衝動


1.


生きるとは呼吸することではない。行動することだ。(ジャン・ジャック・ルソー)


「ペースが速い」
「わかってる」

口当たりの軽いロゼを舐めながら、眼の前の男を睨む。彼はこの家にある限り一番アルコール度数の高い酒ばかり開けているくせに顔色一つ変わらない。並の女優など到底太刀打ちできないほど白く滑らかな肌は酔いのどんな兆候も示さない。この男には弱点と呼べるものなどないのだろうか。

弥子とこの男の付き合いは長い。かれこれ20年にはなるだろうか。孤児のネウロが捨てられていた施設の隣に弥子の家があったのだ。施設の子供たちとは物心ついた頃から良い遊び相手だったが、この男だけは違った。

溜め息をつく。

無愛想で無口で、見た目だけは王子様のように綺麗なネウロ。彼は幼いころからとびぬけた頭脳の持ち主だった。普通の人間が何年もかけて学ぶことを瞬く間にあっさりと片づけてしまう。当然のように妬まれ、羨ましがられてばかりいた。だが、彼はそういった周りの反応に一切興味を持たなかった。きっと、優れた頭脳を持っていた分、自分の置かれた境遇とこれからのことについて誰より良く分かっていたのだろう。謂れのない中傷や残酷な陰口を受け流すことに慣れすぎて、醒めて冷たくなった表情。彼は自分に近づくすべての人間を全身で拒絶していた。

それでも弥子は諦めなかった。懸命に彼に話しかけ続けた。邪魔だと追い払われても、暴言を浴びせられても何度でも彼と向き合おうとした。そして結果として、当時施設にいた子供たちの中で21歳になる今も友人付き合いが続いているのはこの男だけだ。

伸びをしてグラスを置いた。大分酔っている自覚はある。少しばかり目が回ってきたので、絨毯にぐでんと横になってみた。ごろごろと転がりながら、壁の時計を見やる。PM11:50。あと10分で日付が変わる。3月10日に。

「行儀が悪い」
「わかってるよ」

大人しく体を起こすと、眼の前にネウロの顔があった。眉を顰めている。こんな時間に呼び出して何の用だ、と顔に書いてある。何の用もないのだと正直に言ったら怒るだろうか。孤独は苦手だった。正確に言うと、普段は平気なのだが、3月10日にだけ。

思い出すのだ。血にまみれた父の亡骸と、変わり果てた仕事場を。


片手でテーブルの上からグラスを取り上げ、残ったロゼを一気に飲み干した。ガラスに映るネウロの顔はぐんにゃりと歪んでいる。それが無性におかしくて声をたてて笑った。グラスを置き、顔を傾けて眉を顰めたままのネウロの唇に唇を押しつける。座ったままでも身長差があるので伸びあがらないとうまくいかない。

薄眼を開けると、ネウロの顔には意外にもあまり動揺はなかった。少しばかり悔しくなり、舌を出して冷たい唇を舐める。ブランデーの味がして気を良くした。ネウロが唇を少し開けたので、そのまま歯列を舌でなぞる。アルコールの香りが鼻を抜けた。

呼吸が苦しくなるまでキスを続けた。いったん唇を離し、荒くなった息を整えながら唾液で濡れた口元を拭う。男の肩を軽く押すと、押されるままに絨毯の上に上体が倒れた。物問いたげな視線を無視して再び強く唇を押しつける。覆いかぶさるような体制になり、片手を絨毯に突いた。すそのまま長い脚をまたいで馬乗りになり、少しだけ体を下にずらしてネウロの喉に舌を這わせる。

下から腕が伸びてきて、弥子の両頬に添えられた。耳の後ろやうなじをくすぐりながら、髪に指を差し入れて愛撫してくる。構わずに首筋と鋭角的な鎖骨を舌で辿っていると、喉奥で笑う気配がした。二つほど空いていたボタンの下から、厚く強靭な胸板が覗いている。普段はあんなに細く見えるのに。着痩せするタイプなのだと初めて知った。残りのボタンを一つ一つ外していると、ネウロの手がタイトスカートの下に入り込んできてはっと息を呑んだ。ストッキングの端を掴んで引きずりおろす男の手のかさついた感触に、背筋をぞくぞくと快感が駆け抜ける。ぴくりと震えた体に気づいたのか、ネウロがにやりと笑った。促されるままに脚を伸ばしてストッキングを脱がす手に協力すると、その手はあちこちで悪戯をして弥子の体を仰け反らせた。

「う、あ、」

勝手に漏れる声をこらえようともう一度上体を落としてキスをすると、開かれた口の奥から長い舌が伸びてきて弥子の口内を勝手に舐めまわした。粘着質な水音が頭に響く。弥子の腰に添えられていたネウロの右手が今度は胸元に伸びてきて、シャツのボタンを器用に外し始めた。もう片方の手は服の裾から皮膚の上に侵入し、平らな腹を好き勝手に這いまわる。そのたびに駆け巡る快感をやりすごそうと幽かに震えながら唇を離して顔を上げると、欲情で色を濃くしたネウロの緑の瞳と目が合った。小さく笑って、そのまま視線を下にずらす。部屋の照明がネウロの見事な腹筋と胸筋を淡く照らし出している。女性にもないような白い肌の上の男性的な骨格は奇妙なコントラストをなしていたが、それでも間違いなく美しかった。

「・・・どうする」

荒く湿った息を吐きながら尋ねると、ネウロは呆れ果てたという顔をした。

「今更何を言っている」
「・・・だ、よね」

言いながら自分でシャツから腕を抜く。スカートのジッパーに手をかけようとするとネウロがそれを制止し、代わりにジッパーを下ろした。そのまま下着の中に潜り込んでくる遠慮のない指に思わず掠れた声が上がる。気を良くしたのか乱暴になる愛撫に呼吸を乱しながら、笑った。

「ネウロ」

目を合わせて名前を呼ぶ。男は腹筋だけを使って上体を起こし、体の上に乗っていた弥子を抱き上げた。タイトスカートが脚から滑り落ちていくのを感じながら、唇を耳元に寄せ、耳朶を噛みながらもう一度名前を呼んだ。

「ネウロ」

男は小さく笑って、腕の力だけで弥子を引きはがすと、逆に弥子の耳に噛みつき、舌を耳朶に這わせながら湿った息を吐きかけた。

「ヤコ」

独特のスラングで呼ばれるこの名前が好きだ。微笑んだまま懸命に腕を伸ばしてネウロの後頭部に腕を添え、柔らかい手触りのツートンカラーの髪を撫でて、笑いながら深いキスを交わした。








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