2月13日。
今年のバレンタインデーは日曜日だったので、前日の土曜日の昼過ぎ────ちょうどランチタイムが終わって落ち着く頃を見計らって、私達は厨房に行くことにした。
「私、厨房に行くのって初めてだわ! 噂には聞いていたけど、しもべ妖精がたくさん働いてるんでしょ?」
「そう。私は最初に行った時本当にびっくりしたよ。しもべ妖精ってもっとこう…いかにも"フェアリー"って感じでイメージしてたから」
「ふふ、私も本の挿絵でしか見たことがないけど…私達が御伽噺で聞かされてた妖精をイメージして行ったら確かにびっくりしそうね」
2人で笑い合いながら、地下への階段を降りて行く。
この先にあるハッフルパフ寮の前を通り過ぎて、更に先へ進んだところ────そこに、ホグワーツの厨房がある。
私達は果物が描かれた絵の前に立ち、梨をくすぐってその絵を扉へと変えた。
「わあ! こうやって入るのね、知らなかったわ」
「私も全然知らなかった。こればっかりはシリウス達の功績に感謝だね」
扉を開けると、いつぞやかに見た広々とした景色が目の前に広がる。しもべ妖精達は、あの時と変わらないままに夕食の仕込みをしたり、寮の備品らしいクッションを繕ったり、それぞれ忙しなく動き回っていた。
そんな中でも、1人のしもべ妖精が私達に気づき、深々とお辞儀をした。それを見て、他のしもべ妖精も一旦手を止めて私達に礼をする。
「イリス・リヴィア様!」
申し訳ないことに私はまだ彼らの個体差をちゃんと見分けられていなかったのだが、彼らは私の────たった一度しかここを訪れたことのない私のことを、覚えていたらしい。
「シリウス・ブラック様のお使いでしょうか? それともリヴィア様のおやつをご所望でしょうか?」
嬉しそうに私の用を尋ねてくるしもべ妖精。まだそんな風に恭しく接せられることに慣れていない私は、私以上に委縮している様子のリリーと並んで情けなくヘラヘラと笑ってしまった。
「ええと…その、ちょっと空いてるキッチンがあったらお借りしたいなって…。明日は────」
「バレンタインデーのチョコレート作りですね!? でしたら、奥のキッチンに空きがございますのでお使いください! 私どもで何かお手伝いさしあげられることはございますでしょうか!?」
すごい。本当に、圧がすごい。
手伝いたくて仕方がないと言った風にぴょんぴょん飛び跳ねながら案内してくれるしもべ妖精を落ち着かせようと、私はなおもヘラヘラ笑ったまま両手をどうどうとかざす。
「ううん。材料はこっちで持ってきてるから良いんだ。ただ場所だけ貸してくれたら────」
「かしこまりました! 何か御用があればいつでもお申し付けください! お菓子作りの間、休憩される時にクッキーなどは召し上がりますか?」
「いや、それも大丈夫。みんな、自分の仕事をしてて」
「はい! 私どもは変わらずお仕事をきちんとこなしますので!」
そう言って、案内役のしもべ妖精は夕食の仕込みへと戻って行った。貸し出された綺麗なキッチンに残された後も、他のしもべ妖精達が興味深そうに私達を観察していることがわかる。
「ええと…思った以上に献身的なのね、あの子達」
「いやもう…ありがたいんだけどね…どうしたら良いのかわからなくなるよ」
私もリリーもしもべ妖精との関わりなんて持ったことがなかった。うちには確かにパトリシアというお手伝いさんがいつも来てくれていたが、私は彼女を友達だと思って接していたし、パトリシアも私を立ててくれつつ等身大の"子供"を見るように私と付き合ってくれていたので、こんな風に"仕えられるのが当たり前"という文化にはどうしても馴染めない。
「さて────それじゃ、始めましょうか?」
しもべ妖精の視線が気にならないわけではないが、今日の目的に彼らは関係ない。リリーは持っていた製菓のための材料をドンと空いたテーブルに置くと、腕まくりをして綺麗なシンクで手を洗い始めた。私も倣って彼女の後に手を洗うと、早速リリーの置いた袋からチョコレートの塊と砂糖やら小麦粉やら────その他もろもろの材料を取り出した。
お菓子作り、スタートだ。
今日作る予定になっていたのは、フォンダンショコラ。シリウスのための一級品をひとつと、私とリリーが交換するための特別品をひとつ作って、あとは余った材料を(というか主に余るであろうチョコレートを)固めなおして、小さな一口サイズのチョコレートを成形していく予定になっていた。
この間ホグズミードに行った時、大量のチョコレート塊を買い込んでいた私にリリーは随分と訝しげな視線を向けていたが、私はこの材料を余らせることにとにかく力を注いでいた。足りないことがあってはならないのはもちろん、必要な量ぴったりだけ用意しても意味がない。吐くほど余らせて、「もうジェームズにあげる他ないよ」と言えるまで買わないといけないのだから、それはもう両腕が痺れるんじゃなかろうかと思えるほどに買った。
下準備をして、ガナッシュ部分を作りながら私とリリーは明日のことについてずっと話していた。
「明日、ブラックから一瞬でも目を離したら駄目よ」
「ていうかもう、一瞬も目を離せないと思うな。私達の後ろに長蛇の列ができるか、私達の周りに大きな輪ができるか、それとも私を排除しようとむしろ私の方に群がるか、女の子達がどういう行動に出るか、今シリウス達と賭けてるの」
チョコレートと生クリームを混ぜながら、リリーが呆れたような溜息をつく。
「あなた、すっかり彼らに染まってるわね。普通正気で自分の身に降りかかる厄難を賭け事になんてできないわ」
「そうだね…。正気じゃやってられないからあの人達も狂気に走ってるのかもって、6年目にして思い始めたよ」
17歳になって、いよいよ少年の幼さが抜けたシリウスの人気は、はっきり言って異常だった。恋人の欲目を抜いても、彼の客観的な美貌には磨きがかかるばかり。黙っていれば彼の憂いを帯びた表情が妖しさに溢れ、喋り出せば少し粗雑な口調がそんな色気に野性味を加える。更に動き出せばその長い手足のしなやかさと、(彼は嫌がるだろうが)名家の長男として叩き込まれた気品のある所作に、女性達はたちまちノックアウト…というわけだ。
「あとはあれだね。今年に入ってクィディッチのキャプテンになってからジェームズも一層注目されるようになったし、ようやく張り合えるようになったジェームズがシリウスとチョコレートの数を競おうとしてるっていうのもある」
何の気もなく言ってから、今のは言わない方が良かったかな、と思い直した。
ジェームズは確かにいつだって女の子の視線を気にしていたが、その彼が一番欲しいのは他でもないリリーからのチョコレートだったのだから。
ただ、幸か不幸か、リリーはそんな私の言葉を聞いても「まあ、そうでしょうね」としか言わなかった。
「私はよくわからないけど…今年のクィディッチチームは歴代最高なんでしょ?」
「らしいよ。私も詳しいわけじゃないけど、少なくともこの6年の中では一番チームとしてまとまってると思うし、シリウスも"プロングズにはプロからのオファーも来るんじゃないか"って言ってた」
「本当にすごいのね。まさかあの自由人に人を率いる力があるなんて思ってもなかったわ」
「流石に本人もあまりにハマりすぎてビックリしたらしいよ。"なんだ、みんな結局冒険が好きなんじゃないか!"だって。まあ、それを聞くと選手がみんなグリフィンドールだからこそうまくいった…っていうのはあるかもね」
「クィディッチを"冒険"って言うあたりが彼らしいわ」
ガナッシュを寝かせた後は、生地作り。粉類とチョコレートを混ぜて、メレンゲを作り、再びそれとも混ぜ合わせる。腕を痛めながら私達は延々とボウルの中身を掻き回し、せめて気力が萎えてしまわないようにとおしゃべりを続けていた。
話題がジェームズに移ったところで、私はチャンスを窺い出す。
この流れなら、言えるんじゃない?
「そうだ、リリー。せっかくだからリリーもジェームズにチョコレート、1つあげたら?」
「どうしてよ」
「ほら、2年連続でクリスマスにプレゼントをもらってるけど、何もお返ししてないってこの間言ってたじゃん?」
「んー…」
よし、とりあえず一刀両断だけはされずに済んだ。
「でも、なんだかバレンタインにそのお返しをするってちょっと意味深じゃない? 私は彼に何の特別な感情もないのに────」
「ジェームズもそれはわかってるよ。なんなら私だってシリウスのとは別で、ジェームズ達に小さいチョコレートをあげようって思ってるし。せっかくこうして作ったんだから、一緒に渡さない?」
「そうね…まあ、ルーピンやペティグリューの分も一緒なら、いつもイリスがお世話になってるからってお礼にあげても良いかも」
「なにそれ、リリーって私のお母さんだったの?」
「ふふ、そうよ!」
リリーの言葉を聞いて、私は心の中で強くガッツポーズをした。
やった! リリーが「あげても良い」って!
冗談を交わしながらだったし、リーマスやピーターのおまけみたいな言い方だったが、この際そんなことはどうだって良い。このミッションにおける最大事項にして最難関事項だった"ジェームズにあげるチョコを作る"目的は、なんとか果たされそうだ!
ああもう、今日を迎えるまで本当にヒヤヒヤした。リリーが機嫌を少しでも損ねたら全てが終わるって思ってたんだから…まったく、ジェームズには後でものすごいお礼をしてもらわないと気が済まないや。
それにしても────私はあっさりリリーがその提案を呑んだことを、少し意外に思っていた。
もしかして、私がリリーとジェームズの間の溝を勝手に深く見積もってるだけで、リリーは本当はそこまで彼を嫌がってるわけじゃない、のかな────?
いや、いや。
でも去年の夏、OWL試験中に起きたあの事件をリリーが忘れたとは思えない。
あれは一見スネイプとの仲を切るきっかけとなっただけのように見えるが、だからといって、そのスネイプとの縁を切らせたジェームズに良い感情を持たせる話だとはとても考えられない。
いくらあの時点では既にスネイプのことを見限る心積もりができていたといっても、"スネイプに一方的な虐めを仕掛けた"ジェームズの姿は、まだリリーの記憶にも苦いものとして残っているだろう。
そうだ。
リリーは結局あれについて、どう思っているんだろう。
────今なら、それを訊いてみても良いだろうか。
「リリー?」
「うん?」
「今更こんなことを訊くのも気が引けるんだけど────その、OWLのことがあった後で、今のリリーはジェームズのこと、率直にどう思ってるの?」
散々ジェームズの味方をしてきた私がこんなことを尋ねるなんて、ちょっとばかり狡いことのようにも思えてしまう。でも、あれから一切スネイプの名前を出さなくなったリリーがジェームズを今どう思ってるのか、結局きちんと私は聞けていないままだった。
私は私で、あの事件はなかったこととして扱い、この間のクリスマスにブレスレットを素直に受け取るよう促した時だって"今年の"ジェームズだけを切り離して彼女に語り掛けた。過去のジェームズを無視して、今のジェームズをちゃんと見てと促した。
そしてリリーもリリーで、まるでこれまでの5年間の延長線を綺麗になぞるように、「ジェームズが嫌い」と言うだけで、とりわけあの事件があったからジェームズに対する感情が変化した、とは言わなかった。
別にお互い、それが悪いことだとは思わない。触れずに済むのならそれが一番だし、私としてはあの事件を心から受け入れられずとも"彼らには彼らなりの矜持がある"と思ってしまった以上、「今のジェームズを見て」と言ったこの間の自分の言葉のどこにも嘘はないと確信している。
ただ、リリーがもし────あの日のことをなかったことに"したい"と思っているだけで、本当はジェームズのことをまだ心底恨んでいるとしたら────。
改めてそう考えて、もし彼女が私の体裁のためにジェームズに歩み寄ってるふりをしてくれているだけなら、私のスタンスもちょっと調整しないといけないと思ったのだ。
生地を混ぜ終えて容器に流し込む手を、リリーは一旦止めた。ぼたり、と重たい生地が一片、ヘラの先から容器に落ちる。
「────OWLを踏まえて、ってことね?」
「うん」
「うーん…。そう言われると難しいわ。スネイプとはもう手を切ったし、そうである以上ポッターに私が歯向かう理由もなくなったし」
リリーは再度ボウルを持ち直し、改めて容器の中に綺麗に生地を流し込み始めた。
「あれをなかったこと…にはできないけど、別にあれがあったからってポッターへの感情が大きく悪い方向に動いたってことはないの。スネイプと私がうまくいかなくなるのなんて時間の問題だったし────」
"スネイプ"。
なんてことないように言うけど、今までずっと"セブ"として聞かされていた彼の呼び方がそんな風に変わってしまったことに、私はなぜかちょっとした寂しさを覚えてしまった。
「────それに、クリスマスの日にあなたが言った通り、ポッターがあれ以来…なのか、それともそれまでの間に徐々に変わっていたのかは知らないけど、とにかく無闇やたらと喧嘩を吹っ掛けるような真似をしなくなったのもわかってる。あなたの言う通り、私もスネイプも、そしてポッターもそれぞれ大人になっているのね」
「うん…」
「だから、私がポッターを嫌ってる…というかどうしても抵抗しちゃうのは、昔の癖みたいなものなの。あの人の自画自賛ぶりには辟易しちゃうし、まず身だしなみからして私とは合わない。────でも」
でも?
「そうね────前にも言ったけど、私は何もポッターのやってること全てが悪いことだとは思わないし、そもそも彼は私の嫌いな邪悪なものと対極の位置にいる存在でしょ。だからね、癖で抵抗はしちゃうけど、歩み寄れないことはないだろうな、って最近思ってるわ」
「────そっか」
だったら、私はまだジェームズとリリーの背中をそっと押しても良いんだろう。
私のできることなんてせいぜい厨房のキッチンを借りることくらい────でも、リリーが少しでも歩み寄ろうって思えるだけの余地を持っているなら、私もその可能性を信じよう。
だって私は────リリーもジェームズのことも、大好きなのだから。
そうして、なんとか私達のお菓子作りは無事終了した。
できあがったのは、まだ温かいフォンダンショコラが3つと、溢れるほどの一口大チョコレート。
「まさか、あれだけチョコレートを大量に仕込んでたのは、私にポッターへのチョコレートを作らせるため?」
「あはは…はい、そうです」
全部終わった後に言い当てられてしまった。下手に嘘をついても仕方ないと思ったのと、さっきまでの会話で少なからずリリーもジェームズに対して認識を改めようと思っていることがわかったので、素直に頷く。
「まったくもう…道理で今日はやたら私の顔色を窺ってくると思った。言っておくけど、"ついで"がなければ渡さないからね。歩み寄れるかもとは言ったけど、わざわざ私からポッターに近づくつもりはないわ」
「わかったよ。私もそこまで無理にジェームズを推そうとは思わないから」
材料の包装などのゴミを捨て、道具類を洗い、キッチンを綺麗にして返してから私達は厨房を出る。帰り際、しもべ妖精から大量のお土産をもらったお陰で、私達の両腕はお菓子でいっぱいになってしまった。
「何よりまず明日はあなたの身が一番危険なんだから、悪友のことなんて気にせずに────」
「リリー、待って」
厨房を出てすぐ、廊下を突っ切って渡ろうとした時、私は目の前に異様な光景が広がっていることに気づいてリリーを制止した。ツンと上を向きながら文句を垂れていたリリーはすぐに口を閉ざし、私と同じように前を向くと、はっと息を呑んだ。
「────こっちへ」
ひとまず、すぐ脇に置かれていた大きな植木鉢の陰に隠れて、様子を窺う。
そこにいたのは、スリザリンの男子生徒とハッフルパフの女子生徒だった。
ハッフルパフの子はどこかで見たことがある。5年生の…名前は忘れたけど、とりあえず下級生の子だ。
スリザリンの方も名前こそわからなかったが、7年生であることだけはその顔を見て思い出した。多分、この人もどこかで見たことがあるんだろう。
スリザリン生は壁際にハッフルパフ生を追いやり、あろうことか寮の入口の目の前で彼女を脅しているようだった。
「そんな簡単なこともできないのか?」
男子生徒の低い威圧的な声が、廊下に響く。
「ちょっと寮生から"アンケート"を取ってくるだけだろ! 何が問題なんだ」
「待────」
スリザリン生がハッフルパフ生を脅している。
その事実を認識した瞬間、反射的速度で植木の陰から出て行こうとしたリリーを全力で引き留める。
彼女は私がまさか自分の行動を妨げると思っていなかったのか、声すらろくに出せないまま心外だという顔でなすがままに再び彼らの死角へと引っ込んだ。
「ちょっと、どういうつもり?」
どう見ても恐喝しているようにしか見えないあの状況を放っておけというのか。そんな彼女の怒りが伝わってくる。もちろんリリーの考えていることは正しい。本来なら、すぐにあんな一方的に虐げるような、会話にすらなっていない会話は(事情がどうあれ)一旦止めた方が良いのだろう。
ただ、私はスリザリン生の言葉に何か引っかかるものを感じた。
アンケート────。
クリスマス前、リーマスとスリザリン寮の近くで飾りつけを手伝っていた時、私は似たような言葉を聞いたことを思い出したのだ。
「と、とにかく僕は自分の寮で"調査"を終えたらすぐに戻るからな」
調査とアンケート。
それは、同じものを指しているんじゃないだろうか?
他寮に忍び込んで何かの情報を持ち帰るという謎の計画が、ここでも進められているんじゃないだろうか?
結局あの時は彼らが何を"調査"するつもりだったのかは未だにわからず終いとなっているが────私は今、まだ彼らの"計画"は終わっていないんだ、と直感的に思った。
ダンブルドア先生がスネイプ達をあっさり釈放しておいて、裏で何か騎士団を動かしているのだとしたら、それ同様に、ヴォルデモートも一旦この計画を引き下げたように見せかけておいて、まだ何か生徒にさせるつもりなのかもしれない────。
「少し、様子を見たい」
風の音で掻き消えるほどの囁きでリリーを制止し、私は再びスリザリン生とハッフルパフ生のやり取りを見ることにした。リリーはあからさまに不服そうな顔をしていたが、止めたのが私だったからか、ひとまず口を挟まずに私の後ろから同じように顔を出すにとどめてくれていた。
「わ────私達は、闇の魔法に関心がないので────」
怯えたように、しかし決然とした言葉で言い返すハッフルパフの女の子。
しかしスリザリン生が壁をドン! と叩くと、そんなか弱い抵抗もすぐに萎びてしまう。周りの絵画に描かれた人達が小声でその行為を非難している声が聞こえたが、スリザリン生はそんなもの聞こえないと言わんばかりにハッフルパフ生を睨みつけている。
「お前の意見になんて興味がないんだよ。あのお方はお前みたいな弱虫じゃなく、真に正しいとされるものを知っている聡明な子供を探してるんだ。もう既に他の寮には偵察が入ってる。あとはお前達ハッフルパフだけなんだ────」
もう既に他の寮には偵察が入ってる?
男子生徒の言葉を聞き、私は驚愕に目を見開いた。
他の寮への偵察としてクリスマス前のあの騒動を指しているなら、レイブンクローとスリザリンには確かに誰かが侵入した過去がある。
でも、グリフィンドールは────?
グリフィンドールにも、既に誰かが忍び込んでいたっていうの?
しかも、「あのお方は真に正しいとされるものを知っている聡明な子供を探してる」って────。それって────。
頭の中で考え事に没頭していたのがいけなかった。つい腕に抱えていたしもべ妖精からのお土産(袋から溢れんばかりに詰め込まれたスノーボールクッキーだった)がひとつ、ぽろりと転げ落ち、廊下に落ちる。
会話が途切れ、静寂が訪れていた廊下に、クッキーが床にぶつかるボトリという音が響いて────そして、そのお菓子はコロコロと、スリザリン生とハッフルパフ生の足元まで転がっていく。
「あ」
「やば」
彼らは揃って私達の方を見た。スリザリン生は嫌悪に満ちた顔で、ハッフルパフ生は安堵を滲ませて────対極の表情で私達を見ていた。
「お前達、いつからそこに!」
厨房から出てきた瞬間にはちょうど声を荒げていたから、私達に気づいていなかったんだろう。スリザリンの男子は怒りの中に若干の戸惑いを混ぜながら私達を威嚇した。
しかし、そこで黙っているリリーではない。見つかったのならと植木鉢の陰からさっと飛び出ると、真っ先に彼らの間に立ち、ハッフルパフ生を背で守るようにしてスリザリン生を睨みつけた。
「さっきからよ! なんなの、事情は知らないけど他の寮の下級生を一方的に怒鳴りつけたりして! この子、怖がってるじゃない!」
「お前には関係のない話だ、どけ!」
「あんまり言うなら減点した上で先生に報告するけど、良い?」
仕方ないので、私も考え事を一旦よそへとやり、リリーに並んで立った。彼女ほどの気高さはないが、生憎私には"監督生"という厄介極まりない肩書きがある。
「聞いてない? この間、スリザリンの生徒を何人か校長室に連れて行った話。あれ、私も関わってたんだけど────あれから先生方のあなた達への目は厳しくなってるよ。あなたとこの子、今の話でどっちが悪いのかは知らないけど、これ以上物事を荒立てるようなら、私も監督生として見過ごしていられない」
「お前は────!」
ああ、嫌だなあ。やっぱりこの人、リリーのことは認識していなくても、私のことは知ってるんだ。
グリフィンドールの監督生。穢れた血。カリスマの腰巾着。ブラック家の面汚しの彼女。
さて、この人は一体どんな名前で私を呼んでるんだろう。
「っ────わかったよ、寮に戻る!」
この年になって「先生に言いつけるぞー!」なんて真似はしたくなかったものの、どの年になっても"生徒"である以上その事実が一番効くらしい。憎たらしげにいくつか悪態をついて、スリザリン生は反対側のスリザリン寮へと戻って行った。
「あ、あの────」
後ろから、怯えたようなハッフルパフ生の声が聞こえる。
「もう大丈夫よ。あなた、すっかり顔が青くなってるわ。寮に戻って温かいものでも飲んだ方が良いわね────」
「思い出させて申し訳ないんだけど、あの生徒はあなたに何のアンケートを取らせようとしてたの?」
純粋にハッフルパフ生のことを案じているらしいリリーに続いてこんな現実的なことを訊くのは気が引けたが、それでも私はこのことをきちんと把握しておかなければならなかった。
だってもし、彼らの会話と私の推測が合致するなら────。
「その────…"例のあの人"についていく意思のある生徒が寮内にいないかどうか訊け、と…」
リリーがはっと私の顔を見た。
私は勇気を持って打ち明けてくれたハッフルパフの女の子に、笑顔すら返せなかった。
ああ────やっぱり、そういうことだったのか────。
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