7月24日
「タイムリミットだ。
一週間後に、決着をつける」
いつも通りリビングで読書をしていると唐突に投げ掛けられたWの言葉に、Xは顔を上げた。
「決着―――?誰と?」
答えのわかりきった問いを敢えて問うてみせるのは、この案件が暫くXの頭から離れていたと思わせるためだ。
XがVのキャッシュカードから金を引き出した犯人ではないならば、無関係な人間にやるべきことなど何一つない。
Wが勝手に犯人を捕まえて自分への疑いが晴れるのをただ待つだけだ。
互いにそれがわかっている以上、無論自分が犯人ではないと言い張るXがそんな態度をとることも予測の範疇だとでもいうかのように、Wは眉一つ動かさず平然と答えた。
「俺が知らねぇ間にVのキャッシュカード二ヶ月連続で乱発した奴とだよ。
キャッシュカード乱発した犯人だから、略してキラでいいな」
「…随分無理矢理なネーミングだな……
まぁいい、それでどうやってキラと決着を?」
自分で考えた呼称が採用されたことに満足したのか、Wは得意気に笑みを浮かべる。
リビングには他に誰も居ないことを目で確認すると、ソファに座るXの向かいにどさりと腰を下ろした。
「やることは単純だ。
キャッシュカードには毎回金を出し入れした履歴として口座に入った奴の顔写真が記録される。
Vから暗証番号とカードを奪って、それを晒し上げてやる」
「…奪うとは随分野蛮な物言いだな。事情を話せばそれくらいVも協力するだろうに」
「いや、それは無理だな。
俺の推測が正しければ―――
Vは既に、キラの手に落ちた。6月30日から7月6日までの間にな」
「―――!」
Xは目を見開いた。
何もしていなかったように見えていたWがそこまで辿り着いていたとは考えてもいなかった。
「どうした?そんなに驚くことじゃねぇだろ」
当の本人はさもそれが当然の事のように首を傾げる。
辛うじて平静を装いながら、Xはその意味を問うた。
「Vが……?
数週間前とはまるで逆の見方だな。何故そう言い切れる?」
「わからねぇのか?お前ならそこまで読むのは容易いと思ったんだがな…
まぁいい、説明するにはまずあのキャッシュカードの特性を知っておかなきゃ話にならねぇ。
尤もお前には今更説明するまでもないと思うが…」
Wはテーブルの脇に置いてあったファイルから一枚の用紙を取り出すと、それをXに差し出した。
「こいつは俺があのキャッシュカードを作ったときに出された説明書みてぇなモンだ。
セキュリティに関しては一番安全だと考えてここで口座を作ったんだが、割とルールが面倒でな」
キャッシュカードを作る際に必ず読むようにと発行されたものらしい。
『ご契約に際して』と印刷されたその紙には、整然と並ぶゴシック体の字でこう刻まれていた。
『ご契約有難うございます。
当キャッシュカードではお客様に万全のセキュリティを提供するため、以下のような規定を設けさせて頂いております。
・当カードは、一部の例外(…※)を除きご契約の際に決めていただいた"所有者"様にしかご利用頂けません。
・現金をお預け入れ、お引き出しになられる場合は暗証番号の入力、顔写真の記録・照合が求められます。
・記録された顔写真は履歴として当カードに保存されます。履歴は暗証番号をご入力頂ければどなたでもご覧になられます。
※
所有者様の他に設定される"代理人"様に限り、二回まで当カードによる現金のお預け入れ・お引き出し機能がご利用になられます。
代理人様は、所有者様以外で初めて当カードを利用し暗証番号を入力された方に設定されます。
尚、ご質問などが御座いましたら下記の電話番号までご相談ください。
四菱USJ銀行 現金自動預入払出機管理課
XXーXXXX-XXXX』
「…………」
渡された資料に、一応目を通す。
当然こんな情報は遥か昔に全て頭に入れておいたものだが、Vのキャッシュカードに関しては無知を装う自分がこれを読んだことがあるというのもおかしな話だろう。
一通り読んで納得したという体でXはそれを再びWの手元に戻した。
「なるほどな…
それで、この説明書きからどうしてVがキラの仲間になったと?」
「このカードに契約したのは俺だ。そのとき所有者はVに設定しておいた。
"代理人"のシステムはVが暗証番号を何処かに漏らさない限り使うことはないと思っていたが―――どういうわけかキラはVから暗証番号を盗みだし4月30日にカードを使って俺の口座から金を引き出すことで"代理人"となったらしい。
更にその一ヶ月後の5月31日にキラは代理人としての二度目、つまり最後の権利を使いまた20万を引き出した―――それで終わるはずだったんだ」
そこで言葉を切り、目を細めた。
ここで終わらなかったのが、キラが一筋縄では行かない理由。
「だが奴は違った。
俺が奴の動きに気付いたその直後の7月6日、また20万俺の口座から落としたんだ。キャッシュカード、そしてVを使ってな」
7月6日の引き落とし。
これがキラとVの繋がりを決定付けた。
代理人となった犯人に三回目の引き落としを行う権利などないのだから。
「4月の時点で最初からキラ自身ではなくVが金を引き出していた可能性もあるが、それなら6月分の引き落としが他の月と同じ31日じゃなくて7月6日まで持ち越されているのがおかしい。
俺のギャラが月末に口座に振り込まれたその日のうちに20万引き落とすのが奴の傾向だったはずだ。
俺の月収は20万以上はある…つまり何があってもこの日なら確実に20万は引き落とせるってことだからな。
キラとしてはここが絶好のタイミングだろう。
だが―――奴は6月にはそうしなかった。
いや、出来なかったんだ。
5月30日の時点で既に2回金を引き出した代理人にその権限はない。
…だから、奴は動いた。
6月30日から7月6日までのどれかの日に何らかの手段でカードの所有者であるVに接触。自分の代わりに金を出すよう取り入ったんだ」
「………!」
Xは戦慄を覚えた。
この弟は思った以上に手強いかもしれない。
自分の知らぬ間にWはここ一ヶ月間のこちらの動きを完全に把握していた。
しかもそれが彼のなかでは既に推測などという領域ではないこともわかる。
Xの姿を映し出す彼の瞳には、迷いなどなかったからだ。
「どんな条件を掲げてキラがVを仲間にしたかはわかんねぇが…とにかく今のあいつにキラを捕まえる協力を求めるのは無理だ。
そうなればどうにかして暗証番号を奪うしかない。
7月31日に所有者であるVがいつものATMで暗証番号を入力するところを押さえる」
「…悪い案だとは思わないが…相応のリスクは伴うな。
本当にVが7月31に来ると言い切れるのか?」
「ああ。金を引き出すにしてもその日が一番確実だからな。
ほぼその日で間違いない…俺の考えがキラに知られていないのだとしたら、な」
数々の根拠と自信を盾に、Wはそう言い切った。
わざわざキラに知られていないのだとしたら、と強調してくるところがなんとも彼らしい。
ある意味、Xの思った通りだった。
Wは明らかにXがキラであると決めてかかっている。
それを本人の前で明らかにすることこそが、彼なりの宣戦布告なのだろう。
(なるほど…いいだろう。受けて立ってやる)
正直Wが自分達の動きをここまで読んできているとは予想外だったが、キャッシュカードの注意書や通帳に残る記録を事細かに見ていればそれは然程難しいことでもなかったのかもしれない。
要は弟を舐めすぎていた、というところか。
Wがわざわざ自分の実行する策を教えてきたのは、キラ―――いや、Xを徹底的に潰すためだ。
一週間以内に何かしらの動きを見せなければお前は負けるという宣告。
そしてXになんらかの対策を立てさせた上で自分が勝つ、そうすることで自らのプライドを保つつもりなのだろう。
(―――ならば、その自信を打ち砕いてやるまでだ)
Xはパタンと手にしていた本を閉じ、ゆっくりとその腰をあげた。
「…?
どうした?何もねぇのか?」
「今回の件に私は関係ない。その案を聞いたところでどうするもないだろう。
私はただ傍観するだけだ。
強いて何か言うとすればそうだな―――W、君が無事にキラを捕まえられることを祈っているよ」
「…そりゃどうも」
わざとらしく口の端を吊り上げニヤリと笑うと、ソファに座ったままWは立ち去るXの背中を見送った。
舞台は整った。
残り一週間、互いに策を講じどちらが欺き上を行くか。
W、そしてキラ―――もといX。
互いが互いを潰すため、その一手に全てを賭ける。
決着は、近い。
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