彼女はおかしな天文学者
体育館裏の木陰は静かだ。
昼休みの今も人の声なんてしなくて、聞こえるのは時折吹く風が木々を揺らす音だけ。
パンをかじりながら、葉の隙間から見える青空をぼうっと眺める。
「あ、いたいた〜及川氏〜」
静かな空間にあまり似合わない声が急に響いて、視線を空からずらした。
声だけで誰なのか予想はついたけれど、意外な人物だったためにワンテンポ遅れて反応する。
「名字?なんでここが?」
名字名前はへらへらと笑いながら俺の隣に腰を下ろした。化粧っ気がなくあっさりとした顔立ちながらも近くで見ると素肌がきめ細かいことに気づく。
「岩やんに及川氏どこ?って聞いたら多分ここだろってさー」
「岩ちゃん…人に言わないでって言っておいたのに」
「大丈夫大丈夫!私バラさないし。明日からはここにも来ないよーん」
のんびりと、なんてことない口調で話すこの女子生徒は女バレの副主将だ。
ハキハキとした主将とは真逆のタイプで、人を引っ張っていくリーダーシップがあるようには見えないのになぜ?といつも不思議に思う。
ただ、何も考えていないように見えるけれど今みたいに俺のこの居場所の重要性をあっさりと理解していたりする勘の良さはある。
きっと岩ちゃんもそれを分かっていて、彼女にこの場所を教えたんだろう。
「はぁー、ここ風が気持ちいいねー」
「うん…って、何か用があったんじゃないの?」
「あ、そうだった」
「もーやっぱり」
まったり…と和んでいる名字は案の定、用事を忘れていて俺は密かにため息をつく。
こういう緩さ故、俺たち男子バレー部は彼女のことを普通に呼び捨てにして時々いじって遊んでいた。
「及川氏に聞きたいことがあって」
「うん?」
「今日さ、部長会あるでしょ?持ち物とか事前にやっておくこと教えてください」
「え?女バレの主将休み?」
「うん。なんかお家の事情だって。だから代理〜」
「そうなんだ。ていうか、それくらいメールとかしてくれればいいのに」
「及川氏の連絡先なんて知りませーん」
「あ、そうだった」
この子はこう見えて、人間関係に鋭い。
だから余計な誤解やトラブルを生まないように、俺との間に一線を引いているらしい。
連絡先は交換していないし、及川氏と当たり障りない呼び方をする。
同じバレー部だからって、ファンの子たちに嫌な思いさせたくないからね〜とあっさり言っていた彼女は、岩ちゃんのことを岩やん、マッキーのことは花ちゃんと呼ぶ。まっつんのことは松のアニキと呼んでいてもう訳が分からないけど、名字に特別な呼び方をされる彼らが実はほんの少し羨ましい。
「筆記用具だけ?」
「うん、そんなに長引かないと思うよ」
「そーなんだ。ありがとう」
「お互いせっかくオフの日なのに大変だね」
「本当だよー。帰っておやつ食べながらゲームする予定だったのにさ。まぁたまには代理でも役に立てるならいいけどね」
「ゲームとかやるんだ」
「やるやるー。新しく買ったの面白いよ。及川氏もやる?」
予約して発売日にしっかりゲットしたんだよね〜と自慢げにしている顔が、小学生男子のようで思わず吹き出すと怒られた。
「ふあー、眠い。及川氏こんなところでお昼寝できるの最高だね」
「さすがに寝ないよ。外だもん」
「外で寝るのが実は一番快適ですよ」
「え、経験者?」
「ふっふ。実は合宿中に外のベンチで寝たことある」
「いやいやしっかりして。女子!」
「みんなにも同じこと言われたよ」
やれやれと立ち上がり、ぐーっと伸びをして、じゃあ部長会でね〜と立ち去ろうとする名字に、一応追加で情報を与える。
「場所は視聴覚室だからね」
「あ、それも聞こうと思って忘れてた!ありがとー」
教えていなければ一体どこに集合するつもりだったのか…と控えめに笑った。
プレッシャーで潰れそうになるときはここで1人になる。
1人になって心を落ち着かせる時間を作っているはずだったのに、室へと戻る名字の背中が小さくなっていくのを少し名残惜しい気持ちで見つめていた。
「名字、ここ」
「あー及川氏。どもども」
特に席が決まっているわけではないけれど、毎回同じ場所を陣取る各部長たちに合わせて名字を手招きし、女バレ主将の指定席に座らせる。
偶々だけど隣同士になり、みんな部長さんだから緊張してきたーと笑っている名字の頬に居眠りの痕を見つけて無意識に指でなぞった。
「おわ!?セクハラですか及川氏!」
「最後の授業寝てた?跡ついてる」
「あ…机にタオル敷いて枕にしてたから跡になっちゃったかあ」
「がっつり寝たんだね」
緩いなぁ。でもそれが心地いい。
部長会が始まり、先生に「女バレは代理だったな」と確認されると「そうでーす。副主将でーす」と適当に返事をして椅子に深く座って背当て部分に凭れた。
代理の態度じゃないだろと横目で訴えたけど、普段の勘の良さは何処へやら…目が合うとなぜか親指を立ててキメ顔を見せてくるのでもう気にしないことにした。
「及川氏、お疲れ様〜。今日はありがとうね」
「ううん、名字こそ代理お疲れ」
部長会は予想通りあっさり終わって、昇降口へ向かっていると後ろから名字がついてきた。
そのまま靴を履き替えるところまで一緒だったので、帰り道もそうなるのかと思いきや
「じゃ、またねー」
とあっさり帰ろうとするので俺はなぜだか焦って、一緒に帰らないか誘ってしまった。
「えぇ…前に言ったじゃん。誤解生みたくないって〜」
「そんなに人いないし平気だよ。手繋ぐわけじゃないんだからさ」
我ながらどうしてここまで必死なのか不思議でたまらない。
けれど、まぁ今日くらいはいいかーとあっさり承諾されたことに顔が綻んだ。
「ねーコンビニ寄りたいー。おやつ買うの」
「早く終わったからゲーム出来そうだもんね」
「そうそう。帰ったら、即お風呂入ってー、パジャマになってー…」
くくくと楽しそうにしている姿が本当に小学生男子で、笑えるけれどこんなんで大丈夫か女子高生と心配になる。
「色気ないね… 名字って」
菓子棚の前であれこれ悩みながらカゴにぽいぽいと放り込んでいく名字には、俺のちょっとした意地悪が聞こえていなかったらしくて無性に悔しかった。
コンビニ独特の音楽とともに退店すると、名字はすぐに袋をがさごそと漁って中から店内で最安と思われる棒菓子を取り出した。
「はい、及川氏。今日色々教えてくれたお礼〜」
有名猫型ロボットのパクリのようなキャラクターが目の前に突き出され、しばらくそのキャラと名字の顔を見比べた。
「…今日の俺の働き、これ?」
「だって、前に花ちゃんが及川氏はこれが好きだって言ってたよ?」
「何その情報!」
「好きなおやつ談義したの」
各コンビニのシュークリーム食べ比べ大会開こうねって話してたんだった〜と思い出し笑いしている名字の手から棒菓子を受け取り、袋を破きつつ口を開く。
「ねぇ」
「ん?」
「俺も、なんかあだ名つけてよ」
「及川氏じゃん」
「違う、岩ちゃんとかマッキーみたいに特別なやつ!」
「えぇー…及川氏は及川氏だよ」
「他の女の子に何か言われるから?」
「うん」
「じゃあ、連絡先交換しよう。内緒にすればいいじゃん」
どうして俺はこんなに食い下がっているんだろう。
目の前でうーんと考えている女の子を見ながら、自分の滑稽さに恥ずかしくなってくる。
それにしてもここまで俺に要求されながらも、なんでそんなに仲良くなろうとするの?という疑問を抱かない名字の緩さに呆れを通り越して尊敬すらしてきた。
「やっぱ、ダメだなー」
「なんで!」
「男女だもん」
「え、名字って男女の友情はあり得ない派?」
「ううん。友情はあり得るけど、それがいつどうなるか分からないじゃん派」
なんだそれ。それじゃあまるで…
「お、俺が名字のこと好きになっちゃうかもって思ってるってこと…?」
自分でも認めたくないし目を逸らそうと頑張っている事柄を、まさかこのおやつ女子が察しただと?
ムカつきと焦りで少し震える俺の語尾には全く気付いていない名字は、まさか!と笑った。
「逆逆〜!逆でしょフツー」
及川氏って天然〜?とか、お前にだけは言われたくない。
っていうか…え?
「え、名字が俺のこと好きになるかもって、こと?」
「分かんないじゃん?及川氏は青城一のモテ男くんだし。私が隕石にぶち当たって頭がおかしくなって、急に及川氏にべた惚れストーカーになる可能性はゼロじゃないよ」
「もう意味がわかんない…なんで隕石が急に出てくんの」
「ま、隕石が私の頭にぶち当たる確率より、及川氏に惚れちゃう確率の方が天文学的に高いだろうしさ」
隕石にぶつかる確率と、俺に惚れる確率を天秤にかけてること自体、あり得ないことだと言われているようで悔しい。
「いいじゃん、惚れちゃえば」
「ん?なに?」
バリィッと袋菓子を開いた音で掻き消された俺の本音が、届く先を見つけられずアスファルトに落ちた。
「なんでもないよ。これ、いただきます」
「はーいめしあがれ」
同じものをサクサク頬張る名字を横目で盗み見ながら考える。
隕石が落ちる確率よりは高いなら、頑張ってみてもいいかもしれないな、なんて。
景気づけも込めて、手元にある筒状のお菓子に勢いよくかぶりつくと、安っぽくて懐かしい味が口に広がって勇気が湧いてきた。
「おー及川氏、本当にそれ好きなんだねぇ…さすが花ちゃん」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
200924
及川氏〜って呼びたい願望があっただけです。
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