5.戯れの日々

 魔法使いの住処として連れて来られたのは、無人島のような島だった。
 地理的にどこなのかは訊かなかったが、瞬間移動するのならどこでも変わらない。
 木々どころか雑草一つ生えていない代わりに形の整った白い岩が乱立していて、遺跡を思わせる。
 岩を敷いて作られた泉は、透明で恐ろしいほど澄んでいて底がはっきり見えた。

 なんて殺風景な魔王の根城だろう。
 魔法使いは私を腕に抱いたまま、一軒家へと歩んでいく。

「ここだよ」

 家の中は極めて物が少なかった。
 間取りや天井の作りには見覚えがあったが、テーブルなどの家具も見当たらなかった。
 彼は息を吸うのと同じ自然さで私の心の声に応える。

「前のは全部処分してしまったからね。ええと、まず何がいるかな。ベッドとソファと毛布と……」

 魔法使いが呟くたびに、家具が出現する。つくづくデタラメな力だ。
 こんなふうになんでも取り出せてしまうなら、たとえば料理に必要な道具がないのも納得できる。

「マリーは何か欲しいものある? ベッドとかも、とりあえず作ってみたけれど、他のがよかったらそれにするよ。もっと大きい家がいいなら作り直すし」
 "とりあえず、いい。思いついたら言うから"

 私の名前は「茉莉」だが、今更それを呼ばれるのも嫌なのでマリーのままにした。慣れもある。

「そう。他にも、何かあったら言ってね」
 "家の外を見てきてもいい?"
「もちろんだよ!」

 自分で選んだことといえ、ふたりきりの空間は居づらくて申し出た。
 ついてくると言い出さなかったことに安心して、家を出た。
 扉には取っ手がなく、"光"で押せば軽く開いた。さすが魔法使いの屋敷というべきか。

 最初の印象通り、島には土の部分でも雑草一つ生えていなかった。
 元々乾いていたのではないようで、枯れ草が腐らずに積もっている奇妙な光景だった。ちょっとしたホラーだ。
 魔法使いの趣味なのかなんなのかわからない。理由を聞けばよかった。

 遺跡風の岩をいくつか避けて進むと、囲まれ守られるような空間があり、小さな墓石のようなものがずらりと並んでいた。
 墓石には『愛しのマリー、ここに眠る』とある。
 それがなぜ、こんなにたくさんあるの!?

 "魔法使い、魔法使い!"

 大声で呼ぶ。
 喉から出る音はニャアニャアだが、彼になら聞こえると思った。

「どうしたの、マリー」
 "なんでこんなにたくさんお墓があるの"
「ここは今までのマリーのお墓で……」

 私は二代目どころじゃなかったらしい。
 使い捨てのような言葉はどうかと思うが、彼に真っ当な倫理意識はもう求めていない。
 そんなことより。

 "私、300年間見た目が変わってないのよ。今までのマリーだってあなたが不老不死にしたんじゃないの!? それがどうしてこんなにバタバタ死ぬのよ!?"

 得体の知れないことが恐怖で、質問した。
 魔法使いが私の常識の範疇を凌駕しているなんてわかりきったことだけれど、問わずにはいられなかった。

「あぁそれか。いくらマリーでも、ぼくの傍にいればいつか死ぬよ。ぼくは周囲から生気を吸い取ってしまうから」
 "なに、それは"
「ぼくにもわからないよ。生まれたときからそういう体質なんだ」

 ぞっとした。自分の未来に対する不安ではなくて、他人の寿命を吸い続けたこの男がなによりも恐ろしく感じられた。

 "……生気って何?"
「生気っていうのは動物や植物が生きるのに必要なもので……マリーにも分けてあげたから、見えるだろう?」

 魔法使いは両手を広げ、その中に光の繭を、きらきらを漂わせた。
 "これ?"
「そうだよ。生気は余計にあれば魔法のような不思議な力を使うこともできるから、魔力と言ってもいい」

 "納得できない。あんたが普通の寿命の私に生気を分けて不老不死にしたんだから、同じことをすればいつまでも死なないんじゃないの?"
「生気を与えることはできるよ。でも無意識に吸い取ってもしまう。触れるたびに与えるけれど、ひび入ったコップに水を満たすようなものだ。無理に与えすぎても割れてしまったことがあって、それ以来用心してる。
マリーは修行してたくれたら生気を蓄えやすい器ができている。気をつけていれば、長く生きてくれるかもしれない」

 なにそれ と、私は何度目かわからない呟きをした。
 島に植物がなかったのはそのせいか。
 朽ち果てはするが、菌が働かないから腐ることもないのだ。

 300年も生きたので、これ以上長らえたいとは言いづらいが、人は誰でも拳銃をつきつけられれば怖じ気づく。
 あの300年間は溢れる生気に慣れるためであり、いろんなことを諦めさせるためであり、寿命を奪う分長く生きさせるためでもあり、猫の姿と能力の両方に慣れるうためのものだった らしい。
 感情を排除すれば、たしかに合理的と言えなくもない。
 彼はきっと「マリーの生まれ変わり」が何者でもよかったんだ。
 男でも女でも犬でも蛙でも、彼はこの姿にしたんだろう。

 だって一体彼がどれくらい生きているのかなんて、訊くのも恐ろしかった。
 私は300年で途轍もなく寂しかったけれど、この人のそれは遥かに凌駕する。きっと"たった300年"と言えてしまうほどのものなんだ。

 人の寿命を縮めてしまうのなら、誰かの傍に長くいることもできない。それをすれば疎まれる。
 穏やかであるはずのない生だ。
 この島でマリーと暮らすようになるまで、どれほどの絶望を味わったのだろう。
 初代マリーはきっと彼にとって奇跡のような存在だったのだ。
 その愛の続け方は歪んでいるとしかいいようがないけど、歪まずにいられない生だったとも思える。
 憎いはずの相手を、憐れんでしまった。敗北だ。
 不老不死を与えておきながらそれを剥奪し、たやすく死にいたらしめる恐ろしい存在だというのに。

 あんなに万能なんだから、世界でも救えばいいのに。だめかな。彼は英雄になれない。
 なんて不自由な人だろう。
 なんでも手にすることができながら何も持たない彼の、唯一の所有物がマリーだったのだ。
 それを我が儘と弾ずることは私にはできなかった。

 そんな人生……人生と呼べるものだったかさえもわからない。会話できていることが奇跡にも思えた。そんな人生で、まともな人格が形成できるわけがない。
 他人と自分が対等だと、どうして彼に思えよう? 他人と、どこも一緒ではないのに。
 自分の痛みを知ることは他人の痛みがわかることではない。自分の痛みが基準になって、相手との違いに気づけないからだ。
 魔法使いには嫌われることを恐れているが、嫌われない振る舞いをするという発想さえない。

 "ねえ魔法使い、私を人間の姿にしてよ。逃げないから、ちゃんとここで暮らすから"
「だめだよ。どうしてそんなこと言うの」
 "どうしても?"
「どうしても!」

 人間の姿で健全な交流を図りたいと思っただけなんだけど、そんなに拒否されたら引き下がるしかない。
 彼が望むのは猫のマリーであって見知らぬ20代の女ではない と言われればそれまでだ。

「人間は嫌いだ」
 "でもあんたは人間の形をしてるじゃないの"

 魔法使いは私を猫にしたくらいだから、自分も変身できるはずだ。

「……これくらいの背丈と自由な手の指は便利だから」 "わかってるじゃない。私だって不便なの。あんたって自分勝手ね。そんなの知ってたけど"
「ごめんね」

 魔法使いは私に対しては素直で、できるかぎり尊重しようとしてくるから、あまり強く出ると妙な罪悪感が生まれてしまい、調子が狂う。
 怨まれるようなことをしたんだよ!っていうのがイマイチわかってないのだ。
 純粋に自己中心的な発想をしている。
 不幸な過去ってどうしようもないことで、何もかも現実だから困ってしまう。
 安易に"いいよ"とも言えず、ツンデレみたいなことを言って家に戻った。


 その生活は、一言で表せば何不自由なかった。
 必要な物は魔法使いが取り寄してくれる。
 読んでいた本の続きも、愛読していた雑誌も、お洒落な家具も小物も、一流の料理も。およそなんでも手に入る。
 カタログを見ながら、家具も雑貨も私好みに揃えた。
 それだけでは退屈で、すれ違うくらいならほとんど影響がないというので、買い物しよう と 街を連れ回ったこともある。
 魔法使いは私の願いを叶えるのが好きだった。
「どこか行きたいところない? 欲しいものは? 食べたいものは?」と訊いてくる。
 彼自身の自発的な望みはきっと既に叶え尽くしているのだろう。

 花を飾ることもできない殺風景さをどうにかしたくて、絵画を飾らせてみたり、音楽を流させてみたりした。
 私も芸術に熱心だったわけじゃないけど、彼の心に彩りを与えたかった。
 リクエストするのは歌詞のないクラシックやイントゥルメンスが多かった。
 漫画・小説・映画のほうが私には得意分野なんだけど、魔法使いは人間嫌いだし、人と人の絆というものに共感出来ないらしい。

 世界中を旅してみたら、いろんな伝承や伝説が彼のせいだなんて言い始めた。
 吸血鬼、幽霊、悪魔、死神……。たしかにねぇ。
 歴史の外で誰にも知られず、彼はたしかに存在していた。

 魔法使いはすごいねと一言褒めれば子供のように喜んだ。
「すごい? すごい? もっとやる? マリーもできるようにしてあげようか? これもできるよ! みてみて!」くらいのテンションで。すごいことには本当にすごいのだが、お世辞も謙遜も知らない、まるで子供だ。

 彼は強力な魔法を使って、不老不死である以外は一見普通の人間と変わらなかった。特別頑丈なわけでも、賢いわけでもない。
 どんな怪我でもいつかは治るが、時間がかかるし痛みもあるらしい。
 きっと痛みを除外することもできるんだろうけれど、進んで人外ぶることもない。

「ぼくはそんなに賢くないから、仕組みはわからない」と魔法使いは言う。
 魔法使いは賢者ともいうくらいだし賢いという偏見があったけど、それは知識が力に結びついた場合だった。
 彼の場合はまず力があり、次に時間があったから魔法を研究というかいろいろ試した。
 やったらできたってだけで魔法使いにも理屈はわからないらしい。
 やり方がわからないとかいろいろあり、なんでもできそうだが万能ではない。

 無限に時間があればなんでもできるような気がしていたけれど、そうではないらしい。
 普通の人間だって、10年のことさえ忘れがちだし、1年も触れない知識は衰えるものだ。反復して繰り返すわけでもない。

 "全部壊しちゃおうとか思わなかった?"
「この星を壊したこともあるよ。でも宇宙は息苦しいから元に戻した」

 冗談めかしているが、彼には冗談を言う機能が備わっていない。
 星を壊しても、宇宙空間で絶えることもできない。
 彼の中に眠る狂気がどれほどのものなのか、想像もできない。

 どこに行っても、賑やかな場所でも、まるで世界でふたりきりに感じた。
 それほど私たちは異質で彼の存在は強烈で浮いていたけれど、不幸ではなかった。
 喧嘩することもあったが、魔法使いは憤っても決して私の心を操作したりはしなかった。
 きっと無理やり従わせること・屈服させる手段はいくらでもあるのだろうけど、どんなに怒っても体を押さえつけることなど虐待になることはせず、使うのは移転魔法のみだ。力加減を間違えそうで怖いらしい、不器用な奴だ。
 逆に私が噛み付くくらいじゃ怒らずに受け止めたのは、苦痛に慣れてるからだと気付いた。

 ほだされてはだめだ、まるでダメンズウォーカーなんかになってなるものか思うのに、見事術中にはまったことになる。
 同居人とは仲良くやったほうが楽だし、心を許したほうが安らぐ。
 意地を張るのは疲れるから、観念した。

 私は長らく彼を「魔法使い」と呼んでいだ。
 わざわざ名前を聞いて呼ぶのはまるで親しい証みたいで癪だと頑なだったし、ふたりきりの空間で名前はさして必要じゃなかった。
 けれど彼がいつも私を"マリー"とあまりにもいとおしそうに名を呼ぶから、名前で呼んでやったら喜ぶんじゃないかと思った。
 今更ながら魔法使いに名前を訊くと、彼は笑った。
 声を上げて笑うようになったのが、なんとも嬉しかった。

「マリーが好きなように呼べばいいよ。最初の名前は忘れてしまったし、マリーに呼ばれるならなんでも嬉しい」
 "今までのマリーはなんて呼んでたの?"
「それは内緒だよ」

 秘密にされたことはむっとしたが、聞けば影響されてしまうだろうし、そういえばこれは私が初めて彼に贈るモノかもしれないと思った。
 あまり真剣に考えているふうを見せるのも癪だったが、ひとまずその日中は考えていた。

 "決めた。あなたはこれからオズだよ"
「気に入ったよ!」

 安易かもしれないけど、魔法使いといえばオズだと思うの。
 センスはともかく、オズがそれはそれは嬉しそうな顔をしたので、それでいいことにする。


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