7月31日 AM11:00




目の前で無機質な光を放ちながら整然と並ぶモニターを凝視しながら、Wは大きく溜め息を吐いた。



「……ったく、いつになったら出てくんだよ…Vの奴…
朝から出掛けたクセにどこほっつき歩いてんだ…」



さっきから二時間以上全く動きのない映像を見ていると、退屈を通り越していよいよ眠くなってくる。
昨日一睡も出来ていない身ならばそれは尚更で、Wは今にも襲ってくる睡魔に打ち負けそうだった。

ハートランドの中心に位置する銀行に設置された全てのATMを監視する無数のモニターは、Vどころか人の影一つ映し出さない状況だ。
普段はトロンが好むアニメの騒がしい映像を流している分、今のこの静けさはどうにも不気味である。



「どうした?W。
珍しく調子が悪そうだな。寝ていないのか?」



「あぁ…銀行に監視カメラつけんので忙しくてな。
あとは…………胃もたれだ」



いつもと変わらない無表情でモニターを見続けるXに対して、Wは気だるそうにそう返した。

胃の中には、昨日食べたケーキが未だに残り続けている。

やりたいことがあるからいつもアニメの視聴に使っている数十個のモニターを貸してくれないかと頭を下げたWに対して、「だったらあれくらい大きいケーキを今日の夜食べさせて」とトロンがテレビに映るウェディングケーキを指差しながら言ったのはつい昨日のこと。
とある芸能人の結婚式が中継されているのを見て、自分もあんな大きなケーキに齧りつきたいと思ったのだろう。

気を利かせたVが街のあらゆるケーキ屋を巡り遂にそれらしいものを持ち帰ってきたが、想像を遥かに凌駕するその大きさに誰もが圧倒されていた。
見るだけでお腹一杯になったとでも言うかのようにトロンは一切れ食べただけでフォークを置き、続くVとXも早々にギブアップしてしまった。
残されたのはいよいよ自分だけとなったWはケーキを腐らせまいと必死に食らいつき、4時間を越える激闘の末とうとう完食してみせたのであった。



「そんなことになるなら無理して食べる必要などなかっただろうに…あの量なら多少捨てるのも仕方のないことだろう」



「うるせぇ…お前は働いてないからそんなことが言えんだよ…
あのデカいケーキに一体幾ら払ったと思ってんだ」



口の粘膜には今もなお生クリームの甘ったるい味が残っていたが、それでもWにあのケーキを食べずに捨てるという選択肢はなかった。
買ってきたVの口から伝えられたその値段を聞いてしまったお陰で、次の日の朝食、いや昼食を抜くことになったとしても自分はこれを完食せねばならないと、そういう気にさせられた。
毎日の苦労の一部があのケーキに変換されていると考えると、変に意識してしまうのだ。



(…が、そんな日々とも今日でおサラバだ)



Wはチラリと隣に立つ兄に目を向ける。
貯蓄を食い潰し悠々と高貴な生活を送ることでWに長時間労働を強いてきた犯人は間違いなくこの男だ。
無駄遣いするなだのお前も働けだの何回口を酸っぱくして言ったことか。

しかし今日、全てが終わる。

この男の浪費生活に終止符を打つことによって、W自身のストレスフルな毎日も終りを告げるのだ。

弟のそんな思惑を知ってか知らずか、当のXは傍観者として依然腕を組んだまま口を開いた。



「しかし……本当にVは来るのか?
わざわざATMにカメラまで…最早犯罪だな。失敗したらどうするつもりだ?」



「犯罪か…そうだな。まぁ人の口座から勝手に金下ろしてる誰かよりはマシだろ。
それに俺の読みが外れることはない…Vは必ず此処に来る。
あのキャッシュカードが使えるATMはこの銀行にしかないからな。コンビニにあるのなんかじゃ無理だ」



Wがモニターの一つを指差す。



「変わってるだろ…ここのATM、一つ一つが個室になってんだ。
一人入ればその瞬間にロックが架かって他の奴は入れなくなる。
今回はVの奴が暗証番号を入力するのをこのモニターを通して見る。
んで個室から出たVを取り押さえてキャッシュカードを回収、その場で履歴を調べてキラを明らかにするって寸法だ」



「なるほどな…

だがそのVを取り押さえるにはどうするのだ?
私たちはここに待機しているしすぐに動けるとは思えないが―――」



「それは僕に任せてよ」



「―――!」



突如真後ろから聞こえた声に、XとWは同時に振り返った。
交差した二人の視線の先には、見慣れた仮面の幼い少年が立っていた。



「トロン……何故貴方が」



「ちょっとWに頼まれてね。
ATMの個室から出てきたVを捕まえるように言われてるんだ。

おっきいケーキも買ってもらったことだし、少しは協力してあげないとねぇ」



楽しそうに言うトロンに、Xは僅かに顔をしかめた。



(ということはトロンはWの側についたということか………
いや、まぁいい…それで計画に支障が出るわけでもない)



確かにこの一件にトロンが絡んでくるとは想定外だったが、トロンからすればWが勝とうがXが勝とうがどうでもいい筈だ。
この勝負がトロン自身に何らかの影響を与えようとは到底思えない。
必要以上に彼がWをサポートし、自分の計画を邪魔しに来るということはないだろう。



「俺はてっきりあんたはもう銀行で待機してるもんだと思ったぜ。間に合うのか?」



「紋章の力で時空間移動すればすぐだよ。
僕が銀行に行くのはVが個室に入ってからでいい。
それまでは暇だから、こっちの様子をちょっと見に来たってわけさ

…ところで、W」



トロンは一瞬、少年らしかぬ視線を投げ掛け、言った。



「君が今言ったこと、君にしてはとってもいい策だと思うんだけど―――
一つだけ欠点があるの、自分でわかってる?」



「―――!

…トロン、それは―――」



「個室から出たVからカードを回収しなきゃいけない、ってところさ。

VがATMの前に立っている間は僕らは何も出来ない。
それはつまり、誰にも邪魔されずにWの口座からお金を全て出して、キラとVで作った別の口座に移しかえてしまうのも可能ってこと。
もしそうなれば中身がゼロ円のWの口座のキャッシュカードなんて用済み―――個室内で真っ二つにでも割ってしまえば、誰も履歴を見ることなんて出来なくなる」



それは、Wが事前に用意しておいたという策の唯一の孔だった。
トロンからしてみれば、計画を聞いた瞬間に思い付く手段。
当然、彼にとってキラの動きを予測することも容易い。



「仮にもしキラがその手を使ってくるなら、Vはその新しい口座の所有者ではなく代理人として来るだろうね。
他の奴に邪魔されないために―――そうすれば彼らの口座からお金を引き落とすことなんて他の誰にも出来なくなっちゃうんだから」



「…………」



(…その通りだ、トロン)



何も言わず黙ったままのWを尻目に、Xは微かに頷いた。

それがまさに自分の取った策の一つ。
Vと協定を結び新たな口座を立ち上げ、Wの口座に入っている金を全てそこへ移す。
共同の口座の通帳を持ちキャッシュカードの所有者となるのはX、そして代理人はVだ。

本来ならばこれをもっと早く実行に移すべきだったが、7月3日に申請に行った際「口座を立ち上げるには四週間必要」と言われ動くことが出来なかった。
先んじてWの口座から金を全て引き出すことも考えたが、異変に気付いたWはVを徹底的にマークするだろうし、四週間も大量の現金を隠し持っているのは無理があるだろう。

結局のところ、XはWの誘いに乗ってやるしかなかったのである。
Wの提示した策の突破口を見つけ出し、現にXは今こうして策を進めている。


―――だが、Wもそれを見落とすほど甘くはない。


トロンの指摘にも眉一つ動かさず、Wは冷静に答えていた。



「確かに…キラが俺の考えを知っているならそうするだろうな。
そうなれば俺の負けだ―――仮にVとキラで作った新しい口座の暗証番号を奪って、その履歴からキラを洗い出したとしても、だ。
キラに出し抜かれることには変わりねぇからな。

だが手は打ってある。
キャッシュカードを使ってもVが俺の口座から金を抜き取ることはない。
そしてこれで誰がキラかはっきりする」



「……?
へぇ…抜き取られないと何故言い切れるんだい?W」



応えるようにトロンを一瞥するとWはリモコンを操作し、モニターの一つにキャッシュカードの一部を拡大した画像を映し出した。
アングルをかえたカメラにより磁気読み取り部分がアップにされる。



「キャッシュカードに細工をした。
直接カードに接触・解析して磁気読み取り部分の中でも現金の引き出しを司る場所にだけ傷をつけたんだ。視認出来ないレベルのな」



「………………!

細工…?
直接接触…そんな事を?」



「Vが自分からご丁寧にキャッシュカードは財布にあるって教えてくれてたからな。

もし金を引き出そうとしてもカードの不具合でそれが出来なかったのならVは窓口かキラと連絡を取るために一度個室を出るだろう。
異常があるとしても唯一俺の口座から金を引き出すツールであるカードをVが簡単に破棄するとは思えない。

あんたに捕まえてもらうのがそのときでいい…そこで押収したカードに使用者履歴が残っている者がキラだ」



「そう…確かにそうすればリスク無しでキラがわかる……か。

あっ、話をしているうちにVが来たみたいだよ」



「「――――――!!」」



完全なる不意打ちに、XとWは息を呑む。
トロンが指差したモニターの一つに、確かにVの姿が映し出されていた。
いつもより少しだけぎこちない様子で個室にロックを架けると、手にしていたキャッシュカードをATMの中に入れる。



「それじゃ、僕はもう向こうにいくよ…無事にキラを捕まえられるといいね。

W、X…君たちの健闘を祈っているよ」



そう言ってトロンは右手甲の紋章を顕現させると即座にその身体が光に包まれ、その輝きが小さくなる一瞬の間に、消えた。



「トロンも行ったか…もう戻れねぇ、な」



二人が見つめるモニターの中ではVがATMの液晶をタッチし『現金のお引き出し』という欄を選択。
そして、暗証番号の入力を始める。

口座に残っていたのは400万程度。十分な金額だ。



運命の瞬間が、迫る。



勝負が決まる直前に自分の手の内を明かしたWに対し、Xは何も言わなかった。
立ち姿のまま俯き、全ての感情を表情に出さぬよう胸の内側に押し込んでいた。



(―――思い通り!)



確信していた。
絶対的な、勝利を。

Wの動きも、全ては計算の内。
呆気なさ過ぎるほどの幕切れを、感じていた。



(カードに細工…私は知っていた。
W、お前の完全な負けだ)



全ての闘争心をただ一手に代えたこの哀れな弟は何も知らないだろう。
万全に思われたWの敗因はこの事件の収拾ではなくXに勝つこと―――確たる証拠を突きつけることに拘ったことだ。

Wはこのキャッシュカードの所有者でもましてや代理人でもないが、自身の口座の契約者だ。
キャッシュカードなど持たずとも通帳から幾らでも金を出し入れすることは出来る。
もしWが事件の解決のみを第一に考えるのならばさっさと自分で自らの口座に入っている金を全て別の口座に移しかえ、キャッシュカードが破棄されキラが誰が永遠にわからなくなるリスクを犯してでもVのカードを無力化してしまえばよかったのだ。



(だがそうしなかったお前の愚かなプライド――私に証拠を突きつける――勝ち方に拘ったせいでW、お前は負ける)



Xが自白することはない。
ならばXに証拠を突きつけるにはVが設定した暗証番号を奪い、それをWが入力し使用者履歴を調べるという行為が必要だ。

それを安全に実行するには口座に入られても金を引き出せないという状況を作り出さねばならない。



(そう…それはキャッシュカードに細工すること。
お前は私がまさか口座を移し変える策を読まれた上でキャッシュカードに直接細工してくるとは考えないとして、敢えてそれを実行したつもりだろう。

しかし最終的には必ずその手段を取ってくる…私はそう確信していた。
いや、そうさせるようお前を少しずつ誘導していく自信があった。
そしてお前はその通り細工をしてきた…しかし、)



モニターに映るVの姿。
彼は本当によくやってくれた。
このVの手からATMに渡されたキャッシュカードこそが、Xの計画の本質だ。



(――お前が細工したのはVに用意させた偽物!
そして今Vに使わせているのは今日まで隠させていた本物なのだ!)



精巧な作り物。
Wを嵌めるためだけに作られた罠。
Xを確実に勝利へと導くための、唯一の鍵。



思えばWがキラの存在に気付く前から、いつかWがVのキャッシュカードに接触してくることをXはわかっていた。
だからこそVには普段から偽物を持ち歩かせ、Wに対して「キャッシュカードは財布に入れている」と明言するように言っておいたのだ。

普通に考えてまさか偽物のカードを肌身離さず持ち歩いているとは思わないだろう。
財布に入れているとすればVが寝ている間にいくらでも接触するチャンスはある。
ならばVが動く前の深夜にキャッシュカードに細工をして金を引き出せないようにすればいい―――これが結果的に導き出されたWの策だ。


だがXはそれを読んでいた。
カードへの細工を目論むWに偽物を掴ませることで自らの策を万全に進めたと思わせることこそがXの策。
一週間前にWは自分の考えをXに教えることでXを新しい口座を作る策に誘い込み出し抜くつもりだったのだろうが、Xはその更に上を行った。
Wは最初から最後まで、兄の掌の上で踊っていたに過ぎないのだ。



(私が何故わざわざこの31日にVを口座に向かわせお前の誘いに乗ってやったかわかるか、W…
それはお前に私に敗北する屈辱をしっかりと味わわせてやるため…

兄である私に逆らえばどうなるのかをその身をもって知るがいい―――!)



Vが暗証番号の入力を終える。

どうせ現金を移しかえる新しい口座の暗証番号もWにはモニターの映像を通して知られるのだから、
Vが捕らえられ新しい口座のカード履歴を見られればXがその所有者、つまりキラであることもばれるだろう。

だが、最早自分がキラであると知られようと知られまいと関係ない。
カードの所有者も代理人も既に決まっているため、一度自分達に奪われた現金は決してWには取り返せない。
Xがキラだったからと家にある蔵書を売り飛ばされたとしても、また奪った金で買い直せばいいだけのこと。

Wの策に嵌まらず現金を全て奪い去った―――これこそがXの勝利なのだ。



ならば、宣言を。



XはVがATMの液晶から手を離したとき、
はじめてWの前で顔を思い切り歪めて、笑って見せた。



「W、私の勝ちだ」



「………………!」





電子音が、鳴り響いた。


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