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脱ぎ捨てられた愛の抜け殻


「今日も相変わらずですね」
「うるさいなぁ七海。私の上着貸しますよとか言えないのー?」
「そう言う前に勝手に羽織るじゃないですか」


あちこち破れたブラウスは、始末した呪詛師の血を含んだまま雨に打たれて濃い色をしていた。七海がやって来たと同時にその腕にあったジャケットを抜き取って羽織れば、私の仕事ぶりに溜息を吐く彼を見遣った。

呪詛師が呪いの吹き溜まりを幾つも拵えてくれたおかげで、何体もの呪霊を祓う羽目になり身体のあちこちが悲鳴を上げている。寝てしまえば明日には回復しているだろうか。しかし学生の頃に比べてそう簡単に調子が戻るほど若くはないし、十分な睡眠時間なんて確保できるはずもない。任務のスケジュールを思い浮かべながら、睡眠時間を差し込むタイミングを考える。


「腕に掛けたまま来たのは七海でしょ。使ってくれって言ってるのと同じだよ」
「全く…」


七海の薄く寄せられた眉根に、つんと軽く人差し指を当てる。身長差があるせいで自然と爪先だけで体重を支えることになるけれど、出会ってからこれまで何度も同じ動作を繰り返していれば慣れたもんだ。私が背伸びをするのと同時に肩に掛けていたジャケットがズレ落ちそうになり、溜息混じりに七海がそれを直す。ふわりと彼の優しい香りが鼻を掠めた。


「汚れちゃったらごめんね」
「それは構いませんけど。それより、レイ ──」


眉と眉の間、柔らかいそこに不用意に触れても七海は嫌がる素振りは見せない。むしろ私の手首を徐に掴んで、掌を頬に寄せるように誘われる。踵を地面に着ければ、自然と離れていく私の掌を逃さないように手首を掴んだ大きな手が、今度は重なるように手を優しく包んだ。


「冷たいですね」
「少し降ってたから」
「それにしては仕事が早い」
「はは。褒められてる?」
「ええ」
「へえ。じゃあもっと褒めて」
「…充分褒めたでしょう」
「うわ。褒め言葉が仕事が早いだけって…」
「帰りますよ」


握られたままの手を引かれて歩き出す。自然と動く足元を見ながら、この手が離れるタイミングはいつだろうかと考えた。補助監督が待つ黒塗りのセダンが見えた時だろうか。


「七海。手が、」
「このままで」


私の予想に反して、視界に車が入ってきても、運転席で待つ補助監督が七海に手を引かれて歩く私を見て驚いたように目を丸くしても、彼の手は離れることはなかった。むしろそのまま後部座席に乗り込むものだから補助監督よりも私の方が驚いてしまう。


「ご苦労様です」
「え、あ、はい!お疲れ様です!…七海術師、他に寄るところはありますか?」
「当初の予定通り、この方を回収したので他は特にありません。レイは」
「私も特に…そのまま真っ直ぐ高専で」
「承知しました」


急に舞い込んできた任務。自分で車を出して赴くつもりだった私に、一時間程度の距離にいるから帰りは乗り合わせようと提案したのは七海だった。貴女疲れすぎて居眠り運転するでしょうと図星を突かれて、行きは電車とタクシーで大人しくやって来たのだった。
車が発進して暫く、心地の良い揺れにうとうとしてきたのが自分でも分かる。七海の言葉に甘えて正解だったようだ。


「疲れましたか」
「うん」
「眠っていて良いですよ」


全て聞き終える前に睡魔に取り込まれてしまう。優しい手つきで手の甲が撫でられて、付き合っていたあの頃よりも今の方が恋人らしいのではないかと思った。


『一般人と術師の生活リズムが合うわけないよ。すれ違って気持ちが冷めるのがオチ。そうだ。この際だから別れよう』


卒業後の進路を一般企業への就職に決めた彼に、別れを告げたのは私だった。「卒業したら結婚を前提に一緒に住みませんか」と至極まじめに話す彼に対してなんと酷い返答だっただろうと思う。けど後悔はしていない。
呪術師を続けていれば死がずっと付き纏うし長生きなんて遠い夢のような話だ。私も七海もクラスメイトの灰原の死で思い知った。彼は充分なくらい苦しんだのだ。例えば私が死んだ時、彼がまた同じ思いをするのだけは許せなかった。さっさと呪いも私もここでの日々も忘れてしまえると良い。

なのに彼は当たり前のように此処に帰ってきた。仕事を辞めて呪いとの終わらない戦いの日々に戻ってきたのだ。七海から電話を貰ったらしい五条さんに文句をつければ「七海いい大人になったと思うよ。ありゃ補助監も他の術師もイチコロだね。寄り戻すなら早い内が良いと思うけど」なんてお門違いな言葉が返ってきたのだった。そのあと、五条家が高専に保管する呪具を一つ気晴らしに壊してやったのは良い思い出である。もちろん夜蛾学長にこっ酷く怒られた。


「レイ、着きましたよ」
「ん…もう少し」
「起きてください。田中くんが困ってます」
「田中くん?…ん、…補助監の…」
「そうです。彼も次のスケジュールがあるんですから。困らせないでください」
「…はーい」


あくび混じりに返事をするが疲れ切った身体は思うように動かない。それを知ってか知らずか、ずっと握られたままの手を強めに引かれて支える間もなく身体が傾いた。七海から無理やり借りたジャケットが今度こそ肩からズレ落ちる。


「まだちょっと服が濡れてるよ」
「構いません。早く着替えた方が良いでしょう」


七海の広い胸が目に入る。膝裏に差し込まれた逞しい腕に、重くないかなんて聞くのは野暮だと思いされるがまま黙って身体を預けた。この際だからもう少し眠っていても怒られやしないだろう。両手の塞がった彼の代わりに後部座席のドアを閉めた補助監督の「お疲れ様です」という言葉が真っ暗な視界のなかで聞こえた。









── 七海建人という男は、こんな風に甘い雰囲気を纏える男だっただろうか。

「な、なみ、」
「レイはもう少し警戒心を持つべきですね」


彼の唇が首筋に沿って落とされる。リップ音のない静かな行為にふるりと肩が震えた。ほんの微かな反応だがこの男が見逃す筈もなく。


「怖いですか?」
「怖くはないけど…っ…、どうしたの、急に、」


怖くはない。むしろ唇を落とされる度に快感さえ覚え始める始末だ。恋人だった頃を思い出し、恥ずかしさも相まってキュッと目を瞑る。


「レイ」
「っ、あ…」


いまこの世界で七海が無遠慮に呼び捨て出来る相手は、私だけだ。かつて居たもう一人……灰原が居なくなった翌日、彼の部屋で家族に返す遺品を整理しながら私と七海は初めてのキスをした。それまでずっと流れていた涙で唇は濡れていたのに、初めてのキスは不思議と味がしなかった。「遺品整理なんて嫌な仕事をさせるよね。このまま全部返しちゃえばいいのに」「無理でしょう。万が一灰原の遺品が呪物になれば祓うのはきっと私達です」「……嫌だなあ」「だからきちんと整理しないと」「うん」七海から告白され私がそれに答えたあと、一番に報告して誰よりも喜んでくれたのは灰原だった。「私と七海も灰原の遺品みたいなものだね」……整理するのに、これだけは数年掛かった。本当は今もまだ胸の内で燻っていてどうしようもない


湿ったブラウスは仮眠室のベットを汚さないように床に脱ぎ払われて、あまり用のない個人ロッカーに置いていた予備がサイドテーブルに置かれているが、テーブルごと遠くに追いやられて届かない。
まさしく上半身は下着姿で、足元に放られた七海のジャケットに手を伸ばそうにもその手で阻まれてしまう。代わりに薄手の毛布を引っ張って身体を隠した。


「…私と七海ってずっと前に別れたよね」
「はい。貴女に振られました」
「……じゃあこの状況ってまずいんじゃないかな」
「そうですか?」
「そうだよ」


ベットに腰掛ける彼が、私の髪を指で掬っては落とす。擽ったいけど、首にキスされるよりは幾分もまともな仕草だろうと文句を言い掛けた口を閉ざした。
日頃使わないロッカーの前で、忘れかけていたロックの解除ナンバーを記憶を辿りながら思い出す私の耳元で「私が着替えを手伝います」なんて爆弾発言をしたのは彼だった。思い出せないから家に帰って着替えると言いたいところだが、あいにく今日の任務はまだ控えていて一旦家に帰る時間もない。どうにかロックを解除して予備を引っ張り出したと同時にすぐ横の仮眠室に押し込まれた。


「付き合ってもない男女が同じ仮眠室にいるとこ、誰かに見られたらどうするの」
「私は別に構いませんが」
「………」
「それより着ないんですか」
「自分で」
「駄目です」
「…今日の七海どうしたの。やけに積極的だよね…?」


七海のスキンシップはこれが初めてのことではない。周囲の人間より距離が近いのは薄々気付いていたし、顔に掛かった髪を耳に掛け直してくれたり、時には今日みたいに手を握ってくることもあった。この距離感が当たり前じゃないことは知っていたけれど、この優しい同期が遠慮なく触れてくる瞬間は嫌じゃなくて、拒むことはしなかった。


「下着なんだけど」
「知ってます」
「私にも恥じらいってものが」


私と七海がかつて付き合っていて卒業と同時に別れたことは周知の事実だった。別れを切り出した私の言葉さえほぼ正確に広まっているくらいだから、狭いコミュニティでは恋愛沙汰は良いネタになる。きっと先刻の任務の帰りに七海が私の手をずっと握っていたことも、高専に到着して仮眠室まで来るのに所謂お姫様抱っこをされていたことも明日になれば最低でも補助監督全員の耳に届いているのだろう。

悪い気はしない。それが素直な気持ちだった。


「今更恥ずかしいと?裸だって何度も見ましたよ」
「それは昔の話でしょ。何年経つと思ってるの」
「そうですね。絶対に忘れない自信はありましたが…何度も思い出してそろそろ記憶も擦り切れそうです」
「……え、?」


話し終わると同時に毛布ごと七海が抱き締めてくる。きっといつか来るとは分かっていたのに、自分から手離したせいで頭のなかで何度もその時が来るのを否定していた言葉。低くて優しい七海の声が、耳元でそれを紡ぐ。


「好きです」
「なな、み」
「レイ、愛しています」


好きだとか愛してるだとか、呪術師を何年もしていればその言葉の重みが理解できる。それは、まさしく呪いだ。

この世界にいれば人生を謳歌するなんてことは不可能に等しい。死が常に付き纏い、誰かの呪いが他の誰かを殺す様から目を逸らすことすら許されない。苦しくて辛くて逃げ場のない世界だ。
彼が術師を辞める時、私は彼にとっての呪いになりたくなかった。私達が居たこの不条理な世界を忘れてほしかった。だから有無を言わさず別れたというのに、彼はまた此処に戻ってきて、あろうことか「愛してる」なんて私に言う。


「ずっと好きでした。別れてからも。知っていたでしょう」
「う ん、」


ただ七海の言葉を聞いただけなのに何故だか頬には涙が伝い、一度身体を離した七海がそれを眺める。ほんの僅かな時間だというのに恥ずかしさのあまり目を逸らせば、薄い唇が涙に重なるように頬に落とされた。震える肩が七海の暖かい手に引き寄せられて、気付けば再び彼の腕の中に収まる。


「レイ」
「………私も好きだよ、七海」


好きだとか愛してるだとか、この世で唯一私が呪いを紡いだ彼の腕の中。


世界は少しだけ穏やかだった。










このあと集合場所に来ない夢主を探しに仮眠室までやって来た補助監督に、慌てて予備のブラウスを着る姿とベッドに腰掛けてそれを見守る七海を目撃されて「ついに寄りを戻したか!?」と噂されるし、それを聞きつけた硝子さんと五条さんが祝いという名の飲み会を開きます(酒を浴びる口実が欲しい先輩と、皆でわいわい騒ぐ口実が欲しい&後輩をいじりたい先輩)死んだ顔をする七海を見て、胃がキリキリし始める伊地知くんもいると思います(夢主は出張)


「急展開だったな」
「そう?僕的にはゆっくり過ぎたと思うんだけど」
「それもそうか。服脱がせておいて告っただけで終わりだもんな。奥手だとは言えるね」
「え!?なにそれ硝子!僕聞いてない!」
「……五条さん少し黙ってください。家入さんも」
「色恋を肴に飲む酒は美味いな」
「七海、先輩に包み隠さず全部教えろ。な?」
「チッ」
「ああもう五条さん落ち着いて…(い、胃が爆発しそう)」


title 草臥れた愛で良ければ


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