3.

拘束衣を着せられて、薄汚れた顔をしたネウロを見つめる。

生きる目的を奪われた絶望が、今の弥子には嫌というほど分かる。家族を失い、大切なものをすべて叔父家族に奪われ、いずれは憎い相手と結婚させられる運命。それを乗り越えられたのは、復讐するという目的があったからだ。両親の敵を討つまでは決して死なないと自分に厳しく命じていたからだ。

命をかけた目的を、弥子はネウロに奪われた。

ネウロは、弥子を殺してはくれなかった。そして、当時の伯爵夫妻とその息子、すなわち弥子の叔父夫妻と従兄を殺したのだ。叔母と従兄は、両親と同じ、崖下に突き落とすという方法で。本来弥子とネウロが呑むはずだった毒入りのワインは、叔父が代わりに呑むこととなった。

“探偵”も“犯人”も、弥子のはずだった。

叔父夫妻は、二人とそしてもう一人だけしか殺せなかった。だから“犯人”であることを弥子以外の誰にも知られなかった。けれど、弥子は自分の罪を隠すつもりなどなかった。彼らをこの手に握ったナイフで殺した後は、自ら名乗り出るつもりでいたのだ。そして弥子自身の手で事件の全貌を解き明かすつもりだった。けれど、結局は“探偵”も“犯人”もネウロに奪われてしまった。そして、弥子は一人きりになった。

もう何も残されていなかった。生きる理由も、目的もなかった。これがネウロの復讐なのかとさえ思った。ネウロほどの頭脳の持ち主に、叔父の本性を見抜けないはずがない。すべてを知った上で、弥子を殺すでもなく、弥子が殺人罪を犯して自滅するのを見守るよりも先に叔父家族を殺した理由など、そうとしか考えられなかった。

けれど、しばらくしてネウロの言葉を思い出し、はっと気づいた。

両親は弥子の死を望まないだろう。弥子が殺人者になることも決して望まないだろう。そういう人達だった。そんなことも忘れていたと、嫌というほど気付かされたのだ。懐に隠したナイフは、矛先を失った。そしてようやく弥子は前を向くことができた。両親に残された伯爵家を、自力で立て直そうと決意することができた。

もし、ネウロがそれを見越して弥子の刃を止めたのだとしたら。

弥子の心臓にナイフを向けたネウロを思い出す。もし、ネウロが弥子のために“犯人”を引き受けたのなら、その言葉にも納得がいくのだ。あの事件のとき、弥子が謎を解かなければ、一番に疑われたのは間違いなく伯爵家の財産を全て継ぐことになる弥子だった。そうさせないために、ネウロが弥子を脅したのだとしたら。

今なら「せめてもの情け」で逃がしてやれると言ったのは、“犯人”ならばそう言うだろうと判断したためだったのだとしたら。

「貴様に知られたくはなかった」

あの時と同じ言葉を、ネウロが呟く。

「・・・私に何も知られないまま、勝手に私を守って、勝手に死刑を受けるつもりだったの?」
「その通り」
「そうすれば、・・・私が苦しまなくてすむから?」
「好きなように考えろ」

つまり、“イエス”ということだ。
弥子は痛いような気持ちで、その言葉を受けた。

「どうして・・・そこまでして」

ネウロを見つめて、どうしても聞きたかった言葉を告げた。

あんたには私を守る義理なんかなかったはずだ。殺したいほど憎んでいたはずの相手を、どうして救ってくれたのか。

ネウロは静かに弥子を見つめ返した。

「貴様しかいなかったからだ」
「・・・?」
「我が輩には、もう貴様しか残っていなかったからだ」
「・・・・・・!!」

息を呑む弥子に、ネウロは続けた。

「何もかもなくした我が輩に残されたのは、貴様との記憶と貴様の存在だけだった。捨てることはできなかった。それだけのことだ」

貴様を殺すつもりでいた時には、思い当らなかったことだ。
だが、あの事故が貴様の叔父の仕組んだものだと知ったとき、真っ先に“これでヤコを殺さずにすむ”ということだった。笑える話だが我が輩は、憎んでいたはずの貴様を殺したくないとずっと考えていたらしい。

「・・・ネウロ、それは」

不器用で、無愛想で。発する言葉はいつもねじくれて裏返しで。それでも、こんなまっすぐに愛を告げることもできるのだと、今知る。最後に言葉を交わした時の震える唇の感触に、悟っておくべきだったのだ。でも、この男の前では冷静な判断ができない。誤魔化されてしまう。言いなりになってしまう。それは、やはり。

「何だ、ヤコ」

ようやく呼ばれた名前に、心臓が跳ねる。歳月を経て成長した美貌には一点の曇りもない。だから、弥子は断固として告げた。

「逃げよう」
「・・・!?」

ネウロが眼を見開く。

「ずっとそう考えてた。私は自分の立場を手放せないし、あんたは死刑囚だ。どうすることもできないって。でも、違う。“できない”なんて言葉はない。しようと思えばできるのに、しようとしないってだけ。あんたの縄を切ることだって、そして一緒に逃げることだって、とても簡単なことなんだよ」

「・・・ヤコ」

「私は伯爵で、大貴族の長だ。だから、政府や国王だってそう簡単には手を出せないよ。増して相手はあんただ。あんたの所にかなりの政治家が知恵を求めて来てたの知ってる。その相手を殺すことは、彼らだってためらうはずだよ。あんたほどの相手が、握っている国家機密を利用しないはずがないもの」

「・・・・・・」

「私はこの三年、あんたを連れて逃げるためにずっと力を蓄えてきた。汚いことにも手を染めたし、見たくないものも沢山見てきた。そうして残ったのは、あんたに会いたいってことだけだった」

「ヤコ、」

「あんたにとっても、そうだった。・・・違う?」

「・・・違わないな」

拘束衣に縛られたネウロの左腕が、弥子へと伸びた。弥子は椅子から立ち上がり、その腕に身を任せた。不自由な動きで抱き寄せられながら、唇を重ねる。あの時と違う意味を持つ、同じ感触。二度目のキス。

ずっと懐に隠してきたナイフを、今こそ使う時だ。ネウロを縛る縄をこの手で切ろう。そして、私も“犯人”になる。“探偵”と“犯人”を二人で共有して、そして同じ場所からもう一度やり直そう。
 あんたと私と二人なら、なんだってできる。

間もなく大変な逃避行が始まるけれど、今はもう少しだけ。

薄汚れた室内が輝かしい場所に思える。弥子は冷たい唇の感触に身をゆだねて、思考のすべてを放棄した。






あとがき

あんまりネウヤコじゃなかった推理物でした!
最後だけは何とかネウヤコっぽくまとめたけど、まとまってますかね・・・?
まあとにかく、この後二人は世界最強の夫婦になります。誰も手だしなんかできない!
告白時にはちょっと弥子ちゃんが強気だったので、プロポーズはネウロがすればいいと思うよ!

コウヤ




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