カウント9.5

カウント9.5






人の執務室で、自分の部下が盛っていて”そういうこと”に及ぼうとしていたら怒る理由も権利も十分にあると思う。

ただ残念なことに、今の俺は怒りなんてとうに通り越していたので、はあ、と小さなため息をつくことしかできなかった。
ソファの上で組み敷かれていた男は、先ほどまでの甘い声や蕩けそうな顔が嘘みたいに、いっそ可哀想なくらい青ざめてがたがたと震えている。見覚えのあるこの綺麗な顔は、たしか先月本部に配属ばかりの子だったと記憶している。入隊して早々こいつの毒牙にかかるとは本当に同情してしまう。

「クザン、大将…!たっ、大変っ、申し訳、」
「アー、いい、いい。誰が悪いかわかってるから。早く出て行きなさい」

ひらひらと手を振って退室を促すと、男は上着を引っ掛けただけの情けない格好で足早に部屋から立ち去る。去り際に敬礼を忘れないところがなんとも滑稽だった。俺はこめかみを抑えると、こんなことをしておきながら悠然とソファから動かない男に声をかける。

「……ナマエ」
「言われた通り、ちゃあんと同じ隊のやつには手を出してねェだろが。だいたいあいつが色目使ってきたんだぜ?」
「そういう事じゃないでしょうや」

うんざりした顔でやおらソファから起き上がったその体には、赤い跡がちらちらと散っている。それを見て、俺はまたため息をついた。

俺の副官であるナマエは下半身で物事を考えて動いてるんじゃないかと疑ってしまうくらい、欲望に忠実な男だ。欲しいと思ったら男も女も関係ない。さらにこいつは人好きのする顔をしているものだから、向こうの方からこの男に寄って来る。ナマエと同期の俺は、訓練生時代からこいつが相手に困ったところを見たことがなかった。


「本当、見境がねェな」
「分け隔てなく接するのが俺の美徳なもんで」

肩をすくめて自嘲気味に微笑む顔は、腹が立つくらいとても魅力的だ。じゃあ何で俺には声をかけないんだ、と言いたいのをぐっと堪えて、床に落ちていたシャツをナマエに向かって放り投げた。いつから好きになったかなんて、もうわからない。何年も前から、俺はこの最低な男に不毛な恋をしているのだ。

「こんなことばっかり繰り返してないで相手作ったら?」
「……好きな奴ならいるよ」

そう、ナマエが小さく呟いた言葉を、聞き逃すことなんてできなかった。なんで、いつから、どこの誰を。矢継ぎ早に飛び出してしまいそうな言葉をぐっと押さえ込み、俺は何でもないような声をあげる。

「へえ、じゃあ伝えればいいじゃねェか」
「駄目だ。だって、お前と約束したじゃねえか」
「てェ、ことは」

ぐらりと足元が歪んだ気がした。ということは、同じ隊の奴なのか。
ゆるゆるな理性を持つこの男は意外なことに、いつか俺がこいつに言った『同じ隊の奴には手を出すな』という約束だけは一度も破ったことがない。それは、俺にとって唯一の救いだった。だってそうじゃないか、いつも顔を見合わせる奴がナマエから愛を囁かれていたとしたら、きっとそいつを殺してしまいそうになる。

俺は唇が震えてしまいそうになるのを堪えると、自分にとって一番辛い言葉を口にした。

「いいぜ」
「は?」
「だから。許すって言ってんのよ。お前がきちんと好きなら、同じ隊の奴でも」

予想外の言葉だったのか、ナマエは目を見開いて間抜けな顔をしていた。そりゃそうだろう。何年も、何年も、俺の命令で塞いできた想いが遂げられるのかもしれないのだ。
これ以上ナマエの顔を見ていられなくて、俺は床に視線を落とした。嬉しそうな笑顔でも見せてきた日には、陳腐な恋愛小説なんかに出てくる女みたいに泣いてしまいそうで、それだけはなけなしのプライドが許さなかった。

「……それ、まじで言ってんの?」
「まじだってば」
「本当に本当か?」
「だーかーら」

しつけえな、と顔をぱっとあげると、すぐ鼻先にナマエの顔があって思わずたじろいだ。

「男に二言はねェだろな」

わななく声はナマエのもので、そのことに気を取られていた俺は自分の体がソファに押し付けられていたことにしばらく気付けなかった。

「クザン、お前だよ」
「は?」
「俺が好きなのは、お前なんだ」
「…は?」
「…っ!だから!!!生まれてこのかた!一度も!たった一度も自分から懇願したことのないこの俺が!……お前を抱きたい、抱かせてくれって言ってんだよ」
「……え」

予想外の言葉に頭がまったく追いつかず思わずぽかんとしてしまうと、目の前の男は小さく舌打ちをする。よくよく見ると耳元がほんのり赤い。……というか。

「……さっきの言葉でいくと、俺が下な訳?」
「ああ?当然だろ。つうか、わざわざ聞くところそこかよ」

ナマエに押し付けられた体は少しスプリングが柔らかめのソファにずぶずぶと沈んでいく。でもこの状況を撤回することなど俺にはできなかった。

「ほら、優しくしてやるから……さっさとイエスと言いやがれ。鈍感野郎」

そう囁いて口許に美しい弧をえがくナマエの顔に見とれてしまう自分が悔しい。しかしこの笑顔が手に入るかもしれないと思うととてつもなく嬉しくて、ごちゃごちゃの思考を追い出すことに専念しようと、俺はナマエの背中にそっと腕を回してみたのだった。

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