スラムの鋼鉄の空に白い穴がぽかりと浮かんでいる。その下にある寂れた教会からは微かに花の香りが漂っていた。香水とは異なる「自然の香り」は、大都市から離れ、紫のリンゴが成る故郷まで戻らねば嗅ぐこともないだろう。胸を刺す痛みにルカの手はぴくりと震える。深呼吸の後、教会の扉を開いた。

「また、来てくれたんだ」

光と花の中に佇むのは、亜麻色の髪を揺らしたワンピース姿の少女だ。彼女は手に小さなじょうろを抱え、訪れたルカに驚きつつも柔和な笑みを浮かべる。いらっしゃいと声を掛けてくれた彼女に向けて、ルカもまた微笑みかけた。
ここに足を運んだ理由は自分自身でもうまく説明できない。「ただ何となく」という曖昧な言葉に反して、待機命令が出ていた会社を抜け出してスラムまでやってきた。おまけに途中で見かけた話題のスイーツ店で二人分のケーキを購入してまで、だ。下っ端のくせに随分と生意気な行動に出たものだと、ルカ自身も呆れずにはいられない。
――それでも。

「なんだかね、あなたに会いたかったの。――…エアリス」
「…ん」

彼女は静かに頷いてルカへと歩み寄る。そっと細い指がルカの手を包み込んだ。途方に暮れた迷い子の頭を撫でるような優しい温もり。
エアリスは手招きながらルカをベンチへと座らせ、自身もまた隣に座りこむ。ルカは手土産をエアリスへと渡し、早速それを摘まみながら何気ない歓談を交わしていた。
しかしそれも余り長くは続かない。元々気分良く教会を訪れたわけではないのだ。重く伸し掛かる不安と鬱屈した感情を抱えながら平然としていられる程、ルカは冷徹になれなかった。
そして教会に漂う花の香りのせいだろうか、思い起こされるのは幼少期を過ごした懐かしい風景。淡い思い出の中に浮かび上がるのは、ソルジャーとして名を馳せていたはずの二人の男達だ。
陽が沈むまで二人と追いかけっこして、結局追いつけなくて泣き出してしまった幼い自分。
今はどれだけ走っても、彼らには届かない。彼らの存在が酷く遠く、思い出の方が余程近しく感じられる。自然とケーキをつつく手が止まり、ルカは俯きがちに一つ一つ言葉を噛みしめるよう、思いを打ち明けた。

「幼馴染達がね、何考えてるか分からなくて…色々と困ってるんだ」
「幼馴染?」
「そう。ひとりは責任感が強くて優しいひと。もうひとりは高飛車であたしのことをからかって楽しんでるひと…」
「……ルカは、その人たちのことが大切なんだね」

握りしめたフォークが微かに震える。たとえ形に表さずとも唇の奥に隠した言葉が込み上げてくる度、なお一層憂慮が全身にへばり付いていくようだ。


「だいじょぶ」


静寂に包まれていた教会に、もの柔らかなエアリスの声が響いた。反射的に見つめ返すルカの瞳にエアリスの翡翠の双眸が映し出される。



「ふたりも、ルカのこと、思ってる」



――…だから、ふたりを信じてみよう?
エアリスの声に、ルカは目を閉じる。
――舌に転がる苺が酸っぱかったから。スポンジを包み込んでいたクリームが眩いほど白く、綺麗だったから。
あたしを包み込むすべてのものが、優しかったから。
甘美な言い訳達は、目の縁に溜まる涙を見逃してくれることだろう。










There is always light behind the clouds.07










季節は流れ、ウータイとの終戦から一ヶ月が経過した。
ウータイを除けば、世界の状況は大した変化は起こっていないようだ。緘口令とまではいかないが、終戦の報道についても大きく規制されている。神羅にとって不利益を被る「余計な情報」までメディアに伝わったら後始末が面倒になるからだろう。故にラザード統括発案の「女性ソルジャー活躍」の周知も、全くと言っていいほど為されていない。

「単刀直入に言おう。君を正式にソルジャーとして迎え入れたい」

ラザード統括からの提案に、ルカはさして動揺しなかった。
戦争における功績により、神羅内でも彼女の能力が紛いものでも贔屓でもないことが明確となったことも影響している。ルカの存在にケチをつける輩は僻みを言うしか能のない愚か者くらいだろう。そしてルカ自身、昔からソルジャーとして働いていたかのように組織に馴染みつつあった。

「…人手不足だからでしょうか」
「それも要因のひとつだ。だがそれ以上に、君という協力者が欲しい。アンジールとジェネシス…彼らも目的も未だ掴めず、今後どのような形で襲撃されるかも不明だ」
「………」
「ルカ、君が彼らと接触すれば何か手掛かりが掴めるかもしれないんだ。君は彼らにとって大切な…"幼馴染"なのだからね」

言葉は切実さを訴えかけているものの、ルカは泰然としている彼の態度に僅かばかり違和感を持つ。しかし提案を断る理由も見つからないし、今この場で契約を破棄したところで今度は「なんでも屋」として依頼を持ちかけてくることだろう。
それに、セフィロスやザックスだけにこの事件を任せるわけにはいかなかった。


『――…オ前モ…、…同ジ…』


呪いに似た言葉を振り切り、誠心を持ってルカは面を上げる。

「お受けいたします。契約の一環ではなく、ソルジャークラス1STの一人として、彼らの捜索に全力で当たらせていただきます」
「ありがとう、ルカ。君の活躍を期待している」
「はっ」

畏まって一礼した後、ルカは踵を返して部屋を後にする。
ここまで来てしまったらもう戻れないだろう。昔のように笑いあうことは、出来なくなるだろう。
華々しい栄誉の裏に張り付くのは苦い覚悟。
煩悶と共にソルジャークラス1STに就任する人間がいることなぞ、誰も知りはしないのだ。


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