▼エイプリルフールの嘘
「檜佐木先輩。私、恋次くんと付き合うことになりました」
「……は?」
明らかに、どう考えても、思った以上に、ベタベタな嘘だと思う。遠く後ろで、こんなふざけたことを企画した張本人が大きな胸を揺らしながら笑っているのが見なくても分かるようだった。
エイプリルフール、現世ではそういう嘘をついても許されるという謎の風習があるそうだ。
そんな風習聞いたこともなかったのに、そういった行事にノリノリな乱菊さんには誰も逆らえない。恋次くんと歩いていたら偶然鉢合わせたとあれば、もうこれはなんの因果か。気が付けば、仕掛人として恋次くんとふたり乱菊さんの渦に巻き込まれていた。
私に呼び出されたからか、はたまた編集業務が忙しくないからか。いつもより上機嫌な檜佐木先輩に乱菊さんから吹き込まれた見え見えな嘘をつくと、その顔がピシリと固まった。
それから、ゆっくり瞬き。檜佐木先輩は、自分の胸を押さえながら大きく深呼吸をした。まさかこんな嘘で騙せるとも思えず、怒鳴られる覚悟で目を閉じ身体を固くする。
なかなか来ない声に、おそるおそる目を開けた。ゆっくり顔をあげたとき、私を見つめる瞳に思わずどきりとした。
檜佐木先輩のこんなつらそうな顔するなんて、東仙が裏切った時以来に私は見たことがなかったから。
「えっと、檜佐木先輩」
「…そ、うか。あ、なるほどな。いや、ほんと、ははっ、まさかと思って、一瞬で頭真っ白になって、」
「檜佐木先輩、あの」
「ああ、分かってる。うん、何も言うな。それ以上は、なにも」
「なにもって、」
「や、マジで頼むわ……あー…かなり、キツい」
弁解の言葉なんて言けなかった。
みるみるうちに檜佐木先輩の目が赤くなり、じわりじわりと浮かんだ涙がひとつ溢れた。胸を押さえた手が、死覇装を強く握りしめて離さない。深い呼吸をして落ち着けようとしてるのに、意に反して溢れる涙に檜佐木先輩は「情けねぇ、」と絞る声で呟いた。
何度も私を撫でた大きな手が、傷のあるその顔を覆う。私の肩を叩く反対の手は震えていた。見てるこっちまで切なくなるこれは、私がついた嘘のせい。
「くそっ…俺、スゲェ自信あったのに」
「…その」
「阿散井、いい奴だから。幸せにしてもらえよ」
「……」
「じゃねぇと俺…どうしていいかわかんねぇよ…」
気が付いたら檜佐木先輩に手を伸ばしていて。そっと、片手で覆いきれなかった涙に濡れる頬に触れた。「情けねぇから、見るな」そう拒絶されたはずなのに、檜佐木先輩の手は私を掴んで離さない。
その瞬間、人に唆されたからといって、自分は檜佐木先輩にとんでもないことをしてしまったような気がした。遠く私たちを見つめているであろう乱菊さんも、きっとやりすぎたかなーと恋次くんと話してるに違いない。ちらりと振り返れば、案の定乱菊さんは手を目の前に持ってきて『ゴメンね』と片目を閉じた。
「…悪い。手握ってたな。未練がましいよな、ほんと俺、カッコ悪…」
「えっ、えーと…檜佐木先輩」
「ん?」
「嘘です」
「……は?」
握っていた私の手を離したその状態で、今一度固まる檜佐木先輩。じっと見つめるその瞳はしっとりと濡れていて、思わず、自分が泣かせてしまったんだなという罪悪感に苛まれる。そそのかしたのは乱菊さんでも、実行したのは私だから、ね。
一歩大きく下がり、檜佐木先輩との距離を広げる。そして、その瞳に耐えられなくなったと同時に、思いっきり頭を下げた。
「今日はエイプリルフールといって1日嘘をついてもいい日らしくて!その、私も初めて聞いたんですけど、そしたら乱菊さんが檜佐木先輩をターゲットにするって言い出して…」
「いやお前、なに言っ…はあ?」
「ごめんなさい!嘘です!」
「…どこからが嘘だって?」
「さ、最初からです」
「最初ってのは?」
「恋次くんとは付き合ってません…」
「…阿散井と付き合ってねぇってことは、阿散井とは何にもないってことだよな?」
「一切ございません……」
「……」
普段よりひとつトーンの低い声、私をじっと見下ろし淡々と質問だけを繰り返す声。あからさまな怒りは感じないものの、いつもと違う空気に身体を強張らせて強く目を閉じた。このまま叱られる覚悟も、ぶん殴られる覚悟もしておかなければならない雰囲気。
ぎゅっと目を閉じて、怒鳴り声と衝撃に耐えようと拳を握りしめた。
しかし、待てどもなかなか来ないお叱りにおそるおそる顔を上げる。見上げた檜佐木先輩の顔はさっきと変わらないのに、潤んだ瞳と震える唇が今にも限界突破しそうに見えた。いや、私がそう思った瞬間には檜佐木先輩の堤防は綺麗に壊れた。
ぐいっと腰から引き寄せられる身体が、熱いと感じるほど檜佐木先輩の腕にキツく抱き締められた。今までになかった力に苦しいともがいても離してくれず、何度も私を呼ぶ声が耳元で聞こえる。何度も、強く、熱っぽく呼ばれてこっちまで恥ずかしくなってくる。檜佐木先輩が、また情けないと自分で言ってたその声で呟いた。
「お前が阿散井に取られたって聞いてマジでアイツいつかぶっ殺してやるって本気で思った」
「えっ…」
「どっちから告白したのかとか走馬灯みたいな想像広がって、俺がなまえにしたくてもしたことがなかったこと全部先にされたかと思ってほんと、俺、死にたくなった」
「…すみませんでした」
「なまえはまだ誰のものでもねぇよな?」
「誰のものでもないです」
「なまえ」
「っあの、近いのであんまり名前呼ばないでください……恥ずかしい」
そっと身体を離されて、その顔が見られないまま斜め下に逸らす。乱菊さんたちなにしてるんだろう、まさか見てるなんてことないよね。恋次くんもいるならなんとかしてよ。そう叫べたらどれだけいいか。
この妙な雰囲気に飲み込まれまいとせめて外した視線は、両頬を大きな手で挟まれたことにより無に帰した。物理的に合ってしまう視線と、檜佐木先輩の強いまなざしに目がそらせない。その瞳が、ふわりと柔らかく緩んだ。
「照れてるなまえスゲーかわいい」
「な、なに言ってるんで、…っ」
塞がれた唇が熱い。自分とは違う温度が押し付けられて、反論の言葉は喉の奥に転がり落ちた。思わず、頬を包まれた手をぎゅっと握り締めて抵抗を見せる、も、今回ばかりは一筋縄ではいかなさそうだ。
離れた唇を見つめた檜佐木先輩がはにかんだ。
「阿散井より先にさせてもらったぜ」
「ひ、檜佐木先輩のバカ!ヘンタイ!!」
もう一度抱き締められたら、もう逃げようが無かった。実行したのが私だとかそんなのもうどうでもいい。企画者乱菊さんとついでに恋次くん絶対に許さない。あとエイプリルフールとかいう意味わかんない行事に乗っかるのももう二度としてやるもんかと、檜佐木先輩の腕のなかで誓った。
(最初はかわいそうだと思ったけどただの気のせいでした!)
(ちょ、なまえ先輩、残りの書類手伝ってくださ)
(嫌)
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