満月まで、あと3日。

ポリジュース薬は、ほぼ完成していた。

────二角獣の角と毒ツルヘビの皮は、計画を話した次の火曜日、本当にシリウスとジェームズが持ってきてくれた。

作戦は、魔法薬学の授業後に、ジェームズがスラグホーン先生に試験範囲の質問をしに行くという簡単なもの。スラグホーン先生は、普段聞かん坊のジェームズが真面目に質問しに来たことをいたく喜んだらしく、関係ないことまで喋っているようだった。その間に、マントを被ったシリウスが先生用の倉庫に忍び込んだ(と思われる)のを見た。あまり長居していると怪しまれるので、私はその時点で教室を出ていたけど、その日の授業後、2人は満足げな顔をして材料を渡してくれた。

「ありがとう、助かるよ」
「なーに、君がここに臨時エージェントとしていてくれることがそもそもの幸運なんだ。できることならなんだってするさ」
「お隣の狂犬さんは私を見るなり杖を向けてきましたけどね」

鍋に火をかけ、ぐつぐつ煮立ってきた鍋の温度を確認しながら、中身をかき混ぜシリウスの方を見ないようにして言う。どちらも悪かった話だとは思うけど、少なくともこっちはあの時ものすごく怖かった。

「えっ、シリウス、イリスに杖向けたのか!?」
「当たり前だろ、リーマスの大事な秘密だぞ。どんなルートでそれを知って、どんな理由でここまで乗り込んできたのか…場合によっては呪いだってかけてたさ」
「シリウスってイリスが相手になると過激だよなあ…」

まあ、1年生の時のゴタゴタがありましたからね。
みんなには「変わった」となんとなく言ってもらえてるけど、その変わる前の"自分がなくて、周りに合わせて、上手に世を渡ることしか考えていない八方美人"だった私の悪い面を一番知っているのはシリウスだ。

いくら変わったといっても、すぐにまたその性格が引き戻されることだってあるのだろう。
それはきっと、同じ境遇で育ってきたシリウスだからこそ、よくわかる感情なのかもしれない。

だから冷静になって(冷静になるまで丸一晩かかったけど)、シリウスの対応はリーマスとの友情を確かめると同時に────最後に私を試す機会にもなった、ということだったのだろうと結論づけた。

まあ、そのお陰で────

「イリス、行くか?」

────今はこんな風に、必要の部屋に行く前にわざわざ声をかけてくれるまでになったとさ。

「うん、行く」

周りには、"私がシリウスに古代ルーン語を教わっている"ということで通している。だからだいたいの人は、私達が毎日のように図書館に通っていると思っているはずだ。

私達は談話室を出て、周りに誰もいないことを確認すると、透明マントを被った。

8階に着くまでは無言。足音も立てないように、呼吸も殺しながら、私はシリウスにぴたりと寄り添って必要の部屋に向かった。
入学した頃はそんなに変わらなかった身長も、今はシリウスの方が随分と高くなっている。お陰で、私はシリウスにくっついてさえいれば自分でマントを支える必要がないので楽だった。ちょっと困るのが、身を寄せようとすると反射的に彼の体がビクッと跳ねることだ。そりゃあシリウスみたいなタイプからしたら、女の子からすり寄られることに抵抗意識があるのかもしれないけど、どうせいつも私のことなんて女扱いしてないんだから、いつも通り無視していてほしい。

────もっともこちらはといえば、ちょっとだけ、男の子とこんなに密着することなんてなかったものだから、顔に出さない心の奥でドキッとしてしまっているのだけど。

必要の部屋に入り、お互いの鍋の様子を確認する。
動物もどきの薬は熟練した大人の魔法使いでも完成させるのに1年近くかかるという。授業の合間合間しか時間のない中で、未成年の彼らがそれを作ろうと思ったら、一体何年かかることなのだろうか。

「どうだ、そっちの様子は」
「ほっほう! ミス・リヴィア、本日の出来も120点!」

スラグホーン先生の口調を真似て自画自賛すると、シリウスが「へたくそな物真似だな」と笑ってきた。

「3日後が満月でしょ。明日にはこの煎じ薬が完成するから、明後日にクサカゲロウを入れて…うん、3日後の朝には完璧に完成するはず」
「さすがだな」
「そっちはどう? …どう、って言っても、下準備があんまりにも多そうだけど…」
「そうだな。こっちは準備で丸一年費やしたって感じだ。この調子だと完成する頃には7年生になってるかもしれない」
「でも本気を出せば?」
「5年生だな」

夏休みの課題をやっているような口調でシリウスがニヤリと歯を見せた。
それからしばらく、無言で互いの作業に集中する。

うん、良い色だ。ちょっと透明度の低い、サラサラとした黒い液体。ここに明日クサカゲロウを入れることで、もっとドロリとした泥のような薬になるはずだ。

「────あのさ」

初めて作る上級魔法薬の出来に満足していると、テーブルの反対側でたくさんの小鉢と鍋に囲まれたシリウスが唐突に声をかけてきた。

「うん?」
「この間、杖を向けて悪かった」

言われたのは、そんな今更なこと。
確かに怖かったけど、シリウスのあの行動は"私達の関係"においては適切な判断だったと思っている。

「君が僕らを害するために何かするわけないっていうのはわかってたんだ」
「うん。でも1年生の時の私を思い出したんだよね」
「…気づいてたのか?」

なんとなく、だけど。

「八方美人で規則重視。争いを好まず、本音も見えず、勉強だけはできて先生から気に入られてる…そんなの、今のあなた達から見たら厄介でしかないでしょ。リスクが大きすぎる」
「…でも、君は変わったと思うよ」
「そう?」
「ああ。だから…あの後、後悔した。新しい考えをどんどん吸収して、良くも悪くも周りに影響されて、悩みながら、それでもああして身の危険を顧みずに来てくれた君の行動は紛れもなく勇敢なものだった。それを僕は、1年生の時の軟弱だった君と間違えたんだ。失礼なことをしたと思っている」

…この際、ひとまず軟弱呼ばわりされたことについては黙っておくことにしよう。過去のことだし。

「スネイプ作戦のこともそうだ。ピーターも言ってたけど、僕も最初はスネイプに呪いなりなんなりかけて動けなくさせれば良いって思ってた。……でも、短絡的だった。君の言う通り、それじゃ根本的な解決にはならなかったんだ。それがどうだ、君の案を聞いたら、一生…は無理かもしれないけど、少なくとも数年はそんなバカげた噂が立たないように済むことに気づいた。君の賢さは本物だったんだ」
「褒めすぎだよ」

シリウスがこんな風に誰かを褒めているところを聞いたことなんてなかったから────ましてやそれが自分に向けられているとあっては、とても恥ずかしくて聞いていられない。

「いや、逆だ。僕が過小評価しすぎてたんだ。君の言う通り、僕は傲慢だった」
「あ────」

私の方こそ、勢いあまってシリウスに「傲慢だ」と言ってしまったことを思い出した。

「────そこまで言ってもらえるほどのことじゃないよ。私だって、本当ならリーマス自身とちゃんと話し合って、理解を得てからあなた達のところへ行くべきだった。当事者を抜きにして、安い挑発に乗って杖を抜いて、思ってもいないようなことばっかり叫んじゃった。まだまだ私も幼稚だったよ。傲慢だなんて言って、ごめん」
「いや、幼稚だったのは僕も同じだ。リーマスに黙っててくれなんて言っちまったし」
「ううん────あなたの行動は、とても勇敢だったと思う。友達のために、躊躇いなく杖を抜けることって本当にすごいよ」

2年前、マルフォイに杖を向けた時、私はそれまでにものすごく悩んだ。
大丈夫だろうか。こんなことして、本当に許されるんだろうか。いや許されるわけがない。いくらなんだって、人に杖を向けられるほどの度胸が私にはないんだから。
そんな気持ちで、ようやく一生分の勇気をなんとか振り絞ったあの時の私に対して、この間のシリウスの反応速度たるや。

「迷いがないんだね、シリウスには」
「…まあ、粗方捨てきった後でここに来たからな。大事なものは最初から決まってるんだ」
「それがすごいと思うよ」

素直な感想を返しながら、火加減を調整する。ぽこぽこと小さな泡が沸騰してきたら、火を弱めてそのままの泡の大きさを維持して1時間煮込むこと。

「────でも、最近は大事なものを増やしてみても良いのかなって思ってる」
「どういう意味?」

顔を挙げると、小鉢の中のよくわからない粉末を混ぜ合わせているシリウスは、こちらを見ずに笑っていた。

「家を捨てる。教えを捨てる。名誉を捨てる。全てを捨ててここに来て、それでも残ってくれた友との、永遠の友情さえ残ればあとは何もいらない。そう思ってたけど────身一つで来ると結構色々見えてくるようになるもんだな。欲しいものとか、新しい感情とか、学ぶことも最近になって増えた」
「まあ、ホグワーツにはなんでもあるもんね。先人の知恵も、おもしろグッズも」
「………」

シリウスは最初から人格の完成した人かと思っていたけど、本人の言う通り、彼にもまだ学ぶべきことはたくさんあるのかもしれない(だってあのシリウスが「反省した」なんて言うと思ってなかった!)。憧れていた彼の考えがこれからどう柔軟に変化していくのか、それを見ているのは少しだけ楽しいかもしれないと思った。

返事がなかったので、シリウスの方を再び見る。彼は小鉢を混ぜる手を止めたまま、不満そうな顔でこちらを見ていた。

「なに」
「いや別に」

よくわからないまま、彼はまた作業を開始してしまった。こうなるともう何を話しかけたところで答えてくれないので、仕方なく私は1時間の煮沸時間を待つ間、魔法生物飼育学の教科書を開いて過ごすことにした。

「優等生、ここ1ヶ月ずっとここにこもりっきりだけど、試験は大丈夫なのか?」
一回勉強したことをわざわざまた書き起こす意味なんてあるか? 紙とインクの無駄だよな。何のために脳がついてるのか、今度先生に訊いてみようぜ

夏休み、どこかの誰かさんが言っていたことをそのまま真似て言った。

「────もちろん私はあなた達ほどの才能を持ってないから、一回教科書を見ただけで全部覚えることは無理だけど…その一回にすごく集中してるから、直前に二回目を見ておけばだいたい思い出せるよ」

ちょっとだけ虚勢を張った。
本当はもっと必死だった。二回見ただけでわかるわけがない。ここに来ていない時間はずっと(ベッドの中でも)勉強しているし、お陰様で今年も寝不足だ。ただ事態は去年なんかよりずっと切羽詰まっているのだから、勉強時間をカットしたところできっと後悔しないだろうとは思っている。それにここでの生活も3年目となれば、いい加減効率の良い勉強の仕方だって覚えるというもの。もちろんやりすぎて倒れてしまっては去年の二の舞なので、自分の限界もきちんと弁えたスケジュールを組んでいた。
今年の私は、過去の失敗を乗り越えた真・優等生なのだ。

「へえ、そりゃあお母さまがお喜びになるはずだ」
「うん。喜ぶと良いんだけどね」

勉強時間を削るのは良いとして────私はそれでも、今年の試験は殊更に良い結果を残さなければならないと自分に言い聞かせていた。なんせ、この山場を超えたら今度はすぐに自分のことに目を向けなければならないのだから。
次の夏、去年から仕込んでいた将来の話をする時が来る。その時こそ"私"が完成するかどうか、その最終決戦となるのだ。

「喜ばないわけないだろ、全部100点以上なんだぜ」
「はは、まあ面白い反応をもらえたら教えるから楽しみにしてて。じゃあ私、今日はそろそろ戻るから」

火を消して、教科書を鞄に戻し、必要の部屋を出ようとする私。

「もう行くのか? いつもこっちの作業が終わるまで真剣に観察してるのに」
「うん、ちょっと今日はマクゴナガル先生に会いに行くんだ」

じゃあね、と改めてあいさつして部屋を出る。
そのまま私は塔を降り、マクゴナガル先生の部屋へと向かった。

この時間に訪ねたいという旨は連絡し、承諾もしてもらっていたので、遠慮なく扉をノックする。

「イリス・リヴィアです」
「どうぞ、お入りなさい」

マクゴナガル先生は背もたれの高い椅子に座って私を待っていてくれた。

「お掛けなさい」と言うと、目の前に温かい紅茶を出してくれる先生。

「それで────進路についての相談、ということでしたが、具体的にはどのようなことで悩んでいるのですか?」

そう、私が今日ここを訪ねたのは、マクゴナガル先生に「進路相談に乗ってほしい」とお願いしたからだった。
先生は「3年生のうちから将来を決めてしまうのは些か尚早といえますが、知識として幅広く知っておくことはとても賢明です。良いでしょう、私でよろしければいつでも相談に乗ります」と快く言ってくれた。

「はい。────具体的には、魔法省の入省についてです。必要な科目、成績、素行、資質についてご教示ください。まだ私は魔法界の職業についてもよく知らない部分が多いため、一通り参考文献は読んできました。その上で興味を持ったのは────」

試験に、スネイプ作戦に、進路相談。
忙しい、本当に忙しい。
でもそれは全部、私が自分の意思で動いていることだ。子供の頃の忙しさは嫌いだったけど────こうして"自由"であるが故に忙しくなった今の自分の環境は────なぜか、とても心地良かった。



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