「それで今日はどうしたんですか?」
わたしは構わないけれど、と付けたして聞くとキースは困った顔で頬を掻く。
「あー…あのさ、ちょっと手伝って欲しいというか調べて欲しい事があって。」
「? 何かの調査ですか。」
「ん、まぁ、そんな感じ。」
チラリと伯爵を見ても、彼はこちらを見ていなかった。先に話を聞いたのかもしれない。
とりあえず聞いてみなければ答えようがなかったのでキースに先を促した。
事の内容はこうだ。
まず今回の調査らしきものはキース自身の頼みではなく、彼の友人の話が元になっているらしい。
キースの友人は学院で医学を学んでいるそうだ。身分は平民。つまりごく普通の人。
最近ようやく努力が認められて解剖学も許されるようになった。
そこまではキースの友人が努力家で勤勉な素晴らしい人なのだなぁ、という話しである。
「問題はここからなんだ。」
解剖学というのは文字通り、解剖を学ぶ…つまり死体を解剖して人間の体の仕組みや構造を知る学科なのだが、どうにもその解剖で使われる死体がキースの友人には何か引っかかるらしい。
「確か解剖される死体というのは、ほとんどが死刑囚や浮浪者だと聞いたことがありますが。」
「そうそう、普通はそうらしいんだ。でもそいつがいる解剖学の死体はさ、‘それ以外’も混じってるみたいなんだよ。」
「死刑囚や浮浪者ではない、と?」
「あぁ。」
時には若い女性であったり、時には年老いた男であったり。様々な死体が出てきたらしい。
しかしそれが事件に繋がると断定できないのはこの世界の、この時代の医学に関する考え方というか在り方にもある。
貧しい者は家族が亡くなっても葬式すら出来ない場合がある。そういった時、大概遺体は学院に渡してしまうのだ。解剖され、医学に貢献することも出来て、葬式もせずに済む。何より解剖学に遺体を提供した家にはそれなりの額の金が渡されるそうだ。
なので死体が老若男女の誰であっても事件性の有無が判断し難い。
自身が死んだら学院に遺体を提供して医学に貢献する、というのが貴族や豪商の間で今流行りらしい。それもあるので事件かどうか疑わしいのだとキースも項垂れる。
解剖中は首から上は隠され、手を付けないので遺体の身元も分からないそうだ。
「一時期は女ばっかだった時もあったらしい。それから暫くは死刑囚や浮浪者が続いて、最近また女だったり男だったり…少なくとも浮浪者じゃない死体が解剖に回されてるみたいなんだ。」
「他の学部も似たようなものではないんですか?」
「解剖学でも他の学部に行ってる奴の話を聞く限りじゃ、解剖はほとんど死刑囚か浮浪者だって言うから多分違う。」
「そうですか…。」
解剖は医学を学んでいく上でとても大切なことだ。人体の構造を知らなければ医者は務まらない。
基本的に同じ解剖学とは言っても学部が違うとお互いの内容に関してはあまり公にしないらしい。不干渉が暗黙の了解なのだとか。
正直そんなこと言ってるからなかなか医学が発達しないんじゃないかと思う。
せっかく新しい発見をしても、それを共有出来なければ何時まで経っても進歩しないだろう。
わたしがそう言うと伯爵がやっと口を開いた。
「ほとんどの学部の教授は自身の功績しか興味が無いからな。」
「…つまり、新発見をしても自分のものにしておきたいから黙っているということですか。」
「平たく言えばそうだ。年に数回ある学会で公表してしまえば、その功績は公表した教授のものになる。」
そうか、貴族達だけでなく学院内でもそんな状態なのか。
それではお互いの情報を公開したがらないのも頷ける。医学の進歩よりも己の地位が大事な医者になんて診てもらいたくもないが。
そこまで内情は知らなかったようでキースも「くだらないですね」とげっそりした表情をする。
とりあえず話を元の方向へ軌道修正すべくわたしは軽く咳払いをした。
「話を纏めると、キースのご友人が通っている学部で解剖されている遺体について調査すれば良いんですね?」
「大雑把に言うとそうだけど……事件かどうかも分からないから、どうかと思ってさぁ。」
すまなそうにキースがまた眉を下げる。
気にしないで欲しいという意味も含めてわたしは頷く。
「構いません。今は特に何もありませんし、もし何かしらの事件と関係性があるのならば何時かは調べることになりますから。何の問題もなく杞憂で終われば、ただの笑い話で済みますよ。」
「ごめん、…ありがとな。」
「いいえ、困った時はお互い様です。」
伯爵が何も言わないところを見るに今回の件はわたしの好きにしていいのだろう。
キースは警察(ヤード)と馬が合わないから此方に来たのだと思う。シャロン嬢に知れれば恐らくキースは文句の一つや二つ言われるか、苦笑されるかだ。
まぁ、頼ってもらえるのは友人として嬉しいので調査は徹底的にやろう。
友人の方からも話を聞きたいので後日リディングストン家の屋敷に行くことになった。
「イルをよろしくお願いしますね。」と伯爵に言えば面倒臭そうというか、ちょっと嫌そうな顔をしたが結局は了承してくれる。…本当は扱いに困っているだけで嫌いではない癖に。素直じゃないなぁ。
少しスッキリした顔で帰って行くキースを見送って客間に戻る。
まだ伯爵はソファーにいて、お茶請けのクッキーをつついていた。
そういえばもう昼食の時間を過ぎてしまった。話を聞くのに夢中でそこまで頭が回らなかったらしい。
「伯爵、昼食になさいませんか?」
「…やっと気付いたか。」
片眉を上げた伯爵の言葉に呆れてしまう。言ってくれれば良かったのに。
多分キースとわたしに気を使ってくれたのだろう。
途中で話を切らず、席も立たずにいてくれた伯爵に感謝しつつ一緒に客間を出る。
食堂に行くとテーブルに齧りつくようにして待つイルがいて伯爵と顔を見合わせ、こっそり笑ってしまった。