あてつけのようにドアを向いて、
自ら拳銃でこめかみを打ち抜いて死んでいた。
「手間が省けたな……」
クロロの正直な第一声がそれだと事前に知っていれば、
あるいは自分がどれだけ醜い屍になるかをわかっていれば、
ティアは愛する男の気を惹くためにこんなことをしなかったかもしれない。
それは美しさだけが取り柄の女だった。
プライドが高く、嫉妬心が強い。
余裕を演じて都合の良い存在に甘んじているうちはよかったが、
徐々に執着が頭をもたげて鬱陶しくなり、連絡を断った。
しかし8ヶ月ぶりにこの街を訪れ、偶然にも――あるいは執念で、見つけられてしまった。
滞在しているホテルに電話を受けたので、会う約束をし、これを始末しに来たというわけだ。
どれほど真っ当な生き方をしていれば、たったひとり行きずりの女の死を後生悼み続けることになるだろう。
無意味としか思えないその行為にどれだけの覚悟が要ったのかも、クロロにはわからない。
永久に死の呪いを残せると思われていたのだから、随分な見込み違いだ。
ティアの美貌ではこれまで欲しいと願って手に入らなかったものなどなかったのだろう。
莫迦な女だ。愚かで、理解不能な。
瞼は固く閉ざされ、睫毛が繁っていた。
笑おうとしたのか恐怖に負けたのか、唇は歪になっていた。
髪を掴み、壊れた頭部に話しかける。
「到着を待っていれば、臆する間もなく終わらせてやったんだが」
その意志に敬意を表し、かの一時の慰みを労い、刹那だけ死を悼むことにした。
死臭は気にならない。
口付けたところで生き返りはしないが――……
視界の隅で微動があった。
やけに長いスカートの裾をどける。
……はじめ、ゴム製の人形か何かと思った。
肌色で人間の赤ん坊の形をした"それ"は、
人形にしては皺があり、表情も手足も微動していた。
呼気があり、瞬きをして、小さなてのひらを握っては開く。
生き物の気配に気付かなかったあたり、
自覚以上にティアの自害に動揺していたのかもしれないと、クロロは思う。
生後1ヶ月というところか。
騒がないようにか、口は粘着テープで塞がれていた。
そのせいで衰弱しているようで、反応が弱々しい。
ティアとは違う、黒い双眸と黒い髪。
心なしか見覚えのあるような顔つき。――眩暈がした。
口のテープを剥がす気にはなれない。
それは捨て犬を抱き上げるのに等しい。
触れることさえ憚られた。
どうせなら連れて逝けばよかったものを、
赤子の生死をクロロに委ねたのにはどんな意図があるのだろう。
まさか育てると思っているわけではあるまい。
――その肢体はガラスより脆く、頭蓋は熟れた果実よりも柔らかい。
ティアを殺しに来たのだから、代わりに赤ん坊を始末する。
それは道理に適っているように思える。
殺そう と、思うほどのことでもない。
そもそもこのままクロロが立ち去れば勝手に衰弱死するだろう。
ティアの遺体も、発見はいつになることかわからない。
こうも我が儘な両親の下に生まれるとは、笑えるほど不幸な赤ん坊だ。
既成事実を作っておきながら、ティアは電話で母親になったとは一言も告げなかった。
母親の自覚や資格があるようにも、クロロに父親になってほしかったようにも思えない。
最期まで女として死んでいった、身勝手の権化だ。
一度も抱き上げないまま、その部屋を後にする。
充分郊外に移動したところで、警察に通報した。
曰く、その部屋から血の臭いがする と。
それが憐憫なのかナルシズムなのか、あるいは別の何かなのかもわからない。
この街の孤児院の治安など知ったことではないし、
生きていれば、生まれ落ちたことを呪う瞬間もあるだろう。
それでいい。
たとえばいつかクロロの前に立ちはだかることがあれば、
そのとき命を摘みとればいい。
クロロにとってはなんの意味もない気まぐれ。
だがそこにはたしかに、ある女の呪いが宿っていた。
――あなたがわたしをわすれませんように。
それから、十年。
パターン1.母の死から始まる子の命
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