翳り | ナノ








「馬鹿な。透様が逃げ出す訳ないでしょう」

天照院奈落。首領の失踪はこれが初めてではないと聞く。さらに謀反を起こした首領を火炙りにかける、とも。

遍(あまね)は朝から晩まで、部下を連れ近隣の山中から街までを奔走していた。目に濃く刻まれている隈はここ何日も休んでいない証拠である。

「そこまでのハードワークを虐げられれば透様も逃げたくはなるぜ」

部下の一人が言った。しかし、遍の考えは違う。
自分いじめが大好きなドMワーカーホリックが逃げ出すはずない。彼女が怠惰を貪るような長であれば、歳上ばかりのこの組織も上手く纏まらなかっただろう。

「今日ここで見つからなければ、透様のことは一先ず、将軍の暗殺を阻止しに行きますよ」
「はい。遍様」

遍は透が念のためと自分に残してくれた将軍暗殺阻止計画の概略を手に取った。彼女が帰らなくても、明朝になれば部隊のほとんどを動かさなければならない。彼女のことだからきっとどこかでせっせと仕事しているのだろうが、首領不在の組織の一大事に、将軍の大仕事は荷が重い。早く帰ってきてくれ。遍は上司の達筆すぎる字を睨んだ。








「もう遅かったようじゃ。服部の小僧が将軍の首を取った」

朧ら陸道を進む部隊は伊賀忍の襲撃を受けた。
朧はこちらの戦力は充分だと確信していたが、これは多勢に無勢。敵の多さを見る限り、こちらに軍杯が上がる見込みはない。

仲間意識はない、利益に飛びつく伊賀忍者。これだけの数を動かしたのは百地乱破と藤林凱という忍者の頭首だった。他に服部全蔵ができるのだと聞いたが、たった今彼は俺達の本丸を潰したらしい。

「また服部家に手柄を取られてしまったの」
「いや。手柄なら、まだあるさ」

藤林は自身の巨体の全体重をかけ、神楽を踏み潰す。
「…….っ!神楽、」

「者共!此奴らにもう用はない!一兵でも多く討ち取り、手柄をあ........」
ブシャァァァ………蛇口を勢い良く捻った時のような音に藤林が足元へ視線を落とす。自分の、片足から吹き出る血であった。片足を失ったことにより不安定になった半身が傾く。背後の男の声に藤林は驚異の目を見張って男を見た。

自分よりも幾分も小柄な部下の姿に、藤林は男が忍者ではないとはっきり分かった。何しろ男の目は真直ぐに一筋の光を携えていたのだ。伊賀忍者にこのような者はいない。侍は、切れ味のいい鉄鋼のように鋭い笑みを浮かべて言った。

「せっかくの指示悪いんだが。俺達ゃテメェの命令を聞く義理はねェよ」
「違いねぇ。俺達を顎で使えるのは天下で一人だけだ」

「貴様らいつの間に…何をしている!早くやれェ!!!百地、貴様も____ぅはッッ!!!」

「悪いの。わしも、敵と内通した裏切り者の命令を聞く義理はないぞよ」
「百地!まさか貴様!」

「頼みごとなら既に受けておってな」
百地の包帯に巻かれた外見はいかにも朽ちた人体のようで悍ましい。それが口を開き話をする様子は、見慣れた藤林であっても今は畏怖の対象でしかなかった。

「ここはどうぞよ。この場にいる一番身分の高いものに仕切ってもらうというのは」
「ば、バカな!」

後ろから躙り寄る足音に藤林は目を見張った。白い忍者の格好は揃いのはずなのに、その佇まいは妙に皆とは浮いている。容貌といい性質といいありふれた玉のような人でないことは一目瞭然であった。飛び跳ねるような美しさ、藤林はその男の背後に後光が差すような偉大さを見た。まぎれもない、将軍徳川茂茂であった。

「将軍の名の下に命令を下す。賊を討てェェェ!!!!」











忍びの聖地、隠れ里不知火。

「忍びの神摩利支天が守るこの地なら、将軍の身も安全ぞ」

茶でも飲んでゆっくりしていけ。百地にそう言われ腰を下ろした朧、銀時、神楽、新八、近藤、土方、猿飛の陸道を進んでいた部隊の核を担っていた者達だったが、からくりか後ろに控えているメイドかどちらが本体か分からない謎多き百地に一同緊張を解けずにいた。

「あの、すみません百地さん。それって武器なんですよね?人じゃないんですよね?」
「わっぱどもに茶は早かったか。ならばこれでどうぞよ」
「うはっ!ココアアル!」
と、からくりの尻から噴射されるココアをもらいはしゃぐ神楽。

「大丈夫なんですよね!?本体あんたなんですよね!?」
「わしは傀儡術を極めし忍。からくり人形を操りながら、からくり人形に操られる者。どちらも本体。百地乱破ぞよ」
「いやよくわかんないんですけど」
「案ずるな。ももちゃんは時に武器になり時に急須にもなる万能性能」
「要するに大丈夫ってことね」
二人揃って茶をすする近藤と土方をよそ目に、百地は話を続ける。
「時には便器にもなる」
「「ブッッッハッッ!!!!」」

「おい。厠はここにあるぞよ」
吐き気を催した二人は厠に駆けるが百地は自らの便器を勧めた。

「そちらに行っても厠はない。命もない」
どうやらこの屋敷は多くのからくり、つまりトラップが仕掛けられているようで、そのトラップにかかったらしい近藤と土方の足音が聞こえなくなった代わりに二人の悲鳴はよく聞こえた。

「あまり動き回らない方が良い。厠に入った途端、ひとりでにねじれた者もいる」
「どこの暗黒大陸!?」
「おねだり3回叶えればいいのか?」
「ノリノリで被せんなよ朧。うちの神楽が真似すんだろ」
「え?それナニアルカ」
「それが答えの全てだよ」

「なるほど。確かにここなら将軍も安全かもしれねェな」

パタン。厠の扉が開き、将軍がアソコを抑えながらよたよたと出てくる。
「将軍真っ先にねじれてんぞォォォォ!!!」
「さ、俺も厠行ってくる」
「朧さん!将軍のアレを見てなかったんですか!」
「いや、でもずっと我慢してたし」
「ねじれますよアソコ!危険すぎます!」
「大丈夫だ。これでも一応、忍者の先生とかやってるからな」
「それ違う漫画ァァァァ!!!!」








「透、」

彼女を見ていると、教壇に立つ和服の先生を思い出す。高杉が先生を夢に見ることは珍しくなかった。もうどれだけ声の限りに「先生」と呼んでも応えない、しまいにはあの慈悲深い笑みを浮かべようとしても、死に顔ばかり浮かんでくる。その娘だって同じような安らかな顔で、恐ろしい沈黙を高杉に味わせている。

「どうしたの、晋助」

気づくと透は惜しいような、じれったいような、おかしい顔をして高杉の頬をガーゼのように撫ぜていた。なぜか急に泣きそうになってしまって、箍が外れないようにじっと熱くなる目頭を掴むと、今度は透が泣いていた。

「君の全てを取るような真似をしたのは、本当に申し訳なく思っているよ」

嗚咽と謝罪を織り交ぜられても、高杉の心は晴れなかったし、かと言って荒れることもなかった。神々しく思っていたあの時の透の姿が、どこにも見当たらなくなってしまったからだ。強いなあと憧れていた彼女には、もうやることはやったのだという老人のような燃え尽きた灰しか見当たらなかった。たとえその剣で誰かを呪うことになっても、君はヤンキーのままでいなさい。教訓のように思っていたのに、決して間違った教えではなかったはずなのに、否定されたような絶望を感じる。

「俺はテメェが嫌いだ」

「そう」

そんなことを言われてもへっちゃらと言いたいのか、着丈に笑ってみせる透の青白い顔には、まだ年上の女らしい意地悪な余裕が残っていた。朧がこれにどきりとするのも分かる。しばらく惘然としていた高杉に、透は手を絡めた。

「ありがとう」

「なんだ、そんなことか」

言わなくても分かることは言わなくてもいい。いつかの約束を守っただけだ。それも、今の自分がどしりとした一本の芯を軸に生きていられるのは、まさしく透のおかげであるからだ。彼女への思いがもう再発しないようにと、高杉は今度こそ胸の奥深くへしまい、手をほどき、緩く立ち上がると部屋を後にした。


30.10.21


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