低く、抑揚のない声。
長年シキの軍勢をまとめていたものの声に、セツだけでなくヴィヴォも反応する。
ゆっくりと、緩慢な動きで振り返った先には、頭から足までローブに身を包んだココーがいる。
止まったままのセツへと、ココーはツカツカと近付いていき、
「その辺にしておけ。戻れなくなるぞ」
まるでセツの今の姿が見えていないかのように、ココーはいつものいまいち足りない口調でセツのすぐ前まで歩いてきた。
まるで警戒心のないココーに威嚇をするかのように吠えるも、煩い。の一言で終わらされてしまう。
「ビァサモフヌラ」
「意味が分からん。分かる言葉で喋れ」
しばし、沈黙が訪れる。
が、その直後、セツは咆哮を上げながら、あろう事かココーに牙を剥いた。
雄叫びと共に鋭い爪がココーの頭部に襲いかかる。が、ココーは首を僅かに動かして最小限の動きで致命傷だけを避ける。肩の肉が裂けるのも厭わず、そのままセツの腕を掴み、グイと引き寄せる。
「いい加減にしろ。戻れ」
ココーの赤い目が、セツの真珠色の目と交差した。
直後、ココーと、そしてセツが赤い光に包まれる。同時に、セツの口から耳をつんざくような悲鳴が発された。しかし、それは光が収束していくにつれ小さくなり、やがて、消えた。
・
瞼の向こうが妙に明るい。
しかし、体が妙に重く、瞼を開けることすら億劫に感じられる。
面倒くさい。別に明るくたって、起きる必要はないだろう。そう決めつけてもう一度眠りに落ちようとする。
「おい、起きろ」
しかしそれはぶっきらぼうな男の声と、頬に走った痛みによりやむなく中断となった。
これでもかと言うほど顔をしかめ、片目ずつ目を開ける。不必要に明るい周囲の光が目に刺さり、どれほど中心にしわを寄せるのだと言うほど、更に顔をしかめる。
喉を鳴らしながら、ぼろ布を纏った腕で目をこすり、少し落ち着いたところでゆっくりと目を開ける。
まだぼんやりとした視界に飛び込んできたのは、まるで鉱山のように周囲に密集した真珠色の結晶群。そして、真上からこちらをのぞき込む、赤い目をした、眠そうな目をした男ーーココーであった。
彼の姿を確認し、目を数回しばたかせたセツが次にとった行動は、自分を抱えている彼を殴る事であった。
「……何をする」
「え、あ、いや、ごめん。気付いたら手出てた」
「痛い」
「本当ごめん! っかしいなー、何でだろう。あ、もう立つから抱えなくてええええええ!」
何故殴ってしまったのだろうと混乱しながら、体を起こそうとしたセツは自分の体を見て思わず叫ぶ。
何故こうなっているのだ。本日何度目かの疑問を抱きながら、ココーを突き飛ばし、自分の体を抱える。今、セツの体はぼろ布と化した衣服だったものを纏っているにすぎなかった。
所々露出してしまった肌を隠す物は無いかと、体を隠しながら探すも、めぼしい物は見つからない。
ーー猥褻物陳列罪だ。滝で宙づり三日間だ。
泣きそうになっていると、頭上から何か布が降ってきた。それを掴んで見上げると、先ほど突き飛ばされたばかりのココーが、自分のローブをセツの頭上に落とした所であった。
「気になるなら使え」
「ありがとう……ございます」
藁にもすがる思いで自分には大きいローブに袖を通す。多少動きにくいものの、肌がすっかり外気と遮断され、幾ばくか心が和らいだ。
「随分暴れたようだな」
「……みたいだね。何があったのか、親方を侮辱された所までしか覚えていないんだけどさ」
部屋の中央に置き去りになっているダイナリの腕をそっと拾い上げる。
その手に握られているロケットの中身を見、ああ、やはりこれは親方の物なのだな。と逃れられぬ現実を突きつけられたセツは、魂の抜けた手を強く胸に抱く。
「泣くか?」
「いや、もう泣けないよ。過ぎたことはどうしようもない。今、これからを考えないと」
ダイナリの腕を抱いたまま、セツは部屋の最奥、ドーヨーの元に向かう。先の暴走のせいか、体中がぎしぎしと悲鳴を上げる。それを何とかこらえ、ゆっくりと慎重に歩を進める。
結晶に囲まれた椅子で、ドーヨーは相変わらず俯いたまま座っている。
「近付かないで」
拒絶の言葉を向けられ、少し目を細めたものの、今のセツは以前とは違い冷静な目で彼を見ることが出来た。
確かに自分はドーヨーに、ダイナリに取り返しのつかないことをしてしまった。それは責められても仕方ない、どんな言葉でも甘んじて受ける。
だが、今のドーヨーは違和感がある。彼はハクマに腕を見せられる前から、ダイナリが死んだと言っていた。長年ダイナリと連れ添っていた彼が、そんなにすんなりとダイナリの死を受け入れるわけがない。
屈強で、精神力が強く、長年マニャーナ国の差別を受け続けていたダイナリが、簡単に死ぬはずがない。短い期間共にいたセツでさえそう思うのだ。長年共にいたドーヨーがそう思わない訳がない。
「唯一俺を使ってくれたダイナリさんを見殺しにした奴は、死を持ってその罪を償え」
「分かっています。ドーヨーさん、親方から伝言があります」
「死ね、死ね、死ね」
思えば、ドーヨーの今の様子は、儀式の日のレイールに通じるものがある。恐らく、彼もまた洗脳に近いマインドコントロールを受けているのだろう。
「お前も、マニャーナ国も、みんな、みんな消えてしまえ!」
顔を近づけた途端、すっかり痩せてしまったドーヨーの手がセツの首を締め上げた。
瞬時に反応したココーに大丈夫だからと断り、レイールと同じく、光を失ったドーヨーの目をひたと見据える。
ぎりぎりと軌道を圧迫され、呼吸に支障が出る。しかし、痩せると同時に筋力も落ちてしまったのだろう。命に支障が出るまではない。
圧迫され、か細くなった声で、セツはドーヨーへ、ダイナリの言葉を口にする。
「親方は、ダイナリさんは、あなたに生きろと言っていました。そして、巻き込んですまなかったと。これからは、復讐などせず、ただ幸せに生きてくれと」
途端、ドーヨーの目に光が走った。
何かを探すかのように眼孔は揺れ、セツの首にかけていた指は落ちる。
膝の上に落ちたその手に、セツはダイナリの手からロケットを抜き取り、そっと握らせる。売れる眼孔が、開かれたロケットに注がれ、そして動きが止まる。
「多分ですけど、ダイナリさんはドーヨーさんのこと、使うだなんて思っていないですよ。最後まで、ドーヨーさんの事を心配していました。父親のように」
冷たい、ずっしりと重いロケットの中には、今よりしわが少ないダイナリと、少年のドーヨーが並んで写っている写真が入っていた。
写真の中の二人は日溜まりの中、とても幸せそうに微笑みを浮かべている。
「……ダイナリさん」
ツウと、ドーヨーの目から涙がこぼれ落ちた。
それがきっかけだったかのように、ダイナリはロケットを握りしめ、最初はすすり泣き、次に嗚咽を漏らしながらぽろぽろと涙を流し始めた。
「ど……」
セツが何か声をかけようとした直後、背後でそれまで聞いたこともないような爆音が響いた。
一時的に聴力を失うほどのそれとともに、爆風と、それに乗ってやってきた土埃が、津波のように一同を飲み込む。
咄嗟の出来事に、セツはドーヨーに覆い被さるようにして土埃を防ぐことで精一杯であった。そんな彼女が、ココーの呟きにも、背後で動く者があったことも、気付くわけがなかった。
土埃が治まり始めた頃、セツは顔周りに付いた汚れを取り払い、ゆっくりと体を起こす。まだ耳が痛いが、動きに支障が出るほどではない。地響きが続く中、ドーヨーに顔を向けようとした途端、彼女の体は突如前から突き飛ばされた。
受け身もとれず、まともに地面に叩きつけられたセツは短く悲鳴を上げ、弱々しく先ほどまで自分がいた場所を見る。途端、彼女の目は驚愕に見開かれた。
「僕を、僕をこんな目に合わされるなんて……許せない許せない許せない許せない!!! 殺してやる!! ただじゃない、特別に苦しめてやる!!」
そこにはドーヨーの首元にナイフを突き立てているヴィヴォがいた。
白衣は度重なる土埃で汚れ、髪は乱れきり、目は血走って、口の端からは泡を吹いている。その姿は最早、彼がこだわる美とは縁の遠いものとなっていた。
「動くなよ! 動いたらこいつを殺す! 後ろの、お前等中古品共もだ!」
ヴィヴォの言葉に振り返ると、そこにはココーのみならず、クロハエ、ケミ、クサカ、シキ一同が集合していた。
「うわ、あいつ失禁しているじゃない。何歳児?」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ!! これも全てお前等のせいだ。お前等なんて、僕たちが居なければ今生きていることすら出来ないのに!」
「お前が黙れよ」
ケミに瓦礫を投げつけられ、ヴィヴォはダンゴムシのように身を縮こませ、無様に床に転がる。嗚咽を漏らしながら震えるその姿は哀れだが、彼の行いを考えれば、同情する余地はない。
もはや気にかける必要もないと判断され、孤独に床に転がるヴィヴォとは対照的に、クロハエ達はしばしの別れの後の再会を祝福していた。
やっぱり大丈夫だったろ? と、どこか自慢げな表情のココーにクロハエとケミが呆れたように肩を竦める中、それまで沈黙を保っていたクサカが、未だ床に倒れたままのセツをジロリと睨みつけた。
本来ならば、適地で仲間と再会することは喜ぶべきことだ。しかし、その仲間が自分を殺したいほど憎んでいるとなると話はまた変わってくる。
案の定、クサカは拳を握り、まだ満足に動くことの出来ないセツの頭部を殴りつけてきた。
「あんたなぁ……っ!」
「暴走してんじゃねぇよバーカ。ココーさんまで怪我してんじゃねぇか」
「それは……ごめん」
「謝ってすむか。死ね。お前も下手したら死んでたところだぞ」
死ねとは言われたものの、初めてクサカに気遣いの言葉をかけられ、しばしの間呆気に取られる。
「お前は俺が殺すんだ。それまでに死なれちゃ困るんだよ」
「あ、そうだったね」
そういえばそんな事を言っていたな。すっかり失念していた約束に、思わず脱力する。
忘れていただろと睨みながら手を差し出すクサカの手を取り、セツは何とか立ち上がる。まだおぼつかない足に苦笑を漏らしながら、手を貸してくれたクサカ、そして自然と手を取った自分に驚く。
少し前ならば、お互いにそんなことはしなかっただろう。
体格差のため、どうしてもずり落ちてくるローブを支えながら、椅子に座り込んだままのドーヨーに歩み寄る。
どこかで瓦礫が崩れているのだろう。定期的に大きく揺れる地面を踏みしめ、転げないよう慎重に一歩ずつ歩く。恐らく、ここで転んではもう立ち上がれない。そう、本能が告げていた。
ドーヨーさん。名を呼ぶと、彼はゆっくりとだが顔を上げ、光の戻った藤色の目でセツを見た。
「やあ、新入りちゃん。迷惑……かけたね」
乾いた唇から紡がれた言葉。それは紛れもなく、ドーヨー本人のものであった。
胸の奥が熱くなる。目から熱い液体がじんわりとわき出す。しかしそれをぐっとこらえて、セツはドーヨーを拘束している最期のベルトを引き裂く。
これで、ようやくダイナリの願いが叶えられたのだ。
「ごめんね。本当に」
「良いんです。分かっていますから」
師の腕を抱えたまま、ドーヨーに肩を貸す。しかし、満足に動けないもの同士が支え合ったところで、安定するわけもなく。結局立位保持だけでやっとだという、残念な結果になる。
「新入りちゃん……これ、駄目なんじゃない?」
千鳥足で歩く自分たちに不安を抱くドーヨーだが、セツは大丈夫の一点張りで諦めようとしない。
ああ、やっぱりこの子も頑固だ。
亡き師匠ーーもとい父であるダイナリに負けず劣らず頑固なセツに、思わず苦笑が漏れる。
自分の脇の下で奮闘するセツから顔を逸らしたとき、ドーヨーは瓦礫の奥で何かが光のを見た。
次の瞬間、彼はセツの手を引き、自分の身で守るようにして覆い被さっる。直後、それまで自分たちが立っていた場所に巨大な氷柱がもの凄い速度で通過していった。
ハクマだ。ハクマがまだ、生きていたのだ。
時を同じくして、頭上から耳をつんざくような異様な音がした、思わず目を細めたとき、遙か上の天井に、破門状に亀裂が走る。
それぞれが次に想定できる事柄に、防御の姿勢を取った直後、波紋の中心から紫の羽をした悪魔が姿を現した。
否、それは悪魔ではなかった。悪魔によく似た羽を持ってはいるが、それは巨大な蝙蝠だったのだ。
「死ねぇ!」
呆気に取られ、床に座り込んだままで奇声を上げる頭上の蝙蝠に見入っていると、それまで放心していたヴィヴォが短剣を手にし、セツに襲いかかる。
プライドを傷つけられた彼は、もはやセツを手に入れるという本来の目的を忘れていた。今の彼は、自分をここまで貶めたシキに対し、憎しみしか抱いていないのだ。
まず始めに、ヴィヴォの襲来に気付いたのはケミであった。が、動くよりも先にハクマの攻撃が襲いかかってきたため、駆け寄ることができずにいた。それは、他の二人も同じである。
狂気に駆られた男の声が、蝙蝠の奇声に混じっていることに気付いたとき、セツはもう避けられない状態になっていた。
不意に頭に過ぎる「死」
不思議な懐かしさと、居心地の良さを感じるセツであったが、感傷に浸っているのはほんの一時であった。その僅か一秒後。セツは再度ドーヨーに強く手を引かれ、やせ細った胸に顔を埋めていた。
「何だ、これは……?」
痛みでもなく、自分の断末魔でも、ドーヨーの悲鳴でもなく、いぶかしげなヴィヴォの声であった
何があったのだと顔を上げると、不思議そうな表情を浮かべたヴィヴォの右手には深々と注射針が刺さっている。そしてその注射針は、当然魔物の凝縮された遺伝子が入った注射器と連結していた。
どうやらそれは、ヴィヴォがセツの脳天に短剣を振り下ろそうとした時、ドーヨーが射したものらしい。
「ダイナリさんの、仇だ」
状況を把握し始め、次第に焦りが生じ始めたヴィヴォへ、ドーヨーは注射器を強く打つ。
膿のような濃い黄色の液体が、ドーヨーが力を入れると同時に、ヴィヴォの体内へと消えてゆく。
「止めろ。止めろ、僕は……! おお、お前ぇぇ!!」
「タシャ!」
『はい』
完全に状況を把握したヴィヴォは、再び錯乱し、ドーヨーへと短刀を振り下ろす。
しかし、彼が正気に戻っている間に、タシャと接続をしたセツが瞬時に結界を生み出し、彼の攻撃はあっさりと防がれる。
「くそ、くそっ、くそがぁあああ!」
もはや正気を失ったヴィヴォは口汚く罵りながら、短剣を振り回す。しかし、当てずっぽうの攻撃が当たるわけもなく、彼はバランスを崩して無様に後方に倒れ込む。
直後、それまで旋回していた巨大な蝙蝠がヴィヴォの服の裾をくわえ、彼をすくい上げた。蝙蝠は着地せぬまま、大きく旋回すると、体を支えるには頼りない足で、半ば瓦礫に埋もれていたハクマをも拾い上げる。
みすみす逃してなるものかと、クサカが能力を発動させ、蝙蝠の羽に風穴をあけようとする。しかし、彼が武器を手にした途端、蝙蝠の顔が真っ直ぐに彼に向き、鋭い牙が並んだ口から、強烈な超音波を発した。
「悪いけど、今回はここで撤退するよ。みんな大丈夫じゃ無さそうだしね」
頭を押さえ、膝を着く一同に、蝙蝠の背に乗っていたミズシが、片手を上げてウインクをする。
どうやら、彼が蝙蝠をここに導いたようだ。
「あーあ、やられちゃったねぇ。よっ、と。まー、そっちもボロボロだし、良いんじゃないの? それにこの施設、誰かさんが柱壊したみたいで崩れてきているし。早く逃げなよー。じゃーねー」
蝙蝠の口からヴィヴォを引き上げたミズシは、彼の首筋に手刀を叩き込んで落とすと、まるで友人に挨拶するかのようにセツ達に手を振る。
ミズシの登場から舌打ちをし始め、明らかにご機嫌斜めのケミが口を開こうとする。しかし、それよりも早く蝙蝠は頭上に向かって再度超音波を放ち、それにより大きくなった穴へ向かって上昇し、そして施設から飛び立っていった。
その際、セツはハクマと目があった。仮面が壊れ、所々肌が見える状態で覗いたハクマの赤い目は、憎悪に燃えているような気がした。
「柱……?」
怪訝そうな表情でココーが呟いた瞬間、落ちてくる瓦礫を鬱陶しそうに弾いていた、クロハエ、ケミ、クサカの三人がギクリと肩を上げる。
明らかに何か知っているであろう三人は、目を泳がせながらココーの視線を避けていたが、延々と注がれる視線に耐えかね、観念する。
「ケミが施設支える柱壊しました」
「おいこらクサカ」
「事実じゃねぇか」
「あんただって全部壊せって盛り上がってたじゃない。なのに何私一人のせいにしてんのよ!」
「はあ!? 何バラしてんだよ!」
「えーっとね、ここに来る前にでっかい扉あるんだよ。で、それを壊すときに、どうせならみんな壊しちゃえ! ってその……」
「悪乗りしたのか?」
「うん」
「地下にいるという事も忘れて? その後どうなるかと考えて、誰も止めようとしなかったのか?」
遠回しにお前ら馬鹿だろう。と言っているも同然なココーの尋問に、三人は消え入るような声で「すみませんでした」と謝罪する。
それはセツから見れば非常に珍しい光景だが、昔から上下関係が出来ている三人にとっては至って普通の事柄である。
「まあ、起きたことは仕方がない。クサカ、頼むぞ」
疲れたようにため息を吐くと、クサカはハイと短く返事をして、皆から少し離れた場所へと移動する。何が起こるのだろうと訝しげに見ていると、視線に気付いた彼は、眼鏡の奥の金色の目を細め、どこか誇らしげに、
「お前、王宮に乗り込んだ鷲、格好良いって言っていたよな?」
「当たり前じゃん。あんな大きくて気高い鷲見たら、誰だって言うよ」
「ふーん。それと俺、どっちが格好良い?」
「鷲の単独優勝」
「そうか」
何故かおかしそうに喉の奥でククと笑い、クサカはクロハエにドーヨーを支えるように指示する。
座り込んだまま立てないセツに代わり、ドーヨーに肩を貸して立ち上がるクロハエを横目に、セツは能力を発動させ、金色のまばゆい光に包まれゆくクサカを傍観する。
何故か、嫌な予感がした。
やがてクサカを包み込んだ光は目を開けていられない程に強くなり、一陣の風がクサカを、周囲を包み込むーー。
光が収まり、目を開けられるようになった時、セツは目の前の光景にまず歓喜し、直後絶望する。
彼女の目の前には、マニャーナ国で自分の窮地を救った巨大な、気高い風貌の鷲がいた。しかし、その場所は今までクサカが立っていた場所で、鷲の側に、クサカの姿はない。まるで、クサカが鷲に変化したかのように。
クサカが、鷲に変化したかのように。
どうだ? と言わんばかりに鷲がこちらを見下ろしてくる。
気高く、雄々しい姿。高貴な金色の目。その目はクサカと同じ色をしていた。そして鷲は何故かセツに対して踏みつけたりといった粗暴な態度を取っていた。何より、鷲が居たとき、周囲にクサカの姿はなかった。
不自然に思っていた事柄が、悲しいことに一つの姿になっていく。いや、しかし、まだ合点するには早い。大体、人が鷲になるわけ……。
「皆、クサカの背に早く乗れ。脱出するぞ」
しかし、唯一残された希望も、ココーの配慮もクソもない言葉にかき消されてゆく。
セツを除く全員が鷲に変化したクサカの背に乗り、セツはあの日のように、むんずと踏みつけられ、そのまま鉤爪が着いた屈強な足に掴まれる。
力強い双翼が風を掴み、飛び立つ中、一人舞い上がった土埃で汚れた姿となったセツは有らん限りの声で、
「認めません!」
と、叫んだのだった。