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 この季節になると必ず思い出す、子供のときの夏。
 家族旅行で沖縄にやってきたのは三歳の時。両親がお土産屋さんで一瞬目を離した隙に、わたしはお店の外へ駆け出した。思えばバカだったけど、あれがわたしに幸福な出会いをもたらしてくれたんだから、むしろ賢い、正しい判断だったと言えるだろう。
 お土産屋さんまで来る道中、車の窓から広い広い海を見た。ずっと東京に住んでいた幼いわたしが見たこともなかった、青くて輝く海。両親はお土産を買ったらすぐ飛行機に乗って帰ると話していたものだから、生まれてたった三年しか経っていなかったなりに脳味噌を回転させて、「じゃあ最後にあの綺麗な海を直に見たい! 見るしかない!」と、思ったのだ。
 道路を道なりに歩いて行くと、望んでいた景色にはすぐ出会うことが出来た。時間が経ってしまったから先ほどまで白い雲が浮かんでいた空はオレンジ色に染まりはじめていたけれど、そんなことは関係なかった。短い足を動かして、砂浜に必死に走って、どんくさい子供だったわたしは波打ち際に辿り着くまでに何度も何度も転んで身体中砂まみれ。口の中にも砂が入ってしまって気持ち悪くて、ぺっぺっと吐き出そうとしたら不意に両親のことを思い出して、パニックになった。隣にいるのが当たり前の、お父さんとお母さんがどこにもいない。ひとりぼっち。ここは知らない場所。もし置いて帰られたら、どうしよう。
 あんなに夢中で向かってきたところだったのに、もうわたしの頭の中に海のことなんて欠片も残っていない。怖くて寂しくて、転んでぶつけたところも痛いし、口に砂は入ったままだし、お母さんに切ってもらったばかりに髪の毛だって(少し切りすぎてしまって、スカートが似合わなくなっちゃったような気がしたけど、お母さんは可愛いって褒めてくれたから気に入っていた)走って転んで、汗と潮風でぐしゃぐしゃ。もういやだ。しゃがみこんで、しばらくわーわー泣いていた。
 泣く体力も尽き果てたころ、顔を上げるとわたしの顔を覗き込んでいる子の存在に気がついた。年齢は同じぐらい、だったと思う。身長もわたしと同じぐらい。でも、同じ幼稚園のどんな女の子よりも、ずっとずっと可愛い顔をしていた。目はくりくりと大きくて、髪の毛は肩の下まで伸ばしていて、さらさら。

「……おひめさまみたい」
「はあ? やー、何あびとーみー。わんやいきがやし」
「い、いき? あび……?」

 さっきまで泣いていたことなんてすっかり忘れて、目の前の女の子にただ見とれた。その子はタンクトップにショートパンツ、サンダルという格好だったけれど、その可愛らしくて、でもちょっと気の強そうな瞳は、当時何回も繰り返し見ていた大好きなアニメ映画の主人公にそっくりで。口をついて出た言葉に女の子はちょっと不機嫌そうな顔で何か言い返してきたけれど、どういう意味だかさっぱり分からなくて心底動揺したのを覚えている。おとぎの世界に迷い込んだ気分で、また少し涙腺が痛んだ。


「何いってるの? わかんないよ……」
「えー、いきがならしっかりしろー、泣かんけえ!」

 ぐず、と鼻水をすすったわたしに、目の前の可愛い子はとても焦ったらしく、となりにしゃがみこんで落ち着くまで背中を優しくさすってくれた。何を言っているかは相変らずほとんど理解できなかったけれど、なんとなく、泣くなと言われていることはわかったので下唇を噛んでこぼれおちそうになる涙をこらえる。相当おもしろい顔になってしまっていたんだろうな、けらけらと笑われてしまった。

「な、泣いてない」
「ゆくしー。やー、でーじ泣ちぶさー」
「なち、ぶす……? ぶ、ブスじゃないもん。やめてよぉ」
「あー? わん、んなくとぅあびてねーらんど」
「ランド……?」
「はあ、やーナイチャーかよ。なあ、わんぬくとぅば、わからんばぁ?」
「……何言ってるかぜんぜんわかんない……」

 お父さんもお母さんもいないし、突然現れた可愛い女の子にブスって言われるし、その子の言ってることはだいたい意味不明だし、ほんとうに最悪だと思った。たしかに海は見れたけど、こんなの望んでなかった。一度は堪えたけれどやっぱり決壊してしまって、涙はとめどなく溢れる。

「あーあー、また泣く! どうすりゃいいんさー……」
「お、お父さんとお母さんに、あいたい……っ」
「……やー、迷子?」
「……そうかもしれない」
「そうかもって、やーなぁ……」

 おひめさまみたいな子は困ったように頬を掻くとわたしの手を握って立ち上がり、いちゅんど、と言って歩き出す。手を引っ張って強引に進んで行く後ろ姿に、わたしはやっぱり、映画に出てきたおひめさまの姿を重ねたのだ。どんどん道を切り開いていく、勇敢で優しいおひめさま。風に長い黒髪が揺れて、いいなあ、わたしもやっぱり髪の毛のばそう、なんて、泣きながらものんきに思った。
 手を引かれるまましばらく歩いていくと、見覚えのあるお土産屋さんに辿り着いた。観光にきたナイチャーがくる土産屋なんてこのへんだとここしかない、と、おひめさまは言った。頭もいいんだなあ。お店のなかに入っていくと、真っ直ぐに迷子センターに向かって行って、彼女はわたしに向き直る。

「おまえ、名前は?」
「なまえ、……みょうじ」

 彼女なりに、わたしに伝わるように頑張ってくれたんだと思う。
 不思議なイントネーションも消えていたし、何よりおまえ、と彼女は言った。
 それが嬉しかったけど、ずっとおまえって呼ばれるのは嫌だった。でもわたしは当時自分の名前が上手に発音できなくて、それが賢い彼女に知られてしまうのが恥ずかしかったから、名字をおしえた。


 迷子放送が成されると、大慌ての両親が飛んできて、おひめさまに何度もお礼を言った。自分と同じくらいの小さな子に大の大人が頭を下げて、ありがとうって。映画のラストシーンみたい。おひめさまのおかげで悪い魔女の呪いが解けた村人たちが、ありがとうおひめさま! って喜んで、頭を下げて。さっきまで赤ちゃんみたいに泣いてたくせに、わたしは面白くなってしまった。

「本当にありがとう、賢い子だね」
「ねえ、君、お名前はなんて言うの?」

 両親が訊ねると、おひめさまはぶっきらぼうに視線を逸らして、

「りん」

 そう一言だけ残して、おひめさまは、りんちゃんは、走って行ってしまった。
 小さなころの、ちょっと恥ずかしいけど忘れられない、夏の日。













 この季節になると必ず思い出す、ガキのときの夏。
 友達の家からの帰り道、砂浜で泣いているやつを見つけた。男のくせにぐじぐじ泣いて、変なとこで笑ってた、わけわからんやつ。
 そいつは本土から旅行でやってきたやつで、どうも沖縄の言葉がわからないらしかった。
 なだめすかして、そいつの親がいるであろう店に連れて行ってやった。手のかかるバカ、女みてーな泣き虫。道中さんざん罵倒してやったが、沖縄弁がわからんそいつは泣いて赤く腫れた目で、何言ってんの? とばかりにこちらを不思議そうに見ていた。阿呆なやつ。
 そいつは、みょうじというらしい。会ったのはそれきりだし、親の話じゃその日の便で東京に帰るってことだったから、きっともう二度と会うことはないだろう。家に帰ってから、だったらもう少しわからん言葉でバカにしてやれば良かったな、なんて意地の悪い後悔をしたりした。

 ガキの時の、さっさと忘れられりゃ良いのに何故か忘れられない、夏の日。













 何の縁か、小学校高学年になったわたしは、親の転勤で沖縄で暮らすことになった。友達と離れるのは寂しかったし辛かった、お別れ会ではクラスメイトが若干引くぐらい泣いてしまった。でも心のどこかで、わたしは期待していたんだと思う。あのとき出会った“おひめさま”に、再会できるかもしれないってことを。



 まぁそんな奇跡は起きるはずもなくて、わたしは中学三年生になった。小さなころは全くわからなかった沖縄弁(うちなーぐち、って呼ぶらしい)も少しずつ覚えてきたし、島の生活自体にも慣れて、髪の毛も伸びて。少し前、こんなわたしにも、彼氏、と呼べる存在ができました。まだキスどころか、手も繋いでないけどね。




「この時期になると思い出すことがあってさー」
「あい?」
「ちっちゃいころ、沖縄に旅行に来て、親とはぐれちゃったことがあって」
「へぇ、なまえやぁわらばーぬ時から間抜けだったんばー?」
「うるさいなあー! そんでね、この海岸で泣いてたらさ、助けてくれた子がいたわけ!」
「ふうん」
「平古場、嫉妬ー? 安心して、女の子だったし!」
「嫉妬なんてしてねーらん、ふらー!」
「はいはい。でさ、その子がめっちゃ美少女で! 今も沖縄にいるのかなー」
「流しやがって……やしが、うんねぇ美少女ねぇ。少なくとも比嘉中にはいねーな」
「うーん、そうかもね。髪長くって、かっこよくて優しくて可愛くって、映画にでてくる強くて綺麗なお姫様みたいー! とか思っちゃった。また会えたらいいなあって、ずっと忘れられないんだよね。とか言って、もうあんまり顔も覚えてないんだけど……」
「はぁやぁ、なまえもメルヘンなとぅくるあるんさーねー?」
「メルヘンで結構!」
「あー、そういや、わんもくぬ浜で迷子助けたくとぅあるさー」
「え、うそ。平古場がそんな人助けすることある?」
「うっせ、あんだよ。あぬひゃー、いきがぬくせにひでぇ泣ちぶさーでよ。しに笑ったわ」
「えーっ! 泣きブスはひどくない? やめてあげなよ」
「はあ? わん、んなくとぅあびてねーらん……、」


 あれ。
 何か、今のせりふ、言ったことがある。というか、今の会話、聞いたことがあるような、気がする。
 平古場の目の中にうつるわたしの表情と、いまの平古場の表情は、全くおんなじで。

 数秒の沈黙の後、わたしたちはコンマ数秒のずれもなく、ぴったりと言葉を重ねた。指をさしあって、平古場もおそらくわたしも、大層な間抜けづらで。



「平古場が、おひめさまの、りんちゃん?」
「なまえが、泣ちぶさーぬ、みょうじ?」



(さいあくな幸いのこと)
title 「食用」さまより




 あはは、手は、もう、繋いでたみたい。