学期末試験は、まさに地獄のようだった。
これまで1年間こつこつ頭に詰め込んで、何度も忘れながらなんとか引き出しにしまいこんだ知識。試験時間はそれを、突拍子もないところから的確に引きずりださせてくる作業だった。えっと、この知識はどの棚にしまったっけ。あれ、この魔法はどの引き出しにもない…と思ったら、なんだか知らない古びたセーターと一緒に奥底に埋まってた。たとえるなら、そんな感じ。

そうはいっても変身術と呪文学は、やっぱり大成功をおさめられたと思う。ねずみを嗅ぎたばこ入れに変える魔法は、自分で言うのもなかなかアレだけど本物のお店に出したって売れる出来栄えだと思ったし、パイナップルをタップダンスさせる呪文をかけた時には、タップダンスだけでは飽き足らなかったらしいパイナップルが最終的にキレッキレのブレイクダンスを始めた。
君も派手なことが好きだね」とフリットウィック先生が楽しそうに笑っているのを聞いて、わたしは自分の前の生徒がシリウスであったことを思い出した。彼もきっと、普通の課題じゃ物足りなくて、何か余計な手間を加えたんだろうと思う。

防衛術と飛行術は、やっぱりそこまで上手にできなかった。リリーが相手ならできた武装解除呪文も、先生を前にしてしまうと緊張してしまって、吹っ飛ばした杖をキャッチできなかった。また出た、特大ホームラン。まあ、評価基準はクリアしているので悪い成績はつかないだろう。
飛行術は…これはもう、運が悪かったと思うしかない。あれからずっと夜の自主訓練は続けていたけど、試験当日の内容は"4人一組で飛び、それぞれ自分の名前が書かれたボールを取りに行く(ボールには魔法がかけられているので勝手にどこかへ行ってしまう)"というものだった。課題自体はクリアできたけど、不幸だったのが、わたしのグループにジェームズがいたということ。彼がいてしまうと、相対的に見てどうしたってわたしの評価は落ちてしまう。

残りの科目は、たぶん満点かそれに近いくらいのところを一貫してとれたんじゃないだろうか。魔法薬はリリーのものほどうまく作れなかったけど、一応効果はちゃんと発揮されるものを作れたし、他の筆記試験もペンを止めることなく最後まで書ききれた。あ、でも魔法史のテストはひとつだけ…"初めて箒に乗り、ロンドンの空中でマグルに姿を発見されて大問題になった"事件が1520年の出来事か1502年の出来事か迷ってしまったっけ。まあそこで失点しても、他の部分をきちんと覚えていたから問題はないだろう。魔法史は生徒がだーれも授業を聞いてない時間。真面目に勉強してたのはリリーとリーマスくらいだし、天才型のジェームズとシリウスを除けばわたしは良い順位に食い込めるはずだ(それでも5位付近ということか…と一瞬心が沈む)。

成績発表が行われるのは一週間後。
それまでは勉強のことを一旦忘れて楽しく過ごし────そしてそれが終わったら、わたしは家に帰らないといけない。

最後の天文学の試験が終わったあと、わたしはトボトボとひとりで寮に戻ろうとしていた。リリーは途中でスネイプの姿を見かけたので、学期末の最後のチャンスと思って話してくる、と早い段階でわたしと別れていた。

家に帰ることを考えると、胃がずんと重たくなる。急に薬でいっぱいの大鍋を突っ込まれた気分。
ホグワーツで過ごす時間は、とても楽しかった。もちろん息苦しいことに変わりはないし、わたしがリヴィア家の呪縛から解き放たれたわけでもないし、そのお陰で辛い思いをしたこともあった。

それでも、ここにいた1年で、わたしは自分の価値観がぐるっとひっくり返されていたことに気づいた。

別にリヴィア家の教えが間違っていると、真っ向から反対するつもりはない。シリウスの言葉を借りるなら、それこそ「大人からの評価は良い」んだと思う。世間で生きていくために、リヴィア家のやり方はとても"賢い"と思う。

でも、わたしはそうする度、リヴィア家の娘として振る舞うたび、"イリス"というわたし個人の存在がどんどん薄まっていっていることに気づいていた。
わたしの幸せはお母さまとお父さまを笑顔にすること。小さい頃はそれが一番嬉しいことなんだと、それが正しいんだと信じていたけど、ここに来て────それがどれだけ"楽"な生き方であっても、それがわたしを"幸せ"にしてくれることは決してないと学んだ。

ここにいるのは、みんな自分の意見を持ってる人たち。夢があったり、思想があったり、好きなものや嫌いなものをハッキリ口にできる人たち。そのせいで対立したり、敵視し合ったりするようなことも度々目にしてきていたけど、"自由"と"幸せ"を自分で選んだ人たちは、いつもキラキラ輝いて見えた。自由だからこそ好きな人と好きなことをして、幸せだからこそ明るい未来を目指していく。

羨ましかった。楽じゃないかもしれないけど、周りの人たちはみんな、"自分"という存在をちゃんとそこに置いていた。わたしみたいに、ふわふわと…本当に姿が見えないゴーストみたいに"自分"を薄めている人間とは、大違い。

それが眩しくて、苦しくて────ここにいたら、わたしもいつかそうなれるんじゃないかって、憧れてた。
それなのに、わたしはまたあの場所へ戻されてしまう。自由なんて許されない。幸せを自分で決めちゃいけない。言われたことを言われた通りにやって、にっこり笑ってるだけ。

人形と何も変わらない。
わたしが生まれてきた意味が、何もない。

夏休みの間もホグワーツに残れたら良いのに。そんなことを考えながら、人気のない5階の廊下を歩いてる時だった。

「不遜な態度だな、ポッター、ブラック。グリフィンドールから10点減点」
「"あいさつ"しただけで減点とは良いご身分ですねえ、所詮同じ生徒のクセに」

静かに言い争う男たちの声が聞こえてきた。
しかも片方は────知ってる。ジェームズの挑発的な声だ。しかも相手が「ブラック」とまで言ったってことは、おそらくその相手対ジェームズとシリウスって形で…うん、どう考えても穏やかな話はしてない。

ここからじゃまだ姿は見えないけど、"同じ生徒"なのに"減点"するってことは、きっと相手は監督生だ。でも、うちの寮の監督生の声じゃないから…ああもう、あの2人、まさか他寮の監督生とぶつかってるの!?

どうしよう、ここから寮に戻るにはあの声の方へ歩いて行かないといけない。距離的にきっと、あの角を曲がったあたりに3人(それ以上?)いるはず。
嫌だな。揉め事を起こしてるところを通るなんて。回り道をするか、それとも少しこの空き教室で時間をつぶそうか。

ひとまず空き教室に身を潜め、自分を守ることをぐるぐる考えている間にも、声は続く。

「監督生がそれだけ実力と品性を兼ね備えた特別な存在であることを、グリフィンドールの無能な監督生は新入りの犬どもに教えてやらなかったのかね?」
「あいにく、うちの監督生はただ年を食っただけで偉そうなツラするようなバカじゃないんでね」
「わかったら通してくださいませんかね、スリザリンのお偉い監督生サマ」

う、わー…。よりによってスリザリンの監督生ともめてんの、あの2人。
最悪だよ。あの2人がスリザリンのことが大嫌いなのなんてもう今更すぎる事実だし、スリザリンの人の多くもグリフィンドールの中でことさらあの2人を嫌ってるって話は有名なウワサだった。
その寮の監督生が、2人を見て面白いと思うわけがない。

「何もわかっていないのはお前たちの方だな。良いだろう、"ただ年を食っただけで"どれだけ偉くなれるのか、この機会に少し教えてさしあげよう」
「ほう? 確か…学校内の魔法を使った私闘は禁じられてる…とか…うーん、そんな規則があった気がするんだけど、僕の勘違いだったかな?」
「いいやジェームズ、それは"最初に教わった"規則だったぜ。アー、でも入学したてに教わったものだから、5年生の大先輩はうっかりそれを忘れちまってるのかもしれない」
「なるほど、それは仕方ないことだ。じゃあ呪いをかけられそうになったからそれを防ぐっていうのは?」
「それは正当防衛になるぞ、相棒」

待って待って待って待って待って、その流れはまずいって。
いや、見えないけど絶対杖出してるよね全員。監督生の言い方は余裕に溢れてるけど、ジェームズとシリウスの声は実に楽しそうな笑いが混ざっている。

いや、笑ってる場合じゃないから!
どうするの、先生がこんなところを通りがかったりなんてしたら────。

そう思ってきょろりと周りを見渡した時。
────…ああ、本当に不幸って続くものなんだなあ…。

今しがたわたしが通ってきた通路の奥から、マクゴナガル先生が現れたのを見てしまった。
まずいって…こんなところマクゴナガル先生に見られたら、あの厳しい先生は絶対全員減点して、最悪罰則になるって…。夏休み前に罰則だなんて、もう意味がわからないよ…。
しかも立場は完全に相手の方が上のはず。監督生になるほど優秀な人だったら、自分だけうまいこと言い訳して逃げちゃうかもしれない。加えてジェームズとシリウスは日頃から目をつけられてる問題児…そもそも減点も罰則もたいしたことがないと思ってる人種が、逃げるって選択肢を頭に入れてるなんて思えない。

ああ、余計に関わりたくない。

────それでいいの?

その時、頭の中でもうひとりのわたしがそう問いかけた。

────規則を守るのは大事だし、面倒に巻き込まれないようにするってのは"正しい選択"だよ。

すると、わたしの理性が答える。
でも、問いを投げた心────わたしの本能は、迷っているようだった。

────でも今、友達が危ないんだよ。寮が減点されることより何より、わたしが"友達"って思ってる人が、上級生から呪いをかけられちゃうかもしれないんだよ。見過ごすの?

わたしの本能は、わたしの理性をつっつく。

────でも、お母さまが…。
────お母さまが、今の話と関係ある?

それはとても単純で────そして根本的な疑問だった。

ここはどこ? リヴィア家の中なの?
わたしはまだ、お母さまが望んだ"お友達"と仲良くしてるの?
ホグワーツに来てなお、わたしはお母さまに監視されながら生きてるの?

じゃあ、ホグワーツにいたって家にいたって、同じじゃない?

だったらどうしてわたしは、ホグワーツに残りたいって思ってるの?
家に帰りたくないって────そんなことを、思ってるの?

「わたしだってグリフィンドール生だ! 自由を手にして、冒険を望んで、そしてここへ来た!」

────ふいに、クリスマスの日のことを思い出した。シリウスにああ叫んだのは、組み分け帽子がわたしに言ったことをそのまま流用しただけで、実はわたし自身の言葉じゃない。
わたしはグリフィンドールに望んで入ったわけじゃなかった。素質があるとも思ってない。どの寮に分けられたからって、その寮の求めるものを必ずしも持ってるわけじゃない。

それでも、わたしはホグワーツへ来て、グリフィンドールに入った。
ここにいる"地に足の着いた"人と過ごして、わたしは────そんな時間を、とても大切にしてた。

そうだ。
わたしは、ホグワーツへ来たんだ。
家に帰りたくないと、ここに残りたいと思ってしまうのは────わたしが、"わたし"でありたいからだ。

────だったら、心の思うままに行動しようよ。わたしがわたしになりたいと思うなら、自由を手にしちゃおうよ。

心の声が、笑いかけてきたような気がした。

「そんなんじゃお前はきっと、一生誰からも理解されないよ。自由を手にしない限りな」

同じ日に、シリウスがわたしに冷たく言い放った言葉を思い出す。
あの時わたしは、わたしたちに自由なんてないと言った。

そう、わたしたちは自由なんかじゃない。
この学校を一歩出てしまえば、また籠の中の鳥に戻るだけ。厳重なカギをかけられて、ずっと見つめられているだけ。餌と寝床だけは提供されるけど、そこに自分の意思はいらない。自分の言葉はいらない。ただ鑑賞されるだけのペットと同じ。

でもそれって────逆に、"学校を出ない限りは自由"ってことじゃない?

うん、とりあえず退学処分になるような真似だけは絶対にやめよう。規則はできるだけ破らないようにしよう。あ、あと先生たちの評価はやっぱり上げておくことにしよう。

だから────それ以外の部分では、もう少し────自分の気持ちを、外に出してみても良いんじゃない?
だってここにはお母さまがいない。ここにいるのは────"自分"を持った、同じ仲間だけ。

わたしは間髪入れずに飛び出した。マクゴナガル先生は手元の資料に目を落としていて、静かに教室を出てきたわたしの存在にまだ気づいてない。
急いで廊下を走り、最初の角を曲がる。

いた。
スリザリンの"P"バッジを付けた監督生。ブロンドの長い髪がとてもきれいに手入れされていて、どちらかというと細身なその人は、さっき声を聞かなければ女の人だと勘違いしてしまっていたかもしれない。それから…いつも通りの、ジェームズとシリウス。
案の定3人はお互いに杖を構えていた。監督生はこちらに背を向けている。ジェームズとシリウスはその男の人と対峙してるので、急に飛び込んできたわたしに気づき、口をあんぐりと開けた。

監督生は2人の表情を見て、「隙ができた」と思ったんだろうか。杖を振り、何事かを唱え始める。

でも────もう遅い。

「ステューピ────」
エクスペリアームス!

どうしてその呪文を選んだのかわからなかった。だって、わたしはさっきこの呪文を失敗したばかりだったのに。
でも、2人の顔を見ていたらリーマスのことを思い出して────そして、監督生が放つ呪いを打ち消せるような強力な魔法なんて知らなかったから、とにかく武器を取り上げるしかない、と思ってしまった。

相手がだらんと杖を下ろしていない状態で杖を取り上げるのは初めてだった。
でも、監督生は完全にわたしの存在に気づいていなかった。唱えかけの呪文は発動せず、監督生の手元から杖がスポンと抜け────きれいにわたしの手の中におさまる。

「!?」

その時、初めて監督生がこちらを振り返った。
とてもきれいな人だった。冷たい灰色の目は、どことなくシリウスにも似てるような気がするけど…そこに、キラキラと冒険を望むようなきらめきはない。やせた色白の肌をしていて、少し不健康そうにも見えるけど────今彼の顔は、怒りと憎しみに満ちていた。

「またグリフィンドール生か! お前はなんだ、ポッターどもの仲間か!」
「そ…そうです。卑怯なことをしてすみませんでした、先輩」

言いながら、杖を返す。わたしの手はガタガタと震えていたけど、監督生はわたしの手ごと引きちぎるんじゃないかといういきおいでわたしから杖をひったくった。

「どういうつもりかわかっているのか。私は礼儀のなっていない他寮の新入生にしつけをしようとしただけだ。それを背後から魔法をかけるような真似をして妨害するなど────」
「あの、でも、ステューピファイ────失神呪文って、しつけにはちょっと厳しすぎると思います」

頑張れ、頑張れわたし。一度"シリウスとジェームズを助ける"って決めたんだから、ここで逃げるな。

思ったことを、言え。

「失神呪文はもう少し上の学年になってから習う魔法ですよね。シリウスたちは、それに対抗する呪文をまだ知りません。彼らがその…先輩にとても失礼なことをしたのかもしれないっていうのはわかるんですが…」

ここでジェームズがぷっと吹き出した。彼らが監督生に対抗する術を知ってることもよくわかってるし、あえて"失礼なことをした"って言葉にしたことが面白かったのもよくわかってるから、ちょっと大人しくしていてほしい。

「礼儀を教えさせるなら、先生に報告した方が、良かったんじゃないでしょうか…?」
「新入生に我が校の作法を指図されるいわれはない。先生方がここにいらっしゃらないからこそ、我々監督生がそれに代わる任を受けているのだ」
「あ、それなら大丈夫です。もうすぐマクゴナガル先生が来るので。そしたらその…2人が何をしたか説明してください。わたしもあの…先輩の後ろをとっちゃったので、自分のしたことはちゃんと正直に話します。それから、先輩が彼らに何をしようとしていたのかも」

足まで震えてきた。
どうしよう。わたし、上級生にケンカ売っちゃってる。
ああ、困ったな。これできっとこの人、わたしの顔覚えるんだろうな。どうしよう、今後会うたびに因縁をつけられて、呪いをかけられたり、何かいわれのない罪を着せられたりして、お母さまに連絡がいっちゃったら。

やっぱり顔なんて出さなきゃ良かったかな。

でも…ううん、わたし、憧れてるだけじゃだめだよね。

だってここにいたいって、勇気を出したいって、そういつも思ってたんだもんね。
もうちょっと頑張って、わたし。でもちょっと先輩がガチトーンで怒り出したら怖いから、マクゴナガル先生早く来て…。

監督生は、最初わたしがデタラメを言ってると思ったらしい。わたしに向かって杖を向けて────でも、それと同時に近くを通るコツ、コツという靴音を聞いて、口を閉ざした。

「何事ですか? そこにいるのは────ミスター・マルフォイ。ミス・リヴィアに杖を向けるとは一体────」

マルフォイと呼ばれた監督生は、少しだけ考えてるようだった。わたしもよくやるからわかる。たぶん今この人、正直に全部話すか、あいまいにして逃げるか、どっちの方がおおごとにならないか天秤にかけてるところなんだろう。

そしてマルフォイは、杖を下ろした。

「いえ、ポッターとブラックと話していたところ、後ろから突然話しかけられたのでつい反射で杖を向けてしまいました。すまなかった、ミス・リヴィア」

表情の伴わない謝罪をかけられながら、「お前の名前は覚えたぞ」という副音声が聞こえてくるみたいだった。

「ポッターとブラック…?」

マクゴナガル先生が、廊下の奥の方を見る。そこには完全になりゆきに任せようとしているジェームズとシリウスが突っ立っていた。

「あーっと…僕ら、試験が終わった後答え合わせしてたんですけど、こんな暗がりでヒソヒソ羊皮紙を出してたもんだったんで、違法なものを持ち込んでるんじゃないかってマルフォイに難癖つけられてしまって」
「ジェームズ」

丁寧に言おうとしてるんだろうけど、失礼丸出しな言い方をするジェームズを、シリウスがたしなめる。

「これがその羊皮紙です。実際テスト対策用のノートだったんで特に問題はないってわかってもらえたんですけど、そこに待ち合わせしてたイリスが突然現れたもんだからびっくりさせたらしくて」

ジェームズより上手に言いつくろいながら、シリウスは1枚の羊皮紙をかざして見せた。確かにそれは、魔法史の教科書における重要事項を抜き出したテスト対策用のノートだった。

マクゴナガル先生は羊皮紙、マルフォイ、わたしの顔を順番に見つめ、(おそらく"監督生"と"優等生"がいたからだろう)特に問題はないと判断してくれたらしい。

「ミスター・ポッター、ミスター・ブラック。私的な話であれば寮へ戻ってからした方が賢明でしょうね。それからミスター・マルフォイも、周りへの警戒を怠らない姿勢は評価に値しますが、新入生をあまり怯えさせないように。ミス・リヴィアも、あまり他寮の監督生に心配をかけないようになさい」

わたしたちそれぞれに一言ずつ注意しながら、「ああ、それからミスター・マルフォイ。スラグホーン先生がお呼びでしたよ。私もこの後先生のところへ行く予定ですので、火急の用がなければ共に参りましょう」と言ってマルフォイを連れ去ってくれた。

…スラグホーン先生の呼び出しが本当のことかどうかわからないけど(たぶん本当だろうとは思う)、なんとなく先生が、自分のいなくなった後にまた新しいいざこざを引き起こさないようわたしたちを引き離してくれたような…そんな気がした。

残されたのは、薄暗い廊下にいるわたしとジェームズとシリウス。

「怖かったあ…」

なんだか前にもこんなことがあった気がする。でもあの時は"わたしに"非はなかったし、相手もプリングルだったから、ここまで震えるようなことはなかった。
でも今回は、相手は他寮の監督生だし、こっちが先に魔法使っちゃったし、わたしにとっての正当性なんてひとつもなくて。
本当に怖かった。手も足も声も震えてた。魔法が効いたことがまずビックリだ。

────でも、どこかスッキリしたような気持ちにもなっていた。

自分のしたいこと、できた。
友達、助けられた。
その上で、特にお咎めもなくやりすごせた。

これが、自由ってこと?

その代償の重みに耐えながら、それでも自分の意思を貫くってこと?

ああ、それってすっごく大変。リスクを考えるだけで怖いし、そもそもあそこで武装解除ができてなかったら、わたしまで一緒に失神させられてたかもしれない。

だけど、自由ってすごく嬉しい。

「わたしがこうしたかったからしたんだ!」って胸を張って言えるのって、こんな気持ちなんだ。なんだろう、自分のことが少しだけ好きになれそう。お母さまのことも他者からの評価も全部忘れて"自分のために"行動するって…これは本当に、どこまででも行けてしまいそうだ。

まあ結局、最後は保身に走ったわけなんだけど。それに関しては、シリウスとジェームズと…それから(おそらく自分のメンツを守りたかった)マルフォイの意思が合致していて良かった。面倒なことは全部忘れて、なんて言ったけど、やっぱり誰かからの評価を落とされてお母さまに伝わることだけはどうしても避けたい。

うん、まだわたし、中途半端だ。

「イリス!」

ジェームズが駆け寄ってきた。シリウスはまだ、その場でぶすっと立っている。

「ありがとう! きみ、ほんとに僕らの救世主だね! 今回はさすがにヤバいかと思ったけど────」
「この間も"今回はヤバい"って言ってたよ」
「え、ほんと?」
「毎回ヤバいんだね、あなたたち」
「あーうん、そうとも言う。ただ上級生と魔法でやりあったってなったらいくら正当防衛を主張しても結構ひどいことになってただろうからさ。まさかあんなにうまーく丸め込むとは思わなかったよ! 将来はパン職人にでもなると良い!」

ジェームズの嬉しそうな冗談に、つい笑ってしまった。
パン職人って、なんだそれ。

「ああ、僕が監督生だったら今すぐグリフィンドールに100点あげるのになあ…」
「職権濫用だよ、それ」
「でも、大丈夫だった? きみ、あんまりこういう…もめごととかには関わりたくなかったろ?」

シリウスからだいたいの話は聞いてるんだろう。わたしの性格をちゃんと理解しながら、ジェームズは心配の言葉をかけてくれた。言葉は心配してるのに────顔が笑ってるのは、きっと彼が"自由な人"が好きだから。

だって、ねえ。
この人の普段の行動を見てたら、"規則を守って、先生に怯えて、物陰に隠れてる優等生"と"その場にいるものをなんでも利用して、全部自分の思い通りに丸め込むエセ優等生"と、どっちの方が気に入るかなんてすぐにわかる。

「うん、基本関わりたくない。でも、今回はわたしが"こうしたい"って思ったからそうしただけ…たいしたことじゃないよ

笑ったままそう返すと、ジェームズもにっこり笑い返した。
それからシリウスの方を振り返り、「おい、シリウス」と声をかける。

「いつまでそこでふてくされてるつもりだよ。イリスは自由を手にしたぞ、もはや彼女が我らの"仲間"であることに間違いはない!」

…それが良いことなのか悪いことなのかは、考えないことにした。
シリウスはジェームズに言われてから、ようやくのろのろとわたしの前に来る。

その顔は、すごく不機嫌そうだったけど…でもなんだか、笑いをこらえているだけのようにも見えた。

「…………お前、意外と強いんだな」

そう言った瞬間、ついにこらえきれなくなったのか、シリウスはニヤッと笑った。
去年まではたまに見せてくれていた、あの心から楽しい時の笑い方だ。

わたしもつられて、ニヤッと唇の端が歪んでつりあがる。

「そうみたい」

それからわたしたちは、3人揃って寮に戻って行った。

テストはどうだった、夏休みはどうするか、イースター休暇の時は何をしていたか────。

────それはまるで、わたしたちの間を隔てていた半年間を、埋めるような時間だった。息継ぎする暇もなく、いつも誰かがしゃべっていた。
談話室に入ってからもワイワイと盛り上がりながら話すわたしたちを見かけたリーマスとピーターが、少し驚いたようにこちらを見ていて────それから、そろってにっこりと笑っていた。

「じゃあ、わたし、この後リリーと会う約束してるから…」
「ああうん、また明日!」

女子寮に戻ろうとするわたしを、ジェームズはあっさり解放してくれた。対してシリウスが、「イリス」とわたしを引き留める。

「なに? あ、その、クリスマスの時はごめん、いろいろ言っちゃって…」

2人になった途端、半年前の嫌な思い出がよみがえり、オロオロしながら謝る。
シリウスは笑っていた。

「いや、僕こそ悪かったよ。まだビクビクするクセは治ってないみたいだけど…少なくとも、育ちのことであれこれ悪口を言ったのは良くなかったと思ってる。実際、僕だってスリザリンに入れられてたらあんな風には言えなかっただろう、きみの言う通りさ」
「でも、あなたはグリフィンドールに入った。それが証拠、でしょ?」

シリウスはシリウスで、この間に色々と考えてくれていたらしい。でもわたしもわたしなりに考えて、シリウスの言ったことに間違いはなかったんだと判断していた。

「…ああ、そうだ」
「あなたにいろいろ言われたお陰でわたし、今日はちゃんと動けたよ。ありがとう」

いつか恩着せがましく言った「あなたたちを箒小屋で救ったのは私のお陰」という言葉を帳消しにするつもりで、今度は感謝をこめてそう言う。
勇気とは、自由とは、自分とは────そういったことを考える時間なら、たくさんあったから。

「まあ…うん、確かにまだちょっと…お母さまのことを考えるとお腹痛くなるんだけど…」

そう付け足すと、シリウスはくっくと声を殺して笑った。

「僕も実家には帰りたくないって思ってる。一緒だな、イリス」

──── 一緒だな。

似た境遇で育ちながらも、正反対だとお互い突き付け合ったあの日。
シリウスの言葉は、あの日の対立を全てなかったことにしてくれたかのようだった。

わたしたちを隔てていた太くて高いラインが、魔法のようにシュウッと消えていくような感じ。

「…うん、そうだね」
「まあ規則破りの仕方ならいつでも聞いてくれ。世間の上手な渡り方はきみの方がうまいけど、自由に楽しく生きるやり方なら僕の方が絶対うまいから」
「えー…規則はあんまり破りたくない…」
「何言ってるんだよ、規則は破るためにあるんだろ」

それだけ言い残して、シリウスはジェームズを追って行った。
いやあ…目指すものがあの"自由さ"だとしたら…道のりはまだまだ遠いな…。



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