ポッター家で過ごした日々は、人生で一番楽しい夏休みとなった。
7月末に新しい教科書リストが届いたので、8月のはじめに改めて5人でダイアゴン横丁へ向かい、一式取り揃えた(ジェームズは新作の箒の前からなかなか離れようとしなかった。何を言っても聞かないので、彼を置いてシリウスたちの制服の丈のお直しをしてもらっていたけど、1時間後にマダム・マルキンの店から出て迎えに行った時も、彼はまだショーウィンドーに張り付いていた)。

ダイアゴン横丁では、リリーにも会った。

「リリー!」
「イリス!」

事前に買い物へ出かける日を知らせていたので、彼女もその日に合わせて来てくれたのだ。生憎こちらはシリウスたちと、そしてリリーはスネイプと一緒にいたのであまり会話はできなかったけど────元気そうで良かった。

「お土産話はホグワーツに戻ったらゆっくり交換しようね」
「ええ、また会えるのを楽しみにしてるわ! 一目だけでも会えて良かった!」

その後ろで男子達が一触即発の雰囲気を醸し出していたので、私達はなんとかそれだけあいさつを交わすとすぐに自分の友達をその場から引き剥がすことにした。

「ねえ、ちょっとリリーと話してる間くらい大人しくしていられないの?」
「そんなことしてたらスネイプに呪いをかけられるじゃないか」
「ホグワーツの外では魔法が使えないでしょ」
「知ってるよ。言葉のあやってやつさ。実際、呪いのかかった道具を投げつけられる線なら十分ありえただろ」

シリウスとジェームズは私に怒られてもツンとそっぽを向くだけだった。

「エバンズとゆっくり話したいなら、2人きりで会えば良かったじゃないか」
「無理だよ。スネイプは私のことも嫌ってるんだもん。私とリリーを2人きりにするなんて許すわけがないじゃん」
「そこまでわかってて君がスネイプを憎まないのが不思議だよなあ」
「ケンカを売らなきゃ良いだけの話なんだから、簡単でしょ」
「おいおい、それじゃまるで僕らがいつもあいつにケンカを売ってるって言われてるみたいじゃないか」
「むしろ他の意味があると思う?」

リーマスもピーターも笑っていた。

「何が面白いの?」
「いやいや、イリスって結構言うんだなあ、って思って」
「僕は1年生の時から言ってただろ? こいつは絶対腹黒だって」
「腹黒とかやめてよ」
「そうだぞシリウス、イリスはちょっと猫被るのが上手なだけなんだから、腹黒は言いすぎだ」
「ジェームズ、それはフォローとは言いません」

最初は"言葉を腹に溜め込む"癖がなかなか治らなくて苦労したけど、この4人のお陰で私は日々"腹に溜め込んだ言葉を口にする"ことができるようになっていった。この夏休み、ジェームズに招待してもらえて本当に良かったと思う。自由な発言が許される環境、自由に発言しても壊れない友情、それを確信してからの私は、自分でもわかるほど軽快に言葉がポンポン口から飛び出すようになった。

それからの1週間くらいは、ジェームズの宣言通りロンドンのマグルの街を探検してみたり、ちょっと離れた森へ魔法生物を探しに行ったりと、とにかく私達は毎日外に繰り出した。
────そして、翌週の水曜日。

「え、リーマス、明日帰っちゃうの?」

まだ8月の中旬だというのに、リーマスが家に帰ると言い出した。私は驚いてリーマスの言葉をそのまま返したけど、3人は何も言わなかった。

「うん。家の事情で一旦帰らないといけないんだ。でもまた9月1日に駅で会えるよ」

なるほど、家の事情があるなら仕方ない。私は詳しい話を知らないけど、3人はもしかしたらその"事情"を知っていて黙っているのかもしれない。
ちょっとリーマスの体調がいつも通り悪そうなことだけが気になったけど────。

「寂しいけど、そういうことなら仕方ないね。またすぐ会えるのを楽しみにしてる」

私は、深入りせずにそれだけ伝えた。

「うん、ありがとう」

その日の夕食はとても豪華なものだった。初日にも厚いおもてなしを受けていたけど、その日はイングランドの郷土料理が所狭しと並べられている。特に今日のミートパイは"ポッター家秘伝"のメニューなのだそうだ。ユーフェミアさんの言葉通り、それはどこのお店で食べたものよりずっとおいしいミートパイだった。

最後の夜は4人でまた"秘密の会合"をすると言うので(ユーフェミアさんは「イリスだけ仲間外れにするなんて」と言ってくれたけど、元々私の立ち位置はこの4人と少し離れたところにあるので、そんなことは全然気にならなかった)、私は初日と同じようにユーフェミアさんと2人で魔法を使わずに編み物をすることにした。

「綺麗な月ね。明後日あたりには満月かしら」
「最近ずっと晴れてますから、綺麗な月が見えそうですね」
「そうね」

当たり障りのない天気の話なんてしながら、集中して靴下を編む私達。既に片方の足の分は出来上がっており、夏休みが終わる頃にはちゃんと一足完成させられそうなところまできていた。

「それにしても、イリスは何をさせても完璧にできちゃうのね」

この時間、ユーフェミアさんと一緒にやったのは編み物だけじゃない。マグルの生活様式に興味があるという彼女の要望に応えて、私は家事や趣味の一環になるようなこと(フラワーアレンジメントとか、刺繍とか)を披露してみせていた。

「ええ、母に教わりました」
「お母様はとても高いレベルの教育をなさっていたのね。あなたが年の割に落ち着いているのも納得だわ」

シリウス達とケンカしている場面を見たことのないユーフェミアさんは、そう言って笑っていた。

「…そうですね、大人の人からはいつも褒めてもらえるようにと、育てられてきたので」
「…そう」

ユーフェミアさんは、今の私の一言でどこまで察しただろう。私が"良家の娘"としての見栄えだけを重視され、人格を"人工的に作られてきた"ということの、一体どこまでを。

────私は羨ましかった。
"子ども"として、"人間"として尊重され、愛されているジェームズが。
私だって愛されていなかったわけじゃない。ただ…愛されるためには、"リヴィア家の名に相応しい娘である"という独自の基準をクリアしなければならないという条件が付いていただけで。

生きているだけで愛される、そんな感覚、私にはわからなかった。
愛によるしつけ、愛に溢れた生活、そんな安心できる場所があるなんて、私は知らなかった。

「────私は、あなたを育てたお母様は立派な方だと思うわ。あなたはどこへ行ってもきっと、"優秀だ"って言われる子どもだと思うの」
「…はい、私もそう…そう思ってもらえるように、頑張ってます」
「でも、私は庭で楽しそうに箒に乗ったり、息子達と本当に笑いながら家を出て行くあなたの後ろ姿を見ているのも、好きよ」
「────…」

思わず手を止めて、ユーフェミアさんの顔を見た。
その顔は、なんだか────こう言うと誤解を招くかもしれないんだけど、リリーの顔とよく似ていた。これは私に「優しい」「大好き」と言ってくれる時の、リリーの表情だ。

「大人になるとね、意外と"顔の使い分け"って重要で…それでいて、難しいって感じる時が多いの。"良い子"と"悪い子"のスイッチを持ってるあなたは、きっとこの先誰よりも自由に生きていけるわ」

あっ、だからってジェームズを"悪い子"って言ってるわけじゃないのよ、と冗談めかして自分の息子をフォローするユーフェミアさん。

誰よりも自由を知らなかったはずの私が、「誰よりも自由に生きていける」と言ってもらえる日が来るなんて…。

「好きなことだけをして生きていけるならもちろんそれが一番よ。でもそれだけじゃ立ち行かないこともままあるっていうのも、社会の悲しいところなのよね。その辺り、ジェームズにもみっちり教えてあげて。私達が甘やかしすぎちゃったせいで、あの子ったら…まったく、"うまく立ち振る舞う"ことを知らずに育っちゃったの」

これまで友人や先人の知恵を借りながら、なんとか組み上げた"私"の在り方。
それを大人の"生の言葉"で肯定してもらえるだけで、こんなにも心強く感じられてしまう。
私は改めて、ユーフェミアさんに感謝と尊敬の念を覚えた。

────それはそれとして、ひとつだけ訂正しておかなければならないこともあるんだけどね。

「ジェームズはちゃんと"使い分け"できる人ですよ。規則を破ったり先生に怒られてるところも見ますけど、私はジェームズが"スイッチ"を持っているのを、ちゃんと見てきてます」

私のお母さまに対する態度を見れば、ジェームズが"やろうと思えば大人に褒められる言動"を正しくやれることなんて、すぐにわかるというもの。もっともその理由は私みたいに"良い評価を得よう"という姑息なものじゃなくて、"頭の固い大人を騙して笑ってやろう"っていう…うん、まあ確かにちょっと子どもっぽい理由ではあるんだけど…。

「まあ、そうなの?」

ユーフェミアさんは少しだけ驚いたような顔をしてみせたけど、すぐにまた優しく目を細めてくれた。その笑い方が、とてもジェームズと似ていた。










翌朝、家に帰るリーマスを見送るために、全員が早起きをして玄関先まで出た。

「お世話になりました。本当にありがとうございます」

フリーモントさんとユーフェミアさんに深くお辞儀をして、私達には「じゃあまた、2週間後」と簡単なあいさつをする。

「あんまり家で暴れ回るなよ」
「怪我に気をつけてね」
「まあ、そうは言っても気の向くままに羽は伸ばせよ」

普段の言動を見ていれば、とてもリーマスが暴れたり怪我をするような真似をするようには思えないのに、3人はとても真面目な顔をしてそう言った。リーマスの"家の事情"が余計にわからなくなってこんらがってしまったけど、私はただひたすらに目の前の彼の様子が気がかりだったので、余計な言葉は挟まないでおく。

それにしても、彼のこの姿は何度見ても慣れない。髪の艶がなくなり、ユーフェミアさんのご飯をたくさん食べているはずなのに、顔の陰がいつもより濃い気がするリーマス。別れを惜しんでいるだけなのかもしれないけど、どことなく言葉にも元気がない。
生理みたいな、一定周期で来るリーマスの病気(?)。私は"家の事情"と一括りにして納得してるけど、もしかしたらその病状が重いから、人の家で寝込むより自宅で療養することを選んだのかもしれない。唯一私を安心させてくれたのは、リーマスの体にいつもの切り傷がないことだけだった。

「体に気を付けてね。元気な顔で会えるのを待ってるから」

だから私はそう言った。一瞬リーマスはぴくりと肩を跳ねさせたけど、ぎこちなく笑って「ありがとう、イリスも風邪とか引かないようにね」と返してくれた。

リーマスを送り出した後、私達は4人でジェームズの部屋に集合する。

「それで、だ」

何の前触れもなく、ジェームズが口を開く。

「リーマス亡き今────」
「一応生きてるぞ」
「あー…リーマスと生き別れた今、我々は改めて思い出さなければならない辛い現実がある」

リーマスがいなくなって寂しいこと以外に、何を問題視することがあるのだろう。
面倒な前置きを聞き流す私の隣で、ピーターが「ヒッ」と声を上げた。

「な、夏休みがあと2週間しかない…!」
「は?」

言ってしまってから、ピーターが怯えたようにこちらを見たので、慌てて口を塞いだ。今の言い方は完全に"対シリウス"のものだった(つまり、最上級に冷めきってるってこと)。ピーターに「ごめん」と謝り、ジェームズに続きを促す。

休暇があと2週間しかないことなんて、別にリーマスがいようがいまいが関係なく"わかりきった事実"じゃないの?

「さて、そこで諸君らに問いたい。この中で、夏休みの課題に手を付けた者は────」

ようやく本題に入ったところで、私はジェームズの言いたいことに気づき、呆れ返って手を挙げた。
案の定、私以外に手を挙げている人はいなかった。

「あ、イリスもやっぱり終わらせてきてたのか。じゃあ良いや」
「一応訊くけど…何が良いの?」
「まあ僕らだけの力でもひとつひとつの課題はすぐ終わらせられるんだけど、いかんせん全体の量が尋常じゃないだろ。だからちょっと手伝ってくれたら嬉しいなって────」
「えー…」

文句を言いつつ、心の中で「どうせそんなところだと思った」と付け加える。これまでの様子を見るに、リーマスもジェームズの家に来る前に課題は終わらせていたんだろう。当然、この1ヶ月、彼らが宿題をまともにやっている姿なんて見たことがなかった。

「ぼ、僕、どうしよう、ジェームズ達みたいに要領良くなんて終わらせられないよう…」

ピーターが泣きそうな顔をしている。正直自業自得以外の何物でもないと思うんだけど、それで新学期早々に杜撰な課題を提出して減点を食らっても(同じ寮生として)困る。私も宿題を"そこまで苦労して仕上げた"わけではないので、仕方なくレポートを見せることにした。

私がいなかったら、きっと今頃彼らはリーマスに同じことを言ってたんだろうなあ…。

「さっすがイリス、僕らの女神!」
「救世主様、我らの最大限の敬意と感謝をここに表────」
「シリウス、さっき私のこと腹黒って言ったの、忘れてないからね」

リーマスだったらこういう時、どうするんだろう。新学期が始まったら訊いてみよう。

「去年まではどうしてたの?」
「仕方ないから自力でやってたよ。3日本気を出せば終わる」
「じゃあ今年もそうすれば?」
「助けてくれる女神がいれば、その本気期間が1日に縮まるんだ。利よ…あー…助けを乞いたくなるのは当然だろ」

利用って言いかけたぞ、このくしゃくしゃ頭。

「あ、あの、イリス…」
「うん、わかんないところがあったら訊いて。課題として出されてる部分だけなら、私でも教えられると思うから」

全科目のレポートをドサリと置き、シリウスとジェームズは完全に無視した上で、私はピーターの家庭教師に専念することにした。
2人は思った通り、全く問題なさそうだ。羊皮紙を取り出すまでは「面倒くさいな」「白紙で良くないか?」なんてダラダラ言っていたのに、いざ始めてしまえばペンを止めることも文献を漁ることもなく、サラサラとレポートを書き上げていく。時折立ち止まって、私のレポートを雑に斜め読みして、何か付け加えている様子だけ見て取れた。
「コピペは上手にやってね」と言おうかどうしようか一瞬迷ったけど、結局私は2人の要領の良さを信じることにした。

────というより、そんなことを気に掛けていられるほど、私に余裕がなかったのだ。

ピーターのペンが全く進まない。

「ええと…髪を逆立てる薬の材料は…カエルの脚だっけ?」
「ネズミの尻尾だよ」
「あっ、そっか。カエルの脚は足を大きくする薬か」
「それは馬のヒヅメ」

簡単に言うと、こんな感じ。言いたいことはわかるし、"知識"自体はちゃんと引き出しに入っているのに、ピーターはいつもそれを取り出す場所を間違えていた。
彼も自分の言っていることには最初から不信感しか持っていないらしい。ひとつひとつ声に出して私に正解を求めながら、去年学んできたことを丁寧に書き込んでいく。

ようやくピーターの魔法薬学のレポートが仕上がる頃には、もうジェームズとシリウスは課題の1/3を終えていた。

「一回勉強したことをわざわざまた書き起こす意味なんてあるか?」
「紙とインクの無駄だよな。何のために脳がついてるのか、今度先生に訊いてみようぜ」

そんなことをピーターの前で言わないでほしい。

「じゃあ次は変身術ね…」
「イリス、今年君は何の授業を取った?」
「あ、その呪文、綴りが間違ってるよ。────なに、魔法生物飼育学と古代ルーン文字と…それから数占い学だけど」
「ワーオ、さすが。リーマスと全く同じだ。合わせておいて良かったな」
「ああ、リーマスとイリスが味方についてるなら、来年度も僕らは本業に専念できる」
「うん、そうそう。図はこういう感じで書くとわかりやすいと思うな。────2人とも、学生の本業は勉強です」
「今更そんな優等生っぽいこと言うなよ」
シリウス、ジェームズ、うるさい

課題を半分終え、休憩タイムに入ったらしいシリウスとジェームズは私がピーターと会話をしている合間にしょっちゅう邪魔な言葉を挟んできた。暇なら一緒に教えてくれれば良いのに。

「うるさいだって」
「まさかイリスの口からそんな下品な言葉が出るとは思わなかったな」
「掘れば掘るほど出てくるよな、イリスって」

無視だ、無視。
結局ピーターは1日かけて(それこそ夕食後の時間も全部使って)、ようやく魔法薬学と変身術のレポートを終えた。このペースを保てれば1週間で課題は全部終わると思うけど…うーん、正直ピーターのこの疲れっぷりを見ていると、明日からはもう少し緩やかに進めないとパンクするかもな。

宣言通り1日で全ての課題を終わらせたシリウスとジェームズは、翌日以降、私達が熱心に羊皮紙とにらめっこしている間、そそくさと別の部屋へ移動してしまった。さすがに外で元気良く遊ばないだけの配慮はできたらしいけど、完全に取り残されてしまっているピーターの様子を見に来る気配は全くない。
まあ来たところで邪魔にしかならないのはわかってるんだけど…ちょっと、薄情じゃない?

「ごめんね、イリスはちゃんと課題を終わらせてるのに、僕のせいでいつまでも縛り付けちゃって…」
「ああ、うん…それは良いんだけど…。寂しくない? 2人がいつもどこか他の部屋に行っちゃうの」
「ううん、良いんだ。2人には2人のやることがあるから」

なぜか、その時のピーターの声は誇らしげだった。2人のやること…まともなことではないと思うけど、ピーターは2人が何をしているのか知っていて、その内容を賞賛すべきものと考えてるみたい。

「…まあ、ピーターが気にしないんなら良いや。静かだし」

きっと訊いても教えてくれないんだろうな。
なんとなく────去年、必要の部屋に通い詰めていた彼らのことを思い出した。

「イリス、あんまり人のプライベートに首を突っ込むものじゃないぞ」

もしかしたら、その"謎の研究"をここでも続けているのかもしれない。だったら、ここで私が口出しするのはあまり賢くない。

結局、2週間まるまるかけて、なんとかピーターの課題は完成した。
良かった、良かった。これで全員なんとか新学期早々に醜態を晒すような真似をせずに済む。



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