01.つまらない一生だったわ


今日は、旧家である我が一族が一堂に会する。
宗主の娘であるわたしは、殊に得意とする舞を披露することになっている。
その段取りが近づいているので、煌びやかな衣装を身に纏った。
着物はこの日のために京都で作らせた一級品。
映える化粧をし、腰まである長い黒髪は金銀飾りのついた簪で丁寧に結い上げられた。
帯や細かな装飾品もひとつひとつが値の張る名品である。
頭の上からつま先まで総じて数千万円にもなるだろう。
それに見合う価値が認められているのだと思いたい。
この家に生まれ、節目を迎えるわたしに婚儀が迫っている証でもある。

しかし、晴れの舞台の直前だというのに、わたしがいるのは埃っぽい暗闇の中であった。
閉ざされたドアの向こうではくすくすと鈴を転がすような笑い声が響いていたが、
わたしがけっして泣き喚かないことを知ると、やがて立ち去った。
そして残酷な静寂が空間を支配する。

なぜこんなことになったのかといえば、わたしが嫌われているせいである。
宗主の娘といっても、わたしの母は妾だ。
亡き母は美しく才能に溢れても、家柄には恵まれない人だった。
にも拘わらず、わたしは正妻の子と同列、もしくはそれ以上の扱いを受けている。
才覚と努力の賜物だといえども、それを面白く思われないこともある。

幼いころから嫌というほど嫌がらせを受けてきた。
厭味と爬虫類には慣れてしまうほどに。
そうやって甘んじていたのがいけなかったのだろうか。
断るにしても、相手も口が巧みだから逃げ道は塞がれてしまう。
騒ぎ立てて自分の立場を悪くしたくなかっただけなのに。
無害と思わせ、穏便にすますに越したことはないと思ったのだ。

しかも、わたしはもうすぐ家の決めた相手と婚姻する身。
ちなみに相手方は家柄、容姿、品位、すべて申し分ない男性だ。
難を云えば少しばかり年が離れすぎていることと、
まだ数えるほど顔を合わせたことしかないということだが、そんなものだ。

彼女たちも良家の令嬢、自分の手を痛ませるような暴力にはめったに及ばない。
もっと周到で卑劣だ。
わかっているから、控え室から出るのは気が引けたが、わたしはもうすぐ嫁ぐ身。
こうして一族が集まる機会というのはそうあるものではない。
あともう少しの辛抱だからと、呼び出しにも応じたのだ。
舞台を控えているのだから、長くとも数十分で解放されると思っていた。
せめて二時間以内には、と。その期待は最悪な形で外れた。
彼女たちにとっては、わたしに最後の嫌がらせをする貴重な機会だったのだ。

ここは母屋の奥も奥、隠し階段をおりた地下。
正式には『時空の間』という名称が付いているが、長く『開かずの間』と呼ばれる部屋である。
倉庫というか物置になっており、歴史的芸術的学術的になんらかの価値がある品々が数多く転がっている。
しかし、窓さえもない。
地下なので灯りを持ち込まなくては一筋の光もなく、そもそもが換気の悪い。
よほどの物好きか興味がなければ立ち入らない場所だ。
そこに、閉じ込められた。

彼女らはいつのまに鍵を持ち出したのだろうか。
そして、もう元の場所に返してしまっただろうか。そのことに誰か気づくだろうか。
叫んでも人のいる場所までは届かないだろう。
いずれ誰かが探しにくるだろうから、それまで喉は大切にしたほうがいい。
それに、せっかくの晴れ着で泣き喚いて品位を損なうのは、
己の身一つでこの家に生きるわたしの価値を下げるということだ。

一寸先も見えない暗闇は得体が知れず、自分を失いそうだが、心静かに保つよう努める。
捜索がここにまで及ぶのはいつのことになるだろう。
水さえもないから、きっと三日もすれば渇きで死んでしまう。
喉が渇いて体力を失えば、助けを求める声を出せなくなるかもしれない。
まさかこの衣装が死に装束がになることがあるなんて。

思考をめぐらせるほど状況の悪さを知って意気を失う。
そうして、どれくらいの時間が経っただろうか。
そろそろ表では騒ぎになっているだろうか。責任を追及されるのは誰だろう?
せっかくまとまった婚姻が崩れて――いや、死んでしまっては元も子もない。

暗闇は退屈だ。退屈は人を殺す。孤独は不安だ。不安は己を失わせる。
灯りさえあれば少しは面白く、少しは暇を潰せる部屋だというのに、気分が暗くなる。
真綿で首を絞められているようなものだった。息が苦しい。
あまりにも退屈だから、恐怖も超えて、立ち上がって壁伝いに歩いてみる。
床に転がっているものを拾ってみることも考えたが、何が落ちているかさすがに不気味でやめた。
部屋を一周して広さをたしかめれば、果てなく見えるこの空間を認識の中に収められると思ったのだ。

そして、どこかに隠し扉が見つかったりするような奇跡が起これば、大変助かる。
この屋敷は古くて忍者屋敷風で、そういう仕掛けがいくつかあるのだ。
滅多にないのだけど、もう望みを託せる可能性はそれくらいだ。

そういえば、『時空の間』にまつわる言い伝えを聞いた記憶がある。
誰も信じていないが、不思議と幼かったわたしの耳にまで伝わった。
曰く、“清らかに祈るとき汝の望む時空が開けん”とかなんとか。

――祈ってこの世界から救われるなら、誰も苦労はしない。

毒づいたそのとき、触れた壁が反転することに気づいた。
どうやら龕灯返になっているようだ。
奇跡が起こった。ほんとうにこの部屋にも隠し扉があったんだわ、と思ったが、
その扉の向こうも光の差さない真っ暗闇だったので身が竦んだ。
手探りで暗闇を探って歩かなくはいけないってことだ。
どうしよう。この先がどこかに繋がっていればいいけれど、
万が一に行き止まりで、戻ってこれないなんてことになれば、助かる術はなくなる。

立ち尽くして悩んで、でも、この闇で頼れるのは自分自身しかない。
しばらくは助けが来ないだろうから、少しだけ行ってみようか。
どうなっているのかだけたしかめてこようか。

天命に任せた賭けに出てみることにして、一歩踏み出した。
残念なことに、足場は無かった。
用心はしていたはずだけど、ふわっとなにかに背中を押され、体勢が崩れる。

そして、落ちた。
ただでさえ動きづらい服装だ、暗くて落差がどれくらいなのかわからないと受身も取れない。
着物を汚し、全身を打ち付けることを覚悟した。
しかし、身構えても中々衝撃が来ない。
いつまでもいつまでも落ち続ける。異常なほど遥かな深淵へ。

宙の闇で、なんとか足を下にすることだけはできた。
難点は終わりがいつかわからないということだ。気が遠くなる。
わたしは神様との賭けに負けたということになる。

つまらない一生だったわ。



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