能力を奪われたサーダが今までに見せたことのない憤怒の表情を見せる。生まれてから今まで共にいた物を奪われたのだ。それにサーダのウスコアとしてのプライドは他と比にならないほど高い。よって、彼は今、自我を失うほどの怒りに満ちていた。
 また、一見優勢に見えるトゥリ達だが、彼らもまた窮地に立たされていた。
 吸収管の効果は数分。その間相手は能力を使えないが、それと同時にトゥリ達も呪いが解けていない者ほどではないが動きに制限があり、能力は当然使えない。そう、吸収管は諸刃の剣でもあるのだ。
「あの筒か、私の力を奪ったのは……」
「無理に引き出そうとしても無駄だよ。吸収管の中はあなたの莫大なエネルギーで満ちている。こじ開けたら内側から暴発する」
 理論上はね。と付け足し、ピルヴィはサーダを牽制する。
 圧倒的な力を持った強敵を前に、その声は僅かに震えているものの、確固たる自信が含まれていた。
「ペルクリ、行け」
 しかし、サーダは蔑むように彼を一瞥しただけで、自分の契約者を吸収管の破壊に向かわせる。その命にペルクリという名の女は一つ返事で剣を携え、空中で浮かぶ筒へ向かう。
「馬鹿な! 本当に暴発するんだよ!?」
「それがどうした? 契約者が死ねば、また新たな契約者を手に入れれば良いだけのことだろう?」
「ふざけている! そんな、そんな事が!」
「ピルヴィ、そいつは本気だ。そいつはウスコア以外を、否、自分以外ならばどうなっても良いと考えている。……人の皮を被った悪魔だ」
「さすが私の事を理解しているね。光栄だよ、サデ・カベリ」
「ペルクリさん!」
 今にも剣を突きたてんとするペルクリへと、イハナが叫ぶようにして呼びかける。しかし、彼女の表情は何一つ変わらない。
「良いんですか!? 貴女の人生が、こんな事で終わっても! 貴女はもっと、もっと幸せに生きられる筈です!」
 それはどん底を味わったからこそ、断言して言える言葉。
 しかし、ペルクリには彼女の言葉は届かなかった。むしろ、彼女はあざけるようにしてイハナを見て、
「幸せ? そんなもの、この世に存在しない」
 直後、ペルクリの剣が吸収管の口に向かって突き立てられる。
 突如として入った亀裂に、内部のサーダの力が解放されようと渦巻く。そして出口を見つけた力は、防波堤の穴から溢れ出す濁流のように、周囲を、ペルクリを破壊して外へと逃げ出した。
 カン、と軽い音を立てて、ただの筒に戻った吸収管が地面に落ちる。周囲にはおびただしいほどの量の血と、肉片。もし、今ここに人が来たならば、これらがつい先ほどまで一人の人を形成していて、なおかつ動いていたことなど想像もしないだろう。
「ふん、完全に戻るにはまだ時間が必要なようだな」
 自身の契約者を失ったとは思えないほど淡々とした調子のサーダは、土の手が子どもの大きさほどしか作れない事を確認し、きびすを返して去っていく。
「待ってください!」
 去りゆく背中に、イハナの怒りの声が刺さる。けれど彼はまるで聞こえていないかのように足を進めた。
「何も感じないのですか!? ペルクリさんは、あなたの為に命を落としたのですよ! なのに、こんな……!」
「小娘。お前は野菜を口にする度墓を作るのか? 紙を燃やす度に申し訳ないと懺悔するのか? 所詮契約者など消耗品だ」
 振り返ったサーダの顔には笑みが浮かんでいた。
「消耗品に熱を上げる愚かな同胞よ。今日の所は見逃してやろう。私を殺したければ次の満月の夜、我らウスコアの始まりの地、カウニス城に来い」
 サーダが指を鳴らすと共に、周囲から無数のウスコアとその契約者が姿を現した。彼らは皆パヒン国の制服を身につけており、また誰もがサーダと同じ冷め切った目で此方を見ていた。
「その時が貴様等の死ぬ日だ」
「上等だよ、この俺様鼻天狗。お前らこそ首洗って待っていろ!」
 パヒン国の軍勢と、たった四人が睨み合う。
 多勢に無勢。しかも此方で戦えるのは二人。どう考えても不利な状況にも関わらず、四人の目に恐れは無かった。
「貴様等のその目が絶望に染まるのが楽しみだ」
 大群を率いてサーダは去っていく。闇に消えゆく敵の姿を見送りながら、彼らは次の満月の夜に自分の未来が大きく変わることを確信していた。

 ・

 そして、満月の夜が訪れる。
 月夜に浮かぶカウニス城。
 それはかつてウスコアが呪いを受けていないとき、ウスコアの王が住み、世界の中心となっていた場所。
 しかし、今や栄華を誇ったカウニス城は廃城となり、様々な草木で咲き誇っていた庭園は枯れ果て、ステンドグラスで飾られた窓はガラスなど無いただの穴と化している。
「久しぶりに来たけど、面影も糞も無いな」
「トゥリ、言葉に気を付けてください」
「でも、当時は綺麗だったんだろうね」
「ごちゃごちゃして好かんかったがな」
 パキン、と古びたガラスを踏みつける音と同時に、トゥリ、イハナ、ピルヴィ、サデ。四人の若者が姿を現す。
 四人は堂々と城門を潜ってきたのだが、不思議とまだ敵と遭遇していない。ピルヴィは「忘れちゃったんじゃないかな」と言っていたが、敵が此方をなめている。というのが正しい解釈であろう。
 なめきって簡単にやられてくれればいいが、そうも行かないだろう。向こうからすれば、此方は本来の力を取り戻し、こちらに反旗を振りかざす厄介者だ。庭までは順調に来れたとしても、城内に足を踏み入れると同時に、おびただしいほどの刺客が向けられるに違いない。
 明らかに無数の者が潜んでいる気配のある城の扉を前に、一同は歩みを止めた。
「トゥリ、どうしましょうか」
「ああ、燃やす」
 しかし、トゥリの考えは至ってシンプルであった。
 隠れているのならば、あぶり出せばいい。
 戸惑うイハナの前で、彼は巨大な火の鳥を生み出し、そして門へと頭から突撃させる。
 爆音の次に生じたのは、無数の断末魔。炎に捲かれ、耳をつんざくような悲鳴を上げて堀へと落ちていくウスコアと、その契約者を見たイハナの顔が青くなる。
 幾ら死んでいく彼らが他の人に向けて残虐非道な行為をしていたとて、彼らもまた一人の人間である。彼らの命を奪うというのは、幾ら覚悟したとて耐えきれるものではない。
 そんな彼女の頭をそっと撫で、トゥリは優しく微笑み、そして、
「イハナ、帰れ」
 彼女を突き放した。
 交戦するサデが密かに視線を寄越す前で、動揺を露わにする彼女へと、尚も続ける。
「これからは今まで以上に命を掛けた戦いになる。死ぬ覚悟が無いなら、殺す覚悟が無いなら帰れ」
「あ、あります!」
 するとトゥリは業火から逃れ、必死に背中に着いた火を消そうとする者を捕まえてイハナへと差し出す。
「なら、こいつを殺して証明しろ」
「や、止めてくれ、おれは無理矢理契約させられただけでっ!」
 必死に命乞いをする赤毛の男に、イハナは短剣を向ける。
 ここで男の命を奪わねば、トゥリは一人で行ってしまう。ここでやらねば、またトゥリ一人に嫌な思いをさせてしまう。
 大きく短剣を振りかざし、イハナは怯える男の頭に狙いを定める。けれど、その短剣が男に振り下ろされることは無かった。
 カラン、と剣を取り落とすと同時に、イハナは男の前で泣き崩れる。
 出来なかった。涙を流すこの男を殺すだなんて。例えトゥリに見放されようとも、利用された罪なき人を殺すだなんて、イハナには出来なかった。
 その様子を見たトゥリはやっぱりな。と肩を竦め、しゃがみ込んでイハナと目線を合わせる。直後、業火を身に纏いながら一人のウスコアが襲いかかってきたが、彼はその頭を掴み、そのまま手のひらから生み出した炎でウスコアを焼き殺す。
「命を奪う俺が怖いか? こんな判断を迫る俺が憎いか?」
 涙でくしゃくしゃになった顔で、イハナは静かに首を横に振る。
「ありがとう。……嘘付かせて悪いな。俺はお前みたいに平和を描けない。人を幸せにしてやることが出来ない。俺に出来るのは、お前や、お前の大事な奴が安心して暮らせるよう、お前が一番嫌う戦いで土台を作ることだけだ」
 そこでトゥリは未だ地面で這い蹲っている男を起こし、耳打ちして何かを手渡す。
「イハナ。俺はお前の本が好きだ。あの優しい物語は、お前が戦いに身を置かずにいるからこそ書けるんだろう。だから、お前はもうここにいなくて良い。お前は表の世界で、陽に照らされながら幸せに生きろ」
「私は幸せでも、それじゃあ、トゥリは……!?」
「イハナ、泣いたら負けだぞ?」
 何とか涙をこらえようとも、こらえきれずにいるイハナから目を離し、トゥリはサデに目をやる。その視線に気付いたのか、彼女は堀から水を引き寄せ、巨大な水の栓を扉の無くなった門に詰めた。
 そして彼女は同じく堀の水からあの日のように龍を生み出し、その上にイハナと赤毛の男を乗せ、ピルヴィと目を合わす。
 濃紺の目と、焦げ茶色の目が交差したのはほんの数秒。けれど、彼女が何を言いたいのか理解したピルヴィは、わかったと了承の意を示し、イハナと男を押さえるようにして龍に乗る。
「サデ、ありがとう。……またね」
「迷惑を掛けたな、ピルヴィ。ああ……また、な」
 二人の間にはそれだけで十分であった。
「トゥリ! そんな、私、あなたにまだ何も……!」
「イハナ。邪魔なんだ。どっかに行ってくれ」
 拒絶の言葉に、彼女は目を見開いたまま動けなくなる。
 十年前、憎しみで目を染めていた彼の赤い目は、共に過ごす内に優しさ満ち溢れていった。しかし、今の彼は苦虫を噛み潰したような表情でこちらを見ている。
 ゆっくりと飛翔する龍の上で、青い目から涙を落とすイハナをピルヴィが宥める。その様子を目に映した彼は寂しそうに微笑み、再び燃え始めた城の方を見る。そして、彼が振り返ることは、もう二度と無かった。
「お前、不器用だな」
「……煩いな。優しく励ますとか出来ないのか、お前は」
「出来ると思うのか?」
「はいはい、俺が悪かったよ。さて、これからが本番だ。陰組行くぞ!」
隣に並ぶサデと目を合わし、静かに笑う。今の彼はもう一人で戦っているわけではない。こうして、目的を共にして肩を並べる仲間がいるのだ。
 二人は揃って城を見上げる。この中にいるサーダを、サーダの取り巻きを倒せば、腐敗しきっているパヒン国は簡単に傾く。
 勿論、その後はしばらく平和とは呼べぬ日が続くだろうが、それでも人々が、ウスコアが今以上に奴隷制度に怯えて過ごす日はもう無い筈だ。
「ああ。不本意だが、自分のこの背中、お前に預ける」
 そして二人は敵軍の中に駆け出す、この戦いの果てに、平和な未来があると信じて。
 水の栓を解除し、進入した城内は既に閑散としていた。おそらく、門の前にかなりの兵を置いていたのだろう。
 広間に並々と転がっている無数の焼死体がそれを説明している。
「なあ、サーダの糞野郎どこにいると思う?」
「馬鹿と何とかは高いところが好きだと言うから、恐らく上階だろう」
「隠すとこ間違ってんぞ」
「……わざとだ」
 遙か上階へと繋がる螺旋階段を駆け上がりながら、二人は踊り場で待ちかまえている伏兵を炎、水の剣でそれぞれ葬っていく。
 呪いが解けていないウスコアは契約者と離れるとその力が弱まる。その為、ウスコアを仕留めた際には契約者が巻き添えになることを避けられない事が多い。
 仕方がないとは分かってはいるが、あの赤毛の男のように無理矢理従わされている者もいるのではと考えると、どうしても躊躇いが生まれてしまう。
「おい、しっかりしろ」
「ああ、悪い」
 しっかりしろと言い聞かせ、炎の渦を生み出して複数の敵を纏めて葬る。
 平和を手に入れる為には、多少の犠牲は止むを得ない。そう自分に言い聞かせながら階段を昇る。そうだ、自分が此処で立ち止まるわけには行かないのだ。自分の背には、イハナの未来が乗っているのだから。
 そう思えば、もう後ろ髪を引かれることはない。
 よし! という気合いの声と共に、彼を中心として大火が周囲を焼き尽くした。
 瞬時に水の壁を作り出して負傷を防いだサデは呆れたようにため息を吐き、炎を纏って次から次に敵をなぎ倒すトゥリを見る。その姿は先ほどとは打って変わり、どこか楽しんでいるようにさえ見える。
 その切り替えの早さはどこか羨ましく思えた。
「俺強いな!」
「そうだな。凄いな。油断するなよ」
 まるで少年のように無邪気に笑いかける姿に、それまでかたくなに下を向いていた口角が僅かに上がる。その時であった。大広間に面した扉から三人の刺客が襲いかかってきたのは。
 一人をサデが首を落として仕留め、もう一人を焼き払う。そして、もう一人をトゥリが始末しようとした時、あろうことか、その者は自身の契約者を盾にした。途端、トゥリの動きが止まる。
 その契約者は六歳ほどの、そう、トゥリが出会った頃のイハナと同じ年頃の少年であったからだ。
「トゥリ・レンペア。君はあの平和ぼけした契約者に毒された。それが君の敗因だ」
 不意にサーダの声がし、ウスコア、そして契約者もろとも貫いた大理石の弾丸がトゥリを襲う。その時、トゥリの目に映ったのは、涙をこぼして崩れる幼き契約者の後ろで笑うサーダ。そしてその側に控える新たな契約者の姿であった。
「油断するなと言っただろう!」
 怒号と共に目の前に一ヶ月の内に見慣れた背が現れ、直後に水の壁が形成される。
 強靱なサデの集中力により、当初大理石の弾丸は止められたかのように思われた。しかし、後少しで防ぎきれるといった所で、彼女は胸を押さえて体制を崩す。以前サーダとの戦闘で負った傷が、まだ癒えていなかったのだ。
 その隙をサーダの意志が込められた弾丸は見逃さなかった。
 くぐもったサデのうめき声と共に、彼女の腹を三つの大理石の弾丸が食らいつくようにして抉る。
「はは! 良い表情だな、サデ・カベリ! あの女の死に際の顔にそっくりだ!」
 途端、サデの濃紺の目に力が宿る。
 彼女の前の契約者は、今の自分のようにサーダに笑いながらなぶられ、そして息絶えた。優しい、本当に優しい女性だった契約者は、自分を逃がすためにあえて自らの命を犠牲にした。
「……うな」
「ん? 聞こえないな」
 腹部から吹き出す血を気にすることなく、サデは立ち上がる。
「貴様なんぞが、あの人の死を笑うな!! このゲスが!」
 直後、床に流れた彼女の血液が蛇の形を成し、サーダの足を這い上がってその喉笛に噛みつく。
 意表を突かれた彼は、慌てて蛇を引き離し、床へと叩きつける。しかし、冷静を欠いた彼は、自分に近付くもう一つの存在に気付くことが出来なかった。
「お前は未来に必要ない」
 怒りを含んだその声に気付いた時には、既に炎を纏った拳がその頬に叩き込まれていた。
 しかし、寸前で一歩引かれた為、手応えは十分ではなかった。すぐさまトゥリは追撃で仕留めようとするが、はいそうですかと諦めるような相手ではない。
 手負いのサーダは火傷で視界が不良好となった右目を手で覆い、もう片方の手で足下の床に触れる。直後、サーダを境にして、地上から続いていたこの螺旋階段はあっけなく崩壊する。
「……楽には、死なせん!」
 それだけでは飽きたらず、サーダは城の壁に手を当て、壁を通じて大広間の床に地割れを生み出す。
 床の下には地下通路が蜘蛛の巣状に広がっており、負傷したサデを抱えたトゥリは吸い込まれるようにして奈落へと落ちていく。
「奴らはこれだけでは死なん。追うぞ」
 落下する中でも、尚力強く此方を睨みつけていたトゥリの顔を思い出し、サーダは声帯を傷付けられ、かすれてしまった声で忌々しげに呟いた。


prev next

bkm
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -