に叩きつけられていた。
鈍い痛みに呻き声をあげるXに、Wは笑みを作りながらも冷めた視線を送っていた。
「X…いやキラ……お前の負けだよ」
その口をついて出たのは挑発でも戯れ言でもなく、紛れもない一つの事実。
読み合いの末にWはXに勝ち、XはWに負けた。
それだけのことだ。
「お前はさっき自分の勝ちを宣言したが―――
確かに、本来ならお前は勝っていた。俺は負けていた。
お前はVにずっと偽のカードを持たせ俺にはそれか本物であるように思わせ、
その偽のカードの方に俺が金を引き出させないよう細工してくるところまで読んで手を進めていた。
俺はまんまとそのお前の思惑にはまり…
細工をすべく偽のカードの解析をしていた」
「………!?」
そう。
Xの計画に狂いはなかった。
実際にWは24日以降毎晩、細工をする準備として偽のカードの解析を行い29日の時点でそれを終え、傷をつけるという一手だけを残して手を置こうとしていた。
置く、はずだった。
「カードの読み取り部分に傷をつけるところで金は引き出せない…そこから履歴を探るというのが俺の策。
そしてその策をわざと取らせる…
その俺が細工したカードは偽物でここでVに初めて本物のカードを持ってこさせ俺の口座から金を全て奪い取る…それがお前の策。
だが俺が最初にモニターの前で『キャッシュカードに細工をした』と言ったのは本物のカードに対してという意味だったんだ」
「!?
…………………」
「つまり偽物には何もせず、本物のキャッシュカードだけに細工したって事だ。
Vがここに来る前―――つまり昨日の深夜にな。
ATMにカメラを付けてからVのキャッシュカードを解析し狙い通りに傷をつける…なんとか一晩で終わったよ。
この作業が間に合うかどうかが鍵だった」
Xは自分の耳を疑った。
本物への細工―――そんなことは出来る筈がないのだ。
Vにはずっと偽を持たせていたのだから。
しかしキャッシュカードを入れて都合良く金を引き出す瞬間にだけエラーが出るということはそれ以外ない。
しかし。
(いや…………ま…まさか……!?)
VがWに寝返ったという可能性もゼロではない。
だがVがいつか見せたあのオークションにかける情熱は本物だった。
ここまできて裏切るなどということは考えられない。
(しかし…Vは根は真面目な性格…
Wとの繋がりもないわけではない…。
Vといえど極限状態で訴えられれば―――)
「違うな」
「!?」
「Vはお前を裏切ったりなんてしていない。
Vは常にお前の助けになるように動いていた。
これはな―――トロンのお陰だよ。
ここまで言えばお前ならわかるだろ」
そう言って、Wが片頬を僅かに持ち上げる。
(トロンのお陰―――!?
…………トロンだと!?
………………
トロン……
………………!
まさか!?)
「どうやら気付いたみてぇだな……」
Wは上衣の内側に手をいれると、そこからWの名前と口座番号が刻まれた通帳を取り出した。
「俺の口座の通帳を見ればわかる。
昨日の深夜、カメラを設置するついでにキャッシュカードの履歴も記帳しといた。
注目すべきはこの最後に残されてる記録だ」
通帳を開いたWが指差したのは、羅列された使用履歴のなかで最も新しい記録、つまり一番下の行。
そこに記されていたのは、
7/30 13:27
キャッシュカード使用
お引き出し額 -\30,000
「!!」
昨日の日付の、午後1時27分―――トロンが巨大なウエディングケーキを食べたいと言い出した直後だ。
そして、その夜自宅に運び込まれたのは四人では到底食べきれそうにないほどの大きさのケーキ。
(……まさか、あのケーキはVが―――!!)
「お前はずっと自分の部屋のリビングにいたからわかんねぇだろうがな。
トロンにケーキ頼まれたとき、俺が今から仕事だから買いに行けねぇって言ったらVが気ィ利かせて買いに行ってくれたんだ。
ホントいい弟だよ、Vは」
「……くッ―――!!」
射すような目でXに睨まれ、Vはビクリと身体を震わせた。
四人が立つその空間に、今にも泣き出してしまいそうな声が響く。
「だって…!X兄様もW兄様も動けない状態で…
トロンの期待に応えること…それは僕の役目…!!」
(…Vィ……!
今日までは余計なことはするなと指示しておいたというのに……!!)
VはXの計画で一番重要な部分を理解していなかったのだ。
彼が今日まで本物のキャッシュカードを隠しておくこと―――それこそがXの計画の核。
だが、土壇場で起きたこの出来事が、その全てを狂わせた。
「そうだ…Vはケーキを買いに行くとき本物のキャッシュカードを出したんだ。
自室の金庫に隠しておいた本物をな。
そして俺の口座からケーキを買うための分の金を引き出した」
気紛れとはいえ、それはトロンの要求を満たすためには必要なこと。
そうしなければ、Vは『トロンの期待に応える』という自分に課せられた役割を果たすことが出来なかった。
それがもう一つの役割を疎かにするという結果を招くことになったとしても。
「Vが俺の代わりにケーキを買ってくると言い出したとき、Vはリビングから玄関ではなく自室に戻った。財布は自分の手に持ってんのに、だ。
何か忘れ物でもしたのかと思って俺もVの部屋の近くまで行ったんだが―――その時部屋の奥から金庫の鍵をあける音がきこえてきた。
現金もあまり貯めこまないしデッキも常に携帯しているVにしてはおかしな行動だ。隠すようなものなんてない筈だからな。
正直、この音を聴いたとき俺は初めて偽の可能性に気付いた。
…そして、昨日の深夜。
Vの寝てる間に部屋の金庫を無理矢理開けると、そこには本物のが入っていた……ここまで来れば馬鹿でも全てが解ける。
銀行に行って通帳にキャッシュカードによる引き落としを記録したとき、
ここ一週間Vが買い物のために現金を引き出した記録すらないことがわかったんだ」
淡々とその顛末を語っていたWの顔が、再び優越感に染まった。
「悔しいだろうな…X……お前の策ではVは今日まで決してキャッシュカードを使ってはいけなかったんだろ?
Vの買い物なんてせいぜい食料か紅茶くらい…また金を引き出さなきゃいけなくなる瞬間がくるなんてお前は考えられなかった。
残念だったなァ……
ケーキを買いに行くときVは本物のカードで金を下ろしてたんだよ!」
「!
…………………X兄様………」
助けや許しを乞うようなその視線に、Xは目を背ける。
(V…君のトロンに対する忠誠心は確かなものだった…
まだ私が動くときではないとも言った…
Wまで動けないというならば君はそれが家族の役に立つと信じ動いたのだろう……
だが本物のキャッシュカードは出すなと言っておいたはず…
君の家族に対する思いやりが逆に………)
今更どうしようがこの結果は変わらない。
Vに全てを任せ、役割を果たすよう指示するだけでその行動を予測することがまるで出来ていなかった。これは自分のミスだ。
冷静さを取り戻しつつあるXにもうわかっただろ、とWは続ける。
「お前にとっても俺にとっても―――
Vに暗証番号を入力させ金を引き出そうとさせるのがこの場の策。
そこまではやらせなければならなかった…そうしなければキャッシュカードを手にしようが使用者履歴なんて見れたもんじゃないからな。
お前は俺に細工させたカードは偽でここへ本物をVに持ってこさせ俺の貯蓄を根刮ぎ奪おうとしていたが、こっちは更にその本物のカードも使えなくしていたんだ。
もちろんカメラ設置に細工…一晩で成功したのは運が良かったと言う他ないが、一番はこの状況を生み出した…
トロンのお陰だよ」
Wの隣に立つトロンは鉄仮面に隠れたその表情を微かに揺らした。
思えば勝負がつく直前、Xに勝利を確信させたのは彼だ。
そして、Wの勝利の切っ掛けを作り出したのも。
Xには目の前のWを相手取ることしか考えられていなかったが、最初から最後まで彼に振り回されていたような気がしてならなかった。
「トロン…貴方は最初から全てわかって……」
「さぁね。ご想像にお任せするよ」
訊ねられたとしても自らの本心は告げず、クスクスと笑うだけ。彼らしい姿だった。
理由はどうであれ、XはWに負けた。それは事実だ。
当分はこれが尾を引きXは思うようにWから金を吸い取ることは出来なくなるだろう。
それどころか毎日言うまでもない事実を掘り返されるような屈辱的な日々が待ち受けている。
思うところはWも同じようで、満足したように目を細めると、
「―――よさそうだな。
これでXにも敗北感を存分に味わって貰えただろ。
もう二度と現金も通帳もテメェの手に届くところには置かねぇからな。
あとV、お前もだ。お前には毎日俺から現金で渡すことにする。領収書も出せよ」
「………W、貴様…そんなことが許されると思っているのか?
私を誰だと思っている、私は―――」
「新世界の神だとでも言うつもりか?
ただのニートだよ、お前は。それ以外の何物でもねぇ。
悔しかったら働いて自分で金稼ぎやがれ」
這いつくばる敗者にそう吐き捨てると、じゃあな、という軽い言葉と共にWは銀行を後にした。
背中に貼り付くXとVの恨みがましい視線など、全く気にする様子はない。
結局のところ、Wからしてみれば二人とも自業自得なのである。
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