私とシリウスが喧嘩したという話は、瞬く間に学校中に広まった。
元々付き合っていたわけも何でもなかったというのに、去年のバレンタインデー以来、私とシリウスの仲には未だに何かあると疑っている人が一定数いるようだった(その後きちんと距離を置いて、わざわざ「そんな関係じゃないです」アピールまでしたというのに、だ)。

そのせいでバレンタインが近づくにつれ、女子達は今年こそ、とやたら張り切っているように見えた。
何せ、今年のシリウスは私と喧嘩したお陰で完全にフリーなのだから。

4年生になって、また新たなファンを増やしたらしいシリウス。まだバレンタイン当日までは3日あるというのに、既に何人かの女の子につきまとわれているのを見かけた。

「顔だけで判断するなんて、バカみたい」

グリフィンドールの談話室で、シリウスがジェームズと冗談を言い合って笑っている姿をぼーっと熱い視線で見つめている2年生の女子達を見ながら、私は大きな溜息をついた。

「ふふ、嫉妬してるの?」

私の隣で古代ルーン文字のレポートを書いているリリーは、羊皮紙から顔を上げないまま楽しそうに笑った。対して私のレポートは、1文字も進んでいない。

「嫉妬なんかしないよ。どうぞご勝手にって感じ。今年は"女除け魔法"も使えないだろうし、せいぜい苦労したら良いんだ」

自分の口からここまで流暢な悪態がついて出るとは思わなかった。
シリウスの言葉に悲しみを覚え、その後のリリーやジェームズ達の言葉の意味はさっぱりわからないまま。
私は頭を冷やすどころか、どんどん仲直りするタイミングを失っていくばかりだった。

「そんなに気になるなら、もう一度話してきたら良いのに」
「何を話せば良いのかわかんなくて…」
「私は闇の魔術なんかに手を出さないよって、素直に言えば良いだけじゃないの?」
「そんなこと、とっくに言ってるよ。はっきり言ったのに、わかってもらえなかったんだ。もう、今更何を言えば納得してもらえるか、わかんないよ…」
「まあ、そうね。あれはブラックの言い方が悪かったとは思うわ。でもだからこそ、この件はなかなか向こうからは言い出しにくいと思うの。もしあなたがもう二度とブラックと話したくないって思うなら仕方ないけど────」
「う…それは寂しい…」
「じゃあ、どこかであなたが大人になって歩み寄ってあげなきゃね」

その言葉、ジェームズに置き換えてそっくりそのまま返そうか、とも一瞬考えたけど、リリーがそもそも「ポッターとなんて二度と話さなくても良い」と思っているであろうことを思い出し、結局何も言い返せないまま曖昧な音を漏らすに留まってしまった。

ちなみにバレンタインデー当日、案の定彼は相当ひどい目に遭ったらしい。
まともなものが40個、魔力入りが35個、女子のプレゼントに紛れてスリザリンの男子から贈られた呪いが18個。

「良いなあ、僕もそれだけモテてみたいよ」とジェームズが笑いながら言っている声が、やけに遠くに聞こえた。









その月の満月の晩。
私はまた、必要の部屋へと重い足を引きずりながら向かっていた。

いつまでこんな気持ちでいないといけないんだろう。
自分が意地になってしまっているのはわかる。リリーの言う通り、「私は何があっても闇の魔術に手は出さないよ」と何度だって言えば、それだけで良いはずなのに。

それでも、シリウスと目が合うと────。

「────…」

こうやって、目を逸らされてしまうから。

だから、私はなんとなくずっと話しかけられずにいた。
心の弱虫は、まだ私の中から出て行ってくれていないみたいだ。

「えーと、昨日はどこまでやったっけ?」
「昨日は1日薬草を煎じて終わった。今日はそれを入れるところからスタート」
「ああ、それであんまり記憶がないのか」
「僕はどうしたらいい?」

シリウスはジェームズ、ピーターとは自然に会話をしていた。

「じゃあイリスはこの水薬を濾過しておいてくれる?」
「わかった。残り滓は錠剤にしておけば良いんだよね?」
「そうそう」
「任せて。あ、ごめんピーター、そこのビーカー取ってもらっても良い?」
「はい、どうぞ!」

私もジェームズ、ピーターとは普通に会話をしている。

「……」
「……」

大鍋の傍にいる2人だけ、終始無言だった。
私とシリウスの間には、重い沈黙が降りている。

とはいえ、そこで気を遣うような少年達ではない。ジェームズもピーターも、まるで私達の間にそびえている壁なんてないかのように、それぞれにいつも通り話しかけていた。まあ、余計な気を遣ってもらうのも申し訳ないだけなので良いんだけど。

…でも、やっぱりこのままじゃ少し寂しいな。
今は満月の晩、"3人になってしまうのが困るから"なんとか月一で顔を合わせる機会を持てている。シリウスの冷たい表情を見るのが怖いので、必要の部屋に行くことに躊躇いを覚えないわけではないが、それでも私は今までずっと仲良くしてきていた悪戯仕掛人と同じ時間を共有できることに、確かな安心感も覚えていた。

でも、この後薬が完成して、いよいよ4人だけで遊べるようになったら?
もう私のいる必要が、なくなってしまったら?

ジェームズ、リーマス、ピーターはきっと変わらず私と仲良くしてくれるだろう。
でも私には────シリウスも、必要だった。

シリウスとも、仲良くしていたい。
あの頭を使う皮肉にまみれた応酬で、ニヤニヤと笑い合う瞬間が楽しかった。
傲慢だって何度も思ったけど、自分の意見をいつも自信たっぷりに言う姿が、眩しく見えた。
せっかく顔もスタイルも頭も良くてモテるのに、女の子につっけんどんな態度を取る様子はまるで子供のようで、それが面白かった。
いつも厭世的な顔をしているのに、時折見せる優しさに満ちた表情が、何よりも好きだった。

シリウス、あなたは私の大事な友達だよ。

私のことを誰よりもわかってくれる人。わかっていながら、わかりあえない人。
なんて矛盾してるんだろう、って何回も思った。
同じ境遇で育ってきたのに、正反対な性格の私達。
同じ境遇だからこそお互いの気持ちが理解できて、正反対の性格だからこそお互いの思想に共感できない。

そんな人、あなたが初めてだよ。

だからね、シリウス。私、仲直りしたい。
またいつもみたいにくだらないことを喋りたい。
私が弱虫病を発症した時には、嘲られたって良い。
私もあなたが傲慢なことを言った時には、怒るから。

だから────今までみたいに、戻りたい。

シリウス、あなたが私のことを大事だって言ってくれたのは(他人伝てだけど)、こういう気持ちのことなのかな。
あなたがいてくれないとつまんない。あなたがいてくれないと、どこか寂しい。

あなたが私のことを心配してくれたのは、心からの言葉だったのかな。
時間だけはあったから、私も考えてみたんだ。

たとえばもし、あなたがレギュラスと闇の魔術について楽しそうに話してたら────って。

そうしたら、私はまず「どうして」って思うだろう。

もしその後でシリウスが「闇の魔術の楽しさを語ってたわけじゃない。ただ、レギュラスの闇の魔術への造詣が深いから、"使う使わないは別にして"、"知識として"聞いてたんだ」って言われたら。

そうしたら、私はきっと「勉強なら私としよう」って言ったかもしれない。

だって、シリウスはブラック家の出。
本人が嫌っていても、刷り込まれた教えは簡単には消えない。
それは私が一番わかっていることだった。

あれだけ奔放に生きている人が今更闇の魔術に手を染めるとは思えないけど、それでも────もしかしたら、シリウスという"ブラック家の長男"を利用しようとする"誰か"が現れてしまうかもしれない。シリウスにその意思がなくても、彼は────それこそ、巻き込まれてしまうかもしれない。

それなら、もうあまり近づかないで。私達の傍から、できるだけ離れないで。
そんなことを、もしかしたら言ってしまうかもしれない。

「これは推測に過ぎないけど、あなたが闇の手に落ちることをブラックが本気で懸念してるとは思わないわ。ただ、"自分の知らないあなた"がそこにいるのが嫌だったんじゃないかしら」

「どうせシリウスは君が闇の魔術に傾倒するなんて思ってないよ。ただ本当に心配だっただけなんだろうな。そっちに行くなっていうのも、"イリス自らの意志でそっちに行ってほしくない"から言ったわけじゃないはずさ。さっきも言ったろ、シリウスは別に君が自分から闇の魔術に傾倒するとは思ってないって。あいつが心配してるのは、"そっち側の奴らがイリスに近づかないように最大限警戒して"って意味だと思うよ」


頭の中で、リリーとジェームズの声が交互に響く。
うまくまだ意味を噛み砕けてないけど、そういうことだったのかな。

あの時は"わかってくれてると思ってたのに"って失望してしまったけど、彼は私のことを"わかってくれているから"こそあんなことを言ったのかな。

"家族"という呪いの恐ろしさを知ってるから。
どれだけ反発したつもりでも、逃れられない不自由さを知ってるから。

私は自分の意思を手に入れた、と思っていた。
迷いなんてない。自分のラインは決まっている。選択は自分でできる。
そう…思っていた。

でも、いつどんな状況でそれがグラつくかはわからない。
"家族"という魔法は、どれだけ強固に固めた自分の意思があっても、時にはそれを簡単に砕きかねないほどの力を持つような強力な呪いだ。何せその"家族"と過ごす幼少期に刷り込まれた"情緒"という要素が、自分ではもはや制御できない機能だから。

特に私は、"自分"を育てるのに12年もかけてしまった。その間に刷り込まれ続けた"誰にとっても受け入れられる人間であれ"という教えは、闇の陣営からしたら格好のネタになることだろう。ちょっと"それっぽいことを言える優しそうな人"が私に近づいてきたら、私のような、弱いくせに魔法だけは人並みに使える人間など、あっさりその人を信じて闇の手に落ちてしまうかもしれない。
意思とは関係のない、"家"の呪いのせいで。

そのことを、彼は恐れたのだろうか。
私の思想や意思がどうという話ではなく、私に刻まれてしまった家の呪いを、危惧していたのだろうか。

ああ、そう思うと確かに私は、少し周囲に対して甘すぎるのかもしれない。
今だって別に誰かの思想を否定"したい"とまでは思ってないけど、それでもレギュラスの持っている思想が危険であること自体は事実だと思っている。今はまだ行動に移されていないからという理由だけで看過したけど、あの思想は────実行に移されてしまった時には、もう遅いのだ。

例のあの人の行動指針に賛同するような思想は、その時点で"敵"と見なさなければならないのかもしれない。
"全ての人の思想を受け入れる"というのは、もっと強くなってからじゃないと言っちゃいけないのかもしれない。

まだまだ弱くて、グラグラしている私がそんな風に誰も彼もの意見に頷いていたら────私はまた、"何もない自分"に戻ってしまうのかもしれない。

シリウス、あなたはどう思う?
あなたもそう思ったから、私にあんなことを言ったの?

だったら謝らないといけないのは私の方だ。
弱いくせに強がってばかりでごめんって。心配かけてごめんって。

────シリウスのことばかり考えながら、淡々と魔法薬を作っていく。
20時を回った頃、私達はそろそろ寮に戻ることになった。

一晩放置しても差し支えない部分まで進めた上で、火を止め、道具を片付ける。
悪戯仕掛人の3人が楽しそうに話している一歩後ろから、私は黙ってついて行っていた。

その時。

見つけたぞ!

2階まで階段を降りた時、誰か知らない人のそんな声が、廊下の奥から聞こえてきた。

なんだろう、そう思って振り返った瞬間────。

セクタムセンプラ!

暗い廊下の奥から、聞いたことのない呪文を唱える声が響いた。

「!?」

咄嗟に伏せて避けようとしたものの────その杖が狙っていたのは、私ではなかったようだった。呪文はあっさり私の脇をかすめ、"誰か"にその呪文が当たる。

ザクッ

何かが裂ける、嫌な音。
しかもそれは、一度ではなかった。

ザクッ、ザクッ。
耳を塞ぎたくなるような音が連続で響き、"誰か"を切り刻んでいる。

私は恐怖に心臓を跳ねさせながら、視線を前方に戻した。

そこで、倒れていたのは────。

シリウス!

私とジェームズ、そしてピーターの叫び声が重なる。

呪いを受けたのはシリウスだった。廊下に倒れ込んだ彼の体には無数の切り傷が深々と刻み込まれ、血がドクドクと流れ出ている。

「ど、どどどどど、どうしよう…!」

ピーターの声が、遠くに聞こえるようだった。

シリウスの顔は青白い。目を閉じて、気を失っているようだ。

「待って、とりあえず僕が後を追ってくるから、ピーターとイリスは────」
私が行く

慌てたジェームズの声を遮り、私は走り出した。

「イリス!」

ジェームズの声が背中にかかったけど、足を止めようとはしなかった。

頭までがドクドクと脈を打っていた。

怒りだ。純然たる怒りが、私の体を支配している。

突然のことで、うまく状況を整理できない。だからこそ、この時ばかりは私のお得意の理性も鳴りを潜めていた。私はただ、本能に突き動かされるがままに走る。

誰が何の理由でやったか知らないが、そいつは「見つけたぞ」と言っていた。
ということはそいつは最初から、シリウスを狙っていたんだ。
シリウスを狙って、あの残酷な呪いをかけたんだ。

────それは、明らかに"私のライン"を越える行為だった。

何が何やらわからない────でも、今の私には、それだけで十分だった。
絶対に逃がさない。

呪いが飛んできた方向へ走る。遠くの方にバタバタと足音が聞こえるので、相手はそう遠くへ行っていないはずだ。息を切らしながらも耳を澄まし、足音のする方へと駆けて行く。

シリウス。私の大事な友達。

まだ仲直りができていない。まだ本音を聞けていない。まだ私は、何も彼に言えていない。

私たちは誰よりも理解しあっている。でも中途半端に理解しあっているせいで、それが却って仇となり、まだ誰よりも"互いを理解しきれていない"。
私たちが真に理解しあうには、まだ言葉が足りない。時間が足りない。

私はまだ、シリウスの傍にいたい。
だから────私は、突然背後を狙って卑劣な呪いをかけてきたそいつを、許せなかった。

────今に見ていろ、彼を殺したら、私もお前を殺してやるから。

こんなに強い怒りを感じたのは初めてだった。1年生の時、初めてシリウスと喧嘩した時なんて比にもならない。自分でもどうしてここまで強い感情が唐突に燃え上がったのか、まだうまくわかっていなかった。ただ、体というものは存外簡単にできているらしい。目であの惨状を見た瞬間、脳が急に足を動かし、心を震わせた。

廊下を全速力で疾走し、突き当りを右に曲がる。前方に人の影はないが、3つめの教室────扉は空いている────そこから、物音が聞こえた。

私は躊躇うことなくその教室に転がり込んだ。教壇の上に、ひとりの生徒が立っている。

「なんだよ、プリンセスの方が来たのか────」
ペトリフィカス・トタルス!

スリザリンの生徒だった。顔は見たことがある。同じ学年の────バートラム・オーブリーだ。散々ブラック家の長男がグリフィンドールに属されたことをバカにして、彼らとつるんでいる私のことも「穢れたプリンセス」と罵っていたのを覚えている。

私は杖を抜かせる間もなく、石化呪文で相手の動きを止めた。石になったオーブリーはその場で床にバターン! と倒れ込む。

私は怒りに任せて教壇まで向かった。オーブリーの憎たらしい顔が、初めて恐怖に怯えた顔で私を見ている。それでも体を石にされてしまっているので、自分では動けない。

どうしてやろう。同じ呪いをかけてやろうか。それともこのまま踏みつけにして、知っている呪いを全てかけてやろうか。

────待って。

その時、いつも私の理性をそっと溶かす本能の声がした。

────ここで全ての呪いをかけるのはマズい。しかもセクタムセンプラは、どの文献にも載っていない魔法。違法の可能性もある。それにシリウスの仇討ちとはいっても一方的に痛めつけたら、結局それは誰にとっても得にならない。

うるさい。いつも自由に生きろって言うくせに、こういう時だけ保身に走るつもりか。
私はそんな私が大嫌いなのに。

────保身じゃない。賢く生きろって言ってるの。確かに先生に突き出すだけじゃ減点と罰則で終わるだろうね。でも、ここで私刑をするのは、"本来の私"が望むことじゃないはず。

本来の私? 友達を傷つけられて、本来の私も繕った私もあるものか!

────杖を抜くなら、攻撃より防御のために。

でも今回は守る前に攻撃されてしまったじゃないか!

────だから言ってるんでしょ。"賢く生きろ"って。ただ呪いをかけて痛めつけるだけが復讐じゃないよ。私は私らしく、優等生らしい復讐をした方が良いと思うな。

私らしい…優等生の…復讐…?

私はオーブリーの顔の前にしゃがみこんだ。彼の目がより恐怖に見開かれる。

そのままそっと、杖を喉元に突き付けた。

「────シリウスの背後を取るなんて、随分バカなことをしたね、オーブリー? 周りに私たちがいるのに、逃げ切れるとでも思った?」

石にされた彼は、答えられない。何か言いたげにしていたが、私は自分でも驚くほど冷たい声で笑った。気道だけは確保できる程度に、杖をぐっと喉に押し込める。

「今ここであなたを殺しても良いんだよ。でも、それじゃシリウス本人が復讐する機会を失っちゃう。ああ、ジェームズやピーター、リーマスも含めたら4人分の復讐が残ってるのか。だから、今回はあまり酷い目に遭わせないでおいてあげるね」

そう言って、私は立ち上がった。

「ウィンガーディアム・レビオーサ」

魔法を唱えると、教室中の備品が浮遊した。
机、椅子、チョーク、黒板消し、銅製の花瓶、教室の隅に溜まっていた埃まで、全てが浮き上がる。

まるで重力のない世界のようだった。私とオーブリーだけが、地面に足をつけている。
他の物はみーんな、私の手から吊るされた操り人形だ。

ふわふわと浮かぶそれらを操りながら、私は再度オーブリーに目を向ける。

「ああ、そうだ。伏したままじゃ、床に守られて衝撃が緩和されちゃうかもしれないもんね────エレクト」

そうして、魔法で無理やり彼を立たせる。

「良い? 今回は警告代わりだから、1日経てば治る程度にしておいてあげる。でも覚えておいて。彼らのうちの誰かを襲ったら、5倍になって後日必ず返ってくるってことを。私はね、遊び感覚で誰かを呪う人が嫌いなの。ステータスだけで相手を判断して蔑む人も嫌い。一方的に人を傷つける人も嫌いだから、本当は私もこういうことはしたくなかったんだけど────でも、私の大事な友達を傷つける人は、もう"人"だと思わないから

そうして、威力を落とした最後の魔法を唱え────。

オパグノ

────教室中の備品全てに、彼を襲わせる。

ドンッ! ガンッ!
鈍い音が響く。机、椅子、花瓶、チョーク、黒板消し、埃、教室内にあったものが全て、オーブリーを襲っていた。
彼は声も出せず、避けることもできずに、まるで嵐の真っ只中に立たされた棒人形のように、飛来するその全てを一身に受ける。
切っ先の鋭いものはないので、せいぜい受ける傷は青あざや打ち身、悪くて骨折程度だ。

こんなもの、シリウスの受けた傷に比べたら、ほぼ無傷も同じだろうに。

でも、私はそれ以上は傷つけなかった。
ここで殺してしまうのは簡単だ。シリウスにかけた呪いをそのまま唱えるのだって、簡単だった。

ただ、それでは足りないと思った。
一瞬で終わってしまったら、意味がない。

こいつには、後悔させる時間が必要だ。ブラックに手を出さなきゃ良かったと、もう二度とあの連中を襲わないようにしようと、思わせる必要があった。

魔法自体もそうだが、私はだからこそ"言葉での脅し"に力を込めた。
次はないと、訴えた。

それが優等生の復讐の仕方。
ただ痛めつけるだけじゃいけない。心を折って、恐怖を植え付けて、二度と同じ過ちを繰り返させないことこそが"私流の復讐"だ。

…復讐の仕方なんて、家では学ばなかったんだけどな。

まあもし本当に"次"があったら、その時は────…その時は────…あー…わからないけど、もう少し制御できなくなるかもしれない。

備品に体中殴られ続けるオーブリーを冷たい目で見ていると、「…イリス」と教室の後方から、私を呼ぶ声が聞こえた。

反射でバッと杖を向けると、慌てたような調子の声が聞こえた。

「僕だよ、ジェームズ!」

────確かに、ジェームズがそこにいる。

「…………シリウスは?」
「ピーターがマダム・ポンフリーを呼びに行ったよ。あいつ1人で運ぶにはちょっと重いからな」
「ジェームズはなんでこっちにいるの? 2人で運べば…」
「いや、下手に動かして傷口を広げたら怖いからやめた。ひとまず知ってる治癒呪文はかけたから、マダム・ポンフリーが来るまではなんとか保つと思うよ。ね、だから落ち着いて

落ち着いて────そう言われて初めて、私は自分が興奮していることに気づいた。
息が荒くなっている。知らない間に眉もぎゅっと皺を寄せていたらしい。

「シリウスは大丈夫だから」

教室に入ってきたジェームズが、軽やかに教室の備品を元の位置に戻す。石化魔法だけはそのままに、彼は私の魔法を全て解いてみせた。

「僕、びっくりしたよ。君が突然走って行くもんだからさ。慌てて追いかけていったら教室が宇宙みたいになってて、いきなりそいつを襲い出すし。振り返った時の君の顔、鏡で見せたかったなあ。鬼婆かと思ったよ」

わざと冗談ばかり言うジェームズは、笑っていた。
でもその笑顔は、どこかぎこちなかった。

彼の立場から考えてみたって、親友がいきなり切り刻まれたのだ。そりゃあ、冷静でいられるわけがない。
それでも彼は、私を案じて追いかけてきてくれた。そして今、完全に臨戦態勢に入っていた私を、止めてくれた。

「そうだ、こいつには誰が復讐したのかわかんないように忘却呪文をかけておこう。君の大事な優等生ラベルが剥がれ落ちちまうからな。そーら、オブリ────」
「待って」
「────ん?」
「…忘却呪文は軽いものにして。こいつに今夜のことを後悔させたい。二度とあなたたちに手を出しちゃいけないって、恐怖を植えつけたいの」

体だけは落ち着いてもなお消えない怒りが、私の唇を震わせた。
ジェームズはしばらく真顔で悩んでいた。そして、また笑顔になる。

「うん、わかったよ。んじゃあ改めて…オブリビエイト、君は君を襲った人間の顔だけを忘れて、あとは全部覚えていると良い。──── 一体誰を傷つけて、そしてその"味方"から何を言われて何をされたのか、ね」

ジェームズのことだ、その呪文は的確に効いていることだろう。オーブリーは物言わぬ石になったまま、とろんとした顔つきになった。

「さ、それじゃあ一旦談話室に戻ろう。それで明日の朝一番に、みんなで医務室へ行こう。ほら、マントも持ってきてるから入って────」

今日のジェームズは、なんだかとても大人っぽく見えた。
きっと私が荒れ狂って、自我を失いかけていたからだろう。冷静さを早く取り戻せるように、体だけでなく心も落ち着けるよう、彼があえて冷静に、そして落ち着いた態度で私に接してくれているのだ。

「────イリスでも、怒ることがあるんだね」
「しょっちゅうだよ」
「ううん。シリウスとのじゃれ合いみたいなのじゃなくて。僕、安心したよ。君もシリウスのことを大事に思ってるってわかって」

ジェームズはそう言って、談話室の女子寮の前まで送ってくれた。
────その頃にはもう、私の気持ちも落ち着いていた。

「眠れそう?」
「…うん、大丈夫。ありがとう」

お礼を言って、寝室へと上がる。
他の子はみんなもう、眠っていた。

私もすっかり脱力しきって、ベッドに倒れ込む。

────そうだよ。私、あの人のことすごく大事にしてるんだよ────。



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