7月5日




夢ではないか、とWは疑った。

仕事が早く終わったので帰りに銀行に寄りATMでVが使ったとされるキャッシュカードの履歴を記帳した、とある夕暮れのこと。

通帳に刻まれたその文字に、Wはただ愕然としていた。



「4月30日と5月31日に20万引き落とし、だと…!?」



有り得ない数字だった。

つい3ヶ月前に自らの通帳を自宅の引き出しから銀行の貸金庫に移し、これでXやトロンに金を出される心配もないと油断していたらこの事態だ。
通帳の方は金を出し入れする度に履歴が記載される設定になっているため、今現在発覚したこの過去の引き落としは明らかにキャッシュカードによるものだ。



(V…?いや、まさかな…Vがそんなことするとは思えねぇ。
ここ数ヶ月であいつの生活が変わった様子もない…
欲しいものがあるなら俺に直接言ってくるはずだ…
それにこの20万という金額…

となるとやはり犯人は―――)



「Xィィィィイ!!」



帰宅するや否やWは驚くべき速さでリビングに駆け込み、そのままソファに座りながら優雅に読書するXの胸ぐらを掴んでいた。



「…どうした、W。
帰宅早々騒がしいな。着替えくらい済ませてから来い」



常人ならば青ざめるような気迫で迫られているにも関わらずXはいつものように平然と返し、また手元のハードカバーに視線を落とす。
その冷めた態度が勘に障ったのかWはXの手から本を乱暴に奪い取ると、そのままそれを床に投げつけた。



「………!
何をする……!!」



「何をするじゃねぇんだよ!それはこっちの台詞だ!!
通帳使えなくしたと思ったら今度はVのキャッシュカードから金下ろしやがって!どんだけ懲りねぇんテメェは!!」



「……何を言っている。
Vのキャッシュカードのことなど私は知らない」



「とぼけてんじゃねぇ!!

さっきカードの記録を記帳したら4月30日と5月31日に20万ずつ金が引き出されてたんだよ!!
Vがそんなことするはずもねぇし5月に入ってから急に私物が増えた様子もない!
それに対してテメェの蔵書は増える一方だ!

テメェ以外に誰を疑えって言うんだよ!!」



いつも通りの剣幕で、全く堪えている様子がないXに向かって捲し立てる。

家庭を支える働き手として説教を続ける次男に、それを受け流し続ける長男。
世間的には異様なこの光景も、この家では日常の一部であると言っても過言ではない。
今まで何十、何百回とこのやり取りが繰り返されてきた。

大抵はWが好きなだけ不満をぶちまけ満足したところで終わり、XもまたWが去ると何事もなかったかのように読書を再開する。

が。
今日のXは違っていた。

彼はWの言葉を受け流したりはしなかったのだ。
自分が疑われていること自体が不服とでも言うかのようにじとりとこちらを見つめると、Wが予想だにしていなかったような理屈を口にし始めた。



「…ふざけるな。
確たる証拠もないのに私が犯人だと何故決めつける?
我々とは関係のない何者かがやった可能性だって十分にあるだろう。

Vは4月30日、5月31日のどちらにも博物館に行って貴重品ロッカーを使用している。
…そのロッカーを開けてVのキャッシュカードを盗み出し、金を引き落とすことも可能だ。

キャッシュカードの暗証番号なら、フィッシングだの様々な犯罪が横行している今の世の中だ。知らず知らずのうちに奪われているのも不思議ではないだろう。

その可能性を全否定してすぐさま私に疑いをかけるなど愚の骨頂だ」



「………!?」



詰め寄られればあっさりと肯定するのが常なXの思いもよらぬ態度に、Wはやや虚をつかれた。
あらゆる可能性を並べ立てるその口調の裏にただならぬものを感じたが、しかしここで手を緩めるわけにはいかない。



「何言ってやがる…この期に及んで言い逃れか?
往生際が悪いんだよ…
それなら4月30日の時点でVのカードを使ってわざわざ返しに行くなんておかしいじゃねぇか」



「それは犯行に気付かれにくくするためだろう。
時間が経てば経つほど犯人の足跡を辿ることは難しくなる。

現に君は、7月の今日まで犯行に気付けなかった」



「………!」



言い返すにも言い返せず、思わず口を閉ざした。

今まで何度かこのようなことがあったが、Xがここまでしつこいのは初めてだった。
普段の彼なら「それは確かに私だ。だからどうした」と開き直ったように言うが、今日はやたらと食い下がる。
冷静なXがここまで意地になると言うことは、やはりVのキャッシュカードを勝手に使ったのはXではなく別の人間なのか。



(いや、騙されるな…
Xの言ったことが正しいとは考えられねぇ…
他人がVの暗証番号を盗み出して更にVが博物館に行った日に誰にも気付かれず俺の口座から金を引き出せる確率はゼロに近い…

冷静に考えればVのキャッシュカードを使ったのはX以外有り得ないんだ、ただそう言い切るには証拠がないだけ…)



真っ直ぐな視線をぶつける、Xの顔を見た。



「…本当に、お前じゃねぇんだな?」



「何度も言わせるな。私ではない」



そう言い切る彼の瞳には強い意思が滲んでいて、力ずくで自白を求めることは無理だと容易に想像させた。



(…なら、それを証明するまでだ)



WはXの服を掴んでいた右手を放すと、その手をそのまま翻し相手の眼前に人差し指を突き立てた。
切れ長の目に浮かぶ、深海を映したような瞳を見据える。



「…わかった。

なら、一ヶ月だ。
一ヶ月以内に俺がその犯人が誰かはっきりさせてやる。

もしそれがX、お前だったら―――

今までテメェ買った本、全部古本屋に売り飛ばしてやる」



「……いいだろう。
ならばもしそれが私ではなかった場合、今後一切私のすることには口を出さないでもらおうか。
君は兄への口の利き方に少し気をつけた方がいい」



向き合う二人の視線が交差した。
どちらも相手を射殺すような視線で、それをぶつけあい火花を散らす。

Wはそのまま踵を返すとどかどかと床を踏み鳴らして部屋を出ていった。
強い足取りで、紅茶のセットをテーブルに運ぼうと部屋に入りかけていたVの横も擦り抜けていく。



「…あの、兄様……紅茶の用意が」



「今日は要らねぇ。Xに二杯飲ましておけ。


…それと」



足を止めくるりと振り返ると、弟に釘を刺すように言った。



「キャッシュカードはしっかり管理しておけ。
他の誰にも触らせるな」



「……!
はい………
財布に入れて手放さないように、してます……」



やや気圧されたようなVの声に頷くと、また向き直って長い廊下を渡る。


Wは唇を噛んだ。
明確な言葉がなかったとしても、わかる。
これはXから自分への挑戦状だ。
犯人を予測するのは容易だが、それを証明することは出来ないだろうと暗に言っていた。
完全にWを、見下している。



(舐めやがって…!)



自信と確信に満ちたあの眼を思い出す。
お前に私を捕えることなど不可能だと、そう語っているようだった。


Wは自室に入って足を止めると、自らの拳を水平方向に叩きつけた。
ドン、と衝撃に揺れた壁が振動を直に伝えてくる。

侮辱の言葉を浴びせられたわけでもないのに、身体が怒りに震えた。
こんな屈辱は初めてだった。



(待っていろ、X…

必ず証拠を見つけ出してテメェを吊し上げてやる………!)


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