06

 初めての試験から数日後。
晴れやかな休日には相応しくない、やけに荒々しいノックの音が部屋に響いた。急いで扉を開けると、なぜか制服を着た明日香ちゃんがそこにはいた。
「あれ、明日香ちゃんおはよう。どうしたの?」
それが、と話し出す明日香ちゃんの表情は決して明るいものではなかった。

 「せ、制裁タッグデュエル!?」
深夜にこっそり立ち入り禁止の寮に踏み込んだということで、遊城くんと丸藤くんは査問委員会という組織から糾弾された末、救済措置として制裁タッグデュエルに勝てたら見逃してくれるということになったようだ。明日香ちゃんと前田さんも実は寮に同行していたらしく、タッグデュエルに乗り気でない丸藤くんに代わって自分たちが引き受けたいと先程まで校長先生に直談判をしていたらしい。
「結局もう査問委員会で十代と翔君の二人って決まってしまったらしくて……。どうしようもないらしいの」
「そっか、そんなことがあったんだ……」
脳裏に二人の顔が過ぎる。折角ここでできた友達なのに、お別れなんて嫌だよ!
「ねぇ、これから十代たちの様子を見に行かない?」
「もちろんだよ!何かわたしにも出来ることがあるかな……」

 連絡橋の近くに前田さんと思わしき後ろ姿があった。
「十代、翔。俺、何にもしてやれないけど……」
「きっと大丈夫よ」
「明日香さん……!それに、澪音さんも」
「制裁タッグデュエル決定って落ち込んでるかと思ったら、なんだか楽しそうねアイツ」
崖の下を覗き込むと遊城くんと丸藤くんが向かい合っていた。今からデュエルをするのだろう。
「十代に関わった人間は皆、元気になる。きっと翔君も」
代われないものは代われない。助けてあげたい気持ちは、ここにいる三人皆同じ。あとは遊城くんに託すしかないのだ。
デュエルディスクを構えた二人だが、丸藤くんからは覇気を感じない。これから退学になるかもしれないということを考えると、やっぱり気が重くなるよね……。

 「ああっ、いきなりやられちゃったんだな」
一ターン目。後攻の丸藤くんが《パトロイド》で攻撃を仕掛けるも、遊城くんの罠カードで失敗に終わってしまった。
「にゃあー」
前田さんの足元にまるまるとした猫が擦り寄ってきた。大徳寺先生の猫だ。名前は確か、ファラオくん。この子も二人が心配で見に来てくれたのだろうか。
「やっぱり心配していたとおりね。翔くんでは、十代のタッグパートナーは重荷なのかも……」
慣れた手つきでサッと拾い上げる前田さん。腕の中に収まったファラオくんの、あぁなんてふてぶてしい佇まい。丸々とした輪郭に狐のように細い目。だらりと垂れた太いしっぽ。
「……澪音さん、代わりたいんだな」
「えっ、うん!抱っこしたい!なんで分かったの?」
「そんなにファラオのこと見てたら、わかるんだな」
前田さんからファラオくんを受け取ると、腕には暖かさとそれからずっしりとした重さが伝わった。
「わぁ。結構ずっしりしてるんだね……」
「にゃーお」
「もう、何してるの澪音ったら」
「ご、ごめんごめん!つい夢中になっちゃって」
「やめてよ!!兄貴だからってお説教はなしだよ!!」
突然声を荒げる丸藤くん。そんな丸藤くんを見るのは初めてで、思わずファラオくんを抱く腕に力が入ってしまう。
「どうしたんだ翔!いつものお前らしくないな」
「ごめん……。アニキ、僕変だよな……折角アニキがアドバイスしてくれてるのに」
「いや、ちょっとお説教くさかったかもな。デュエリストに上下無しだ!アドバイス無しで、バンバン本気出しちゃうぜ!」
険悪な雰囲気になってしまうんじゃないかと危惧したものの、遊城くんのフォローによってそれは杞憂に終わった。
 次のターン。遊城くんは言った通りに容赦なく攻撃を仕掛け、丸藤くんのLPは既に2600まで減ってしまった。
「場に一枚カードを伏せて、ターンエンド」
「とほほほ……。いきなし本気を出すなんて酷いよアニキぃ」
「早くも戦意喪失なの……?頑張って翔くん」
「気張れェーー!」
わたしも丸藤くんに何か言葉をかけようとしたけれど、前田さんの大きくて真っ直ぐな声援に思わず息を呑んだ。
「そんなもんで落ち込んでたら、一年留年の俺なんかよりかっこ悪いぞー!」
「気張れェー、気張れェーー翔!!」
いつもはのほほんとしていて穏やかそうな彼が、こんなにも声を張り上げて応援をしている。あまりにも真っ直ぐなその声に胸が熱くなってしまう。
僕のターン、という丸藤くんの声は先程とは打って変わって芯の通った強いものになった。
「隼人くんの声援で、やる気を取り戻したみたいね」
「うんうん!今の応援、すっごく気持ちが籠ってて、前田さんが丸藤くんのこと想ってるのがよーく伝わったよ」
「え……!俺、自分がダメだから、ダメになっちゃう人間の気持ちが、わかるような気がするんだな」
「人の気持ちがわかるのは、きっと貴方が自分で思っているようなダメな人間じゃないからよ」
「明日香ちゃんの言う通りだよ。前田さんはダメだからじゃなくて、優しい人だから丸藤くんの気持ちがわかるんじゃないかな」
「そ、そんな……」

 「ドロー!……手札から、魔法カード《強欲の壺》を発動!自分のデッキからカードを二枚引き、引いた後で《強欲の壺》は破壊される!」
カードを引いた丸藤くんは、ハッと何かに驚いたような表情をし、その場に立ち尽くした。一体、どんなカードをドローしたのだろう。
遊城くんが声をかけると漸く引き戻されたように次のフェイズへと移る。
《融合》によって召喚された《スチームジャイロイド》で遊城くんにダメージを与えたものの、焦るどころか溢れんばかりの笑顔でさらにテンションを上げた。
「俺のターンだ!ドロー!……よし、手札から魔法カード《融合》を発動!《スパークマン》、そして《クレイマン》。お前たちのパワーで新たなるパワーを呼び出させてもらうぜ!《E・HERO サンダー・ジャイアント》を召喚!」
先程まで快晴だった空は渦を巻いた黒い雲で覆われた。落雷と共に《サンダー・ジャイアント》がフィールドに降り立つ。雷に驚いたのか、ファラオくんは腕から飛び降りて帰ってしまった。
「これで勝負は決まったわ……」
「どうして?まだ翔、頑張ってるじゃないか」
「《サンダー・ジャイアント》は、元々の攻撃力はこのカードの攻撃力の低いモンスターを一体、破壊する」
「えっ!それじゃあ……」
「ヴェイパー・スパーク!」
「ああっ、僕のフェイバリットカードが!」
「丸藤くんのフィールドががら空きに……!」
まだ残っていた通常召喚を使って《E・HERO バーストレディ》を召喚し、《サンダー・ジャイアント》と《バーストレディ》のダイレクトアタックでこのデュエルは終わった。
「ガッチャ!翔、面白いデュエルだったぜ」
「やっぱ僕、ダメだ……。タッグデュエルに勝つなんて無理だよ……」
「何言ってんだ。最後は見事な散りっぷりだったけど、それまでは紙一重の戦いだったぜ?」
「でも……」
「お前、カードドローしたとき変な顔してたろ。手札見せてくれよ。……あ!?どうして《パワー・ボンド》を使わなかったんだ……?もし使っていれば攻撃力は二倍。《スチームジャイロイド》は4400の強力モンスターになっていたじゃないか!」
《パワー・ボンド》。軽く要約してしまえば、ハイリスク・ハイリターンな機械族専用の融合カード。きっと、《強欲の壺》でドローしたときに引いたカードはこれなんだろう。
エンドフェイズにダメージを受けなければならないものの、巻き返せる可能性もあったカードだ。
「やっちゃだめなんだ!お兄さんから封印されているカードなんだ!やっぱり、僕じゃアニキとタッグを組むなんて、無理なんだよぉ!」
そう悲痛に叫んだ丸藤くんは駆け出して行ってしまった。
「翔!」
「あっ、丸藤くん!!」
彼を追いかけた前田さんに続いてわたしも走り出す。それほど距離が開いてなかったおかげですぐに彼に追いつくことが出来た。
「丸藤くん、」
「ほっといてよ!!」
「翔……」
「……ごめん。僕、今一人になりたいんだ」
「澪音さん、戻ろう。今はそっとしておくんだな」

 先日のデュエル以来、学校の中で丸藤くんの姿を見かけていない。
わたしには何ができるだろうと考えた挙句、今目の前にある"これ"が答えになった。気に入ってくれるかどうかは分からない。ダメだったら持って帰ろう。崩さないように慎重に箱の中へとそれを入れた。目指すはレッド寮。

 ブルー寮から学校を経由して更に向こう側へ。潮風が強い。
レッド寮から誰かが飛び出していく姿が見えた。……あれ、こっちに近づいてくる。
「翔!!何処だー!」
「翔ー、出てくるんだなー!」
遊城くんと前田さんだ。丸藤くんのことを呼んでいるみたいだ。
「二人とも!丸藤くん、どうかしたの?」
「澪音!そうだ、お前も手伝ってくれ!!」
「な、何を?」
「翔のヤツ、置き手紙をして逃げやがったんだ」
え、としか言葉が出なかった。持ってきた箱を危うく落としかける。
「まだ遠くには行ってないはずなんだな」
「……わかった。わたしも一緒に探させて」

 丸藤くんの名前を呼び続けるも、一向に彼からの返事は無い。茂みの中、建物の死角、岩陰……色々探しているけど、わたしたちの望む姿は見当たらなかった。
「相棒!」
「まただ。クリクリって、あの声が……」
「え?何か聞こえた?」
「なんだ?ついて来いってか?……こっちだ!」
「ま、待てよ十代!」
遊城くんは独り言(?)を呟きながら足元の悪くなっている岩場へと走って行った。

 「ア、アニキ!?」
遊城くんを追いかけると、前方から丸藤くんの声が聞こえた。よかった、見つかったんだ……!!
と、安堵するのも束の間。目の前で水しぶきがあがった。
「た、助けてっ!僕泳げない!!」
「こらっしがみつくなっ!沈む〜!」
すかさず前田さんが海へと飛び込んだ。周りをサッと見ても浮き輪やペットボトルみたいな浮くものも、ロープみたいな捕まるものもない。わたしも身を投げ出そうと覚悟したが、その必要はなかったようだ。
「…………あ、浅い」
ダイブしたはずの前田さんは、潜ることなく彼の腰部までしか水に浸かっていなかった。
「このまま行かせてくれよ、アニキ……。僕のことはいいから。別のパートナーを探して、アニキだけでも退学を免れておくれよ……」
「つべこべ言うんじゃねぇ!俺は決めたんだ。パートナーはお前だ!」
「でも、今の僕じゃ勝てっこないよ……」
「不甲斐無いな、翔」
崖上から突如声が降ってきた。見上げるとそこには明日香ちゃんと、前に制服を貸していただいた先輩──確か、りょう先輩──がいた。
「お、お兄さん!」
「え!?お、お兄さん!?」
「あれが、カイザー亮……」
「逃げ出すのか」
「ぼ、僕は……」
「……それもいいだろう」
丸藤くんはその言葉を受けて、無言で背を向ける。壊れた筏を組み直しているその背中は小さく震えている。……泣いているの?
「翔……。行っちまうってよ、あんたの弟!」
「仕方無いな」
そんな、と零した言葉は誰に届くこともなかった。
「だったらよォ、せめて餞別でもあげてやらねぇか!俺とカイザー、あんたのデュエルで!!」
「ア、アニキ……!」
「キミとデュエルを?……いいだろう。上がってきたまえ、遊城十代」
「そう来なくっちゃ!」
「ア、アニキィ!」
良く見てろよ。そう丸藤くんに伝えた彼はりょう先輩を真っ直ぐ見つめる。先輩もそれに応えるかのように見つめ返していた。

 遊城くんと先輩のデュエルが始まる。太陽は既に海の向こうに姿を隠していた。
どうしよう、僕のせいで……と青ざめる丸藤くんとは裏腹に、遊城くんは先輩とのデュエルに燃え上がっているみたい。
「俺の先行、ドロー!俺は《E・HERO フェザーマン》を攻撃表示で召喚!カードを一枚セットして、ターンを終了するぜ」
「俺のターン、ドロー。俺は《サイバー・ドラゴン》を攻撃表示で召喚する」
「うわっ、生け贄無しで五つ星モンスターを召喚!?」
「《サイバー・ドラゴン》の特殊効果だ。キミの場にモンスターがいて、俺の場にモンスターが居ない時、生け贄無しで召喚することが出来る」
遊城くんは頭を抑えて感嘆の声を上げる。なるほどつまり《サイバー・ドラゴン》は後攻にぴったりのモンスターなのだ。ドローできればの話だけれど。
「そして手札から、速攻魔法《サイクロン》を発動!魔法・罠カード一枚を破壊!」
「くっ、やられた!」
「《サイバー・ドラゴン》で《フェザーマン》を攻撃!エヴォリューション・バースト!」

十代:LP2900

「さらに手札より、魔法カード《タイムカプセル》を発動!デッキからカードを一枚選択し、このカードをタイムカプセルに入れる。二回目の俺のターンにこのカードを復活させる」
「デッキから、好きなカードを選べるってことか!何を持ってくるか楽しみじゃねーの!」
丸藤くんはより一層不安げな顔を見せる。今入れたカードに何かあるのだろうか。りょう先輩は静かにターンエンドを宣言した。
次のターン、遊城くんは《E・HERO サンダー・ジャイアント》を融合召喚し、丸藤くんと対戦した時と同じように《サイバー・ドラゴン》を破壊した。
「さて行くぜ!ガラ空きの本陣突破だ!《サンダー・ジャイアント》でプレイヤーにダイレクトアタック!!ボルティック・サンダー!」
遊城くんの攻撃を先輩は無言で受け止める。

亮LP:1600

「カードを一枚伏せ、ターンを終了するぜ」
互いが自身のカードの効果をうまく使いこなせている。さっきの一ターン目で、今目の前にいる先輩が強いことは感じ取れた。引きの強さはもちろん、そこから何をすべきか、何が最善かをよく理解している。それに冷静な佇まいも先輩の強さの表れなのかもしれない。
「俺のターン。ドロー。特殊効果により《サイバー・ドラゴン》を生け贄無しで召喚する。更に手札から、《死者蘇生》を発動!墓地の《サイバー・ドラゴン》を復活!そしてこの二体を……融合。《サイバー・ツイン・ドラゴン》を召喚!」
「こ、攻撃力2800!?」
「それだけじゃない。《サイバー・ツイン・ドラゴン》はバトルフェイズに二回の攻撃をすることが出来る」
「そ、そんなぁ!?」
「二回目の攻撃が、十代へのダイレクトアタックになる……!」
「まずい!」
「《サイバー・ツイン・ドラゴン》で《サンダー・ジャイアント》を攻撃!エヴォリューション・ツイン・バースト!」
万事休すかに見えたその時。
「リバースカード、オープン!《ヒーロー見参》!!」
えっ、と俯いていた丸藤くんが顔を上げる。《ヒーロー見参》と聞いて、試験のあの時を思い出した。現在遊城くんの手札は一枚。相手にカードを選ばせるまでもない。肝心の手札は……
「《フレンドッグ》を守備表示で召喚!」

十代:LP2500

「《フレンドッグ》が墓地へ送られたことにより、特殊効果発動!墓地の《E・HERO》と《融合》カードをそれぞれ一枚、手札に戻すことが出来る!《融合》と《E・HERO クレイマン》を手札に加える!」
先輩も強いけれど、遊城くんだって負けず劣らずだ。お互いが自身のデッキを熟知して、自分の力を出し惜しみせずにぶつかり合っている。
「ターンエンド」
「面白ぇ。面白ぇよカイザー、このデュエル!」
「……あぁ、俺もだ」
「俺のターン、ドロー!俺は《E・HERO バブルマン》を攻撃表示で召喚!俺の場に、モンスターは《バブルマン》だけ……《バブルマン》の特殊効果によってデッキからカードを二枚ドロー!」
遊城くんはしばらくドローしたカードを見つめる。
「……俺は魔法カード《融合》を発動!手札の《E・HERO クレイマン》と場の《バブルマン》を融合させ、《E・HERO マッドボールマン》を守備表示で召喚!」
「よぉし!守備力3000なら、《サイバー・ツイン・ドラゴン》が二回攻撃しようが関係ないんだな!」
「ターンを終了するぜ」
「俺のターン、ドロー。《タイムカプセル》発動後、二度目の俺のターンだ。俺は《タイムカプセル》を破壊して、棺に入れたカードを手札に加える。……十代。いよいよ大詰めかな」
「あぁ。どうなるかワクワクするぜ」
「そうだろう。キミはキミの持てる力を存分に出し切っている。そんなキミに対して俺も全力を出すことが出来た。キミのデュエルに敬意を表する。行くぞ、十代!!」
「来い!!」
「俺は手札から、《融合解除》を発動!《サイバー・ツイン・ドラゴン》の融合を解除!そして、手札から魔法カード《パワー・ボンド》を発動!このカードは機械族モンスターを融合召喚することが出来る。場に二体の《サイバー・ドラゴン》、さらに手札よりもう一体の《サイバー・ドラゴン》を融合!《サイバー・エンド・ドラゴン》を攻撃表示で召喚!《パワー・ボンド》の効果により、攻撃力は二倍になる!」
「は、8000……」
「このモンスターが守備モンスターを攻撃した時、攻撃力が守備力を上回っていれば、その数値だけ相手にダメージを与える!」
「気張れ十代!このターンを乗り切れば、《パワー・ボンド》のもう一つの効果でお前の勝ちだぞ!」
「そう、《パワー・ボンド》は発動したターンのエンドフェイズ、融合モンスターの最初の攻撃力分、自らダメージを負うリスクがある……」
相手に敬意を表するデュエル。あぁ、きっと先輩の強さはそこにあるんだ。見事なプレイングやその振る舞いは、相手への敬意が根底にあるのだろう。
きっと丸藤くんもそれに気づいたんだ。もう先ほどまでの顔色の悪さはどこかへと吹き飛び、二人のデュエルを真剣な顔で見届けている。
「《サイバー・エンド・ドラゴン》で《マッド・ボールマン》を攻撃!!エターナル・エヴォリューション・バースト!」
遊城くんは手札や伏せカードを発動することはなかった。ただ、先輩の攻撃を真正面から受け止める姿が目に焼き付いた。

十代:LP0

 「十代!」
「遊城十代が……負けた……」
「アニキ!アニキー!」
「……楽しい、デュエルだったぜ」
先輩は何も言わない代わりに軽く微笑む。一瞬だけ視線を送ったのは遊城くんか、それとも丸藤くんなのか。

 「すげー兄さんだな」
「うん!アニキもね!」
目が合った二人はさわやかに笑う。もうわたしが心配する必要はないみたいだ。
「さてと。帰ってデッキでも組むか」
「うん!」
「今度は《パワー・ボンド》が使えるように考えて組むんだぜ、翔」
「わかった。必ず封印を解いてみせる!」
ぐぎゅるる〜〜。
きっぱりと決意を表した丸藤くんの言葉に続いたのは、前田さんのおなかの音だった。
「でも寮の食堂は封印されてしまったんだな……」
また同じ音が聞こえた。今度は遊城くんと丸藤くん。
「まだ間に合うかも!!」
「あっ!!三人とも待って!」
「何だよ、俺たち腹ペコで死にそうなんだぜ!」
「ごはんじゃないけど、カップケーキ作ってきたの。丸藤くんが元気出るといいなって」
足元に置いていた箱をみんなに見せる。視線が私から私の持つ箱の方へと集まった。
「え!?ぼ、僕の為に……?」
「うん。甘いものって食べられる?」
「僕のため……ヘヘヘ。澪音さんのだったら何でも食べられるよ!」
「本当!?よかったぁ。じゃあ、寮に戻ったら食べてね」
「なぁなぁ、俺たちの分もあるか!?」
「うん!せっかくだから遊城くんと前田さんのも作ってきたよ」
「わざわざ作ってくれたのか?嬉しいんだな」
「澪音ナイス!腹ペコのまま朝を迎えるのはキツいからな。あー、余計に腹減ってきた!早く行こうぜ!」

 「危ねー、ギリギリみたいだな」
一階の食堂は幸いなことにまだ灯りが点いていた。流れでわたしも来ちゃったけど、勝手に他の寮に入るのってまずいんじゃないかな……。他のレッドの人も何事かとこっちを見ている。
「あの、わたしがレッド寮の中って入っていいの……?」
「さぁー、いんじゃね?それより飯だ飯!」
追いついた丸藤くんと前田さんもゼェハァと息を切らして流れ込むように食堂の席へと腰を下ろした。
「おや、見慣れない生徒がいますねぇ」
「あっ、大徳寺先生。すみません!すぐ出ていきますので」
「なんのことですかにゃー。せっかくならキミも食べていきますか?一人分くらいならまだ残っていますよ」
「そうだぜ、ここで食って行けよ!」
どうしよう。わたしここに来る前に晩御飯食べちゃったんだよね。
「あーもうアニキ、こんな地味なレッドの夕飯なんてきっと澪音さん食べたくないよ」
「そ、そうじゃないの!ただわたしもう晩御飯食べちゃってて。でも、せっかくならいただきたいな」
女子は基本ブルーで固定みたいだから、きっと卒業するまでイエローやレッドの寮で食事することはないだろう。とってもいい機会じゃない!
大徳寺先生にお願いをして、少なめにご飯をよそってもらった。おかずはしらすとほうれん草のお浸し、お豆腐とわかめのお味噌汁。しゃもじにくっついたご飯を茶碗の縁に擦り付けたようなよそい方。天井を見上げると、傘付き電球がゆらゆらと揺れていて、なんだか温かい気持ちになる。いいな、こういうの。遊城くんがイエローの寮を断ったっていうのも、ちょっとわかる気がする。
「澪音さん、上ばっかり見てどうしたんだな」
「……レッド寮も、素敵な場所だね」
そうぽつりと零すと、丸藤くんと前田さんはええっと声を上げた。
「な、何もそこまで気を使わなくていいんだよ澪音さん」
「えーっ、お世辞じゃないよ」
「俺も好きだぜ、ここ」
必死にご飯をかき込んでいたいた遊城くんが口をもぐもぐ動かしながら賛同してくれた。そう言えば、この三人と一緒にご飯を食べるのも初めてだ。そのことに気付くと、余計にご飯が美味しく感じる。

 わたしたちが晩御飯を食べ終わるころにはもう他の生徒達は既に部屋に戻っていったようで、食堂にいるのはわたしと遊城くん、丸藤くん、それから大徳寺先生とファラオくんだけだった。
「ごちそうさまでした。とっても美味しかったです!」
「はい。お粗末様でしたにゃー」
食器を片付けていると、PDAが鳴っているのがわかった。差出人は……明日香ちゃんだ。

──今どこにいるの?ももえとジュンコも心配しています

時計を見ると、いつもならそろそろお風呂に入っている時間になっていた。
今レッド寮にいること、もうすぐしたら戻ることを急いで書き記してすぐに返事を送った。

 「おー!!すげー!」
「あっ、アニキ!それ僕のためのカップケーキなんだからね!!」
「美味しそうなんだな。これ、俺も本当に食べていいのか」
遊城くんが先に箱を開けてしまったみたい。走り回ったりしてちょっと心配だったけど、形が崩れたりはしてないようだ。よかった。
「このなんかいろいろついてるヤツ、いいなー!俺これ食いてぇ」
「僕だってそれ食べたい!」
「ほほう、カップケーキですか。これはキミが作ったのかにゃ?」
「あ、はい!そうです」
「とっても美味しそうですね」
にっこり。そんな言葉が似合うような笑顔でわたしを見る先生。これは、もしかして……。
「……その、先生もよろしければ」
「喜んでいただくのにゃー!」
即答だった。
「え゛ー!先生も食べるのぉ!?」
「みんなで食べようよ。でもこの一番凝ってるのは丸藤くんにあげるね。丸藤くんのために作ったから」
持ってきた中でもデコレーションに一番力をかけたケーキを彼に差し出すと、イヒヒヒとよくわからない笑みを零して食べ始めた。喜んでくれてはいるみたい。この少し騒がしいくらいの空気も好きだなぁ。カップケーキの奪い合いだって、きっと女子寮じゃ見られなかった光景だ。
「……あ、そろそろ時間まずいかも。みんな、わたしそろそろ戻るね。とっても楽しかったよ」
まだ食べている途中だけど、これ以上長居すると門限が危ない。おやすみの挨拶をしてレッド寮を出た。

 「澪音さん!?明日香さま、澪音さんが帰ってきましたわ!」
「あーっ、澪音!レッド寮にいたって本当!?」
門限ギリギリにロビーに滑り込んだわたし。迎えてくれたのはいつもの三人だった。
詰め寄るジュンコちゃんの気迫に押し潰されかけて首を縦に振ると、大きな目をもっと大きく見開いてわたしの肩を勢いよく掴んだ。
「あんな野蛮な男共しかいない場所に女の子が一人で行っちゃダメ!大丈夫?変なことされてない?」
「だ、大丈夫だよ。ちょっとご飯をご馳走になっただけ」
「まぁ。レッド寮の貧相な食事を?」
「確かにここと比べたら質素だけど……。でも美味しかったよ!」
「澪音」
明日香ちゃんがゆっくりと階段を降りてくる。大きな声ではなかったけれど、背筋を正さねばならないような声音だった。
「とても心配したのよ。途中から連絡も返ってこないし……でも帰ってきてくれてよかった。澪音、道に迷いやすいから余計に不安になったのよ」
そうそう、澪音さんは方向音痴ですからねー、とももえちゃんとジュンコちゃんが付け足す。
「えへ、一人で帰ったらやっぱり迷子になってね」
「こんな夜遅くに女の子を一人で帰らせる殿方なんてありえませんわ……」
「女の子の扱いもダメダメなのね」
すかさず鋭いツッコミを入れる二人に苦笑いが溢れる。でも送り狼がどうのこうの、と殿方議論が続く。夜って暗いし、行きと帰りの道って見え方が違うから余計わからなくなっちゃうんだよね。
「それでまた帰りが遅くなったのね」
「ははは……。もし本当に一人で帰ろうとしてたらもっと遅くなったかも。三沢くんに連絡してよかった」
そう、真っ暗な中で途方に暮れたわたしは、藁にもすがる思いで三沢くんに電話をかけた。すると三沢くんは苦々しく笑いつつも、周りの景色からわたしの居場所を特定して丁寧に道案内をしてくれたのだ。
「まぁ、さすが三沢さん……。優秀な殿方ですわ」
ももえちゃんがぽわわん、という効果音がつきそうな表情になる。ああ、これはしばらく話題が恋バナになりそうな予感……。
「澪音って三沢さんと仲良いわよね。そこのところどうなのよ」
「えぇっ。普通に友達だよ」
やっぱり始まっちゃったし、わたしがフォーカス当てられちゃった。助けて、という思いを込めて明日香ちゃんに視線を送る。
「浴場に行きましょう、もうすぐ閉まっちゃうわ。その話はお風呂の中でゆっくりしましょ」
ジュンコちゃんとももえちゃんは賛成〜!!と声を揃えた。明日香ちゃん、それ助けになってない……!


2022.06.25 一部加筆
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