メビウスは形を変えた



※「平行を描くメビウス」の続き





俺はナマエに依存している。

それは恋愛感情みたいな甘ったるいものではなく、ただ"あいつ"の消えた穴を彼女に埋めさせようとしているだけだと、自分でもよく解っていた。
奇妙なのは、彼女がそれで良いと言っている事。

「私はシンタローの相談役だから」

今も目を閉じれば簡単にそう言う彼女の笑顔が思い浮かぶ。
涙さえ枯れて腐りきった今の俺に、何の発展性も、友情すらも求めてこないその顔はあまりにも都合が良すぎる。
しかし、それに心を痛めるよりも早く温床にいるような気分の悪い心地よさにどっぷり浸かってしまった俺は、今じゃ筋違いの甘ったるさに縋るのが日常になってしまった。



しかしその認識は、実にその辺に落ちてる小石と変わらないくらいつまらない日常の1コマの中で、急激に書き換えられる事となる。



その日もメカクシ団のアジトに足を踏み入れ仲間を探す。
そこにいたのはナマエ1人だった。

「あれ、こんな時間に珍しいね」

時計を見ると午前5時。確かにいつもなら布団の中かパソコンの前だ。

「あー、ちょっと。気分」
「いいよ別に。私も暇してたしちょうど良かった。お茶いる?」

実はこんな時間に来たのには気分以外の理由があった。永遠に終わらない日の中に落とされるという夢を見たのだ。それだけならなんてことはない、最近よくある話。
それでも今日に限って妙に夢見が悪く、変な時間に目を覚ました。そうしたら1人の空間がどうにも虚しくて、やがてナマエの顔を思い出して…。

だからここにきた。確実に起きていて、まるで俺の急な訪問を予期しているかのような顔で笑ってくれると思ったから。

ほら見ろ、もうどうしようもない依存症だ。

「カモミール、嫌いじゃないと良いんだけど」
「嫌いじゃない」
「そう」

短い会話の後でナマエは俺の向かいに座った。カップのお茶を一口啜ると、安眠効果があると聞いたカモミール独特の香りが広がる。
やっぱりこいつは全て解っている。

と、そこでふと俺は、ナマエの腕に包帯が巻かれていた事に気づいた。

「どうかしたのか?」

言うとナマエは俺の視線を辿り、はっとした顔で腕を机の下に隠した。
なんだ、その反応。

「…マリーとお医者さんごっこしてた名残」
「あの子は怪我系が一切ダメだろ。つーかそんな理由ならそんな表情する必要はない」
「本当だから他に言いようがないよ。気にしな―――っ」

隠されては仕方ない。俺は机越しに身を乗り出して、ナマエの腕を無理やり掴みあげた。ヒキニート生活のお陰でそんな乱暴な言い方をしても実際の力は弱い。

弱い筈なのに、ナマエは痛みを堪えるような顔をした。あぁやっぱり、これは腕を痛めてるんだ。

「これ以上隠すな。この腕、どうした」
「……階段から落ちたの」

絶句する。
非常に言いづらそうな口調だった。

(そりゃ、そうか……)

おそらくプライド云々の前に、彼女は俺にだけは本当の理由を話したくなかったに違いない。
俺にとって程度はどうであれ"落ちた"という事実がどれだけ重い意味を持つか解っていたから―――――

確かにそうだ。

あぁなんだか

久々に揺れるような

落ちたって。

ナマエも落ちたんだ。

俺の手を離して。

――――俺の手を離して?

いや、それは違うな。

そもそも俺は彼女の手なんか掴んじゃいなかった。必死こいてしがみついてただけだ。

いつだって、あの時だって、

甘えて

依存して

そうなったって仕方ないって言い聞かせる

失ってから自分より大きな相手の重荷に気づく

そうだよ、俺は、

「シンタロー!!!」

はっと我に返った時、ナマエは目に涙をたくさん浮かべて俺を見ていた。力の抜けた手は未だにナマエを掴んでいて、そんな状況に笑えてくる。
そういえば、こいつがこんな顔してんの初めて見た。

「……私はいるから。ちゃんとここに。だから、」

いつもなら、頷いてた。
でも今は、それじゃダメだと頭の中で警鐘が鳴り響く。

「………ごめん、ナマエ」
「――――え?」
「今割と本気で、お前とあいつを重ねてた」

本当の心を呟いてみる。俺にとってアヤノは誰にも代えられない存在なのに、落ちる瞬間を描いた時はアヤノとナマエが同時に滲んで見えた。

ナマエの表情は読み取れない。傷ついた? 悲しんでる? 喜んでる? それとも憐れみ?
色々と感情の混ざる顔はまさに、生きてる人間のそれ。

アヤノとの思い出、昔の記憶、ナマエの温もり…俺は本当は一体、何に囚われてきているんだろう。

「お前はお前であってアヤノじゃない。アヤノは戻ってこない」
「……そうだね」
「解ってた筈なのに解ってなかった。お前を都合の良いモノに置き換えてた」
「……知ってる」

静かな部屋の中、お互いの声だけが淡々と響く。

「ごめん、依存してたんだ。お前の優しさに」
「……それで良」
「良くないよ。甘えてたんじゃ、俺もお前も生きたまま死ぬ」
「でも、それを望んでる。違う?」
「俺はね。もしかしたらそうかも。でもお前はそうなるべきじゃない」
「…え」

ぽたり。

それは堪えていた彼女の涙が、繋いだままの俺達の手に落ちた音。

「俺もいつか受け入れるよ。あいつが死んだって事。でもまだ出来ない。自分の心が追いついてないし、何より今、お前が俺を満たしてくれてるから」
「―――しんた、」
「ごめん、ごめんな。縛り付けてて。お前の暖かい心は、お前自身を殺してるし、俺を前へ進めなくする」

勝手だと怒るだろうか。それならそれで良い。

ただ急速に気づいてしまった、目の前の彼女の命。
俺がいつまでも縋っていては、また落ちてしまいそうだから、この手を離してほしい。
結局それも自分を守る為かもしれない。でも、少なくとも彼女を傷つける事はないはずだ。

怒るなら怒ってくれ。何度だって本気で謝るよ。

「前を……向く為、か」

ぽたぽたと、涙は止まらない。

「解った、解ったよ………」

そう最後に呟いて、ナマエは俺の手から腕を引き抜いた。

―――本当は解ってたんだ。
彼女が"利用されてもいい"じゃなく、"利用されたい"と思っている事。
俺にくれた数々の言葉は、全部"俺が望んでいるから"くれたという事。
例えば本気で死にたいと思っていれば平気で自殺介助をしてくれただろうし、したいと思えば欲の刷毛口にも成り下がってみせただろう。

それは深い同情からかもしれないし、ありえないだろうがもしかしたら恋愛感情からかもしれない。

しかしどちらにしろ、彼女は生きた人間にしては機械的すぎる。

だからやめてほしかった。
全てを悟って寄り添ってほしくなかった。

代わりに彼女を彼女として理解したい、そう思うようになった。

アヤノの死をいつ受け入れられるか解らない。それには何か大きなきっかけが必要かもしれない。

でも"それを待って"、それからじゃ遅いから。
いつ落ちてしまうか、解らないから。

だから一旦、この関係を終わりにしよう。
恋愛でもないくせに甘すぎる関係を。

お前が"俺の為"をやめた時、お前の本音を聞いた時、その時もまだこうしてお前の涙を見つめていられるかは解らない。
お前の傍に安心を求めて朝早くから訪ねられるかはまだ自信がない。

けれどそうする努力をしようと思えるくらいには月日が経った。
お前の存在がアヤノの事を抜きにしても意味を持つと言いたい、そう願えるくらいには月日が経った。

だからどうか、そんな最後の我儘も伝わっていますようにと思いながら、俺はナマエの涙を人差し指で拭う。
顔を僅かに伏せていたナマエは一瞬びくりと肩を震わせたが、俺の目をまっすぐに見ると、やがて鼻の頭を少し赤くして

笑ってくれた――――




(いつかそんな日が訪れたなら、彼女の不器用な背中を強く抱きしめよう)









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