■ 24話 上

 
「結局着物に落ち着きましたね」
「こんな綺麗な着物じゃなくても…」
「あなたに差し上げるんですから、ちゃちな物は論外です」
「でも結構値が張りましたし…」
「気にすることはありません。ちゃんとその分返して頂きますから。形を変えてね」
「えっ!な、ならなおさらもっと安価なものに!」
「さあさあ、帰りますよ名前さん」
「……はい、鬼灯様」

颯爽とデパートに入店したはいいものの、服に疎い鬼灯様と、普段は服など身につけない私のコンビがまともに服を選べるわけもない。アレがいいかそれともコレがいいかと迷っていたところを、見かねた人のよさそうな店員さんに促されるまま、手ごろ…よりほんの少しお高めの着物を購入する運びとなった。
ただし、着物の柄については鬼灯様が、私が贈るんですから柄は自分で選びます、と断固として譲らなかったため、鬼灯様がチョイスしたものである。ちなみに彼が選んでくれたのは、綺麗な白の鉄線柄だった。小ぶりの花が散らされている着物はどことなく気品がある。
途中でどこで見つけたか、巨大な金魚草が描かれた柄とコレとで悩んでいたので、最終的に鉄線柄で落ち着いて良かったと内心安堵していた。…柄については。

問題はその値段だ。確かに一級品程お高いものではなかったが、それでも汎用品よりは少し値が張る物だった。それこそ、私が地道に貯金していたお金が半分になってしまうくらいには。しかもこの着物の代金は、おいおい労働なりなんなりで鬼灯様にお返ししていかねばならないのだ。一体何を申しつけられるのか…恐ろしい。

これからの未来を想像して、勝手に一人ぶるぶる震えていると、いつの間にか立ち止まっていたらしい鬼灯様の背中に激突しそうになった。
思わず、うわっ!なんていう女らしいとは程遠い悲鳴を上げながら急停止をすると、頭上からどこかで聞いたことのあるような陽気な声が聞こえる。

「ありゃ、補佐の兄さんか。こんなところで珍しいなぁ」
「おや、あなたこそ店先でダラダラしてないなんて珍しい」

そろりと顔を上げるとそこにあったのは、愛嬌ある笑みを浮かべた食い逃げ狐、もとい檎さんであった。いつもの気だるげな雰囲気を隠しもせず、面倒くさそうに頬を掻く姿は以前と全くお変わりない。
ただ一つ違うのは、手には手書きのメモ用紙と思わしい物を握り、いつもより少しだけ真面目な顔をして何かを探していることだろうか。少しだけ透けて見えたメモに『リボン・和風衣装…』と書かれているのだけチラッと見えた―――え、あんなに離れている紙に書かれた文字が見えた?
私の目はお世辞にも良いとはいえない。少なくとも兎の時はあんな文字、読むことはできないだろう。なのにあんな小さなメモ書きが読めるなんて…これは人間状態だからだろうか。
思わぬ人間の目の恩恵に感動している名前を余所に、鬼灯に辛辣な返しをされた檎はごそごそと袖口から愛用の煙管を取り出すと、顔を少し青ざめさせながらゆっくりと火を灯した。

「……目玉は取られたくないからな」
「成る程」

五体満足でいたい、とぶるぶる震える檎。その姿は肉食獣に怯える草食動物さながらだ。その怯えっぷりをみるなり、躾が行きとどいてんな、と密かに妲己の手腕に感嘆を漏らす鬼灯も、まさに地獄の鬼神様である。
その鬼灯の態度に、内心恐怖のデジャヴを覚えつつあった檎であったが、手元のメモを見るなり、そういや、と言いながら顔を上げた。

「言うの忘れとった。兄さんに案を貰ったカフェ、大分軌道に乗ってええ感じじゃよ」
「それはよかったです」

クラブの時とは桁が違う、と笑みをもらすと手近の椅子に腰かけ、煙管を吹かす檎。しかし、目の前を小さな狐が横切った瞬間、眉間の皺を深く刻み先ほどの笑みとは真逆の表情を作った。

「…でもなぁ最近、狐ばっかりでマンネリって客が増えてきて困っとんのよ」

思いだすのはお得意様ともいえるお客の顔だ。始めこそ真新しさと、生き物好きだという理由で結構な頻度で通っていたのだが、最近ではその回数が減っている。なんでも足が遠ざかっているのは、狐ばっかりだと飽きる、というのが原因だそうだ。
そんなこんなで金を落としてくれる客をみすみす逃しそうな檎に、妲己は即座に命令を下した。その命令を直訳するとすれば、客を逃がした時は覚悟しておけ、といった旨の内容であろうか。
当時の妲己の面相は、思い出すだけで身震いが止まらない程のものだったことは言うまでもない。その恐怖を思いだした檎は、それをごまかすかのように手元の煙管を吸った。
その様子を視界の端に納めた鬼灯は、妲己を恐れながらもなんだかんだで座り込んで煙管を吹かす駄目狐に、いかにもどうでもよさげに返事を返す。

「なら他の動物を雇えばいいでしょう。ほら…兎とか」

『兎』その単語に名前は、声の方向に勢いよく振り返った。己の事を指していると勘違いしたからだ。弾かれたように急いで振り向くと、丁度斜め前に佇んでいた鬼灯の鋭い瞳と目線がかち合う。
兎の時では拝むことのできない、綺麗な街並みに一人テンションが上がって、あっちこっちに意識が逸れていたのがばれていたのだろうか。それとも話を全く聞いていなかったことを咎められているのだろうか。と色々考えてはみるがその視線は逸らされないままだ。
何となく物言いたげなその視線に、目線が逸らせないまま固まっていると、はぁぁという檎さんの大きなため息がその空気をぶち破った。それと同時に固定されていた視線が逸らされる。…一体何だったんだろうか?ちょっと怖い。
小さく背を震わせる名前を余所に、檎は再度煙管に口を付けるとうーんと唸り声を上げた。

「やっぱりそれしかないよなぁ。兄さん、知り合いに可愛い動物おらんか?」

地獄じゃしおらんよなぁ、という檎の声に反して、鬼灯の脳裏に浮かんだのは、今は人間に変化している目の前の兎であった。あのもふもふ、サラサラを味わいながらのんびりティータイムが出来るカフェ…悪くないかもしれない。
もふもふ願望を抱いたまま名前に視線をやると、急に見つめられて驚いたのか、へっぴり腰のまま眉間に皺を寄せ、こちらを伺っている。

「……な、なにか?」

兎姿の方が好みであるのは言うまでもないが、人間時のこの怯えつつも立ち向かってくる態度も存外悪くない。いや、むしろちょっと燃える。
こういうのを屈服させるのがいいんですよね、と加虐心に火種が灯されそうになった瞬間、鬼灯はの脳裏にある可能性が浮かぶ。
もし名前がカフェで給仕の仕事を請け負った場合、彼女が仕事をしている間は、閻魔殿への配達係が自動的に桃太郎、もしくは忌々しい神獣になる可能性が高いのではないだろうか。
もちろん、桃太郎が配達に訪れる分には、三匹のお供達が喜ぶしなんの問題もない。
問題があるのはその上司の方だ。もし忙殺されている時にあの顔でも見てみろ、疲労が何倍にも膨れ上がることは請け合いだ。
それに仕事の合間に訪れる、もふもふ配達員という癒しが減るのも痛手。つまり、カフェで働いている名前さんをもふもふしに行くよりも、仕事の合間に捕まえてもふもふした方が自分のストレスが軽減されるのだ。
そこまでの結論を弾きだした鬼灯は、身構える名前から視線を外すと、いつもの鉄仮面で口を開いた。

「いえ、いませんね。見た目は可愛らしい兎の知り合いは一応居りますが、獄卒ですから給仕には向かないでしょう」

用心棒にはなりそうですが、と告げる鬼灯に、檎は目に見えて肩を落とした。それもその筈、できれば今の間に店員を確保できれば、手間が減るのだから。
断られてしまえば己で動物をスカウトしに出向かねばならない。それは面倒を嫌う檎にとって非常に苦痛な事であった。



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