■ 26話

※夢主不在です
  
花割烹亭狐御膳の妲己は、店主も勤める凄腕の高級遊女である。もちろん高級という肩書に恥じぬ、国をも揺るがす美貌と、並々ならぬ教養を兼ねそろえた、才女の名にふさわしい女性だ。
そんな彼女を買う事ができる男は、ほんの一握りのみしかいない。なぜならまず一つに、ある一定以上の収入源を持つものでなければお話にならない。それに加え、妲己が設定している法外な料金に文句をつけない事と、妲己がアレコレ手を出している後ろ暗い事業にも目を瞑れる者でなければいけないのだ。
もちろん、これほどの条件をクリアできるものなど数少なく、毎度毎度通える程金を工面できる者も少ない。
結果的に、彼女の『お得意様』は両手で数えられるほどしか居ないのが現状であった。
その数少ない『お得意様』の中にはもちろん、天国で薬局を営む神獣、白澤の名前が連なっている。
ちなみに、彼女のいうお得意様に込められた意味は『金払いが良く都合のいい男』であることはいうまでもない。


薄らと紫煙が満ちる狐御膳の最上階にある一室。あちこち乱れた布団の上には男と女、二つの人影があった。男は疲れているのか、ぐったりと布団に突っ伏している。一方の女は、疲れ様子も見せず、乱れた衣服を整えていた。
キュ、と帯を締めた音と同時に、事後特有の気だるげな雰囲気の中、女のふっくらとした唇から男の名が紡がれる。

「ねぇ白澤様、あなたにしか頼めないお願いがあるの」

いつにもまして艶っぽい、まさに傾国の美姫と言わしめるその声色に、あの白澤が反応を示さない訳が無い。しかも今回は”あなたにしか頼めない”という殺し文句付きだ。彼女がいかに強かな女性であるか理解していようとも、振り向かずにはいられなかった。もはや条件反射だ。
色々とハッスルしすぎて疲れ果てた身体を無理やり起こすと、白澤は声の主の方に顔をやる。
そこにあったのは、眉をハの字に寄せ、実に困った風に頬に手を当てる妲己の姿だった。

「明日と明後日、私を買ってくれないかしら?」

予定していたお客様が急用でこられないらしいの、と困ったように呟く妲己は実に美しい。しかし明日の夜は他の女の子との用事が入っているし、明後日も然り。急に予定をキャンセルすると次から遊んでくれなくなるかもしれないし、出来れば予定通りに事を運びたい気持ちが強い。
悪いけどここは断らなければ、と白澤は申し訳なさげに眉を下げながら呟いた。

「ごめんね、明日明後日は所用があってここには来られないんだ」
「そうなの…残念ね。けれど、私を買って頂く事はできるのよ。方法は御存じでしょう?」

遊女が他の客のお手付きにならないよう、金だけ払って遊女を拘束する。遊女に入れ込みすぎた客が稀に金を払い続け、他の男の手に渡らないようにつなぎとめると言う話は聞いたことがあった。
確かにその手段をとれば、明日明後日予定を遂行しつつも妲己を買う事は可能である。ただし、妲己との一晩にかかる法外な金が、二日分程用意出来ればの話だが。

「確かに方法はあるけど…」
「お願いよ白澤様…どうしても入用なの」

店の帳簿を思い出し、難色を示していた白澤に畳みかけるようにして告げられる言葉の数々。その言葉で白澤がほんのすこし少し揺らいだのを見逃さない女狐は、駄目押しとばかりにその豊満な身体を男に寄せた。そのまま両腕で男の腕を取り、必殺技の上目遣いを使えば落ちない男はない。
潤んだ瞳に見上げられてしまえば、白澤に残された答えは一つしかなかった。

「妲己ちゃんのお願いには弱いんだよね、僕。…いいよ、領収書書いておいてくれる?」
「ありがとう白澤様。次来店された際にはサービスさせて頂くわ」

もちろんとびっきりの奴のをね、とお馴染みのポーズでウインクを一つ寄こした妲己は、部屋の外で番をしていた狐を呼び出し、手際良く領収書を書かせた。それを受けとった白澤は予想以上の値に一瞬目を張るが、楽しげな妲己の姿を視界に納めると、まあいいかと曖昧に笑ったのだった。





目が飛び出るほどの金額が書かれた領収書を、白澤が薬局に持ち帰ったその晩。
普通に働いただけでは、到底払えないほどの金額が並んだそれを目にした弟子達は、すぐさま店主の白澤に詰め寄った。これほどの金をどこから調達するのですか、と。それに対して帰ってきた答えはなんと、どうにかなるよ、というとんでもなく楽観的な返答だった。
その明らかに行き当たりばったりな答えを聞いた瞬間、店員たちの脳裏に数々のトラウマがよぎる。ある時は女の子へのプレゼント代が嵩んだからと給料をカットされ、ある時はとんでもなく怪力な女性と付き合ったために壊れた店内の修理代を工面するのに奔走した。あんな思いはもうごめんだ。
チラリと視線を交えた桃太郎と兎はコクリと頷きあった。言葉はなくとも答えは一つしかない。

「しばらくは女性との交流を控えて下さい。遊びに行ったら散財するんですから」

言い渡されたのは、女好きの白澤にとってはもはや死刑宣告に近い宣言であった。


そんな宣告から数週間後。かの神獣は一人カウンターに突っ伏して泣きごとを漏らしていた。

「僕もう無理。死んじゃいそう」

椅子の上で体育座りをした白澤は、げっそりとした顔色を隠しもせずぼそりと口を開いた。
原因はいわずもがな、数週間前に弟子たちから出された『お遊び禁止令』である。
もちろん始めの頃は、予定の金額さえ突破すれば後は好きにどうぞと言われていたので、非常に真面目に身を粉にして働いていた。それこそ、偶々薬を受け取りに来た鬼灯に、何かと中身が入れ替わったのでは、と怪訝な目で見られるほどには。
しかしそれも長くは続かない。1週間、2週間と時が進むにつれ、白澤のトレードマークである笑顔はなりを潜め、無表情ばかりが目に付くようになった。所謂欲求不満である。
テーブルの前でぶーぶーと文句をたれる店主を横目に、桃太郎は大きなため息をついた。

「もう半分ほどは貯まったんですから、もう少し頑張ってくださいよ」
「前半戦程の気力が残ってないから無理。せめて一日でもアレ、解禁してくれない?」
「その一日で今までの分ふっ飛ばすだろうが!」

一日自由にしたらどうなるか…想像に難くない。どんな女性と遊ぶかもわからないし、最悪、妲己にまた捕まって、さらに借金が上乗せになる可能性もゼロではないのだ。目標を達成するまでは、この女好きの店主を野放しにしないべきである。
お願いを一刀両断した桃太郎は、良いからさっさと手を動かして下さい、と白澤を促した。

「ちょっと話しするだけでいいのに!あーあ、その辺に女の子いないかなぁ」
「兎の雌ならそこらにいますよ。女なら節操無いんですから、彼女らでいいじゃないですか」

桃太郎の目線の先には、頭にバンダナを巻いた兎達が。ぴょこぴょこと忙しく動き回る兎達の中にはもちろん、雌兎の姿もある。
呼びましたか?とばかりに一斉に視線を白澤に向ける兎達と視線が合う。何とはなしに兎の数を数えてみると、一羽ほど足りなかった。ああそうだ、名前ちゃんがいないんだ。配達に行って貰ったんだっけ?そういや名前ちゃんの配達先は地獄だ。前みたいに闇鬼神に捕まってなければ良いけど。と女性と遊べないストレスで一杯の頭でそこまで考えた白澤は、両手を合わせて、そうだ!と声を上げた。

「名前ちゃんに人型に戻ってもらえばいいんだよ!それで仕事してもらえば僕も集中できて仕事が捗る!」
「はっ?」
「そうと決まれば善は急げだ!ちょっと僕隣の部屋で調合するから」
「はぁ!?ちょっ、白澤様!この作りかけどうするんスか!」
「また後でやるから置いといて!」

先ほどまでカウンターでくたばっていたとは思えぬほど軽やかな足取りで、隣の部屋に駆けこんだ白澤に声をかける機会を失った桃太郎は、呆然とそちらの扉を見つめるほかなかった。



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