輪廻の女王(A1)


とある放課後、並盛中学の正門前に一台の黒塗りの高級車が停まった。
帰宅途中の生徒がぎょっと視線を寄せる。
するとスーツの男性が車から降りて後部座席のドアを開け、ひとりの少女が降りた。

年はようやく二つというところだろうか。少女というよりも幼児だ。
長い黒髪に赤いリボンを結わえ、ふりふりの真っ赤なワンピースに、
同じく真っ赤な靴を履き、なにかの発表会やパーティにでも行くようないでたちである。
人形のように長い睫毛が印象的な美少女で、大きな瞳と雪のように白い肌とぷっくらとした唇は、
遠目からでも、滅多にお目にかかれないほどの将来有望さが見てとれた。

少女は、恭しく礼をする男に一言二言告げると、
車内に手を振って、ひとりで校内にむかって歩き出してしまった。
年不相応なゆっくりと品のある歩き方だった。
狼狽えたのは傍観者である。ここは中学校だ。
こんな小さな女の子を野放しにするなんて、保護者はどういうつもりだ!?
今日は授業参観や運動会といった行事などはない、まったくの平日だ。
手ぶらなところを見ると知り合いへの届け物というわけでもなさそうだ。

では、なぜ?
声を掛けようかどうか悩むが、
少女の足取りがあまりにもまっすぐで迷いがないためにそのタイミングを逃す。
思わず後を付いていってしまう者も多数いた。
道か何かに迷っていたらすぐに声を掛けよう! と心配する気持ちと、
事の成り行きを見守りたいという好奇心とが半々である。

それにしても、この少女の近寄りがい雰囲気はなんだろう。
容貌は可愛らしいが、何気ない歩き方ひとつ取っても凛としていて、完璧な礼儀作法を感じさせる。
服装を見れば、蝶よ花よと育てられた いいところのお嬢さんだということはわかる。
視線は前を見据え、自分より遥かに大きい中学生を臆さずにその瞳に映す。
そのせいで、すれ違う生徒たちのほうがその覇気にのまれてしまって、
少女の存在に驚いても、声を掛けるにいたらない。遠巻きにざわめくだけである。



ついに校舎に差し掛かったとき、少女を見つけ、声を上げたのは笹川京子だった。

「可愛い! ねえ、あなたどこの子?」

しゃがみこんで少女に視線を合わせた。
気にせず、にこにこと無邪気な笑顔をむけられるのは、
京子が最近よく小さな子供と遊んでいるからであり、
その子供たちを校内で姿を見かけたこともあるからだった。
少女はそんな京子を濡れ羽色の瞳でじっと見定めるように見つめてから、
しばらくして、にっこりと唇で弧を描いた。気に入ったらしい。
そして麻酔のように甘い声で言った。

「ひばり きょうや の いばしょ を しらない かしら」

年相応に舌足らずなようだが、はっきりと区切って話されるためによく響いた。
恐怖の風紀委員長の名前が出て、さすがの京子も困った。

「ひ、ヒバリさんの妹さん?」
「そんなところよ」
「えーっと、応接室、かなぁ……」
「ありがとう、かわいい おねえさん」

そして少女はまた歩き出した。
引きとめようにも、掛ける言葉が浮かばなかった。



廊下を歩んでいると、体格がよくて学ランの男子生徒に見つかって声を掛けられた。風紀委員である。
近寄ってくる大男に、少女は泣き出してもおかしくなかった。
だがそれどころか少女は懐かしむように目を細めて、微笑んだ。

「こんにちは」
「なんでこんな子供が……」
「わたしは ひばり きょうやに あいにきたのよ」
「委員長に?」
「そうよ わたしの あゆみを さまたげることは きょうや の ふきょうを かうと かんがえなさい 」

幼い少女から発せられるのはあまりに高圧的な言葉だった。
意味をわからずに使っていると思えない瞳の煌き。

「委員長の妹、か?」
「そんなところよ さあ、わたしを きょうや の もとへ あんないしなさい」



少女は応接室の手前で、待たされた。
風紀委員の男が雲雀恭弥に事情を説明しているらしい。
知らない、という断言の後に、面白いから通して、と聞こえた。
しばらくすると男が出てきて、少女に中に入るように言った。
少女は、開けられたドアの中へ一歩足を踏み入れる。
そして、『彼』を見た。

「やあ、君が不法侵入の幼児かい?」

逆光を浴びて、彼は眩かった。少女は思う。
目映ささえ感じたのは、溢れそうな感情も起因しているに違いない。
少女は鈴のような声で彼の名を呼んだ。

「きょうや」

雲雀恭弥は少女を見下ろした。

「なんで僕の名前を」
「きょうや わたしよ」「僕に妹はいないし、君に名前を呼ばれる筋合いはない」
「わたしを わすれたとはいわせないわ きょうや」

少女は、自分から身分を明かさずに、ただ名前を呼び続けた。
ひたすら思い出されるのを待つ懇願のようでありながら、
忘れたとは言わせないと高らかに言ってのける様は気高く、
その覇気に、今は亡き面影を見て、刹那、雲雀恭弥は稲妻が走ったように血相を変えた。

「真珠?」

名前らしきものを呼ばれて、少女は顔を綻ばせた。
その笑みは一輪の花が咲いたようだった。
嬉しそうに頷く少女に、雲雀恭弥は首を振った。

「馬鹿な」
「しんじつよ」

問答するように二人は視線を交錯させ、静寂が下りた。
雲雀恭弥は舌打ちをすると、入り口の付近に立っていた風紀委員を応接室から追い出し、ドアに内側から鍵を掛けた。



「雲雀真珠は四年前に死んだ」
「ええ」
「僕の腹違いの姉だ」
「やっとあえたわね きょうや」



雲雀恭弥は少女に歩み寄った。

「そんなわけ、ない」
「でも、わたし いがいに ありえないともわかってる」

勢いよくトンファーが振り下ろされ、少女を襲う。
少女は後退って紙一重でそれを避けた。そのせいで背中は壁にぶつかる。

「あてるつもり だったわね。せめて すんどめにしなさい。
ようじに そんなもの あたったら ひとたまりも ないわよ」
「真珠なら捌く」
「きたえている とは いえ この みじかい てあしで なにができると おもうの」
「残念ながら、強い赤ん坊を知ってる」

すると少女は驚いたように目を丸めた。

「あなた、あるこばれーの に あったことがあるの?」
「アルコバレーノ?」
「ななにんの つよい あかんぼうよ。きょうや あなた しっているんじゃないの?」
「興味ないな。僕は彼を咬み殺せればいい」
「……むかしから かわってないのね」

懐かしむように言われて、恭弥は居心地が悪くなる。
その言葉は、紛れなく姉のもののように思えてならなかった。
美しく気高く強かった、真珠。それ以外に目の前の少女を説明できない。

「君こそ、なんで赤ん坊を知っているわけ?」
「あら、なまえで よんでくれないのかしら。おねえさまでもいいわよ」
「――なんで真珠がここにいるの」
「りんねてんしょう ということばをしってる?」

『輪廻転生』――その言葉を聞いて、雲雀は脳裏に忌々しい男の姿を浮かべ、顔を顰めた。

「しっているようね。
ねえさんは りんねをこえて うまれかわってきたのよ。
きょうや。あなたに もういちど あうために ね」


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