07 おはよう、さようなら
 ゆっくりと目を開けて、薄暗い周囲の様子を確認しようと周囲を見渡す。
 能力が暴走してから、早くも三日が経過したが、未だに体を動かすと節々が痛む。今もぎしぎしと悲鳴を上げる首を何とか動かし、セツは隣のベッドを見た。
 隣で寝っているドーヨーの胸がゆっくりと上下しているのを見、セツは安堵したように微笑む。保護された彼は当初衰弱が目立っていたものの、今では徐々に容態が回復している。
 彼を起こさないようにセツはゆっくりと立ち上がる。背骨が軋み、足の付け根が嫌と言うほど痛む。
 それをなんとかこらえて窓際まで歩み寄ったセツは、強ばった両の手で、閉ざされていた窓を開け放つ。勢いよく開け放たれた窓からは、少し湿った風が吹いた。
 揺れる髪を押さえ、セツは窓の縁に腰掛け、摩訶不思議な光景に、ここに来て何度目か分からない感想を漏らした。
「随分、遠くまで来たなぁ」
 目の前に広がる、色とりどりの結晶。周期的に明るくなることから、輝石と呼ばれるそれらはそれぞれ光を放ち、地下都市である薄暗いこの空間を明るく照らしている。
 ここは望郷の都市、ササ。
 ノシドに次いで伝説の地と称される、幻の地下都市である。

 しばらく窓からの光景を楽しんだセツは、文字通り重い腰を上げて部屋から出ようとする。
 弱り切ったドーヨーの療養。そして新たな仲間との合流の為にここに到着して三日。その間。セツは起きることもままならず、食事を運んでもらっては口に入れてもらうという、何とも情けない生活を送っていた。
 つい最近寝込んだばかりのセツにとって、それはあまりに情けなく、そして申し訳ないことこの上ない醜態である。今日こそは、手助けなく過ごさなければ。
 改めて決心したセツは往生際悪く「嫌だ」と叫ぶ体を引きずり、一歩、また一歩と亀の歩みよろしくと言った調子で、廊下に繋がるドアへと向かう。
「あ、すみません」
 しかし、ドアへと手を掛けられる。と思ったまさにその瞬間、目の前のドアがノックも無しに開かれ、前のめりに歩いていたセツは額を強打し、そのまま頭から床に崩れ落ちた。
 只でさえ軋む体なのに、床に叩きつけられたセツは痛みのあまり、無言でのたうち回ることしかできない。最も、のたうち回るのも痛すぎて、すぐに動きを止めてしまうのだが。
「……起きられますか?」
 淡々とした女の声に、セツは無言で親指を立て、ゆっくりと、それこそスローロリスのごとく起きあがる。
 起き上がり、目の前の女の顔を見たセツは、顔にこそ出さないものの、心中で重々しくため息を吐いた。
 食事が乗った盆を手にし、しゃがみ込んでいる女ーー小麦色の肌に、ベージュの髪。紫水晶のような目をした小柄な女。彼女の名は、ウリハリ。
 昔、セツが殺めた仲間、ツミナの恋人である。
 中々動けないセツを見かねたのか、ウリハリはセツに肩を貸し、立ち上がらせる。
 自分より頭一つ小さい、華奢な彼女の体に支えられ、セツは再びベッドに戻された。
 ーー何でこうなるんだ……。
 黙々と食事の準備を整えるウリハリを横目で見ながら、セツは気取られないようにため息を吐く。
 ウリハリはクサカと同じく、否、それ以上にセツを憎んでいるはずだ。
 記憶の中の彼女は、息絶えたツミナを抱えている自分に向かい、憎しみの言葉を吐き出し、その憎しみを力に変えて振るってきた。その際に彼女は言った。「貴女を、許さない」と。
 それ故、セツはウリハリと会ったとしても、彼女はクサカと同じような態度を取ると思っていた。だからセツは当初、ササにウリハリがいると聞いたとき、行きたくないと思った。
 しかし、蓋を開けてみれば、ササに到着し、鷲のクサカから蹴り飛ばされたセツを抱え上げ、部屋まで運んだのはそのウリハリであった。
 その後も彼女は満足に動けないセツの面倒を率先して行った。それも見舞いに来たケミの話によると、ウリハリが自分がやると言い出したらしい。
「不思議、ですか? 私が貴女を介抱するのが」
 心中を覗かれたかのようなウリハリの問いかけに、思わず肩が跳ね上がる。
 図星ですねと淡々と尋ねられ、セツは仕方なしに首を縦に振る。
「別に特別な意味はないですよ。ココーさん、クサカ、クロハエさん、ケミさん。みなさんがあまり介抱に向いていないので、私が志願したまでです」
 ああ、そう。
 至極真っ当な理由に、思わず着飾らぬ本音が漏れる。
 スープをすくい、息を吹きかけて冷まして口元に運ばれる。未だになれないこの行為。断ろうとするも、こぼしてしまいますよ。と指摘され、止む無しに口を開ける。
 結局今回も全て食べさせてもらったセツは、ありがとうと静かに礼を言い、口を閉ざす。ウリハリがこちらに敵意がないのは分かった。しかし、どうもこの妙な雰囲気に慣れることが出来ないのだ。
 食べ終えた食器を片づけ、ウリハリは部屋から出ていくかと思った。しかし、何故かウリハリはその場に鎮座したまま動かない。
 なんてこったい。セツは思わず心中で絶叫する。これならば、クサカのように罵声を浴びせられる方がまだマシだ。それならば途中で殴り合いになって気が紛れるのに。
 何の言葉もなく、ただただ視線を寄越すのみのウリハリに辟易したセツは、思い切って話しかけてみることにした。
「あのさ、憎いとか思わないの?」
「憎まれたいのですか?」
 ぐうと言葉に詰まる。
 質問に対して質問で返すのはいささか腑に落ちないが、ウリハリの問いかけはセツが触れられたくない事柄の琴線に触れていた。
 ウリハリの言うとおり、セツは憎まれたのだ。そうすれば自分の過去の過ちを再認識出来、それを償うことが自分の生きている意味だと言い聞かせることが出来る。その上、何かしら辛い出来事があったとしても、自分には悲しむ権利など無いと、無理矢理に前を向くことが出来るから。
「そうかもね。少なくとも許されるよりは良いと思う」
「そうですか」
 折角腹をくくって本音を伝えたのに、ウリハリはあっさりと了承の意を表すだけで会話を終わらせる。そして何より、セツの質問には答えないままであった。
 ーーああ、苦手だ。
 窓の外を見つめるウリハリに、苦手意識が芽生え始める。
「憎いかそうでないかと問われれば、恐らく憎いのでしょうね。でも、貴女を憎んだところで、貴女を傷つけたところで、あの人は帰ってこない。でも、そうですね」
 そこまで言って、ウリハリはセツに使った箸を持って立ち上がる。彼女が向かった先は、ドーヨーのベッドであった。
「この人、貴女の大切な人なんですよね?」
 嫌な予感がした。
「この人の命を奪えば、貴女はどんな反応をしてくれるのでしょう? 私と同じく泣き叫ぶのでしょうか? それとも、自分もしたから仕方ないと、怒りを殺すのでしょうか? どっちですか?」
 感情の無い紫水晶の目が、動揺の色を露わにしたセツの顔をしかと見据える。
 やがて、彼女は箸を高々と掲げ、そして眠っているドーヨーの目へと……!
「なんて、冗談です」
 ドーヨーの瞼直前で箸を止めたウリハリは、抑揚のない声でそう告げると、今までの居座りは何だったのだと問いただしたいほど、あっさりと盆を持ってドアの前まで移動する。
 お大事に。とこれまた淡々と感情のこもっていない声で告げ、彼女はゆっくりとドアを開ける。
「質問の答えですけど」
 身を半分ドアに隠しながら、ウリハリは思い出したようにセツの質問に答える。
「もし貴女が、その男の人の命を仕方ないと諦めていたら、私は貴女を一生許さなかったでしょう。それでは、失礼いたします」
 パタンとドアが閉じられた後、セツは手のひらに作り出した結界を砕いてベッドに沈み込む。
 ウリハリがドーヨーに手を出そうとした瞬間、セツは咄嗟に結界を生み出し、彼を守ろうとしていたのだ。
 異常に疲れた朝食に、セツはこれ以上ない程のため息を吐き、
「……苦手だ」
 そう呟き、セツはふて寝とばかりにゆっくりと目を閉じた。

 ・

 次にセツが目を覚ましたとき、外の世界はもう日暮れなのか、輝石の光はかなり弱まっていた。
 ぐうと伸びをしてみると、突っ張るような痛みは今朝よりも格段に少なくなってきており、動くこともそう苦ではなくなっていた。
 静かに寝息を立てているドーヨーに目を向けた後、セツはゆっくりと立ち上がってドアノブを捻った。キイと軋む音を立て、木製の扉は難なく開かれる。
 部屋から首を出し、周囲に誰もいないことを確認したセツは、いたずらっ子のような笑みを浮かべ、迷い無く廊下へと飛び出した。
 動く度に、多少手足が突っ張る感じは依然として続いているものの、そんなものは今の彼女を足止めできない。未知なる物への好奇心を抑えきれない彼女は、まだ知らないササの冒険へと、足を踏み出したのだった。

 物陰に隠れて建物から脱出することに成功したセツは、所狭しと並ぶ石造りの住居と、まるで迷路のように細く、複雑に入り組んだ通路を見て、おもしろい。と、目を輝かせた。
 広い平地に住居を構えるノシドとは違い、ササは階段、坂、お構いなしに家をおっ建て、狭い場所を効率よく使っている。
 おのぼりだということを隠すこともなく、きょろきょろと物珍しそうに周囲を見渡しながら歩いていると、前方から人が歩いてくるのが見えた。相手もセツに気付いたようで、やあ。と気さくに声を掛ける。
「きみはウリハリ様のお仲間だね?」
「様? はい、まあそうです」
 ウリハリ様という呼び方に違和感を感じつつ返事をすると、壮年の男は「肌と髪の色が違うからすぐ分かったよ」と豪快に笑った。
 それもその筈。ササの民は皆小麦色、もしくは褐色の肌をしている。実は、ササは砂漠の地下に作られた国であるため、灼熱の太陽と共に生きている住民は他の国の者と比べて色素が濃いのだ。そこに加え、ササの民は髪の色素が薄く、白髪〜濃くても栗毛あたりの色である。それ故、肌色の肌と、黒髪のセツは人目で余所者だと分かるのだ。
 確かに。と、薄い紫の髪と褐色の肌をした男を眺めていると、男は再び口を開いた。その言葉に、セツはそれまで高揚していた失うこととなる。
「ウリハリ様のお仲間となると、きみは伝説のシキなのだね。まさか他の生き神様に出会えるとは、思いもしなかったよ」
 自分たちの正体を知り、尚かつ自分のことを神と崇めた男は、恭しく膝をついて頭を垂れる。
 途端、セツは雷に打たれたかのような衝撃を覚えた。
「あなた方のような人智を越えた存在に、一方でなく沢山出会えるなんて、私はとても幸せだ。そうだ、もうすぐ私に孫が生まれるんだ。是非、名付けてくれないか?」
 その目は真剣そのものであった。
「ユホガノ……」
 吐き気を催すような居心地の悪さを感じたセツは、思わずノシド語で呟く。その言葉が自分の求めた言葉だと勘違いした男は、「なんて素敵な響きなのだ」と感激し、あろう事か地面に伏して頭を下げてきた。
 男への弁明の言葉も忘れ、セツは走り出す。
 彼女の頭の中は戸惑い、そして体が震えるほどの怒りで満ちていた。
「ウリハリ!」
 どこを走ったのかは自分でも覚えていない。ともかくあちこちを奔走し、何とか自分が眠っていた宿へ戻ったセツは、扉を開けるなりウリハリの名を呼んだ。
 返事よりも早く、カウンターでクロハエ等と並んで座っている彼女を見つけたセツは、怒りの形相のままツカツカと歩み寄る。
「何のつもりだ!?」
「仰っている意味が理解しかねます。一体何の事です?」
「とぼけるな! この地の人々に何を吹き込んだ? 私たちを生き神と崇めるのは何故だ!?」
 セツを生き神と呼んだのは、あの壮年の男だけではなかった。否、セツを見たもの全てが「生き神様」と呼び、手を合わせて近づいてきたのだ。
 あまりに異様な光景に、セツは一時怒りを忘れ、恐怖を覚えたほどであった。そのせいか、それまで動くことも不自由だった体は、跳ね馬のごとく動いた。
「私はただ、聖戦の事実を述べたまでです。それが何かいけませんか? 彼らが私たちを崇拝するのは、私たちが人に無い力を使い、寿命が永いからでしょう」
「おい、お前いい加減に……」
 掴みかからん勢いで食ってかかるセツを見かね、クサカが肩を掴んで引き離そうとする。しかし、セツはそれを振り払い、
「だからって、どうして神扱いするのを止めなかった!? 私たちが神だって? ふざけるな! そんなの、アルティフと同じじゃないか!!」
「いい加減にしろ!」
 アルティフと同等の扱いをされたからか、はたまた制止を足蹴にされたからか。……あるいは別の理由か。頭に血が昇ったクサカはウリハリの襟に手を掛けたセツを殴り飛ばした。
 普段のセツならばここで我に返るのだろう。しかし、今日の彼女は怒り狂っていた。すぐに体勢を取り直したセツは体中に流れる激情のまま、クサカを殴り返した。
 セツの故郷、ノシドでは一つの例外を除いて「神」という存在は自然そのものであると考えている。
 時に生物に恩恵を与え、時に生物に牙を剥き、時に母のように包み込む、人智を越え、人がいくら足掻いたところで到達する事の出来ない領域。
 そんな手が届かない存在に、自分が加えられていると考えると我慢ならなかった。ただの人である自分が、それも、他者の手が加えられている中途半端なこの存在が、自然と同列の神と崇められるのは許せなかったのだ。
「クサカ、止めてください」
 もはや乱闘と化している二人に終止符を打ったのは、意外にもウリハリの言葉であった。
「アルティフと同じ。そうかもしれませんね。けれど、貴女だって同じようなものじゃないですか。守り神なんでしょう?」
 その問いかけに、言葉を失った。
 そうだ、そういえば、セツは、この体はかつて森の守り神と称され、今でもノシドで語り継がれている。元はといえば、セツが目覚めたきっかけである魂鎮めの儀式も、守り神たるセツを慰めるものであった。
「おまけに貴女は昔、儀式に生け贄を要求したこともありますよね? そんな野蛮なことをしていた方に、ふざけるな、等言われたくはありません」
 確かに昔、ノシドでは魂鎮めの際に幼い子どもを生け贄として捧げていたことがあった。それはとある理由で取りやめとなり、今では歴史書に小さくかかれている程度である。
 もちろん、守り神であるセツがそのような行為を要求したわけではない。飢饉や魔物の襲来が縦続きに起こった際に、勝手にノシドの民が「守り神がお怒りだ」と勘違いし、捧げてきたのだ。
 だが、その根本の原因は、ノシドの民に神と崇めさせてしまった自分にある。己の新たな過ちに気付いたセツは、思わず口を噤んで目を泳がせた。
「うろたえているのですか? ご冗談を。貴女にはそんな事を感じる事など出来ないはずです」
「な……っ!」
「だってそうでしょう? 貴女には感情が無い。貴女は私たちと違って……」
 気が付けば、セツはウリハリの襟を掴み上げ、拳を握っていた。
「殴るのですか? 殴るだけで済むのですか? ツミナを易々と殺めた貴女が。貴女に、そんな資格があるのですか?」
「私は、私はっ……!」
 以前のウリハリは、日向に咲く花のような柔らかさ、優しさがあった。しかし、今、真っ直ぐに見つめてくる、紫水晶色の双眼には怒りも、悲しみも、焦りも、何も感じられない。無であった。
 誰が彼女をそうしたのか。それは紛れもない、セツ自身だ。彼女がウリハリの恋人であるツミナを殺めた時、ウリハリの暖かい心は砕けてしまったのだろう。
 それは償いようの無い自分の罪。その非難は甘んじて受け入れよう。しかし、その罪を差し引いても、許せない事柄があった。
「あんたも何感情無い振りしてんだよ……!」
 視点の定まった漆黒の双眼には、決意と、怒りが宿っていた。
「そうだよ。私は感情が無かった。私は、皆と違って……一から生み出された存在だから」
『……同意確認。元の記憶、人格の引継を行います』
 セツは他の魔物と違い、人間の体に魔物の遺伝子が組み込まれていない。
 ある人間の胚に直接他の生物の遺伝子を組み込まれて生まれた、真の人造生物であった。愛情も受けず、培養液の中で育ち、生体となって初めて外に出された彼女は、人が持っている感情を持ち合わせていなかった。
「あんたは持っているじゃないか! 私が欲しくても、持てなかった感情を! それなのに、どうして失ったふりしているんだよ。それだと、昔の私と全く同じじゃないか! ふざけるな!」
「セツ!?」
 それは造られた中で、創り込まれた存在の魂の叫びであった。
 ウリハリの襟を離し、半ば突き飛ばすように距離を取ったセツは、そのまま部屋を飛び出して、町の中へと走り去る。
 慌ててクロハエも後を追うが、迷路のようなこの国の中でセツを見つけるのは、相当骨が折れるだろう。
「あんた、正直やりすぎ。この国の人間の媚び方も」
 クサカに起こされるウリハリを見、それまで酒を煽りながら事態を見ていたケミがポツリと呟く。
「ケミさんも、あの方の味方なんですね」
「味方とか、敵とか、そういう考え方ウザい。あんた、二択しか頭に無い訳? だから女って面倒臭いのよ」
 空気の読めないココーが、ケミは男か? と発言するが、さすがにこの状況で訂正する者は居なかった。
「大体「も」って何? セツを追いかけていったクロハエも自分の敵だと思ってんの? 馬鹿じゃないの。こんな国に何千年も引きこもっているから、世界が狭くなったんじゃない?」
「……随分丸くなったんですね。もう、妹さんとヒワさんのこと忘れたんですか?」
「だから、そういう事じゃねぇって言ってんだろ」
 静かな怒りと共に、木製のテーブルがケミの拳によって破壊された。
 口調こそ静かなものの、ケミはこれ以上ないほど怒っていた。テーブルと共に、食べていたシチューもお釈迦になったココーが顔をしかめる中、木くずに成り果てたテーブルを跨ぎ彼女は心を失ったウリハリに近付く。
「嫌いとか、好きとか、許すか、許さないかで割り切れるほど、簡単な問題じゃねぇんだよ。いつまでそこで足踏みしてんだよ。とっとと進め。セツはあんたと違って、現実を受け止めて、ちゃんと前に進んでいる。今のあんたとセツなら、私はセツの方が好き。今のあんた、最高に醜いよ」
 黙ったままのウリハリに背を向け、ケミはそのまま室外へと出て行く。恐らく、彼女もセツを探すのだろう。
 ケミの姿が見えなくなった頃、外でセツが怒鳴る声が聞こえてきた。どうやら今までの怒声や物音を気にした住民が、この建物周辺に集まってきたようだ。
 喧騒が嫌いなココーは周囲の状況を把握すると、面倒くさそうにため息を一つ吐き、テーブルの崩壊から免れたパンを手に、フードを深く被って立ち上がる。建物から脱出を図る行き先は今までの者とは違い、裏口に向いていた。
「ココーさんもですか?」
 人の目を逃れるために逃走するココーの背に、ポツリと疑問が投げかけられる。
 彼は何も答えなかった。足を止めることもなく、まるで聞こえていないかのように去っていくココーの足音を聞きながら、ウリハリはクサカと共に椅子に腰を下ろす。
 ここ数千年間、ササでは全てがウリハリの味方だった。
 それは彼女がそう望んで創ったのではない。けれど、月日が経つに連れ、彼女はそれが当たり前だと感じるようになった。
「クサカ。私は一体どうすればいいのでしょうか」
 誰も非難しない、幸せで孤独な王国を築き上げた女王は、寄り添ってくれる恋人の親友に、ぽつりとそう漏らしたのだった。


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