「それで、帰ってきちゃったの?」
シャルは目を瞬かせてから、「あーあ、馬鹿じゃないの」と嘆いた。
身も蓋もない言い草に、クロロは居心地悪く感じた。
「帰れと言われたんだ、しかたないだろう」
「だからって帰ってきてどうするのさ。せめて『愛してる』くらい言わないと。
急にキスされて取り残された真珠の気持ちにもなってみなよ。次にどんな顔で会いにいくつもり?」
「せっかく何年も我慢してたのにねー。まあ、限界だったってことじゃない?」
思い起こせば、同じリビングで無防備な表情をいくらでも見てきた。
その距離に優越感さえ抱いていた。
どこで人を殺しても、何を盗んでも、真珠の前では関係がない。
いつからだ。彼女を所有したいと思うようになったのは。
感動物の恋愛小説を薦めてくるなんて煽っているとしか思えなかった。
読み終わる頃、自分からクロロの隣に座った。
名前を呼べば、その瞳がクロロを映す。首を傾げる。
真珠はいつでも冷静で、他人に心の内を曝すことを嫌う気高さを持っていた。
クロロが所有するマンションに住み、クロロが選んだ衣服を纏い、
クロロが連れていったレストランで食事をして、衣食住のすべてを支配されることに甘んじても、
けっして他人に明け渡さない部分があり、自分自身を他人に所有させなかった。
一方で、読書に執着して、本については興味を示し、熱っぽく語る。
真剣に入り込み、感じ入る。彼女の内側に触れるには本を介することだった。
彼女は本さえあれば幸せそうにしていた。
そして、クロロはそれをいくらでも提供できた。
その距離はいつでも、いくらでも縮められると思っていた。
愛しさがこみ上げて、思わず口付けたクロロを、真珠は突き放して、
震える唇で『最悪』だと繰り返し、平手でクロロの頬を打って、瞳に涙を滲ませた。
彼女にそのときできた最大限の拒絶だと思われた。
正直、あそこまで嫌がられるとは思ってなかった。
むしろ心のどこかで、真珠もクロロに気があると信じていたのだ。
たった一人の女の涙に、まさか自分があんなにも動揺するとは思わなかった。
「クロロってもっと女に余裕持ってるのかと思ってた」
「俺もそう思ってたさ」
「あははは」
「シャル……お前、楽しそうだな」
クロロが睨んでも、シャルは笑いを隠そうともしない。
「そりゃ楽しいよ。団長がこんなに弱ってる姿なんて滅多に見られないもん」
「俺の相談に乗ってるんじゃないのか」
「乗ってるじゃん」
シャルは、ジュースを飲みながら飄々とのたまった。
自分から話を聞きたがってきたくせに。
「もともと一目惚れみたいなもんだったんでしょ」
否定しようと口を開きかけて、そうだったのかもしれないと思いなおす。
もしくは、それに限りなく近かったのかもしれない、と思った。
最初はいつも宝石や絵画に抱くのと同じ、単なる興味だったと思い込んでいたけれど。
「そもそもどこから拾ってきたのさ」
「どこだっていいだろう」
「国際人民データ機構にも登録されてない。だからって流星街の出身でさえない。
いくら調べたって存在の証明がどこにもないなんておかしいよ。違う?」
いつのまに調べたのか。
真珠の前でもクロロの前でも何気ない顔をしているくせに、食えない奴だ、とクロロは思う。
「それに気づいてるかどうか知らないけどさ、
真珠って初対面の頃から外見……髪の長さとか全く変わらないよね?
能力者でもないのに、不自然だと思うんだけど」
まさか異世界の人間だ、と言えるわけもない。
「まあ、これはどうでもよかったんだけど、さ。
――あんまりぐずぐずしてると、俺が貰うよ?」
明確にフラれていることは内緒だ。
黙り込んだクロロに、声を上げて笑ったけれども。