お香さんの妹



※お香さんと仲はあまりよろしくありません。甘さ皆無。痛い表現と卑屈夢主に注意。

「お姉さんの連絡先教えてよ」

大抵仲の良くなった男友達から聞かれるのは姉に関する事が多い。何百、何千年と経過しても、言語や文化がガラリと変化しても、最終的に聞かれるのはコレだ。そういうつもりで私と知り合いになったのではないかもしれないが、いつもいつもこう姉の事ばかり聞かれていては辟易してしまう。
確かに姉は凄い鬼だ。衆合地獄の2で、強く美しく気品があり地位も名誉も兼ねそろえている。そのうえ上層部とのパイプもあり、幼馴染は地獄の第一補佐官。強いて言うなら極度の蛇好きであることが欠点と言えようか。
そんな姉と大なり小なり比べられてきた私の性格は自分でも自覚があるほどに歪んでいる。人の言葉をまっすぐ捉えられず、誹謗中傷もはたまた称賛も、そんなこと言ってもどうせ姉さんの方が良いに決まってると結論付けてしまうのだ。悪い癖だとは理解しているが、小さいころからの習慣というのは恐ろしいものでこれがなかなか改善しやしない。

目の前の男に、勝手に連絡先は教えられないからまた姉さんに聞いておくね、と告げると男は目に見えて喜んだ。別にこの男を恋愛対象として見ていた訳ではないがこうも眼中にないです感をありありと出されると気分はやっぱり落ち込んでしまう。まあこんなに可愛くない性格の女なんて、好感が持てる訳ないのだが。もう今日はとっとと帰ろう。まだ姉のことを根掘り葉掘り聞いてくる男の話を半ば強制的にぶった切り、じゃあまた連絡するねと背を向けた。

折角姉との繋がりが薄くなるように阿鼻地獄に異動したというのに、結局は姉と知り合いの間を取り持たなければいけないなんて。だったら自分が衆合地獄に異動して姉の心を射止めてくればいいのに。でも、アイツ割と女にのめり込みやすそうだから自爆して即行他部署行きになるかも。
衆合地獄かぁ、と昔所属していた部署を思い出せば思い出すほどため息がでる。
私も昔は一端の鬼女らしく、衆合地獄で女の武器を使って仕事をしたいと思った事もあった。そしていざ就職してみれば、運が良いのか悪いのか姉と同じ場所に配属されたのだ。結果は火を見るよりも明らかで、私がなけなしの色気で一生懸命亡者を釣っているというのに、ただぼんやりと端で突っ立っているだけの姉の方に亡者が殺到するという世にも奇妙な光景が出来あがったのだ。あれ以来姉と一緒に仕事をすることに抵抗感を抱いてしまい、結局仕事が上手くいかなくなって阿鼻に異動したのが一連の流れ。姉は全く悪くなく、私が一方的に苦手意識を持っているだけなんだけど。

ポケットから使いなれた携帯を取り出し、久しく使っていなかった“姉さん”という連絡先を引っ張り出す。最後に話したのは…記録が残ってないくらい昔のようだ。

「はいもしもし」
「あ、姉さん?名前だけど、知り合いが姉さんの連絡先知りたいんだって。教えても大丈夫?」
「え?…ええ大丈夫よ。それより名前、阿鼻は大変じゃない?」
「もう大分慣れたし、私はこっちの方が肌に合うみたい。じゃあまたね、姉さん」
「あっ、名前、ちょっといいかしら?」

あまり長々と話したくない雰囲気が電話越しにすら伝わってしまったのかと内心ひやひやしながら何かまだ用事があるのかと聞くと、少し焦った声の姉がちょっと困ってるのよ、と切り出した。

「衆合地獄でインフルエンザが流行ってて人手不足なの。亡者を誘う役でなく、撃退する役だから…お願いできないかしら?」

申し訳なさそうな声色で、出来たらでいいのだけど、と言う声は今の姉の表情を容易に想像できるほど疲れ切ったものだった。本音を言うと、折角衆合地獄から身を引くことができたのに、数日でもあちらに復帰するのは嫌だ。けれども苦手とはいえ珍しく姉が私を頼っているのだ。それを無下にすることもできない。建前と本心の葛藤が頭で鬩ぎ合う中、阿鼻は忙しいから無理なら構わないわよ、と電話から小さな声が聞こえた瞬間、心を決めた。

「うん、いいよ姉さん。数日間でしょ?」
「ええ、一週間ほどよ。明後日からお願いすることになるんだけど…」
「わかった大丈夫。あ、でも届け出ださなきゃ」
「書類は私が手配しておくわ。ごめんね名前、助かるわぁ」

じゃあまた明後日ね、と言うと電話はぷつりと切れた。明後日から衆合地獄勤務、たとえ美人局の男役だとしてもやはり気は重い。まあ期間は一週間だし、姉は管理職に昇進したのだからヒラ獄卒のように亡者の誘惑はしないだろう。なら私と姉が顔を合わせる事は少ないだろうし、と無理やり自分を言い包め、向こうでの一週間に備える事にした。



「ねぇお兄さん、あたしと良い事しなぁい?」

枝垂れ柳の下、大小さまざまな岩が山を成すその天辺で男を惑わすのは美貌の女だ。女の髪色は淡く鮮やかな翡翠色、艶やかな唇を彩るのは同色の紅である。その身に纏うは丹色の牡丹が色付く艶やかな着物、美しい顔は得も言われぬ蟲惑的な表情を浮かべており、異性どころか同性すら魅了するほどの色香を放つ。もちろん、私の姉である。
柳の木の下で来い来いと小さく手招きをしながら、着物からほんの少しだけ脚をするりと覗かせればあら不思議。声を掛けられ、不審そうに表情を曇らせていた男の瞳が一瞬にして色欲に染まるのだから男という生き物は全くもって分からないものだ。私一人など造作に隠してしまうほど大きな柳の幹に凭れかかりながら、小さく息を吐いた。

「貧乏くじ引いちゃったな」
「それは御愁傷さまで」

ぽつりと呟いた独り言に返答を返したのは地獄の第一補佐官だ。そう、姉の護衛は私とこの鬼様の二人で請け負うことになっていた。
なぜなら姉が普通の鬼女が請け負うよりも広大な場所を担当するように言い渡されてしまったからだ。それに加えこの立地は衆合地獄の中心部。何か不測の事態があれば、第一補佐官殿がすぐに駆けつけられるようにと考えられた配置であった。ゆえに補佐官殿が席を外す可能性も考えて、衆合地獄に不慣れな私とタッグを組まされた、これが事の経緯である。
正直言って、姉もそこそこ腕が立つし、この鬼神様は言わずもがな。私がいる意味ってあるのかなと悶々と考えてしまうのも仕方がないと思う。

「ねえ鬼灯様、私阿鼻に帰っちゃ駄目ですか」
「駄目です」

書類の書きなおしが面倒だし、阿鼻地獄なら一日ぐらい休んでも問題なく回りますから座ってろ、と隈の濃い三白眼で睨まれてしまえば二の口も告げない。下手な事を言えばその金棒の錆にされそうだ。出来れば姉との血縁関係が露見しない段階で、とっとと自分の持ち場に帰れたら万々歳だなと思っていたのだが、世の中そううまくいかないらしい。
腕組みしたまま幹に背を預け、仮眠をとる補佐官様の睡眠を妨害する訳にもいかず、手持無沙汰に大樹の後ろの姉の様子を伺えば――マグロの一本釣りならぬ亡者の一本釣りを猛烈なスピードで敢行する姿が目に飛び込んできた。みるからに罠ですと言わんばかりのお誘いなのによくもまあホイホイと釣れるもんだ。男役の野干が凄みのある大男に化け、亡者を摘み上げる様を見ながら再び背中を柳の幹に預けた。
やっぱりみるんじゃなかった。私がここで現役だったころから姉の能力は頭一つ抜けていたが、今では頭一つどころか他の追随を許さないほどの手管手腕だ。見るんじゃなかった。こんなの劣等感ばっかり湧きあがってくるだけだ。そもそも劣等感を感じる方がおかしい、比べる対象が違いすぎるのに。
あまり見るのはよそう、気分が落ち込むだけだと考え、隣の鬼灯様に倣って私も軽く目を瞑った。きっと何かあれば姉が声をあげてくれるはず。

「痛っ!」

瞳を閉じ、黒の視界に心を落ち着け始めていた私の頭部に、ゴチンとなにやら固い物が振り下ろされる。思わず目を開き、頭部を殴り付けたそれを確認すると――私の頭部を襲ったものは、何と補佐官殿のげんこつであった。

「名前さん、仕事怠慢は良くない」
「あなただって目を閉じてたじゃないですか!しかも痛い!力一杯やったでしょ」
「痛くなきゃ意味ないでしょうが。それに私は総括です。あなたはここが持ち場の護衛役なんですから、ちゃんとお香さんを見てなさい」
「…そんなにずっと見てなくとも、姉は強いですし」
「唯一の姉妹なのに」

そんな態度でいいんですか、とその言葉の後ろにくっ付いているようで名前はくしゃりと顔を歪めた。わかってる。傍から見れば出来る姉が出来の悪い妹を気に掛けてあげてるのに、妹ときたらその好意を蹴ってばかりに見えるなんてことは。知ってる。男の人は結局、私より姉を持ち上げるなんてことは。ギリと握りしめた掌は、女らしく少しだけ伸ばした爪が深く突き刺さり一筋の鮮血を流していた。憎々しげに細められた瞳は、苛立ちをたたえている。

ぎゅう、と握られた右手を見ながら地獄の補佐官は実に楽しそうに目を細めた。やはりこうでなくては楽しくない。この一見諦めているようで実は姉に対する嫉妬、羨望、劣等感にまみれた瞳こそ、この女には相応しいのだ。姉に焦がれる真性のバカを見つめる瞳なんかじゃない、そのどす黒く汚れた瞳こそが良く似合う。そして出来ればその顔を歪めさせるのも、瞳を濁らせるのも自分であればいいと思う。
自分の言葉一つで表情を曇らせる名前を見て、鬼灯は心の底から充実感を感じていた。
もっとその顔を歪ませたいという仄暗い感情が首を擡げる。

「おや、お香さんとは似ても似つかぬ形相ですね。まさに、鬼」
「…煩いです、そんな自分でも分かってる事他人に言われたくない!あなた程の方なら知ってるんでしょう?私が部署移動を願い出た理由を!」
「ええ把握してます。あなたは逃げたのでしょう、綺麗な姉から」
「そうです。なのに何の縁かここまで舞い戻ってきてしまった。その上に姉の護衛だなんて、こんな苦行ありますか。分かってるならもう満足でしょう!」

 できるだけ小声で、だが荒げた語尾のまま名前は吐き捨てるように呟くと、鬼灯をじとりと睨みつけた。その瞳には暗い光が宿っている。
自分を一直線に見つめる憎々しげな名前の瞳を見つめながら、鬼灯は満足そうに口を歪めた。

「その瞳ですよ名前さん。あなたがお姉さんに唯一つ勝っているのは、仄暗い闇に塗れたその目です」
「なにを…」
「私は好きですよその瞳。いいじゃないですか、まさに地獄らしくて」
「…変わってますね、人を妬む女の目がいいだなんて。歪んでる」
「なにを今更。あなたを好ましく思う私も、実の姉を妬むようなあなたも随分捻くれてる」

 そういうなり鬼灯は大股で名前との距離を一気に詰める。驚く暇もなく刀を持たない側の手が取られた。そしてその腕はそのまま、大きく開いた口もとへと寄せられた。そしてそのまま、まるで吸い寄せられるかのように口から覗く鋭く尖った牙が名前の腕へと突き立てられる。ぶつり、と肉を裂く痛みに耐えきれず、名前はうめき声を漏らした。

「い…いった、痛いっ!」

衆合地獄での評価は低かった名前だが、阿鼻地獄ではエースとも言える程の腕をふるっていた。つまり女としての魅力はごくごく普通、もしくは下の上程度であったが、純粋な戦闘力は一般の男獄卒と比較しても引けを取らないものだと言えるほどのものだったのだ。
なのに全く腕が動かない。懸命に噛みつかれた腕を引き戻そうと格闘するが、腕は戻ってくるどころか牙がさらに深く肉を抉る始末だ。
ダラダラと血が噴き出す腕に満足したのか、痛みに顔を顰める名前に見えるように流れる血液を舌で掬うと腕を解放した。

「そりゃわざとですから」

あなたに、物理的な痛みを刻んだのは私が始めてでしょうね?と口の端についた血を舐めとる鬼神の表情は、どこか楽しそうであった。



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