ハートランドの中央病院は、いつも患者やその親族、見舞い客で溢れている。

目の前の現実に絶望する者、回復への望みに必死にすがる者、何も出来ないまま、ただ祈る者。
それら全てがひとつの空間で混濁して、この空間の無機質さと静けさ、そして忙しなさを作り上げている。


入院個室の白い引き戸の手前、Wはその扉に手を掛けられないまま、一人ぼんやりと立っていた。


どうして、この場所に来てしまったのだろう。
虚ろな目で、Wは静かにその扉を見つめる。

部屋を出てあてもなく歩き、辿り着いた場所が此処だった。

行く筈もない場所だった。
知る筈のない場所だった。

けれど自分は確かに、此処にいた。


この扉の奥には自分の所為で傷付いた少女が眠っている。
自分が受け止めなければならない現実が、罪が、そこにある。


かける言葉なんて、見つからない。

彼女を傷付け、その兄を罠に嵌め、今の自分に詫びる権利も、ましてや許しを乞う権利もないことはわかっている。


それでもせめて、彼らに知って欲しかった。
幸せな日々を壊した自分を恨み、憎んで欲しかった。
怒りを向ける矛先も知らず、ただ苦しむ彼らの姿は余りに痛々しく、辛かった。


同じ痛みを与えられても、構わない。
殺されても、構わない。

怒りをぶつけて欲しい。

放っておくのに耐えられずそう願うのは、決して彼らを救うためではなく、自らが救いを求めているからなのだろう。


家族を取り戻すためならば、どんな犠牲でも払う、そう誓ったはずなのに。

壊したものの破片に痛みを感じてしまうのは、やはり自分が弱い人間であるからなのだろうか。


静寂の中、僅かに呼吸をはやめる。
固く閉じられたその扉を、見据える。

彼らに、向き合おう。
彼らの痛みを、知ろう。

そう決意して目の前の扉を開こうと踏み出したそのとき、


「あの、すみません」


見知らぬ男が、声を掛けてきた。


「Wさん、ですよね?あぁ、やっぱり…
私、こういうものなんですけど…」


男は愛想笑いのような笑みを浮かべて、
遊英社『週刊サタデー』編集部
玉城 環
と書かれた名刺を差し出してきた。

白いシャツにネクタイというサラリーマンにしてはラフな格好で、編集者というよりはスクープを狙う記者、という雰囲気だろうか。
肩から提がっているデジカメにやたら重厚感があるのはそのためだろう。


他のことに気をとられ自覚こそしていなかったが、Wは先日の全国大会で優勝を果たしたエリアチャンピオンだ。

数日間にわたって報道陣の取材に答えなかった優勝者がようやく姿を現し、それも決勝での対戦相手の妹の病室の前でとなると、彼らにとって絶好の取材ネタになるというのは無理もないことなのだろう。


「ここって…決勝での対戦相手だった神代選手の妹さんの病室、ですよね?
なぜこんなところに?」

「………」


何も答える気はなかった。
彼らに何を言っても無駄だ、と思った。
発言の一々を取り上げネタにして、晒し上げる。そういう連中だ。

第一、他人に事細かな事情をご丁寧に伝える必要などない。
何も生まれない、無意味な行為だ。


「すみません…一言だけでも、お願いできませんか?
あなた、優勝してチャンピオンになったんでしょ?
スターになったんでしょ?
声くらい聞かせてくださいよ…これもファンサービスだと思って」

「…失礼します」


Wは男の横を通り過ぎると、早足で歩き出した。
面倒な奴に絡まれてしまった。
最悪のタイミングだった。

ここはやりすごして出直すしかないのだが、もう一度意図してあの場所に立つ精神力が果たして自分に残っているかはわからない。

本当に、余計なことをしてくれる。


「ちょっ…待ってください。待ってくださいってば!」


病院の自動扉をくぐり街の外れまで来ても、男はまだ追ってきていた。
思ったよりもしつこそうだ。

男はWの後ろにくっついたまま、息を切らして問い続ける。


「待ってください…何故、あの病室の前にいたんですか!?
あそこにいた神代選手の妹さんに、何かを感じているからではないのですか?
全国大会で神代選手が犯してしまった不正に、何か関係があるのではないのですか!?」

「………これ以上追ってこないでください。何もお話しすることはありません。全国大会でのこととも、何も関係ありません」

「そんなことないでしょう、関係ないなら病室を訪れるわけがないんです。
何か知っているんじゃないんですか?彼女の事故のことを」

「…知りません。
残念ですが、本当にお伝えできることなんてないんです。帰ってください」

「…………」


一瞬の沈黙だった。

ふいに、後ろから付いてきていた足音が止まった気がした。
つられてWも足を止めると、背後の男が俯いたまま提げていたデジカメに手を掛けているのが、わかった。

「……じゃあどうして」


男は後ろからWの肩を掴み正面に回り込むと、デジカメ背面の画面に一枚の写真を映し出した。


そこには、信じられないものが写っていた。


「…どうして、事故が起きる直前、あなたは彼女と一緒にいたんですか?」


「……………ッ!!」


自分と、彼女の姿だった。

トロンに言われるがまま、神代凌牙の妹とデュエルをしたあの日。
言われるがままに彼女に近づき、人目のつかない場所に導いた。


けれど、どうして。

どうして、大会で優勝する前の自分の画像を、この男が。


「神代選手は優勝候補でしたからね…彼の周りは常にチェックしていたんです。
そして、W。あなたのことも。
本名不明のデュエリスト、使用デッキはスキルドレイン型墓守――もちろん注目していましたよ。
もう一人の優勝候補としてね。
勝てば金、地位、名誉――全てを手に入れられる大会だ…運営側だけでなく我々記者も、あなた方の動きの全てをチェックしていたんですよ」


背中から、冷たい汗が伝った。
鼓動が速まるのがわかった。


男はWの肩を掴んだまま、人だかりのない路地裏へと入っていった。
いつの間にか、その表情から愛想笑いは消えていた。


「この直後、あなた達はちょうどこのような路地裏に入りましたね。
残念ながらそこまで追うことが出来ませんでしたが…その直後に火災が発生。
彼女は意識不明の重体でしたが、その後傷を負ったあなたを見かけたという情報は何処にもありませんでした。
その数日後、決勝大会であなたと神代選手は試合を行い、神代選手はデッキを盗み見るという行為で失格となったわけですが――」


男は画面を切り替え、今度はあの時の監視カメラの映像を映し出した。
全国大会の選手控え室で、凌牙が自分のデッキをみたあの瞬間の映像だ。


「――この映像、なんだか不自然なんですよね。
なんと言うか、故意にデッキをバラ撒いたような…
これはあくまで僕個人の見解なんですが、
妹さんの事故で不安定な精神状態になっていた彼に、あなたが故意にデッキをバラ撒いて盗み見させようとした、
というふうにしか思えないんです」

「……言い掛かりはやめてください。
僕が神代くんの妹さんと一緒にいたからといって僕があの事故に関係しているだなんて無理矢理ですし、デッキがバラ撒かれてしまったのも単なる偶然です。
そんな意思は一切ありません」

「口ではそう言えますよね…でも、出来すぎてるんですよ。大会直前の事故も、あのジャッジキルも。
火災が発生したのは、あなたと彼女の姿を僕が目撃したその直後だ。
あなたの右眼の傷は、そのときのものではないのですか?」

「…違います、これは――」

「本当のことを話してください。このままでいいわけないんです。
あの大会に優勝すれば多額の賞金を受け取れるし、スポンサーまでつく。莫大な金が動くんですよね。
おまけに優勝者としての名誉も手に入れられる…そのためにこういう手を使おうとする人間も多いんです。
いくらでもいるんですよ。
あなたと同じことを考える人間なんて。
数多くいるその人たちのなかから、貴方がたまたま摘発されなかっただけです」


「……………ッ!」


違う。
一緒にするな。

決定的な証拠を盾に迫る男を前に、Wは胸に滲む嫌悪を露にしそうだった。

自らの正義というものを体現したようなその姿に、強烈な違和感と不快感を覚えた。


こいつが求めているのは、"本当のこと"などではない。
私利私欲のために人を陥れた、偽りの優勝者の姿だ。


「嬉しいんですか?
こんな卑怯な手を使って……
勿論この試合があなたにとってどれほど大事だったのかはわかります…
勝てば全てを手に入れられるのだから。
でも、どうしてその為だけに誰かを傷つける必要があったんですか?
犠牲になった彼らの気持ちを考えたことはあるんですか!?
あなたの実力なら神代選手とも対等に渡り合えたはずです、なのにどうして」


「………黙れ」


虫酸が走った。

責め立てるような声にも、真っ直ぐな眼にも、言葉にも。


全てを知っているかのように語り、自分が正しいとする考えを他人に押し付け、それで論破した気になっている。
正論を振りかざす自分に酔って、正義を貫き通せば、必ずそれが叶うと信じ込んでいる。

この男はどれだけ甘い人生を歩んできたのだろう。


悪意がある、のではない。
だからこそ憎らしく、腹立たしく、そして汚らわしく思えた。


「今からでも遅くありません。
僕に正直に話してください。
そして、謝りましょう。
神代選手に、妹さんに、そして世間に。
まだやり直せます。これ以上時間が経ってしまうと――」

「……………黙れ」


そんなに甘い筈がなかった。

やり直せる筈がない。
許される筈がない。

金、地位、名誉――そんなものの為に自分が手を汚す筈がない。


踏みにじられている気がした。
ずっと抱えていた、自分の想いを。

ありきたりな言葉で片付け、勧善懲悪の枠にはめようとするこの男の言動が、目障りでしかなかった。
並べ立てられる綺麗事に、反吐が出そうだった。

聞くに耐えない、戯れ言でしかなかった。


男は続ける。

目の前の"悪"に、立ち向かうために。
そこにある間違いを正すために。

それがWの闇を更に深めようとは、まるで知らずに。


「どうして正々堂々できないんですか………あなたはそれでいいんですか!?
そんなやり方で何もかも手に入れて、あなたは本当に嬉しいんですか!?
違うでしょう、
あなたにはまだわからないかもしれないけど、
本当に大切なものっていうのは――」


「黙れって言ってんのが聞こえねぇのか!!
てめぇに何がわかるっていうんだよ!!
何もかも知ったような口利きやがって!!
人の事情に土足で入り込むんじゃねぇ!!」



血を吐くような声が、路地裏に響いた。
吹き抜ける風が、冷たく頬を掠めた。

残響だけが、その場に残った。


太陽が、落ちる。
アスファルトに落ちる影は更に長く伸び、やがて闇と同化する。

薄暗闇のなか、デジカメのモニターだけが無機質な光を放っていた。


Wは微かに、口元を歪めた。
静かにそれを、笑みの形に変えた。

この男に対し何を思っているのかは、自分でもわからなかった。
けれど、長い間閉じ込められていた新しい感情が、衝動が、
胸の奥から沸き上がっていくのは、確かに感じられた。


「――じゃあ、デュエルをしましょう」


あの時と同じような場所で、
彼女にかけたのと同じような言葉で、
目の前の男に向かってそう言った。


「デュエルでもしあなたが勝ったら、僕は何もかも全てをあなたに話します。
逆に僕が勝ったら、今後一切僕には関わらないでください。
もちろんハンデはつけますよ…ライフポイントはあなたは8000、僕は2000。
初ターンの手札は7枚どうぞ。
先行も差し上げます」


そして顔に別の誰かのような笑顔を貼り付けたまま、ARビジョンの接続を行った。

手にしたデッキは、【ギミック・パペット】。
見たこともないカードだった。

それでも自分にはその操り方が、手に取るようにわかる気がした。

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