箱庭と方舟(後編)


唐突に、悟った。
私は淘汰された歴史の、たった一人の生き残りなのだ。

事情を知っていて、私が感じたのと同じように、少しずつ記憶や思い出が書き換わっていくのに気づくのは、どんな生き地獄だったんだろう。
唯一の手段を持ちながら、希望を託すには未熟すぎる私のことをなんて思っていたのだろう。

ずっと、家族や友人、お師匠様に妹弟子たちのことを、私が守っているのだと思っていた. 。
ひとりで矢面に立って、みんなを庇って戦っているつもりでいた。
けれど、今となっては、こう思う。
――私は一人、歴史の改変、そしてそれに伴う消滅から、避難させられていたのではないか。
この山城は、世界滅亡から逃れる核シェルターのようなものだったんじゃないか。

お師匠様からの手紙は、何もかも手遅れになったときにはせめて私だけでも幸せになれるように、元の時代を見捨てていいのだと記してある。
私が最後に彼らの幸せだけでも残したいと思ったのと同じように、お師匠様は私の幸せを願ってくれたのだろうか。

元より不可能な任務だったのだと言ってしまえばそれまでだけど、私じゃなければ、と思わずにはいられない。
私が至らなくて、打ち克つことができなったせいで元の時代を消滅させてしまったのに、自分だけが新たな時代で生きる……なんて、生涯罪悪感から逃れることはできないだろう。

それでも、お師匠様が残してくれた言葉を裏切ってまで、
もう、私だけの意思で静かに消えることはできない。
審神者としての最期の迎え方は別の形で示されてしまったから。

こうなったら、彼らに事情を話さないわけにはいかない。
言伝のために自室を出ると、留守番組がふすまの前で待機していた。

「主!」
「主様!」

私を見るなり血相を変えて取り囲み、何があったのかと口々に問う。
ただでさえ心配していたらしいが、そういえば死に装束を着替えていない。
どこにも怪我がないことを必死に確認されて、少し心苦しい。
説明は全員揃ってからがいいだろうと思い、質問には答えず、ただ、遠征に向かった部隊が帰ってたら広間に集まってほしいと伝えた。

もしも私があの部屋で自害していたら、彼らはどう思っただろう。
黙ってこの世を去ろうとしたのは、決して覚悟が揺らがないように。
"ようやく解放してあげられる”という気持ちでいたけど、本当は自分一人で逃げたかっただけなんだ。
刀にとっての主を失う痛みなんて、想像することもできない。

気持ちを静めるため、皆が揃うまで一人にしてほしいと言って、また部屋に戻った。
せめて一人でもお供につけてほしいと食い下がられたけれど、もう心配させるようなことは起こさないと約束をした。
それでもやはり襖の向こうで聞き耳を立ててる気配が一つ、二つ……。交代制なのかもしれない。
遺書は見つからないうちに焼いてしまったほうがいいかもしれない。
私が審神者だった記録を残すにしても、違う文章のほうがいいだろう。

全員揃いましたと呼ばれたときには、さすがに着替えを済ませていた。
気持ちが引き締まるように、審神者の正装を纏う。

* * *

広間に並んだ彼らは、誰もが落ち着かない様子だった。
俯いて床に視線を落とす者。私を厳しく睨めつける者。くちびるを震わせ不安げにこちらを見つめる者。探るように私を窺う者。
それぞれの反応がいとしいと思えるくらい、彼らのことが好きになっていた。
安心させるように微笑みかけて、彼らと向かい合うように座る。

「まず、何から話そうかな。ここのところ政府の使いが来なかったことはみんな知っていると思う。
それで私は一昨日山を下りて、町へ行ったんだ。そこで何を見聞きしたのかから始めようかな」

町が、光景が、私の知っているものと違うと言っても、そもそも彼らは町に下り立ったことがないので、私の知る現代の一般的なイメージは共有できない。伝えたいのは――。
――中央政府の所在地が変わり、私の知っている人物はいなかったということ。
――審神者という御役目さえ通じなかったということ。
――よく似た誰かがいる変わりに、私の家族も、友人も、お師匠様も、私のことを知っている人間は誰もいなかった、ということ。
――歴史の修正、すなわち過去の改変は成り、ここはもう私の生まれた時空ではないのだ、ということ。
――この山、歴史の改変の影響を受けない神域に篭っているからまだ私の形をしているだけで、ほんとうはとっくに消えていたはずなのだということ。

「ああ、違うの。あなたたちの力不足とか、何か足りなかったわけじゃないの。泣かないで。みんな本当によくやってくれた。そのことは誰よりも私が知ってる。今まで助けてくれて、本当にありがとう。これ以上の成果なんて、どうしたって得られなかったと思う。巻き込んでしまって、みんながいなかったら私は今本当に一人になってた」

はじめから、介入によって過去を修復できるというのが、夢物語だったのだ。
今になって歴史の在り方を見れば、修正と修復を繰り返して元に戻そうというのが、土台無理なことだった。
限りなく可能性が薄くても、それ以外に手段がないのなら、藁にもすがる思いで私たちに託した政府を責めることはできない。
ただ、不可能を可能にできなかったからといって、私達にすべての責任があるかと言われると、違うと思う。

そりゃあ、もっと巧い作戦があったのかもしれない。
効率のよい戦い方があったのかもしれない。
でも私達は私達でしかなくて、誰も怠けていたわけじゃないのだ。

「私はもう、元の歴史を取り戻そうとは思ってない。
それによって、元の場所に戻れるわけじゃないから、諦めてしまった。
崇高な御役目のために最後まで戦う道を選ぶこともできるけど、
誰のためかもわからない戦いを続けることはできない。
任務失敗だけど、勝負はこれでおしまい。もう過去への介入は行わない」

「私たちはどうなるのですか」

「できるだけ各々の希望を叶えたい。刀に宿る付喪神に戻りたいならそうしよう。刀をどこの誰に収めてほしいかも、できるだけ要望に沿うようにする。
刀剣男士たるその姿が気に入ったというなら、しばらくそのままいてもかまわない。私もしばらくはここに留まるつもりだし、神域を出なければ迷子にはならないでしょう。
ただ、私はいずれ霊力を失い審神者ではなくなる予定だから、そのときには刀に戻ってもらうことになる」

「待った待った、主が審神者じゃなくなるってどういうこと!?」

「……私は、人から離れすぎた。ただでさえ生まれ持った霊力が高かったけれど、この任に就いてからは神域に座して付喪神様たちを侍らせ歴史に介在してきた。とっくに只人じゃなくなっているんだってさ。私は化物にも悪霊にもなりたくない。
だから、現し世にある内に、この霊力を使いきってしまわなくてはいけない。
敵にこの力を悪用されることも避けたいから、できれば神域を出る前に済ませてしまいたい」

霊力のない自分というのがうまくイメージできない。
審神者としての力を手放せば、まず、神域に入ることができなくなる。
新たに刀剣に人の姿を与えることも、そもそも付喪神を見ることも感じることもできなくなるかもしれない。
神々を過去に送り出すことも、歴史改変を感じることもできなくなり、時空の狭間から刀剣を拾うこともなくなるだろう。

「でも、君の霊力は使いきれるようなものなのか?」

最も霊力に敏感な石切丸が問う。
霊力の高さを讃えられることはあったけど、これほど評価されているとは思わなかった。
自分の中にこれほどの神格が蓄えられているなんて、意識してみて初めて気づいたことなのに。

「うん。いつのまにか、普通じゃないくらいに膨れ上がってしまったけれど、だからこそ、今なら昔以上のことができる。
それでね、三つ目の選択肢なんだけど。
望むなら、刀剣男士たる今よりもさらに人に近い姿を与えます。
あなたたちの付喪神としての霊力と私の霊力を合わせれば、刀から離れた個となり、人のように寿命を得ることができる。
それが貴方たちにとっていいことか悪いことかはわからない。
刀ではなく人の世に紛れて生活したいというなら、それを叶える手段があるというだけ。
いつか、誰か、私の霊力の受け皿になってくれるとありがたいけれど、すぐに決めなきゃいけないことでもない」

「……話はわかった。それで、大将はこれからどうするつもりなんだ?」

「しばらくはこの曲輪に閉じこもった生活を続けるよ。
歴史修正主義者にとって今の歴史が完全なのか、これ以上の修正を起こそうとするのかわからないから、神域を出るなら時空が固定されたのを確認しないと、改変の巻き添えで私も消えてしまう。今は少し外に出ただけで記憶が欠けるようだし、神域内が一番安全だろうね。奴ら、どんな魔改造する気か知らないけど、座して受け入れるつもり」

「それからは?」

「全員の希望に沿えるように、順に叶えていくつもり」

「最後に聞かせてくれ。大将は死ぬつもりだったのか?」

「うん」

嘘はつけない。苦笑気味に答えると、薬研藤四郎は天井を仰いだ。
同時にあちらこちらから悲鳴が上がる。
ああ、この後大変だろうなぁ。泣き付かれてお説教受けて批難されて……。
それでも、一人ひとりの気持ちをちゃんと受け止めるべきだろう。
進路相談だって待っているのだ。

「御役目を失って、自ら歴史を歪めようとして……歴史修正主義者に加わるくらいなら、命を断つべきだと思ったのよ。
でも、それじゃあこの身の霊力を持て余してしまうって知って、今は、最後まで生きていこうって思ってるよ。
あなたたちの行く末を見届けて、人里に下りて、天寿を迎えるまでは生きるつもり」

どんな形でも、彼らの幸せを見届けられたらいい。

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