能力者×鈍感3


 幼馴染みが俺への恋心を自覚し始めて(かもしれない)から一週間。ただ今、俺、嶋圭一(シマケイイチ)は絶体絶命のピンチに陥っています。

「どうしてこうなった……」
「え、え?! 何これ、すげー!」

頭を抱える俺とは対象的に幼馴染の幸太はキラキラと目を輝かせている。いや、その表現は厳密に言うと間違っている。確かにそいつは幸太だが、幸太であって幸太ではない。そして俺も、俺であって俺ではない。俺は呆然と自分の身体を見下ろした。いつもより少しだけ低い目線の先に、無造作に踵を踏みつけられたクシャクシャの上履きが見える。俺だったら決してこんなだらしのない履き方はしない。そして次に視線を上げると、興味津々といった様子で自分の身体をペタペタと触っている、顔良しスタイルよしのイケメンがいる。あれは紛れもなく俺だ。俺の身体がそこにある。一通り観察し終えて満足したのか、“俺”が顔を上げて興奮を抑えられないというように声をあげた。

「俺、けーいちになってる!」

その通り。つまり、俺と幸太の身体が入れ替わってしまったらしい。あまりのことに眩暈が襲ってきて、俺はその場にしゃがみ込んだ。それに合わせて“俺”――幸太も腰を屈めて心配そうに寄り添ってくる。その様子は、写真に収めて、引き伸ばして、ポスターにして部屋に飾っておきたいほど可愛らしい仕草だが、残念なことに視界に映るのは忌々しい俺の顔だ。心が賞味期限切れの風船のようにしおしおと萎んでいくような気がした。しかし、今は現実から目をそらして落ち込んでいる場合ではない。なぜこのような状況になったのか。それを考えて、この異常事態を打破しなくてはならない。俺は気を改めて一連の出来事を思い出してみる。
 
 今日は朝からやけに幸太が可愛く見えた。昨晩はよく眠れなかったとかで、寝ぼけ眼を擦りながら挨拶をされた時には思わず顔がにやけそうになったし、動作の一つ一つが辿々しくてまるで幼子のようで、その度に胸がいっそう高鳴った。そのせいで日頃の欲求不満が祟ったのか、俺の脳内は高校男児らしい実に不健全(ある意味健全)な想像でいっぱいになった。
自分の腕の中に幸太を閉じ込めると、彼はサッと頬を赤らめる。俺はその柔らかい頬に指を滑らせ、恥ずかしそうに目を伏せる幸太をじっくりと堪能する。「けーいち」。震えながらも期待に満ちた声で俺を呼ぶ。その声を零した唇は極上の果実のように色づき、甘い香りで俺を誘い、俺は誘惑に抗わずゆっくりとその果実を口に含んだ。その瞬間、己の中の欲望が爆発した。ああ、俺は幸太と――

「けーいち?」
「えっ!?」

そこで声をかけられた。俺は反射的に顔を上げ、そして思ったより近くに幸太の顔があったことに驚いて思わず後ずさる。ガクンと身体が傾いた。そこは階段だったのだ。

「危ない!!」
「っ――」

幸太が咄嗟に俺の手を掴むが、幸太の体格で俺を支えられるはずがない。逆に体勢を崩した幸太を俺は無我夢中で胸に抱いた。まずい。そう思った時にはもう手遅れで、俺は幸太もろとも階段の下まで転がり落ちた。幸いそこまで急な階段ではなかったおかげか、二人共強かに身体を打ち付けただけでこれといった異常は無かった。外見だけは。そして今の状況である。

 やはり思い返してみても全くわけがわからない。俺は深々と溜息をついた。そんな俺を見て幸太が少しだけ不安そうな顔をした。

「そんなに落ち込むなって、こんな体験そうそう出来ないぜ?」
「俺はしたくなかったよ、こんな体験……」

脳天気な言葉にじとりとした視線を向けると、幸太は「そうかなあ」と首を傾けた。それから両手を大きく広げて嬉しそうに言った。

「だって、俺は今けーいちの中にいるんだぜ? 望んでも出来る事じゃねえし、面白いじゃん!」
「別に面白くも何ともないし、第一こんなことを誰が望む――」

そこで俺はハッとして言葉を切った。俺はもう一度思い出してみる。幸太と共に階段を落ちる前、いったい俺は何を考えていただろうか。確か、俺は幸太と――

『俺は幸太と一つになりたい』

「俺かーーーーーーー!!!」
「うわっ!?」

俺は絶叫した。それにびっくりして幸太が引っくり返るが、今は構っていられない。だって俺は望んだのだ。望んでしまったのだ。幸太と一つになりたいと。しかし、確かに望んだとはいえ、決してこういう意味ではなかった。一つになるというのは、もっとこう、艶かしくて、淫猥で、性的な――
とにかく、この事態はどうやら俺が原因らしい。なんとなくだが、これには俺の持つ不思議な力が関わっているような気がする。今まで、他人の考えていることがぼんやりと読み取れる程度の能力だと思っていたが、その他の力が無いなどといったい誰が決めた。自分でも自覚していなかった能力がひょんなことから顔を覗かせてしまうことも無いとは言い切れないではないか。そしてその時が今だったのだ。俺は自分の顔から血の気が引いて、蒼白になっていくのを感じた。

「けーいち! おい、しっかりしろって!」

幸太が俺の肩を掴んで揺さぶる。虚空を見つめる俺の視界を覗きこんできて、“俺”の瞳の中に真っ青な顔をした“幸太”が映った。そしてその顔が驚愕に歪んだ。今更になって気づいた。幸太は今、俺の瞳で世界を見ている。それがどういうことなのか。俺の世界は、嫉妬や羨望、欲望や愛憎に塗れたヘドロのような場所だ。そんな汚らしい世界に幸太を放り込んでしまったのではないだろうか。そんなのは絶対に嫌だ。それに何より、俺が普通ではないことが幸太に知られてしまう。幸太に拒絶されたりしたら耐えられない。俺は震える唇で恐る恐る「目に異常はないか」と問うてみた。しかし、対する幸太はなんでもないような顔をして答えた。

「え、目? いや、別に何とも無いけど……。あ! もしかして、目にゴミが入ったのに気を取られて階段から落ちたのか?!」
「え、あ、ああ、そうかも……」
「ばっかだなあ、ほんと、けーいちって変な所で抜けてるよな」

そう言って幸太は楽しそうにコロコロと笑う。いつもと何も変わらない幸太の笑顔だ。その笑顔に毒気を抜かれて俺もほっと息をついた。やっと力を抜くことが出来た気がする。そのおかげでグルグルと回っていた思考が冷静になってきた。
とにかく、先の見えない異常事態より目の前の問題だ。今は午前の授業が終わった昼休み。まだ授業は半分残っている。本当は周りに怪しまれる前に早々に学校を離れたいが、二人そろって早退するのは我が校きっての鬼教師である保険医が許してくれそうにないし、なにより俺はともかく、産まれてこのかた風邪なんてものとは無縁の幸太が早退してきた日には幸太の家族に衝撃が走るだろう。幼馴染のよしみで昔から何かとお世話になっているおばさんやおじさんをいたずらに心配させるようなことは避けたい。だから一先ずここはお互いに波風を立てないように残りの授業を過ごし、終わりのチャイムが鳴ると同時に昇降口で落ち合って、全速力で帰ろうと約束を交わした。

「いいか、絶対に目立つことするなよ、変なことするなよ、余計なことするなよ、授業は寝ててもいいから!」
「うん! 目立たないし、変なことしないし、余計なことしないし、寝てる!」
「絶対だからな!」
「うん、まかせろ!」

幸太はすごくいい笑顔で返事をしてくれる。はっきり言ってすごく不安だ。

 授業が終わった。俺は直ぐさま席を立ち、周りの奴らに声をかけることもなく教室を飛び出す。幸太の友人だという顔も知らない男達の言葉は全部無視してやった。俺の幸太に近づくな、害虫め。俺は短い足で階段を駆け下り、両手を惜しげも無く振りながら廊下を走った。そして昇降口に辿り着く。しかしそこにはまだ“俺”の姿はなかった。勢い余って早く着きすぎたらしい。俺は大きく息を吸って荒くなった呼吸を整え、下駄箱にもたれかかりながら幸太が来るのを待つことにした。それから五分。十分。十五分。先ほどの幸太の友人達が「あんなに急いで出て行ったのに……」という様子で、不思議そうな顔をしてこちらを伺いながら通り過ぎていった所でついに我慢ならなくなった。
両手を惜しげも無く振りながら廊下を走り、短い足で階段を駆け登った。行先は幸太がいるであろう俺の教室だ。俺は勢い良くドアを開け、見慣れた教室の中をぐるりと見回す。そして固まった。幸太はやはりそこにいた。まだ俺の席から一歩も離れていなかった。いや、離れることが出来なかったのだ。

「け……こ、こーた!」

縋るような幸太の声が聞こえた。先程まで煮立ったお湯のように湯気を立てていた心が急激に冷めていくのを感じた。

「ねえ、嶋くん。一緒に出掛けよーよ」
「なんか嶋くん今日はいつもより優しいね。もしかして機嫌いいの?」
「普段は構ってくれないのにねー! すごい嬉しい!」
「あ、ちょ、いや、俺っ」

幸太は数人の女子に囲まれていた。見えなくてもわかる。あいつらからは纏わりつくようなドロドロのオーラが出ていることだろう。そんな飢えた肉食獣の群れに目を付けられて、狼の皮をかぶった小さな羊はブルブル震えている。その時、一匹の獣がその豊満な胸を羊の腕に押し付けた。それはまるで相手の肉を食い千切る鋭利な牙のようだ。羊はビクリと身体を跳ねさせて、真っ赤になって俯いてしまう。その瞳は羞恥からか、恐怖からか、欠片ほどの涙が滲んでいた。俺は自分の心の中に張り詰めていた一本の糸がプツリと音を立てて千切れたのがわかった。

「こいつ、俺と用があるんで」

気づいた時には行動していた。こびり付いた女子を幸太から引き剥がし、相手が怯んだ好きに幸太の手をとってその場を逃げ出した。とにかくあそこから離れることばかりが頭にあって、わけもわからず校舎の中をジクザクに走り回る。暫くして、人気のない理科室に辿り着いた。ドアを閉めて漸く俺達は息をつく。静寂に包まれた教室に二人の息遣いだけが響く。それが心地よくて俺はそっと瞼を下ろした。そんな静かな時間がどれくらい続いただろうか。先に口を開いたのは幸太だった。

「ごめん……」
「……いや、俺も、ごめん」

お互いに何を謝っているのかはよくわからなかった。ただ、俺は怖かったのだ。普段の幸太は女とは無縁と言っても過言ではなかった。モテないとか、モテるとか、そういう話の以前に、幸太自身がまだ異性にそういった感情を抱く段階にまで達していないのだ。あの子が可愛い、この子が綺麗、なんて話しは男として当然のように交わしたが、それは直ぐに泡になって消える白昼夢のようなものだった。その幸太が女達の欲の目に晒された。そのせいで幸太も欲に目覚めてしまうのではないかと思ったのだ。そうしたら、未だ現に漂う俺への淡い気持ちなど、直ぐに塗り替えられてしまうのではないかと不安になった。わかっている。こんなのはただの独占欲だ。幸太には欲など抱かずいつまでも真っ直ぐなままでいて欲しいと思っているのに、俺自身は欲まみれだ。なんて、汚い。俺は思わず唇を噛んだ。そしてこれは幸太の身体だと気づいて慌てて開放する。

「けーいち」

幸太が俺を呼んだ。悶々と頭を悩ませていた俺とは対象的に幸太はいつの間にか教室の隅に立っていた。そこは窓際のひっそりとした席で、俺はこの理科室で授業をする時はいつもこの席を使っている。幸太はその机の横で窓の外を見上げて何かを指差している。俺も隣に並んでその視線の先を追った。そこは一つ上の階にある何の変哲もない教室のようだった。窓を閉め忘れたのか、カーテンが空中をヒラヒラと舞っている。それが何を意図しているのかわからなくて俺はそっと幸太を盗み見る。幸太は前を向いたまま話し始めた。

「あそこ、俺の教室なんだよ。で、あの窓の開いてる辺りが俺の席」

俺はもう一度そちらを見やる。確かにそう言われてみると、あそこは俺が午後の数時間を過ごした場所のようだった。実際にあそこに座っている時はそれどころじゃなかったから記憶が薄い。

「それでさ、この日の六時間目ってけーいちのクラスは化学だろ? 俺の席からさ、ちょうどこの席が見えるんだよ。本当は不器用なくせに、実験を周りの奴らに手伝って貰おうとしなかったり、女子に騒がれるのが嫌だから白衣を着るのを渋ったり、そのせいで制服の端を汚しちゃって慌てたり。そういうけーいちが見えるんだ。まあ、今日は俺がけーいちだったから……。えっと、だから、何ていうか――」

幸太は俺を振り返って、へにゃりと情けない顔で笑った。

「けーいちが見えないのはちょっと寂しいよな」

俺は手を伸ばした。いつもは俺のほうが見下ろしている側だけど、今は幸太の方が大きいから少しだけ背伸びをしなければいけない。幸太の首に手を回して、引き寄せる。額と額をこつんと合わせた。愛しい気持が溢れて仕方がなかった。今は見えなくなってしまっているけど、きっと俺のオーラはキラキラと輝いていて、この部屋全体を覆うほど成長していることだろう。先程までのささくれ立った気持ちが嘘のように穏やかになっている。

「け、けーいち?」

幸太が戸惑った声を上げる。瞳を閉じて幸太のことだけを考えると、幸太の体温が徐々に上がっていることが額越しにも伝わってくる。俺は思わずクスリと笑った。あまりにも初々しいその反応に何だか逆に可哀想な気もしてくるが、止まれそうに無かった。俺はゆっくりと体重を幸太の方に寄せる。幸太の吐息と俺の吐息が合わさって、甘い香りを湧きたてる。吐息が一つになるまであと数秒もかからない。そこで俺は伏せていた目をそっと開いた。そして――

「ぶはあ!!!」
「わあっ!?」

そして、目の前にある自分自身の顔に耐え切れなくなって全力で身体を反らした。やっぱり無理だ。大事なのは中身だとか言うけれど、どう頑張っても自分自身に口付けをすることなんて出来ない。俺は理科室の床にガクリと崩れ落ちた。

「お、おい、けーいち! 大丈夫か? どっか痛むのか?」
「いや、うん……大丈夫……」

心配そうに傍に寄る幸太に心を慰められて俺は小さく頷いた。本音を言うと、幸太の中にいるのは心地よかった。全身で幸太を感じることが出来るのは堪らなく嬉しかった。だけど、ただそれだけだ。やっぱり俺も幸太が見えないのは寂しい。それに何より、このままじゃ俺は幸太に触れることさえできない。俺は目の前にある、やけに整った自分の顔を睨みつけた。そして心に誓う。元に戻ったら今度こそは必ずキスをするのだ。

 その後、次の日になるとあっさり俺達の身体は元に戻っていた。この入れ替わりの能力は長続きしないのか、それとも俺が心の底から元に戻りたいと願ったからか、何はともあれこれで一件落着である。しかし、一つだけ問題が会った。あの日、女どもを押し退けて“俺”を連れ去った“幸太”だが、あれからというもの「なんか幸太くんってちょっとかっこよくない?」なんて聞き捨てならない噂がまことしやかに囁かれているらしい。まだまだ俺の心労はなくならないようだ。


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