小説 | ナノ


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 お前の鈴の音は綺麗だ。
 落ち込む度に掛けられたその言葉は、お爺ちゃんの優しい嘘だと思っていた。

 うだるような夏の暑さも終わり、少し肌寒さが腕をかすめるようになった頃、カラスほどの大きさの一羽の鳥が街の上空を旋回していた。
 灰色の羽毛に冷たい風を一身に受けているその鳥は白目の割合に対して黒目が小さく、眼光が妙に鋭い。一般的に言う「可愛い」とは縁遠いその目をきょろきょろと忙しく見回し、目標を見つけた鳥は真っ黒な嘴からギャアとけたたましい鳴き声を発した。
 直後、鳥はそれまで水平に保っていた頭部と赤い羽根の混じった尾羽根を傾け、地上へと急降下する。羽根を畳んで降下しながらもう一度ギャアと鳴く。道行く人々が顔を上げる中、身の丈に合っていない松葉色の外套を着た少年が腕を突き出した。まるで、ここに留まれと言うように。
 だが、鳥は彼の意に反し、腕ではなく彼が深く被っているフードの上に降り立つ。
 人目が多いこの場所でこのままではあまりに恥ずかしい。そう思った少年は何とか鳥を腕に移そうと、再度鳥の前に腕を差し出す。だが、鳥は腕に興味を持つことはなく、人様の頭の上で毛づくろいを始めている。
「ソーヤ、どうも決まらないな」
「仕方ないよ、お爺ちゃん。オーム、僕にあまり懐いていないから」
 四つの指でフードをがっちりと掴んで離さない鳥、オームと格闘していると胸に大きな傷がある、同じ外套を着た老人が話しかけてきた。苦笑混じりにそんなことはないと慰められるが、この舐め腐った態度を前にすると嘘にしか思えない。
 老人の名はイノラ。そしてオームにすっかり弄ばれている少年はソーヤという。
 イヤ、イヤ! と、こういう時に限って滑舌の良い言葉を発するオームを何とか引き剥がして肩に乗せる。乗せるなり直ぐに頭部に移動しようとするが、イノラが駄目だぞと窘めると、喉の奥でギギギと不満そうに鳴いて大人しくなる。
「やっぱりお爺ちゃんがいないと駄目だね」
 疲れた表情でフードを被り直したソーヤの手首から、チリンと透き通った鈴の音が響く。
 早朝の森の中を思わせるような美しい音色に、街を往来していた幾人が足を止めて彼を見た。
「鈴送りの一族か……」
 誰かがぽつりと呟いた。だが、言葉の先には既に彼らの姿はなく、鈴の音と鳥の鳴き声の余韻が残されていた。


 この世界では死者と生者の距離が近い。
 と言っても生者に死者は見えない上、死者も本来居るべきではない場所に長居をすれば魂が穢れてしまう。よって精々気になる人や場所を見に来る程度だ。そういったものは無害なのだが、例外にこの地に残り続ける者もいる。それが生者にとっては問題なのである。
 大抵この世に留まるような輩は強い未練を残している者が多い。強い未練は牙となり、生者に害を与える。やがてそれは自身をも蝕み、自我を無くしたただの脅威になり下がる。
 この世界ではそういった自我を無くした死者によって滅ぼされた国が無数にあった。
 だが、如何なる病原菌にも治療薬があるように、死者に対しても対応出来る者がいる。ソーヤ達、鈴送りもその中の一つである。
 彼らは生まれた時より一人一つ鈴を持っており、その音で死者の魂を慰め、この世界から送ることが出来る。鈴の音で死者を送る。彼らの一族の通り名はそこから来ている。
 その鈴の音は持ち手の心が澄んでいればいるほど透き通った美しい音色を響かせ、安らかに送ることが出来るという。それ故、鈴送りの名手を選ぶのは比較的容易であり、鈴送りは他の一族より依頼が入りやすい。事実、彼らの一族は穏やかな気性の者が多いのだが、
「宜しくお願いします。ところで、送ってくれるのは君なのかい?」
「はい。何か不満でも?」
 不満げな表情のソーヤを前に、依頼主の男、コータルは閉口した。
 鈴送りの一族は穏やかで思慮深い者が多いと聞く。その割に、この目の前の少年は癖のある前髪の下にある眉間に皺を刻みっぱなしで、穏やかの「お」の字も感じられない。
 彼の眉間の皺は、何度も彼の頭に上ろうとする鳥が一因を作っているのだろう。視界でちょこまかと動き、時折何の脈絡もない言葉を口走るこの鳥には何度も肝を冷やしたが、それでも終始不機嫌な面をしているソーヤよりはよっぽど親しみやすい。
「ソーヤ。言い方に気を付けなさい。お前はまだ子どもだから、コータルさんは不安なんだよ」
「だったらお爺ちゃんがすればいいじゃん」
「あのなあ……。爺ちゃんの鈴がもう鳴らないの、分かっているだろう」
 困ったように頭を掻くイノラを見ていると、意図せずして彼の手首に下げられている錆付いた鈴が目に入ってしまう。咄嗟に視線を反らしたソーヤは、動物を模したくたびれたリュックから紙の束を取り出して男へと向き直る。
「大丈夫ですよ。こう見えても、五年間修行してきましたから。実戦経験で言えば、他の鈴送りにもひけを取りません。更に言えば、コータルさんの依頼は修行を締めくくる最後の依頼ですから……」
「また可愛げのないことを……」
『ソーヤ、ブサイク!』
「はあ!?」
 突拍子もないことを口走るオームに肝を冷やしながらも、コータルはちょっとした鈍器と化した書類に目を通す。全てに目を通さずともその厚みで説得力は十分であった。
 それに風の噂で聞いていた。鳥を連れた少年の鈴送りの音色は、天にも届くかのような美しい音色なのだと。
「……ちょっと邪魔なんだけど。何でいつも僕の頭に乗ろうとするんだよ」
『ソーヤ! ジャマ!』
「は!? 邪魔なのはそっちだろ! 何で大人しく肩に乗っていられないんだよ!」
「ああ、もう落ち着こう。ほら、依頼主困っているから」
 テーブルの上にある二つのグラスの水が激しく揺れるこの状態からは穏やかさは微塵も感じられず、納得した尻から本当に大丈夫なのだろうかと仄かな不安を抱く。
 イノラに諭され、ソーヤは頭に上ったオームをひとまず放置することにした。が、ンゲゲゲと癪に障る勝ち誇った声を上げた為、怒りに任せて籠の中に放り込む。
 籠の中で出せ出せと騒ぐオームを今度こそ放置し、ソーヤはコータルに無礼を謝罪すると共に、大丈夫ですよ。と笑いかける。
 本当に大丈夫なのだろうか。そもそも何に対して大丈夫と言っているのだろうかと不安になるが、フードを直す際に揺れた手首の鈴の音を聞いた途端、そんなものは消し飛んだ。

 コータルに連れられてソーヤたちは彼の家にやってきた。彼の依頼は、娘を襲っている死者を送ってほしいというものであった。
 依頼書によると、コータルの娘、オリヨがここ最近毎晩のように悪夢にうなされ、朝になると首に痣が出来ているらしい。よくある類の依頼だと涼しい顔で依頼書を見ていたソーヤだが、コータルの家に着いた途端、その表情は一転して険しいものとなる。
 彼の家はごく一般的なもので、珍しいものではない。が、その家からは死者の濃い気配が漂っており、人よりも死者に敏感なオームが、オジイチャンとぐずってしまうほどであった。
 幸か不幸か今、死者は家にいないようで、ソーヤ達はコータルに案内されてオリヨと面会する。ソーヤと同い年程であろうオリヨは人懐っこい笑顔が印象的だった。だが、今の彼女はやつれ果てており、その笑顔にも影を落としていた。
「こんにちは。僕、ソーヤ。これはオーム」
「オウムにオームって……」
「何か問題でも? それと、オームはインコなんで大丈夫です」
 コータルを視線で制し、ソーヤは最近感じる異変について質問を続ける。オリヨはと言うと突然の来客に驚いた様子であったが、生来の人見知りのなさからか彼の質問に答えてくれた。
 聞き取りの結果分かったのは、毎晩のように悪夢を見ること、そしてその内容が真っ暗な水溜りで無数の手が伸びて来て捕まえられるということ。そして引きずり込まれる寸前で母親が出て来て助けてくれるというものであった。
「お母さんは今どこに?」
「お母さんは……。お仕事でもう一年帰ってきていないの」
 予想外の返答に言葉を失っていると、イノラが依頼書を見ろと囁く。すぐさま手元の書類に目を走らせると、母親、スイが出張の際に乗った船は嵐により転覆。その後行方不明。と書かれていた。
「もう亡くなっていますよね」
 ぽつりと漏らした遠慮のない言葉はオリヨの逆鱗に触れてしまい、ソーヤはそれ以上の質問を諦めざるを得なかった。


 オリヨを怒らせたこともあり、外で時間調整を行ったソーヤ達は地図を睨みながらすっかり暗くなった路地裏を進む。昼間にオリヨの家まで行ったものの、夜になれば景色は一変する。とどのつまり、ソーヤ達は迷子になっていた。更に悪いことは続くもので、彼らの前には刃物をチラつかせる二人の男が立ちはだかっていた。
「おう、鈴送りの一族だな?」
 籠の中でソウデスと余計なことを口走るオームを睨み付け、両手で持った籠をぎゅっと抱きかかえる。
「たんまり持っている金品置いていけ。持っていないとは言わせねぇ。お前ら鈴送りが汚ねえ金を沢山持っているのは知っているぞ」
 鈴送りの人間は一部では有り難がられ、また一部では忌むべき者の対象となっている。死者は普通の人には見えないものだから、彼らからすれば自分たちは気味が悪いのだろう。不条理なことだが、それは仕方のない事だとはまだ子どものソーヤでも弁えている。
 否、子どもでこの仕事に携わっているからこそ弁えることが出来るのだろう。自分の理解を超えたものを除外しようとする人の姿は嫌というほど見て来た。
 にやにやと勝ち誇った笑みで見下ろしていた男達だったが、ソーヤがあまりに反応を示さない為、その表情には苛立ちが現れ始める。
「何してんだ!? 早く出せよ!」
「そんなことを言われても、本当に僕持っていないし……」
「嘘吐くな!」
「オーム、トクちゃん呼びなさい。多分この辺にいるから」
『トクチャーン!!』
 男が掴み掛かりそうになった瞬間、オームがイノラの合図に合わせて大声で鳴く。本気で鳴いたオームの声量は凄まじいもので、初めて大声を聞いた男達はたまらないとばかりに、眉を顰めて耳を押さえる。
 直後、彼らの頭上から一つの人影が舞い降り、瞬く間に二人を地面へと叩きつけた。彗星のごとく現れたのは推定六十前後であろう筋骨隆々たる肉体をした男であった。
「だ、誰だお前!?」
「トクちゃんです」
「何なんだよ、トクちゃんって」
「トクちゃんです」
 渋い声に似合わぬ可愛い自己紹介をしながら、トクちゃんことトクは立ち上がった男たちをあっと言う間に投げ飛ばし、慣れた手つきで縛り上げる。
「坊、大丈夫か?」
「うん。ありがとうトクちゃん」
 先述したとおり、この世には鈴送りなどの異職を毛嫌いするものが居る。そういった輩が彼らに害を与えるのはそう珍しいことではない。事実、歴史の中ではそのような過激派により異職の一族が絶えた例もある。
 しかし、だからといってそれを放っておけば悪意ある死者によって国は乱れ、傾く。そこで彼らを守るための一族も生まれた。トクもその中の一つ。鈴護りの一族である。彼はイノラの代から三代に渡って鈴送りの一族を護衛している歴戦の戦士であり、修行に出向いているソーヤたちの守番でもあった。
「どこへ行ったかと思えばこんなところで油を売って。イノラ、お前がついているんだからちゃんと案内しろ」
「トクちゃんソーヤに甘くない?」
「坊は良いんだよ。しっかりしているから。でもお前は駄目だ。すぐ頼る」
 守り守られる立場だが、幼馴染である二人は非常に仲がいい。
 依頼される内容が内容な為、この旅は憂鬱な気持ちになることが多かった。そんな中で繰り広げられる二人の遠慮のない言い合いは、見ていて気分が晴れた。
「坊、大丈夫か? 着いたぞ」
 ずっとこんな日々が続けばいいのに。ぼんやりとそんなことを考えていたソーヤはトクの言葉にはっとして顔を上げる。
 顔を上げた先には旅の最後を飾る依頼主の家があった。
 僅かに浮かんだ我儘を押し殺すようにして今一度目を閉じる。深呼吸を数回繰り返して目を開けると、そこには見慣れた二つの顔が。抱えている籠からは見慣れた鳥が此方を見つめていた。
「うん。大丈夫。じゃあ、行こう。僕らの、最後の依頼をこなすために」

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