11. エピローグ




くたびれた大きなカバンのチャックを開けたひろゆきは、中にある物の少なさに思わず眉根を寄せた。

「金光さん、赤木さんの遺品ってこれで全部ですか?」
「ああ、そうだよ」
「ほとんど服だけですね…」
「ここに来たときからそんなもんだったよ。もともと物を持たないやつだったからなぁ」

カバンの中には何枚かのシャツとスーツ、靴下などの衣服が詰まっており、その影に隠れるように擦り切れた革財布がひとつと、古びた腕時計がひとつ、それからライターなどの小さな物がいくつか入っていた。
ひろゆきはそれらの物をひとつひとつ丁寧に畳の上に出していき、最後にカバンの隅に押しやられていた一冊の本を持ち上げた。『グリムの昔話 4』と題されたその花柄の表紙の本を、ひろゆきは物珍しそうに眺めた。

「グリム童話…?なんかちょっと、赤木さんのイメージじゃないですね。しかも四巻だけなんて」
「あー、それ、ひとりの時にたまに読んでたよ、あいつ。東京出る時に貰ったもんだって言ってたかな」
「貰い物…ですか…」

ひろゆきは本をぱらぱらとめくり、中に紙でできたしおりが挟みこんであることに気がついた。
そのしおりは、白い色紙に押し花にされたスミレがいくつかあしらわれており、上部の穴にはピンク色のリボンが結ばれていた。一見して手作りであろうとわかる可愛い物だったので、この本の贈り主は女性だったのかもしれないなと、ひろゆきはなんとなく思った。
ほんの半日前に見た赤木の、死の間際の超然とした佇まいからは想像もつかなかったが、彼はいい歳をした大人の男だったのだ。懇意にしていた女性がひとりやふたりいたとしても、なんの不思議もない。ひろゆきは、赤木の人間くさい部分をこっそりとのぞいてしまったようで、少し妙な心持ちがした。

「昨日、来てたんでしょうか。この本を赤木さんに贈った人」
「どうだかな………あー、いや、来なかった……たぶん来なかったんじゃないかな…」

ひろゆきの後ろで赤木の遺品を眺めていた金光は、過去を辿るように目線を漂わせた後、自身の坊主頭を撫でた。

「そうだそうだ、思い出した。赤木があんまり大事そうにそれ読んでるもんだから、俺も聞いたんだよ。その本をくれた人にも通夜の案内状を出すかって。そしたら赤木のやつ、ちょっと考えてから『よしとくよ』って言ったんだ」
「へぇ、なんででしょうね」
「さぁなぁ。俺もつっこんでは聞かなかったから。あいつなりに思うところがあったんだろうが、今となっちゃわかんねぇことだな」

ひろゆきは本をめくりながら、赤木とその女性との関係にぼんやりと思いをはせた。しかし、そもそもこの本の贈り主が本当に女性なのかどうかすら、もはや彼らにはわからないことなのだ。それくらいでちょうどいいのだと、ひろゆきは思った。

「これ、火葬のときお棺に入れてあげましょうか。……あ、本って入れても大丈夫なんですかね」
「ああ、そのくらいの小さい本ならまず問題ないよ。気に入ってたみたいだし、きっと赤木も喜ぶだろう」
「そうだといいですね」

ひろゆきは本の表紙についていた埃を払うと、立ち上がった。
窓の向こうの秋晴れの空の下、とんぼが数匹、ついっと横切っていった。