PRIMO CASO:Uomo geloso.
薄い霧が立ち込める美しい街並みは薄暗闇の中で静まり返っていた。
女王エリザベートが統治する王国の首都ツェーダはヨーロッパ調の古い町並みが美しい都市だが、今は日も昇っておらず、街全体が眠りに沈んでいる。
まだ薄暗い午前五時、毛布に包まって眠っていたわたしはパチリと目覚めた。
肌寒い空気に小さく体が震えつつもベッドから起き上がって、昨夜のうちに用意しておいた服へと袖を通した。
パリッとしたワイシャツの冷たさが肌を覆い一気に頭が冴える。
ベッドから立ち上がる前にズボンと、膝近くまであるロングブーツを履いた。
部屋に備え付きの小さな洗面台で顔を洗って、寝癖の残る髪を整え、歯を磨く。
最後に鏡の前でおかしな所がないか確認すれば背の中ほどまである黒髪を緩く編んで肩へ流し、男なのか女なのか判別し難い顔立ちをしたわたしが同色の瞳で見つめ返してきた。
白のワイシャツっぽいものの上からベストを着て七部丈のズボンを履いた姿は、どこからどう見ても少年と形容される見た目である。
それを見つめて満足げに笑う。
「…よし、問題なし。」
自室を出て廊下を歩いていると忙しそうに働く使用人たちと擦れ違う。
その度に挨拶をすればニッコリ笑顔で同様の挨拶が返って来た。
ベストのポケットから懐中時計を出して時刻を確認してみれば丁度良い時間だ。パチンと小気味良い音を立ててその蓋が閉まり、シンと静まり返った廊下には自分の歩く音だけが響き渡る。
綺麗な装飾の施された扉の前で一度立ち止まり、少しの間待ってみるが部屋の中で何かが動く気配も音もしない。
そっと扉を押し開けて立ち入れば羊皮紙とインクの独特な匂いが鼻を掠めていく。
極力足音を立てずにベッドへ近付けば気持ち良さそうに眠っている男がいた。
その男の肩に触れ、軽く揺する。
「御起床下さい、朝ですよ。」
すると熟睡していたのが嘘のように男の瞳がスッと開かれ、わたしの姿を確認すると眠たそうに一度欠伸をした。
ストレートでクセの無さそうなショートの銀灰色の髪にブルーグレーの瞳、白い肌とスラリとしたモデルのような体系の彼は屋敷の主人であり、わたしの恩人でもある。
「…お早う。」
「おはようございます。」
名はクロード=ルベリウス=アルマン。齢二十二歳にして伯爵という地位に立つ名門貴族の若き当主だ。
屋敷や領地だけでもかなり広いが使用人たちの数も半端無い彼にわたしが拾われたのは数ヶ月ほど前のこと。
困ったことにわたしは元の世界で運悪く死んでしまったらしい。
最近何かと話題になっている酒気帯び運転というやつで、友人と遊んだ帰りにその車に突っ込まれて即死だったのだと思う。思う、というのはハッキリ自分が死んだという確証がないからなのだけれど、多分あの状況では生きている確立の方が低いだろう。
そうして気が付いたらヨーロッパ風の街並み美しい道に放り出されていたので事実は分からない。
ともかく、行く当てもなく途方に暮れていたところを物好きなこの伯爵に拾われたのだ。
初めの頃はあまり関心を示さなかった彼だったがわたしが元の世界にいたときの知識を少し披露したら、大いに気に入られたらしい。
それからは近侍(ヴァレット)として傍に仕え、常に仕事へ引っ張り回された。
「今朝の新聞をどうぞ。」
わたしが手渡した新聞を読みながら伯爵は着替える。
彼は基本的に人に触れられるのを嫌う性質であったため、着替えや入浴は自身で行っていた。
元から手伝う気など毛ほどもないので平然と着替えが終わるのをわたしはベッド脇で待っている。
一番初めは何だか腑に落ちないというか、何とも表現し難い顔をしていたが今ではもう特に気にしていないようだ。
伯爵が着替え終えると連れ立って食堂へ向かう。
コックが腕によりをかけて作る朝食を伯爵と共に食べるのだが、これも本来ならば許されざる事なのだ。
けれど伯爵はあまりそういったことに頓着が薄いのか最初の頃に「お前も此処で食事を共にしろ。」と言うものだからわたしは言われるがままに何時も彼と食事をしている。
とは言えわたしはそれほど大量に食べないので彼よりも早く食事を済ませてしまえば‘本日の仕事’のために懐から手帳を取り出した。
「久方ぶりに仕事が入りましたよ、伯爵。」
「内容は?」
優雅な所作でフォークとナイフを器用に扱いながら伯爵が促してくる。
「ここ二〜三ヶ月の間に娼婦が連続で狙われた事件をご存知でしょうか?」
「…あぁ、確か死人が七人程出ているそうだな。」
「はい。正確には負傷者か一名、死人は昨夜増えまして八名にになりましたが。」
「随分警察(ヤード)はのんびりとしているようだな。」
軽く厭味を交えた言葉を呟き、ふむと伯爵は顎に手を添えて考える仕草をした。
「事件の概要は分かるか。」
「勿論です。」
事前に警察から聞いた事柄と自前で調べた内容に視線を落とす。
最初の事件はおおよそ二ヶ月と二十日ほど前に遡る。
ツェーダの東端、街の中でも荒れた地区で有名なアラウンドストリートの寂れた教会で女の死体が発見された。
第一発見者は教会に住み着いていた浮浪者の男で、前日から街をうろつきた後、翌日の早朝に帰ってきたところで教会の古ぼけた十字架に貼り付けられていた女の死体に気が付いたらしい。
女はアラウンドストリートの一角に位置する娼館で働く娼婦だった。
あまり売れていない娼婦で、その日は休日だったため娼館には訪れていないという。
特定の男の影も見えず、客と問題を起こしたこともなく、女は天涯孤独の身の上で結局犯人を絞ることが出来なかった。