2.

弥子とネウロの出会いは、二人がまだ幼い子供だった頃にまで遡る。弥子がまだ伯爵家令嬢であり、ネウロが将来を期待された幼いピアニストだった頃にまで。当時弥子はおてんばで、屋敷を抜け出しては裏街で遊んでいた。そして、ネウロの弾くピアノの音色を聞いたのだ。

唇を噛みしめてネウロを見つめた。

けれど、その友情は脆く崩れた。弥子が馬車に轢かれそうになったとき、ネウロがその手で庇ったがために。庇って、その右腕を失ったがために。

両親も亡くした孤児のネウロには、ピアノしかなかった。彼はピアノを弾くために生きていたのに、そのための腕を、弥子が奪った。そして弥子はその後、二度と外に出してはもらえなくなったために、ネウロと会うこともなくなった。ごめんなさいと謝ることも、ありがとうと礼を言うことも、一度もなかった。

それを憎んでいなかったはずがない。恨んでいなかったはずがない。

他人とかかわることを知らないネウロの、初めての友人が弥子だった。幼いころからずっと屋敷で籠の鳥をしていた弥子にとってもそうだ。それを、弥子は最悪の形で裏切った。

だから、ネウロが再び弥子の前に現れた時、私は殺されるのだろうと冷静に考えた。それでもいいと思った。ネウロにしてしまったことを思えば、殺されても当然だと。

同時に、殺されるわけにはいかないと、強烈に思った。

「私は殺されるわけにはいかなかった。だから、あんたを懸命に避けた。あんたと会うことも、あんたと話すこともなかった。・・・あの、一か月の間」

そしてネウロと話をしたのは、一か月が過ぎた後。二人きりで謎解きをした、あの時だけだったのだ。

あの時、ネウロがあんな行動に出たのか理由がどうしてもわからなかった。あるいはネウロは、弥子がネウロにしてしまったように、一人きりで弥子をこの世に残すことで弥子の生きがいを奪おうとしたのかとさえ思った。だが、違う。ネウロが最後に弥子に残した口づけを思いだして、弥子はようやくその真意を悟った。

そして、会いに来たのだ。

「そうだな。貴様は我が輩を避け続けた。それが異常の始まりだった」

ネウロが皮肉に口をゆがめた。

「我が輩の知る貴様なら、謝るなり礼を言うなり、何らかの形で我が輩と向き合おうとするはずだった。そのときを利用して殺してやろうと思っていたのに、計算外だった」

“殺してやろう”という言葉にぞっとするような冷たい意志を感じて、弥子は怯んだ。だが、ネウロに騙されるわけにはいかないと手のひらを握りしめる。

この皮肉な口調と嫌味に誤魔化されて、真実を見逃してきた。

「・・・違うでしょ」
「何がだ」
「あんたは叔父と話してすぐ、私を殺さないことを決めた。そうでしょう?」

言い逃れる余地すら与えないよう、瞳を合わせて語調を強める。

「あの時、叔父に私を殺すよう頼まれたんでしょう。・・・違う?」

ネウロの瞳は揺るがない。

「何故そうだと断言できる」
「用心深くて人を信じない叔父が、あんたを気に入って屋敷に出入りすることを許した頃からおかしいと思ってた。だけど、今にして思えばわかる」

叔父がネウロの素性を知っていたのか、それはわからない。いずれにせよ叔父は、ある日ふらりと現れた怪しい風体の男を見て、都合がいいと考えたのだろう。

「それで、あんたは気づいたんでしょう。私の両親を殺したのが、叔父と叔母だったこと」

ネウロは少しだけ目を見開いて、小さく皮肉げに嗤った。

「ウジムシ並の知能しかないと思っていたが。少しは成長したか」
「・・・それだけじゃないよ」

もうひとつ。

「私が馬車に轢かれかけたあの事故も」

今度こそ驚いた様子で、ネウロが顔を上げた。

「知っていたのか」
「・・・うん」

冷静に考えてみれば分かることだ。

自分と両親が亡くなって一番得をするのはだれか。・・・自動的に伯爵家を継ぐことが決まる叔父とその家族だ。事故にあった10歳の当時には分からなかった。だが、父と母が海に落ちて心中したと聞いたときに悟った。あの父と母が、そんな形で死を選ぶはずがない。

「どうしてそう断言できる?人の心など当てにならないものだ。突然自分の生に疑問を持ち、死を選ぶこともないとは言えまい」

嘲るような声。だが、弥子はそれを封じる手札を持っていた。ネウロを見つめて首を振る。

「絶対にないよ。断言できる」
「それは何故だ?」
「もう一人いたからだよ」

ネウロは物問いたげな視線を向けてきた。

「・・・死んだのは二人だけだったと記憶しているが」
「うん。でも、もう一人死んだの」

“三人”ではなく“もう一人”とあえて言うと、案の定ネウロの瞳にはたちまちのうちに理解の色が広がった。

「なるほど。・・・貴様の母親の、腹の中に?」
「そう。・・・弟か、妹かはまだ分からなかったけど」

母はあの時妊娠三カ月だった。だから、あのときの二人が死を選ぶはずがないのだ。特に母は、何があっても子どもを守ろうとするはずなのだ。それなのに、溺死体には抵抗した形跡がなかったと言う。

「だから、・・・もしかしたら、安心しきって話をしていたところを突き落とされたんじゃないかって」

それができるのは、両親二人にとって親しい人間しかいない。弥子の疑念は深くなった。そしてその疑念は、叔父に、成人した時従兄と結婚して伯爵家を継ぐよう指示されたとき、確信に変わった。表向きは両親を亡くした弥子を気の毒に思う様子を装っていたが、解らないはずがない。叔父は他人に対してひどく冷酷な人だった。使用人への態度を見ていれば分かる。作った態度だとすぐに解った。

叔父と叔母は、伯爵夫妻として、未来の伯爵の義理の父母として伯爵家をその手に収めるつもりだったのだ。

弥子が殺されなかったのは、一度殺し損ねたことで警戒していたのと、伯爵と伯爵夫人が亡くなった後、唯一残された伯爵令嬢までが事故で死ねば、流石に権力を手にする叔父夫妻に疑いの目が向けられると判断したからだろう。それよりは生かしておいて将来息子と結婚させた方が、穏便に支配できると判断したのだ。ましてや二人は弥子を知らない。弥子が、叔父夫妻が両親を殺したのだと確信していることなど知らない。だから、せいぜい大人しくして、機会を狙っていたのだ。

弥子は従兄と結婚し、従兄の子を産む気など微塵もなかった。彼は嗤いながら動物をなぶり殺せるような最低の男だった。身内以外の人間など動物程度にしか思っていないことも知っていた。そして、彼は弥子の両親を自分の両親が殺したことを知っていた。観察していればわかることだ。弥子に対する軽蔑と驕りに満ちた言葉を聞くたび、吐気がしてやまなかった。それでも懸命にこらえていた。平然とした様子を装い、叔父たちに感謝しているふりをした。

いつかこの手で叔父と叔母と従兄を殺すために。
そのためだけに、生きていた。





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