キースが屋敷を訪れてから三日、漸く友人と予定が合ったらしくわたしはリディングストン家にお邪魔することとなった。
伯爵とイルは今回留守番である。
最後までついて来たそうだったイルを宥めすかして来るのは大変だった。
馬車でわざわざ迎えに来てくれたキースもイルの姿を見て始終笑っていた。
「本当、あいつってセナに懐いてるよなぁ」
呆れたような声音だが浮かぶ笑みは優しい。
「もう、わたしにとっては家族のようなものですから。」
「家族か。俺も弟が欲しいよ。」
「それはご両親に相談なさってくださいね?」
わたしの言葉にキースは「そりゃ無理だって!」と言い、二人揃って声を上げて笑い合った。
こういう気安さが彼の良い所だ。世間一般では軟派者と呼ばれてしまう気質だが、相手に気兼ねさせない親しみやすさと明るさがある。
笑いが収まればどちらからともなくお互い顔を寄せた。そこにはやましい感情も男女間の色恋もない。というか、本来の性別を明かすタイミングを何時の間にか逃してしまい、気付けば一年経った今でもキースはわたしを‘男友達’だと認識したままだ。
もう訂正するのも微妙なのでバレるまで放置することにしている。
「…それで、貴方のご友人は既にお屋敷に?」
「あぁ。一応裏口から入ってもらったから、多分誰にも見られてないと思う。」
学部の内情を漏らすのだから彼の友人の立場を考えれば、出来る限り怪しまれないようにしたい。
それをキース自身も理解してくれていたのか流石気が利くなと内心で感心してしまった。
「使用人にも口止めすんの大変だったんだぜ?」と片手の親指と人差し指を擦り合わせてウィンクしてくるキースに思わず少しだけ噴出してしまう。金で釣ったな。
昨日聞いた内容を復習しておこうと何時もの癖で胸元に手を入れようとして、はたと気付く。そうだ、今日は普段使っている手帳を持って来ていないんだった。
襟元を直して動きを誤魔化したがキースは特に気にしていない風だった。
事件後には関連する情報が漏洩しないよう書いたページを破って燃やしているお陰で、手帳は買った頃の三分の一近くまで厚みが減っている。
そろそろ買い直さなければと思っていると馬車が一度少し大きく揺れて止まった。
御者の声がしてから扉が開けられる。先にキースが馬車を降りた。どうやら本当に今日は客人として扱ってくれるらしい。
馬車を降りて見上げた先にある建物に思わず呟きが零れ落ちる。
「……何度見ても大きいですね。」
「そっか?俺達くらいじゃ、どこもこんなもんだろ。」
独り言に律儀に返事をしてくれるキースの後を追って玄関へ向かう。
流れるように使用人が扉を開けてくれ、伯爵の屋敷よりも数倍広くて豪華な造りに感嘆の溜め息が出そうになった。
客人として来るのと、伯爵の近侍(ヴァレット)として来るのでは、やはり気分的にも全く違う。
さて、客間に向かうのかと思ってキースの背を追いかけてみれば案内されたのは彼の自室だった。
ノックもなしに躊躇いなく開けられた扉。キース越しに見えたのは随分と線の細い人影である。
綺麗に並べられたティーセットでやや落ち着かない様子で紅茶を飲んでいた青年がパッと顔を上げた。金にも見える薄いブラウンの髪に同色の瞳。伯爵とは違う色合いだが全体的に見ると同様に色素が薄い。
男性なのにどこか儚げで折れてしまいそうな雰囲気だ。
観察しながらサッと部屋に入るとキースがすぐに扉を閉める。
「ごめん、待たせた。」
「いや…そんなに待ってないよ。そもそも頼んだのは僕だし…」
外見に似合う柔らかな声音にキースがホッとした表情で「そっか。」と笑い、わたしの背を軽く叩いた。
これは多分挨拶するように促しているんだろう。そう解釈して出来るだけニッコリ人好きのする笑みを浮かべ、胸に片手を当てて軽く会釈をする。
「初めまして、セナと申します。お恥ずかしい事ながら平民の出ですので家名を名乗ることが出来ないこと、どうぞお許しください。」
わたしがそう挨拶をすると何故かキースの友人は慌てた表情で立ち上がり、手を宙に彷徨わせて何かを言おうとし、しかし言葉が見つからなかったのか酷く困惑したままキースへ視線を向けた。
首を傾げていれば隣りに立っていたキースに肩を叩かれる。
「セナ、固過ぎ!あいつもセナと同じなんだからもっと気楽にしないと。」
キースのツッコミにしまった!と思う。普段地位が上の人ばかり相手にしていたせいで自然と目上の者に使うような挨拶をしてしまっていた。
これでは彼の友人が困るのも当たり前だ。自分の身分に相応しくない挨拶をされて返せる者はそういない。
「あぁ、すみません、何時もの癖が出てしまいました。…改めてセナと申します。」
「いえ、気にしていませんので。僕はカルクィートです。カルクと呼んでください。よろしくお願いします。」
「はい、こちらこそよろしくお願い致します。」
握手を交わし、もう一度ニッコリ笑う。それからキースに促されてソファーに腰掛けた。
キースとカルクさんが一緒に座り、わたしは向かい合わせのソファーに座る。勝手に失礼して紅茶を淹れ直すとキースがすぐに一口飲んだ。
喉が渇いていたらしい。勝手知ったる我が家だからかクッキーにもう手を伸ばす彼に苦笑しながらカルクさんに向き直る。
それで察したのかカルクさんも背筋を伸ばすとわたしを見た。
「キースからある程度の話を聞いていらっしゃるかと思いますが、僕が通う解剖学部の遺体のこと……本当に調べていただけるんでしょうか?」
「勿論です。事件性の有無に関わらずお話を伺った以上は調べるつもりですよ。」
「そうですか…。すみません、疑うようなことを聞いてしまって。…セナさんの所作を見る限り身分の高い方に仕えているようでしたので、僕のような者の話を聞いてもらえるのか不安で…。」
「カルクさん、先程言った通りわたしも平民です。例え身分が高い方に仕えていようとも、わたし自身は平民のままです。何より友人からの頼みですから、お断りする理由がわたしにはありませんよ。」
まぁ、わたし自身も今回はちょっと興味本位で首を突っ込んでいる節があるし?
「いいんだよ。セナが仕えてる人も了承してくれてるし、そもそもその人だって少なからず今回の事は気になってるみたいだからさ。」なんて何気なく言われたキースの言葉にわたしは目を見開いてしまった。
は?伯爵も気になってるって…何ですかそれ、初耳なんですけど。
カルクさんはキースの言葉に安心したのか肩の力を少し抜いてソファーに座り直した。