狂犬チワワちゃんと岩泉くん

〜岩泉視点〜

初めて名字と会ったとき、敵意を含んだ眼差しで睨み上げられた。

体育委員になり、2年と3年で同じ5組だったことが縁でペアを組まされ共に作業しなければならない状況に、ほんの少し面倒だと思った。

話しかけてもまともな返事が貰えないことに女相手に怒鳴りそうになったけれど、こちらを睨みつけるその瞳がわずかに揺れているのに気付いて息を飲んだ。

隣で身動ぎしたとき、一瞬肩を竦めていた。

大きな声で会話しようとしたとき、目を瞑った。

そんな小さな行動が目に付くようになったころ、大きな段ボールを含めた荷物を運ぶよう指示され、名字は黙って大きな段ボールを持ち上げた。

細腕のくせに持ち上げるなんてなかなかやるじゃないかと感心するも、視界を段ボールで塞がれて身動きが取れない上、やはり重かったのだろうぷるぷると震える腕を見て思わず声をかけた。

「おい、それは俺が持つから渡せ」

「…持てます」

「無理すんな」

「無理じゃないので」

何がこいつを頑なにさせているんだ。

ふう、とため息をついたところで名字の足下がふらついて反射的に手を伸ばした。





それから、名字は少しだけ俺を認めてくれたようだった。

まるで野良だった子犬が、餌を与える人物を憶えたように…。

そしてそれを心地よく思ってしまう自分に気付いて少し手が震えた。






「あの、先輩?」

「っあぁ、悪い。なんだった?」

「カラーコーンは10個でいいですか?」

「おー。合ってる」

体育祭当日。

だいぶ話をできるようになった名字と、雑用を任されて1日ほとんど一緒に過ごしている。

先生に言って女子とペアにしてもらった方がいいんじゃないかと提案したが、岩泉先輩なら大丈夫ですと言われ、顔に熱が集まるのを感じた。

女バレのキャプテンに聞かされた言葉を思い出す。

『岩泉がが何の下心もなく普通に優しくしてくれてたことは本当に嬉しかったんだって』

でも、ごめんな名字。

本当は、下心だらけだ。

確かに困っている奴がいたら男女関係なく手伝うだろうし、出来る範囲で気も使う。

でも、声かけたり、構ったりするのはお前だからなんだ。

揺れる瞳で睨みながら、自分のできることを1人で頑張ろうとしている名字が、可愛かったんだ。

今も本当は、倉庫で一生懸命に道具箱を探っているお前の小さな背中や、ふたつに結ばれた髪や、その隙間から覗くうなじに触れたいと思ってる。

せっかく尊敬してくれてるのに、こんな感情を向けられてるって知ったら傷付くんだろうな。






「コーンとバトン、ありました」

「あ、分かった。バトンの方頼む」

「…はい」

素直に小さい方を運ぶことを受け入れてくれるようになったんだな。

コーンを受け取るときに僅かに触れた指先がチリチリと痛むように熱いから、誤魔化すように積み上げたコーンを肩に担いだ。




「お、岩泉」

「?あぁ松川か」

「体育委員って雑用ばっかりなんだな」

「まぁな」

「あ、名字さんもいたのか」

「、こ…こんにちは」

「お疲れさん」

倉庫を出て歩き出したところで松川と遭遇し、小さな声ながらも挨拶をするようになった名字が可愛いけれど、少し妬けた。

「そういや、京谷が岩泉のこと探してたな」

「は?なんで」

「騎馬戦。勝負挑む気みたいだわ。もうすぐだろ?」

「あー、そうだったな」

あっちの狂犬は懲りずに下剋上狙ってんな〜と松川が笑い、その様子に名字は首を傾げている。

「ま、騎馬戦じゃあ岩泉に勝てる奴いないし、また負けが増えるだけだな」

「はは、まーな」

「名字さん、このゴリラ先輩の騎馬戦は盛り上がるから見といた方がいーよ」

「ゴ…」

じゃ、頑張ってねーと松川が去って行く。

あいつら示し合わせたようにゴリラゴリラってうるせーな。

「ゴリラ…」

ぽつりと聞こえてきた言葉に思わず振り向く。

「先輩、ゴリラっぽくは…ないですよね」

初めてだ。雑談を名字の方から振ってくるのは。しかも、

「おま、笑って…」

少し口角が上がっている。

「えっ、あ…」

目を見開く俺に気付いて、名字は頬を染めて顔を隠してしまった。

「あぁ、悪い。ちょっと驚いて」

「いえ、先輩たちって…なんか楽しそうだから」

「楽しそう?」

「バレー部の人優しくて面白いです。男の子たち、楽しそうだなって」

ちょっと羨ましくて、と名字が照れ臭そうに頬を綻ばせたので、自分の顔を見られないように俺も逸らした。

「まぁ、楽しいけど、アホなことばっかやってるな」

「?」

「くだらないゲームとか、賭けとかな」

「へぇ」

「男子はみんなアホだから…」

「でも先輩は、違いますよ」

「ん?」

「岩泉先輩は…他の人と違ってて、えっと…落ち着いてて、優しいし…んと…尊敬できます」

恥ずかしそうに言葉を伝えてくれようとする名字が可愛くて、嬉しくて、そして、申し訳ない気持ちで何故だか泣きたくなった。

尊敬してもらうような人間じゃない。

ごめん。

「…ごめん名字」

「えっ、あ、すみません変なこと」

「違う」

「え」

「俺はそんな風に言ってもらう資格、ないわ」

「ど、どうして…」

困ったように眉を下げてこちらを見つめる名字を、さらに困らせるだろうと分かっていても、もう嘘をつくことは出来ないと思った。

「俺は名字が好きだ」

「…え?」

「ずっと可愛いと思ってきたし、お前が彼女だったらいいなって考えたこともある。さっきだって2人きりでいられてラッキーだと思ってたから、全然落ち着いてなんかねーよ」

「…!」

「下心ないなんて、言えねーわ。ごめんな」

名字が俯いてしまって様子が分からない。

せめて、泣いてなければいいけれど…。

「…このあとはやっぱペア代わってもらうわ。女子が空いてなかったら花巻にでも頼むから、よろしくな」

もう話とかできないだろうな。でもいいか、体育祭が終われば委員会も減るだろう。

自分で壊しておいて、それでもやっぱ少し後悔してるかもしれない。気持ちを隠していれば、尊敬できる先輩としてもう少し近くにいられたんじゃないか?





「先輩っ…」



名字に背中を向けて歩き出していたはずなのに、すぐ後ろから声が聞こえて全身の筋肉が動きを止める。

おそらく、名字が今俺のすぐ後ろにいて、引き留めるためなのかシャツを掴んでる。振り向きたいけど振り向けない。


「…ごめんなさい」

まず紡がれた謝罪に、失恋を実感して目を閉じた。

「先輩、ごめんなさい」

「…謝るな。お前は悪くないから」

「あの、違うんです」

するりと音がして、名字の手が離れていったことを悟る。

「私、男の子と仲良くなんて出来ないって思ってるんですけど…今、嬉しいです」

耳を澄ませていないと聞き溢してしまいそうな声だった。
つい息を潜めてしまう。

「先輩に、その…可愛いとか言われて、すごく嬉しくなっちゃったんです。矛盾してるけど…」

周りにはたくさんの生徒がいるはずなのに、なぜか俺たちの周りだけすごく静かに思えて、後ろから息を吸う音まで聴こえてくる。

「岩泉先輩に好きって言われて、今すっごく…幸せだなって思ってます。ごめんなさい、私ずるい」

あー。可愛い。なんだこのチワワ。

顔見たら、触れたくなるから振り向かずに口を開く。

「…ってことは、脈あるとか思っていいのか?」

「脈…」

「お前が、俺を好きになる可能性」

「すっ…!!」

気配だけでこいつが赤面して身動ぎしているのが分かって少し笑えてきてしまった。

「じゃ、とりあえず…」

「え?」

くるりと振り返って、担いでいたカラーコーンを地面に置く。

そしてバトンを抱き締めている名字に向き合って、目を見つめて

「今日、一緒に帰りませんか?」

「…!!」

取りこぼしそうになるバトンを、必死に抱え直しながら俯いた名字が、耳を赤くしながら小さな声でハイ…と答えるのを確認し、小さくガッツポーズをした。







『あーっ3年5組の岩泉くん、無双状態です!手がつけられません』

「岩ちゃんマジでゴリラじゃん!ほらほら逃げるよお前ら!」

「京谷、一瞬でハチマキ取られてたな」

「なんか本気モードになってない?あんな岩泉止めらんねーよ」

1人で全員分のハチマキを奪い取るという、青城騎馬戦史上で伝説に残る記録を残す岩泉を、遠くからチワワが見つめていた。

「…ゴリラ?かも?」




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
200913
中途半端ですが、完。


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