とある日の、朝。

世間は新たな極東チャンピオンの誕生に沸いていた。

三日前に行われた、デュエルモンスターズ全国決勝大会、通称DMC。
優勝者となり金、地位、名誉の全てを手に入れたのは、無名の16歳の少年だった。

決勝を除く全ての試合に於いて対戦相手を封殺して見せた、その圧倒的実力。
誰もがその名を口にし、その戦いを、人物を、口々に語り合った。


今年度の全国大会決勝が、誰も予想しなかった結末を迎えたこともあるのだろう。

優勝候補であった神代凌牙の不正行為によるジャッジキル。
インターバル時間の控え室で、相手のデッキを盗み見たことが原因だった。
汚れた優勝候補―――そんな記事が紙面を飾った。

下された処分は、一年間のデュエルモンスターズ公式大会の出場停止。

あらゆるデュエリストが、コメンテーターが、その妥当性について議論した。
しかし当の大会で優勝者となったWの声を聞いた者は、まだ誰もいない。


彼はその直後に、何も残すことなく姿を消してしまったのだから。




コンコン、とドアをノックする音でWはぼんやりと目を覚ました。


「―――兄様」


Vの声だ。

ここ三日間、朝昼晩と決まった時間に必ずここに来て、扉の前に食事を置いていく。

栄養士でも雇ったかというくらいバランスが取れた食事で、色合いも鮮やか。
Vが少しでも食べてもらえるようにと毎回のメニューに頭を悩ませているのがよくわかる。


けれど、それに手をつけたことはまだ一度もない。


「朝食、置いていきますね。
少しでもいいから食べてください……お身体に障ります」


心配そうな声が、ドア越しに聴こえた。

知っている。

数日間自室から一度も出ようとしない自分を気にして、Vまで食事を喉に通せていないことも。
普段無関心を装うXまでもが、一体弟に何をさせたのかと鬼気迫ってトロンを問い詰めたことも。


それでも、この扉を開くことは出来なかった。


「……ごめん」


誰にも聞こえない声でそう呟くと、Wは身体に掛かっていたシーツを捲り、依然閉じられたままの扉の前に立った。


この扉を開けて長い廊下を渡り、兄と弟、そして父の待つ食卓へと駈けていったのは、どのくらい前のことだろう。

今の自分は、彼らに顔向け出来ないほどに汚れきっていた。
誰かを傷つけて、陥れて、そんな手で彼らに触れてはいけない気がした。

この手で触れれば、彼らを汚(けが)してしまうかもしれない。
侵してしまうかもしれない。
壊してしまうかもしれない。

自分の弱さを盾にしてこれ以上誰かを傷つけてしまうのが、ただただ怖かった。


Vの足音が遠退くとWは扉を背に、崩れるように腰を下ろした。

自分が陥れた人間の表情が、脳裏に焼き付いて離れない。
大切なものも行き場も失って一人立ち竦んでいたあの少年は、一体何を思っていたのだろう。
大会前日、変わり果てた妹の姿を目の当たりにして、彼は何を感じたのだろう。


自らが背負うこととなった罪の重さに耐えかね、Wは膝を抱え踞(うずくま)るしかなくなっていた。


「――どうして、扉を開けてあげないのさ」


唐突に聴こえたその声に反射的に顔をあげると、部屋の隅に置かれたベッドの上に、仮面を被った小さな少年がちょこんと座っていた。
さっきまではまるで気配がなかったのに、一体どこから入ってきたのだろう。

少年は足をぶらぶら揺らして、何やら楽しそうな笑みを浮かべていた。


「Vはきみのことをすごく心配していたよ、自分の仕事にも手がつかないくらいにね。
Xもそっとしておけとは言ってたみたいだけど、Vから出された紅茶に一度も口をつけてなかった。
いつもは一番に飲み干すのに―――やっぱり兄弟だね。
幾つになっても、わかりやすいよ」


クスクス笑いながらベッドから下りるとトロンは部屋の中を歩き回り、Wの手前で立ち止まった。
仮面の奥に覗く黄金(こがね)色の瞳が、微かに父の面影を感じさせた。

けれど、それ以外は何も見えない。
彼の意図も、本心も。

時には本当に彼を信じきったままでいいのかさえ、わからなくなっていく。


「…何故、無関係の人間にあそこまでする必要があった?
あんたはただデュエルをするだけでいいと言った筈だ。それなのに――」

「必要なことだからだよ。
僕らがDr.フェイカーに復讐を果たすためにね。
凌牙を罠に嵌めたのも、
彼の妹に怪我を負わせたのも、全て必要なことなのさ。
じきにわかるよ。
君たちは今まで通り従ってさえくれればいい……この前は余計なことをしてくれたみたいだけどね。
僕は彼女を助けろだなんて一言も指示してないのに」


嘆息混じりのその言葉に、Wは僅かに身を乗り出した。

平然とそう言い放つ彼の心の内が理解できなかった。


「…余計なこと、だと?
…殺しまでする必要はないだろ……!
そんなことを望んでいる訳じゃない…そんなことの為にあんたに従ってきた訳じゃない、
俺はただあんたに」

「復讐だけだよ。僕の望みは。
それ以外は何も要らない。金も、地位も、名誉も、
愛も。
君もそうだろ?
僕たち家族を壊したフェイカーに、同じ痛みを味わわせてやりたいんだろ?
それでいいんだよ。
余計な感情は必要ないんだ」


「トロン……俺は………ッ!!」


「朝御飯、ちゃんと手つけなよ。
餓死したいっていうなら構わないけど」


トロンはWの真横を通りすぎると、今度は普通に扉を開き、部屋から出ていった。


――何をやってるんだ、俺は――


無関係な人間を傷つけ、陥れ、兄弟にまで心配をかけて、自分は一体何をしているのだろう。


何のために自分がこんなことをしているのか、それさえも今のWにはわからなくなっていく。

復讐を果たせば、本当に自分達家族は元に戻れるのだろうか。
昔のような幸せな日々を、取り戻すことが出来るのだろうか。


ぐらり、と揺れる視界と共に、Wは力なく床に倒れ込んだ。

戸棚の上に大切に飾っておいたかつての写真も、いつの間にかなくなっていた。


「……なんでだよ………………父さん………」


ほんの数年前までは当たり前のように感じていた、家族の時間。
今となっては、とてつもなく遠く感じる。

求めることすら、叶わないくらいに。


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