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 なまえがエルヴィンを求めているなら、初めに差し出してしまえばいい。リヴァイのその企みにエルヴィンは乗ってくれた。まともな団長だった頃のエルヴィンがいくらなまえに淡い思いを抱いていたことを知っていたからといって、エルヴィンとなまえが結ばれてハッピーエンドなんていう結末は絶対に訪れないことはリヴァイには解っていた。無意識のうちにその呪いをかけたのは、他でもない、彼だったから。

 三人が全て丸く収まる方法が、これだった。

 なまえがいくらエルヴィンを愛していようと、エルヴィンはなまえの絶望に飢えていて傷を抉っては泣かせてしまう。リヴァイがいくらなまえを愛そうと、彼女に思いが届くことはなかったが、なまえはリヴァイの妻であり、リヴァイがなまえの所有者であることに揺るぎなかった。
 互いが食欲と性欲の対象で、決して報われることのない、滑稽な関係。
 でも長過ぎる時間の前には、娯楽でもあり、慰めでもあった。
 




 血の支配とは恐ろしいもので、エルヴィンは所有する財産を全てリヴァイに譲ってしまった。そもそもエルヴィンもその先代も、貴族の義務や領地経営などには関心がなかったようで、スミス家の莫大な財産は誰にも顧みられることなく眠ったままだった。リヴァイはそれを利用して投資や事業に励んだ。永遠を生きるには多少の金が必要だった。高貴とは程遠い育ちをしたからか、貴族なんかよりよほど金に貪欲なのではないかとリヴァイ自身が自負したくなるほど、事業は成功し、莫大な富を築いた。

 昼間、リヴァイは事業で多忙にしており、なまえは比較的自由に過ごすことができた。屋敷内は制限もなく動き回ることができたし、相変わらず世話をしてくれるエルヴィンと街へ買い物に出ることも許されていた。

 それでも塞ぎがちななまえに、リヴァイが言った。夜更けの居間、暖炉の炎も燃え尽きてしまいそうな時間帯だった。暖炉の前の長椅子にリヴァイが座り、その傍らに、絨毯の上に直に座りリヴァイの膝にもたれ掛かって愛玩動物のように頭を撫でられているなまえ。それを微笑ましく見詰めるエルヴィンがいた。

「今度、海に行くか。三人で」
「海ですか?」
「海……?」

 なまえが少し頭を持ち上げて反応を示した。

「ああ、今俺が出資している鉄道ってやつは、馬で駆けるより、自動車で走るよりも早く地の果てへ行けるようになるらしい」
「壁に囲まれていた頃に夢見たものですね」

 結局エルヴィンもリヴァイも、壁の外へ行けるようになってもこの狭い所に閉じこもったままだった。いつの時代になっても争いごとはなくならないし、戦争と仮初めの平和が交互に訪れるだけだ。
 これもひとつの罰なのかもしれない。エルヴィンやリヴァイ、調査兵団のしたことは、何の意味ももたなかった。ただ業を深くしただけだ、と。それでもその時代、皆でもがき苦しんだことが決して無意味ではなかったことを、その後の長い時を過ごすことで理解できたような気もしていた。

「……楽しみ」

 なまえの顔が嬉しそうに綻ぶ。久方ぶりのなまえの笑顔だった。それを見てリヴァイとエルヴィンは目を細めた。
 




 地下へと続く階段の踊り場がなまえのお気に入りの場所だった。そこに飾られている肖像画を、穴が空いてしまいそうなほど眺めていた。

「何か思い出しましたか?」
「……いいえ」

 側に控えるエルヴィンの問いかけに、なまえは首を振って答えた。
 そこに描かれている男性は、隣で質問を投げかけた執事のエルヴィンと同じ美しい金の髪に、透き通るような空の色のブルーをしていた。
 古い肖像画だった。昔の軍人なのだろうか、凛々しい体躯をしており、濃緑のマントを纏っていた。

「私はこの人に……」
「この人に?」
「なんでもない。ちょっと一人にして」



 壁の中の埃っぽい空気とは違って、壁の外は澄んでいて、気持ちのよい風を肌に受けたことを思い出した。
 濃緑のマントに描かれた自由の翼を纏った二人の姿を目で追いかけて、とても眩しかったのを覚えている。 

 エルヴィン団長に恋をしていた。
 リヴァイの思いにも答えたかった。
 どっちつかずの揺らぐ想いに決断をつけられなくて、あんな目にあった。素直に気持ちを伝えられなくて、向けられる想いから逃げていたから、最後にあんなことに。

……幸せだった
エルヴィン団長のために死ねて。
最後にリヴァイがそばにいてくれて。


「遅いですよ。エルヴィン団長も、リヴァイも……」

 肖像画の青空に指先で少し触れて、なまえは小さく呟いた。


(2014.11.16)
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