少女が無事退院してから三日。
特にこれと言って大きな出来事もなくエリスは長期休暇をのんびりと過ごしていた。
午前中は全ての部屋の掃除に費やし――とは言っても、どの部屋も大した物もなく短時間で済んでしまったのだが――、午後はどうしようかと少女から貰った菓子をコーヒーと共に楽しみながら予定を組み立てる。
…そういえば服が足りないな。
今まで仕事の都合で家を空けていた事もあってか、私服と呼べる代物がかなり少ない。
冬物然り、夏物然り。軍服を着ない休暇中の服に悩むところである。
あり過ぎるというのも問題だが無いよりかはマシだろう。
久しぶりに買い物でもしようかと思っていた矢先に携帯電話から着信を告げる音が鳴り響く。
購入した時から設定を変えていないその無機質な呼び出し音に手を伸ばし、ディスプレイに表示された名前に溜め息が出そうになる。
フェミリアからの着信だった。
一瞬、居留守を決め込んでしまおうかと考えたものの、着信音は一向に鳴り止む気配がなく等間隔の間を置いてはエリスを呼び出していた。
…買い物は明日に回すか。
タイミングが良いのか悪いのか。どちらにせよフェミリアから電話がかかってくると大抵はその日の予定が狂ってしまう。今回もきっとそうに違いない。
「………Hello?」
通話ボタンを押し、耳に当てつつ電話の向こう側へ挨拶をかける。
すぐに騒がしいまでの大声が聞こえてきた。
【どれだけ待たせれば気が済むのよ!軍人ならワンコールで出なさい!!】
「無茶苦茶だな。」
あまりの大声に耳から携帯電話を引き離したものの、スピーカーから出る声は容赦無くエリスに飛んでくる。
明るく活発なのは良い事だが、もう少し女性らしい淑やかさも持つべきだ。
あの少女などは逆に自身を卑下し過ぎる傾向があったが。
足して二で割ったら丁度良さそうだな、なんてくだらない考えを巡らしている間もスピーカーの向こうからフェミリアが文句を言っていた。
放っておいたら何時までも続きそうなそれを終わらせるために、エリスは遠ざけていた携帯電話に耳を寄せた。
ある程度文句を言って気が済んだようで始めに比べれば随分フェミリアの声は落ち着いている。
それでもブツブツと続く文句の単語を聞き流してマイク部分を指で二度、軽く叩いた。
フェミリアの愚痴が止まる。
【あー、もう話が逸れちゃったわ。とりあえず貴方暇よね?何せ長期休暇だもの。】
休暇を羨んでいるのか最後の言葉には若干の棘が混じっている。
「暇と言えば暇はあるが。」
【ならユイちゃんを連れて研究所に来てちょうだい。】
落ち着いた言葉とは裏腹に、期待のこもった楽しげな声色だ。
自分だけならばまだしも彼女まで巻き込むつもりらしい。
「彼女にも予定があるだろう?」
突然、今日から試験を始めると言っても少女にだって都合がある。
しかしフェミリアは「そこは何とかしなさい、隊長さん」なんて茶化しを入れながら押し付けてきた。
こちらの返事も聞かずに通話が切られて無機質な電子音がスピーカーから流れてくる。
マイペース過ぎるフェミリアの態度に溜め息を零しつつ、それでも付き合ってしまう自分の甘さを感じてエリスは頭を掻いた。
…仕方が無い。
携帯の電話帳を開き、まだ見慣れぬ電話番号へと発信する。
これで少女が電話に出なければ無理だったとフェミリアに言えば良い。
しかし相手は三コールの後にきちんと電話に出てしまった。
【もしもし…?】
どこか自信無さげな控えめの問いかけに自然と波立っていた心が落ち着いていく。
メールではなく突然の電話に困惑しているのかもしれない。
「突然すまないが、今日の予定は空いているか?」
【今日ですか?えっと……はい、特に用事はありませんが。】
「先程フェミリアから連絡が来て、今から研究の手伝いをしてもらいたいそうなんだが問題無いか?」
恐らく急用ではないだろう。もし少女に予定があるならば、今日ではなく明日でも明後日でも彼女の予定が無い日にすれば良い。
だが少女はあっさりと電話の向こうで頷いた。
【大丈夫です。】
「そうか。なら今から迎えに行こう。三十分程経ったら道路に出ていてもらえるか?」
【はい、分かりました。】
通話を切った携帯電話を暫し眺めた後にエリスは上着を羽織り、車のキーを掴んで家を出た。
あまり気が乗らなかったが諦めて少女を迎えに行くことにしよう。
車を運転して目的地に着くと少女が既にアパートの前で待っていた。
目の前で停車し、運転席から降りれば丁寧に頭を下げながら「こんにちは。」と挨拶をしてくる。
それに返事を返しつつ扉を開けてやれば少女は何度も礼を述べながら車に乗り込んだ。
自分も運転席へ戻り少女がシートベルトを締めたことを確認してから車を発進させる。
柔らかな薄いベージュのワンピースにやや色褪せた水色の七部丈のジーパン、同色のショート丈の上着という姿の少女はやはり実年齢よりも若く見える。
チラリと横目で盗み見た横顔も随分幼い。
成人女性と分かってはいても何やら悪い事をしているような後ろめたさを感じてしまう。
年齢的には思う程離れていないが視覚的には自分と少女が十歳近く歳が離れているように思えてしまうのだ。
別に後ろめたい事など何一つないのだが。Prev Novel top Next